名の由来を知る時
よろしくお願いします
藍の先輩と新人A・Bが戻ったのは、焚き火の芯がほそく明滅し、灰がひと粒だけ崩れた時刻だった。三人は息を無駄にせず、まっすぐ供台へ進む。濡れ布を絞ったような布包みが、木の面にかすかな湿りを残して置かれた。先輩が短く告げる。
「拾えたのは三つ。二本刻みの口金。右から左で留める帯の結び。半歩引いて戻る踏み跡――どれも兄弟子筋の癖です」
帷の内の視線がひとところに集まった。祭祀長は瞼を細め、奥歯で言葉を吟味するように一拍置く。団長は頷きつつ、地面に描かれた簡素な配置図の線を指でなぞり、進路を確かめる。
ゼンは包みをひらき、欠片を掌にのせた。金属は井戸の底のように冷たく、麻は雨上がりの縄のようにざらつき、土は乾いて軽い。さきほど闇が「見せて」去った印と、手の中で正確に噛み合う。
「葬黒の者が縁で来たなら、こちらも縁で返せるの」
祭祀長の声は低く、よく通る。
「封刻の儀を逆に辿る。あちらへの縁を、こちらから辿る」
団長が短く継いだ。
「担い手が要る。向こう筋の枝にある者が、印を受け、名を渡す。――ここにいる」
視線が壁際へ落ちる。傷ついた蛇狩は、立ち上がろうとして膝をついた。包帯の中で呼吸が浅く早くなり、喉の筋がこわばる。
「俺が、その……」
「担うのは怖れだが、務めは重くない」
祭祀長は緩やかに首を振る。
「お主は呼ぶだけでよい。名を。縁を。刻みを」
男は口を開きかけて閉じ、唇の内側でひとつ息を丸めた。喉の奥で何かが鳴りそうになって、鳴らない。ゼンはひと呼吸置き、静かな調子で言う。
「間は俺が取る。闇まといは来る。俺が祓って間を開ける。お前はそこで確かめ、呼ぶ。その先は、こちらで刻む」
遠い拍が、皮の張りを増しながら胸骨の裏に触れた気がした。帷の内の温度が一枚薄くなり、誰もが自然に立ち位置を詰める。準備が、始まる。
供台のまわりに、灰で細い円が描かれる。太鼓の皮が伏せられ、布の匂いと薬湯の苦みがうっすらと混じる。巫女衆は帯を三本、右から左へ
――家筋の結びで渡し、結び目の端を爪で整えた。
藍の者は外縁を掃き、AとBは拾い上げた欠片を円の要へ置く。封刻の儀は、倒す術ではない。受け、返す術だ。その言葉が、場の動きを細く導いていく。
祭祀長が祝詞をひと筋結ぶ。余分はない。団長は冗長を嫌い、進む線と退く線だけを短く指示する。輪は、無駄なく締まる。
名をまだ呼ばれていない蛇狩は、太鼓のそばに座した。手は落ち着かず、帯の結びを指で確かめては離し、鞘口の縁に親指を置いては外す。汗が包帯ににじんで、布が少し重くなる。
「俺で、足りるのか」
「足りる。得物より置き場が要だ」
ゼンは即座に返した。
「向こうが、お前の枝へ手を伸ばした。こちらが握り返せば、道は一本になる」
男の口元に短い笑みが生まれる。乾いてはいるが、力が少し抜けた笑いだ。
「そんなふうに、まっすぐ言われたのは、久しぶりだ」
ゼンは太鼓の皮に掌を置き、叩かぬ拍を胸で合わせるように息を整える。焚き火が小さく吐き、灰が静かに沈む。
「名は」
男は瞬きをし、首をわずかに傾けた。
「親から名の由来は聞いていない。ただ、道場では『お前は綴だ。』と、よく言われた」
ゼンは目を細め、ゆっくり頷く。
「なら、名は綴だろう。太鼓の皮を締めるとき、最後の縫いを『綴じ』と言う。お前が生まれた夜、祭の太鼓を祖が締め、母が帯の結びを右から左へ渡したのだろう。ほどけた縁をもう一度合わせる役目に、と」
男は言葉を失い、肩の余計な力がすうっと抜けていく。指先がふわりと温度を取り戻した。
「……知らなかった。呼ばれてきた名が、そうやって置かれたものだとは」
「名は刃と違う。捨てれば消えるが、置けば道になる」
ゼンは口角だけで笑い、「綴。お前が呼べ」と、名に芯を渡した。
綴は深く息を吸った。胸の震えはまだ残る。だが、置き場はもう決まっている。




