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とぐろ  作者: バトレボ
2章
22/43

拍の縁

よろしくお願いします

 視界が開けた。尾根を背にした斜面がゆるみ、暗さの層が一枚はがれる。湿りを含んだ風はまだ重いが、闇の近さが半歩だけ遠のいた。


 呪いの匂いは薄皮一枚ぶん退き、負傷者たちの肩からこわばりが少し抜ける。息が、人の重さを取り戻した。


「ここで休む」


 ゼンは手短に言い、倒木の陰と低木の影を選んで負傷者を寝かせる。新人Aと新人Bが走り、包帯を締め直し、水袋を回し、濡れ布で額の熱を逃がす。


 Aは指先のかすかなふるえを袖の内に押し込み、Bは背嚢の紐を刃の峰で断って担ぎ替える。ゼンは列の端から端へ視線を通し、容体を数でおさえる。歩ける者、担がれる者、支えになる者

――短い言葉で役割を組み、隊列の骨組みを決めた。


「前はA、後ろはB。俺は殿につく。真ん中を生かす。歩幅は俺が取る」


「はい」


Aが即答し、Bが負傷者の肩に手を添える。


「了解しました。後尾、二歩詰めます」


 ゼンは掌を合わせ、短い祝詞を一本に結ぶ。帯に印をひとつ置き、風へ放つ。先触れだ。印がほどけるまでの短い間、胸骨の裏の拍がかすかに高鳴り、皮膚の内側を細い糸が引いていく。風は帯を運び、山陰を越えた。


 遠い場所で、応えが生まれる。環守の帷の内で、祭祀長が目を上げた。


「ゼンから先触れが来た。あちらの一団はほぼ壊滅。一部は呪者へ変わったそうじゃ。生き残りを連れて戻る。近くまで来ておる。至急、受け入れ整えよ」


「承知」


 団長が即答し、藍色の蛇狩たちが立つ。運びの担ぎ手、見張り、迎えの列

――役割が一息で割り振られ、伏せた太鼓の皮が風でわずかに鳴った。


戻る道で、ゼンは負傷者へ短く告げる。


「環守へ行く。受け入れは整っている。声は要らない。歩幅だけ合わせろ」


 頷きが連なり、足裏の置き方が揃う。息の高さが揃えば、列は軽くなる。


やがて、遠くから寄っていた拍が、はっきり形を持ち始めた。


トン………トン………トン……トン……トン…トンッ。


 間が詰まる。濃くなる。闇は姿を持たずに迫るのに、拍だけが先に触れてくる。ゼンは深く息を落とし、列の背へ声を張った。


「隊列、そのまま。A、先頭を上げろ。B、後尾を締める。俺は殿で取る。進め!」


「はい!」


 Aの返事が鋭く立つ。


「前、開けます。右二歩に倒木、跨いで」


「後尾、詰めます。崩れそうなら肩叩け」


 Bが負傷者の耳へ落とすように言う。


 拍はさらに近づく。トン、トン、トントン

――足音と呼吸の隙間へ割り込み、皮膚の裏で鳴る。


 列の中ほどで誰かの肩がびくりと揺れ、別の者の手が背にそっと添えられた。ゼンは腰の重みをひとつ落とし、拍の位置を胸の奥でずらす。焦らせない。急がせる。速度ではなく、歩幅で押す。


「行け」


 闇の森の口が見えたところで、ゼンが短く言う。Aが刈り残しの草を踏み倒して道を太くし、Bが後尾を寄せて綱を締める。ゼンは殿で半歩下がり、振り向かずに列の気配を背で受けた。


 肩甲骨の裏に拍が触れるたび、呼吸を半拍ずらす。追い越させない。追いつかせない。湿った枝が遅れて揺れ、その揺れの縁で黒い粉が細雪のように降った。


 拍がさらに詰まる。トン、トトン、トン。ゼンは地の起伏を拾い、殿の足の置き直しで拍の刃先を失速させる。姿はまだ見えない。だが、薄い刃の群れが線香の煙のように織り重なり、列の影を舐めはじめているのがわかる。


