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とぐろ  作者: バトレボ
2章
23/43

殿の拍

よろしくお願いします

 新人AとBに挟まれた一団が、闇の森から飛び出した。衣は裂け、腕は擦り傷で黒ずんでいる。だが足には、まだ前へ押すだけの火が残っていた。最後の一歩は、見える誰かの背へ預ける一歩だ。


「後ろを見るな! 前を向け! 行けっ!」


Bが飛ばす。声は高くないのに、脊柱を直す刃のように通る。


「環守から迎えが来てるぞ!もう少し頑張れ!」


Aが前で押す。言葉が短く、歩幅に変わる。


押し出されるように、一団は迎えの列へ飛び込んだ。腕が受け、肩が重みを引き取る。息が混じって熱を増す。


「新人A! 報告!」


団長の声が、風を切る。


「報告! 救助途中、急接近する拍を確認。ゼン、殿にて行進——」


 言葉の尻を追い越して、ゼンが闇の森から跳ね出た。その背後で、黒が盛り上がる。塊ではない。生前の癖を残した得物の影が、薄刃の群れになって四方から突き出されてくる。


 前後左右、時間のずれた斬りと刺しが、合わぬ拍で襲った。土の上の小石がわずかに跳ね、枯葉が内側へ巻かれる。


 ゼンは全身を変異させる。鱗が腕を包み、三の爪が土を噛む。縦の瞳孔が角度だけを射抜く。腰の闇の剣が低く鳴り、刃の奥がひとつ吸って、ひとつ吐く。列の拍と剣の拍を同時に胸で受け、殿で立った。


「前を止めれば後ろから刺され、後ろを止めれば左右が挟む……」


 救助された誰かが震え声でつぶやく。


「逃がすだけで精一杯だった。あの人は、同じ人なのか?」


「今は不思議な色だが、元葬黒色まで呪いを祓い続けた英雄だ。暫定で“祓刻”と呼ぶ」


団長が短く答える。


「六祓いの英雄……!」


別の男が息を呑む。


「目を逸らすな。受けの列を崩すな」


 藍の者が低く重ね、担架の角を握り直した。

 

 刃の群れが先に躍る。ゼンは退かない。


 軌道だけを微細にずらした。前の槍は肩越しに折り、折れ目の瞬きで肘を返して柄を踏む。背の斬り上げは肘の内で抜き、肋の上で角度を潰す。右の刺突は脇で受け流し、左へ逸れた刃先を、闇の剣の柄にそっと触れさせる。触れた刃は粉を吹いたみたいに脆く、黒がふわりと舞って地が吸った。


 合わぬ拍同士が重なって自分を噛みはじめ、薄刃の束が一瞬だけ重心を失う。ゼンはその「ずれ」を半拍早く踏む。爪が土を掻き、踵が砂を散らす。空気に小さな穴が開き、そこへ闇が吸い込まれた。


「今——」


藍の者が息で合図しかけた。


 ゼンは首を振らない。呼吸だけで制す。入らせない。殿はひとりで取る。列が乱れるからだ。


 薄刃が再び寄る。今度は“ひとつ”に見せかけて“ばらける”型。左からの横薙ぎに、右下からの差し込みが絡み、遅れて背面から杖のような重さが来る。


「三、二、一」


 ゼンは胸の内だけで数え、肩を落とし、腰をわずかに捻った。


 横薙ぎは肩甲の上で角度を失い、右下の差し込みは膝の返しで空を切る。背の重さが来る前に半回転、得物の峰を打ち合わせて“そこにあるもの”だけを折る。


 音は金属にも骨にも似ず、紙を湿らせて裂いたみたいに薄い。裂け目から黒粉が噴き、地が吸い込む。


「後ろを見るな! 前を向け!」


Bが列に打ちこむ。


「前、段差。左足から。肩、預けろ」


Aが押す。


「肩、貸す。はい、もう半歩」


藍の者が受ける。


「水、あとでだ。いまは息だ」


団長が列の上から落とす。


 刃の群れのうち、二つ三つが“人の癖”を真似た。手首の返しが、どこかで見た型をなぞる。ゼンは一瞬、瞳孔を細める。


(攫われた拍の名残か。なら——)


