祓いの演舞
新作なので2話連続投稿です。本日2話目です。よろしくお願いします。
葬黒の者の得物と、主人公の得物が交差するまえに、土がひとつ跳ねた。
主人公は反射では動かない。型で動く。膝、腰、肩、肘、手首。順にほどいて、順に結ぶ。呼吸を、足裏まで落とす。
葬黒の者は、かつて同じ型を知っていた。人であったころ、祓いの足運びを、息の合わせを、夜の土の冷たさまで覚えていた。
だからこそ、遅い。遅く見せることができる。遅く見えるだけで、急所へ至る道筋は寸分違わない。
視界の縁で、砂がふたつ弾けた。
葬黒の者が刃を右から左へ移す。主人公は左足を前に出し、右腕の鱗を光にさらす。鱗は深い藍色で、薄い水面の下に眠る石のようだ。刃が擦る。火花が飛ぶ。音は短い。刃はすぐに次の角度に移った。
三手先が見える。だが、三手先を追えば、手前で死ぬ。主人公は、目の前だけを見る。今まさに振り下ろされんとする得物。その一本。その角度。その温度。
尾が、地に触れた。
触れた尾が、身体の最後尾で制動となり、踏み込みの刹那に逆らいを生む。刃は頬を掠め、血は落ちない。葬黒の者は声を出さない。
音の代わりに、かつての呼吸が、刃の速度になって流れる。主人公の瞳孔は細い。視界の中心だけが鮮明で、周りは遠目のように淡い。
目の内側で、色が揺れる。茶から藍へ、藍から黒へ。恐怖が波のように押し寄せ、すぐに引く。祓いの数と、死の恐怖。その二つが、色の針を振る。
一合、二合、三合。
打ち合いは短歌のように短く、斬撃と受けが五七五で往復する。その短さに、長い季節が束ねられている。受けるたびに、主人公の鱗が増える。踏むたびに、爪が土を掴む。
尾は振れない。動けば崩れる。崩れれば、その隙に呪いが入ってくる。入れば、戻れない。戻らないことを選ぶことも、できてしまう。
刃の影が頬を撫でたとき、主人公は思い出す。
最初の祓いの夜、指先が震えて、柄が汗で滑った。
最初の夜、頭を落とした。
二度目の夜、胴を貫いた。
三度目、焼いた。
四度目、凍らせた。
五度目、絞めた。
六度目、矢を放った。
七度目、頭を落とした。
七つ輪、終わりの印。
七つの輪をくぐらせて、なお残る微かな炭を、息で吹き消すようにして、自分の胸に招き入れた。
土地のために。人のために。名もなき誰かのために。そう言い聞かせた。
今日、それを七回越えてきた者が前にいる。
かつての同輩。かつての祈り。かつての、言葉。葬黒の者の腕は、覚えている。祓いを受ける構えも、覚えている。
刃が、ふと止まる。
わずかに、受けの角度が、あの頃のそれになる。主人公は、一拍だけ、遅れる。遅れて、合わせる。葬黒の者は、合わせられたことに、合わせ返す。言葉はない。だが、身体が語る。語りの代わりに、演舞が交わる。
刃はまだ落ちきっていない。
土の上に、二つの足跡が向かい合い、間の土は少し高く盛り上がっている。呼吸が、二つ。吐く。
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踏み出す。
彼は、かつて教わった型の最終を思い出す。斜めに、半身を切り、肘を落とし、手首は柔らかく。受け手は、刀の腹を見せ、押さず、引かず、ただ在る。
葬黒の者が、わずかに頷いたように見えた。頷きは、錯覚かもしれない。だが、錯覚にしては、あまりにも懐かしかった。
尾が、砂の上で、円を描く。
彼の鱗が光り、爪が土を拾い、縦に裂けた瞳孔が、振り下ろされる刃だけを捉える。彼の中で、黒は濃く、同時に薄くなった。
濃さは力になり、薄さは痛みを減らす。祓いとは、そういう矛盾を呑み込む営みだ。殺すことでも、忘れることでもない。残すこと。持ち運ぶこと。語りが止まらぬように、形を変えて受け渡すこと。
葬黒の者が、受ける構えに戻る。
主人公は、打つ構えに入る。二つの型が、かつての稽古場の影を呼ぶ。土の匂い。夜の温度。手の温かさ。名を呼ばない祈り。誰にも聞こえないところで、誰もが聞いていた言葉。
七つの輪は、今日も回る。
振り下ろされた得物と、主人公の得物が、交錯する――。