「B、後尾の左、半歩切り上げ」


「了解です。左、上げます」


 Bの声と同時に、空気の硬さがわずかに剝がれる。列の端に立った若い蛇狩の膝が折れかけ、すぐ隣の手が腰帯をつかまえて立て直した。


「大丈夫です。行けます」


若い者の唇は乾いていたが、足は前へ出た。


Aは振り向かない。


「前、もう一息だ。段差、左足から」


「了解。右、支えます」


Bが短く返す。列の中で、誰かが掠れ声で問う。


「後ろは……」


Bは笑いを乗せずに答えた。


「殿がいます。前だけ見て」


 拍はなお近づく。トン、トン、トントン、トン。ゼンは殿で一度だけ立ち止まり、足の置き直しで半拍ずらす。迫る拍が空を切り、湿った枝葉が遅れて揺れた。


 揺れが静まる前に、ゼンはまた一歩、列の影に沿って進む。迎えの列が見えてきた。空の灰はまだ重いが、灰は動いている。


 その時、拍の刃が初めて形を持った。薄い黒が草の間からすり上がり、折れた槍の癖を残した影が、列の最後尾の踵へ吸い寄せられる。


「下がれ」


 ゼンは声を出さず、踵の返しで影の鼻先を空へ向けた。半身を切り、肘の内側で刃の角度を折る。黒が粉になって散り、地が吸う。


 続けざまに、別の影が右から滑り込む。縦に割れた瞳孔が角度だけを捉え、刃の柄で軽く弾く。弾かれた拍が半拍遅れ、前にいた負傷者の肩越しに空を切った。


「A、前、二歩伸ばせ」


「はい。右、低木、跨いで」


「B、後ろ一枚、私が取る」


「了解しました」


 迎えの列まで、あと十五歩。拍は噛み合わず、しかし数が増える。前後左右、時間差の刺しが不規則に重なり、列の足元で波紋のように砕けた。


 ゼンは殿で半身を保ったまま、闇の剣の呼吸をひとつ深くする。刃の奥が吸い、吐く。吸う間で影のいくつかが細くなり、吐く間で地に落ちる。


「殿、左高いです」Bの声。

「左、低く取る」


ゼンは地のえぐれに踵をかけ、左からの薄刃を肩越しに折った。黒粉が頬をかすめ、鉄の匂いが舌の奥に残る。


「怖いか」


ゼンは隣の若い蛇狩にだけ聞こえる低さで言う。


「はい。しかし、行けます」


「それでいい。怖さは置き場が大事だ。足へ置け」


若い者は、一度だけ深く頷いた。


迎えの列が手を伸ばす距離になった。団長の声が風を裂く。


「受けるぞ——間を開けるな!」


 藍の者が前へ出て、走り込んでくる肩と腕を確かに受け取る。負傷者が担架へ移り、軽傷は外縁へ流れる。列の前半が環守側に抱き取られた瞬間、拍がひときわ近づいた。トン、トン、トンッ。


「ここだ」


 ゼンは殿で大きく吸い、吐いた。刃の奥が一瞬だけ開き、追ってきた薄刃の群れの先端がそこへ吸い寄せられる。残った端は左右へ逃げ、湿った梢の陰でほどけて消えた。


「いけ」


 そのひと言は大声ではないのに、列の背骨にまっすぐ落ちる。Aが先頭を引き上げ、Bが後尾を寄せた。殿に残ったゼンは半拍だけ遅れて走り、最後の者の背に自分の拍を重ねて押し出す。


 環守の外縁で、祭祀長が待っていた。巫女衆が清水と薬湯を持ち、藍の者が担架を受け取る。焚き火は落ちず、供台は温度を保ったまま。


「よく戻った。受け入れる。——運べ」


 動きは整然と、しかし速い。深い呪いの者は供台のそばへ、軽傷は外縁で手当て。鈴が足元で微かに鳴り、水が喉を通る。祭祀長は様子を見届け、最後尾にいるゼンに目をやった。

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