明るさの名を持たない色
よろしくお願いします
六度目の交錯が訪れた。
リーン――。
今度の音は、地の芯で鳴ったように深かった。同時に、周囲の闇がふっと軽くなる。火があるわけでもないのに、輪の顔が見えた。井戸の水面のように、夜が一瞬だけ平らになる。誰かが息を飲む音が微かに重なり、すぐ土に吸われた。
彼の葬黒の色は、抜け落ちていた。黒は薄く、色そのものが透けて見える。白はこの世界から失われて久しい。だからそれを白と呼ぶことはできない。
だが、色の名前を外れてなお残る「明るさ」が、彼の輪郭に宿っていた。見続けるほど、胸の内側が痛みで温かくなる。輪の誰もが、涙を止められなかった。
対する葬黒の者は、黒をさらに重ねる。黒は黒のまま、しかし蛇呪の声はしない。呻きも、呪言も、ない。闇は人の形へ収まり、輪郭が以前よりもはっきりしていく。
二つの影は、互いの中へわずかに入り合い、離れる。祭祀長は場の縁で目を細め、団長は息を落として列の背を支えた。巫女衆の袖が静かに揺れ、蛇狩たちは拍を外さない。
彼の鱗がひかり、爪が土を拾い、縦に裂けた瞳孔は、振り下ろされる刃だけを捉える。彼の中で黒は濃く、同時に薄くなった。濃さは力になる。薄さは痛みを減らす。
祓いとは、そういう矛盾を呑み込む営み
――その理解が、動きに透明な芯を与える。
踏み込む足裏に土の湿りが移り、肩の高さは稽古場で幾度揃えた角度に戻る。夜の温度は低いのに、胸の奥だけがゆっくりと温かい。
その時、声がした。
「ありがとう。良き舞だった」
葬黒の者の声だった。低く、乾いて、しかし澄んでいる。
彼は刃をわずかに下げ、短く返した。
「逃げた気持ちはわかるが、同情はしないぞ。……そちらへ行ったら、よろしく頼む」
殺すことでも、忘れることでもない。残すこと。持ち運ぶこと。語りが止まらぬように、形を変えて受け渡すこと。
二人のやり取り自体が、すでにひとつの祈りの型だった。巫女衆の歌が低く支え、太鼓は間を置いて三打。蛇狩の舞はその間を橋のように渡す。色はもう、恐れの色ではない。
別れのために置く息の色だった。新人AとBは涙を拭かず、ただ拍を外さずに型を踏む。藍の者は藍の深さを、茶の者は茶の温さを、それぞれの場所で保ち続ける。
彼は気づく。色は戻らない。だが、明るさは運べる。輪の端に立つ者の胸にも、同じ温度が宿るのを、音の隙間で確かに感じる。団長の掌がひとつ肩に触れ、すぐ離れた。
触れたのは合図ではない。重みの置き場を確かめるための、短い確認に過ぎない。祭祀長は祭具の縁に手を置き、目を閉じて拍を数える。誰も言葉を足さない。足せば、いま整った拍が乱れることを知っている。
葬黒の者は、わずかに頷き、受ける構えに戻った。肩の線が流れ、胸の幅が狭まる。受けの角度は、彼がよく知るあの高さだ。
かつての稽古場の影が、場の中央で鮮やかに重なる。土の匂い。夜の温度。手の温かさ。名を呼ばない祈り。誰にも聞こえないところで、誰もが聞いていた言葉――七つの輪は、今日も回る。
輪の周りでは、太鼓が低く、確かな歩幅を刻み続ける。歌は細い糸で道を描き、蛇狩たちの舞がその糸を踏み固める。団長は刃を下ろし、息を落として列の背を支える。
祭祀長の指先は拍を刻み、巫女衆の声はわずかに高みを跨いだ。音が生まれるたび、黒はほどけ、ほどけた黒は場に均される。恐れは残る。けれど、運べる恐れへと形を変えつつあった。
――残す。持ち運ぶ。受け渡す。
祓いは終わりではない。続けるための、かたちの調えだ。彼はその理解を刃の重みに移し、葬黒の者は受けの静けさで応じる。二つの線が、重なるべき一点を選び合う。
場の周囲では、色がなお淡く灯り、黒はなお濃く沈む。対照は鋭いのに、衝突の予感はない。あるのは、合うべき拍の到来だ。
振り下ろされた得物と、彼の得物が――交錯する。
一線が夜を貫き、色はさらにもう一段だけ晴れた。涙は落ち、歌は続き、太鼓は間を置く。誰もが声を出さない。声の代わりに、刃の音が最後までの演奏者であり続ける。
七つの輪は、今日も、そして明日も回り続けるだろう。