 半歩、わざと遅らせる。相手の“知っている型”に“知らないずれ”を与える。


 右の突きが来る。ゼンは敢えて遅く受け、刃の腹で撫で落とした。遅れた分だけ、背の斬り上げが先へ空振りする。二つの刃が互いに食い違い、はじかれた火花の代わりに黒粉が散った。


 その瞬間、ゼンは大きく吸い、吐く。刃の奥が短く開く。薄刃のいくつかがそこへ吸い込まれ、残りは左右へ裂けて森の暗層へ崩れて消えた。拍は途切れないが、間が伸びる。いまは、それでいい。


「いけ」


 ゼンの声は低いのに、列の背骨へ真っ直ぐ落ちた。Aが先頭を引き上げ、Bが後尾を寄せる。救助された一団は迎えの列に抱き取られ、そのまま環守の方角へ搬送が始まる。団長はゼンの横へ出かけて、足を止めた。殿の位置を奪えば、列が乱れる。


「殿、半拍ずらす」


ゼンが短く言う。


「前、速度上げず、歩幅だけ広げろ」


「受けとった」


団長が応じ、Aへ通す。


「歩幅、半足ぶん伸ばせ」


「了解。前、半足伸ばす。右の地、ぬかるむ。踏み換え一回」A。


「後ろ、肩の高さ揃える。息、二で吸って四で吐け」B。


 闇の森の口が遠のくにつれ、拍は薄く、闇の層は平たくなった。ゼンは一歩、また一歩と殿を押し戻し、最後の一呼吸で列へ合流する。誰も歓声を上げない。息を無駄にしないことは、この地での礼儀だ。


 代わりに、誰かの背に手が置かれ、指が一度だけ握って離れた。


 環守の外縁で祭祀長が待っていた。巫女衆が清水と薬湯を捧げ、藍の者が担架を受け取る。焚き火は落ちず、供台は温い。


「よく戻った。受け入れる。——運べ」


 動きは整然と、速い。深い呪いの者は供台のそばへ、軽傷は外縁で手当て。鈴が足元で微かに鳴り、水が喉を通る。薬湯の苦さが舌に広がり、体温がゆっくり戻った。巫女衆の一人が短く言う。


「吸って、はい。吐いて。——よし」


祭祀長は様子を見届け、ゼンへ目で問う。


「拍はまだある」


ゼンは柄に手を添えたまま言った。


「遠のいたが、切れてはいない」



「わかった」


団長が短く応じる。


「今夜は呼吸を整え、明日、向き直す」


年長の男が深く頭を下げる。


「助かった……助かったで済まぬが、言わせてくれ」


「言葉は軽くない」


ゼンは首を横に振る。「受けて、前へ渡す」



男は唇を噛み、ただもう一度、深く頭を垂れた。


Aは刃を拭きながら、そっと問う。


「殿、さっきの“遅らせ”……怖くは、ないのですか」


「怖い」


ゼンは否定しない。


「怖いから、半拍ずらす。怖いから、合わない拍を噛ませる」


Bが頷く。


「次は、前で取れるように、前の拍を覚えます」


「前も、後ろも、同じだ」


ゼンは肩を一度だけ回した。


「ただ、置き場が違う」


 風が向きを変え、乾いた草の匂いが一筋流れ込む。遠くで鳥が一度鳴き、鈴が答えるように震えた。祭祀長が低く言葉を結ぶ。


「息は渡った。今度はおぬしたちの番じゃ」



 ゼンは供台の前で刃の呼吸と自分の呼吸を重ね、北東へ視線を上げる。刃の奥で黒が細く往き来し、拍はかすかに続いていた。闇はまだある。



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