ほどけを責めず、綴じ直す
よろしくお願いします
綴は踏み込み、得物を葬黒の者と交えた。
だが、技量の差は隠れなかった。影の半歩は同じ半歩でも、面の移ろいが一枚深い。綴が肩を落として間を詰めれば、影は膝の抜きひとつで角度を変え、綴の刃は空を切る。
綴が肘内で抜けば、影は柄の根で軽く逸らし、戻りの速さで肩口へ圧を置く。致命は来ない。だが押しはある。綴の呼吸が一段荒れ、包帯の下で古い傷が湿った熱を帯びた。
「綴、歩幅」
ゼンが低く落とす。綴は即座に半拍遅らせ、足裏を据え直した。闇の剣がひと吸いして場の黒い細片を梳き、空気の張りを均す。間は保たれた
――それでも、押し返すには足りない。
影は半歩の空白を逆手に取り、起こりを大きく見せてから収束の速さで懐へ滑り込む。柄は鳴らさず、足の据えで鳴らす。
綴の袖が薄く裂け、剥き出しの皮膚に冷気が触れた。巫女衆の手がわずかに上がるが、祭祀長の指先ひとつで止まる。まだ座は切れない。ここから綴が踏み直す番だ。
「挑戦は弱いものがまず踏み込む」
綴は息で唱え直す。半歩引き、半歩戻す
――起こりを小さく、足を深く。
父の背、師の手、祖の結び。教えの層が一息ごとに積もる。影の斬り上げを肩越しで空へ逃がし、喉前のずらしで返しの角度を奪い、刺突の柄鳴りで拍を半拍ずらす。伏せた太鼓の皮が鳴らずに震え、灰の円の欠け目から微かな風が入った。
「今だ」
ゼンが間を押す。闇の剣によって、場の薄闇が一手ぶん軽くなる。綴は刃の腹で影の腕を払って戻りで足の甲を掠め、起こりを潰した。影の姿勢が一拍だけ沈む。ここが綴の間合い。
しかし影も深い。沈みの次で帯の結びを軸に上体を捻り、二本刻みの返しで綴の刃元を押さえ込む。柄は鳴らない。息だけが鳴る。
綴の膝が地を掠め、乾いた砂が星のように跳ねた。互いの半歩がかち合い、拍が詰まり、場の熱が上がる。鈴は鳴らない。鳴らせない。
綴は膝を押し戻し、低い姿勢から刃を立て直す。影の肘内の抜きを峰で受け、肩の落ちをそのまま写して返す。型は同じ、枝は違う。
だがいま、二つの枝は一本の道に束ねられていた。封刻の座がそれを許し、ゼンの間がそれを受け、綴の名がそれを結ぶ。
「綴」ゼンの呼びは短い。「名を忘れるな」
「忘れません」
綴は応じ、呼吸を細く長く伸ばす。押し返す力は大きくない。だが、切らさない力はある。影の刺突が喉前でずれ、刃背が肩を掠める。痛みは浅い。立てる。踏める。呼べる。
拍が一度、遠ざかる
――すぐ戻る。
影は致命を選ばず、待ちを捨てない。綴の踏み直しを待ち、綴の呼びに耳を貸す。その間を、ゼンが支え続ける。闇の剣は一定の呼吸で場の薄闇を梳き、太鼓の皮は鳴らずに震え、灰の円は欠け目を小さく光らせる。
熾烈さはなお増す。だが輪は崩れない。祭祀長の祝詞は細く途切れず、団長の指示は短く無駄がない。藍の先輩は外縁を掃き、AとBは太鼓の縁に掌を添えたまま動かない。綴は胸中で帯の結びを確かめ、足裏で半歩を刻んだ。
「向こうの長」
綴はもう一度呼ぶ。
「綴が呼ぶ。ほどけを責めず、ただ綴じる」
影の刃先がわずかに沈み、拍が半拍だけ伸びる。遠い太鼓の返しが胸に触れた。決着はまだ先だ。けれど座は開かれ、名は届き、道は続いている。闇まといは動かず待ち、綴は押されながらも切らさず踏む。ゼンはただ間を整え続ける。
トン………トン………トン……。
夜の底で拍は細く揺れ、瞬間、刃はまた交わる。封刻は長い。焦らず、崩さず、呼んで、受けて、渡す
――その務めだけが、場の中心にあった。




