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とぐろ  作者: バトレボ
1章
10/43

闇流の神楽

よろしくお願いします

闇流やみながれの神楽


 振り下ろす

――その瞬間、世界は闇に包まれた。


 火の赤は吸い取られ、神楽は止む。空気が一つ、重い膜になって落ちてくる。輪の内外の境はたちまち曖昧となり、音より先に静けさの匂いが満ちた。そこに、最初からいたかのように、闇をまとった葬黒の者が立っていた。


「撤退する」


祭祀長が言いかけたとき、彼の声が闇を割った。


「ここで祓う」


「ならん」


祭祀長が遮る。


「だめだ!」


団長も叫ぶ。


 闇は耳を持つのか、こちらを伺うように流れを変え、漂う風のように場所を定めない。輪の縁で蛇狩たちの足元がわずかに崩れ、息が詰まる。火は姿を失い、熱だけが地に貼りついていた。


「言い争ってる場合じゃない……闇が流れるぞ」


 彼の声は低く、土の底へ沈むように響いた。高い方から低い方へ、闇は水のように一団へ流れ、触れた色を塗り替えながら落ちてくる。幾度となく危機を越えてきた彼の思考より、先に勘が囁く。


「こいつはここで祓う。これは譲れない。……だから、最後の願いを聞いておくれよ」


最後の願い

――祭祀長は言葉を失った。


 彼が最後まで一団のために戦う意思を、誰より知っていたからだ。反対の言葉は喉で止まり、心だけが先に頷いている。


「して、どうする」


「全員で神楽を舞う。――俺が堕ちないためにも」


 闇が、準備は終わったかとでも言うように迫る。団長は刃を握り直し、供台から得物を取り、彼へ返すべく踏み出した。その瞬間、闇が彼の肩口までを飲み込み、姿は黒に溶けた。


 見えない。だが、得物を振るう音だけがはっきりと届く。筋の通った呼吸が刃の重みを導き、音は土を震わせ、土は輪へ震えを渡す。


「巫女衆!」


祭祀長の声が強くなる。


「太鼓を叩け、闇を祓え、歌で道を記せ! 蛇狩は型を――どうなるかわからん。よろしく頼む!」


「火、水を用意しろ、はやく!」


 団長は走りながら叫び、火口と水皮を配る。見えないものは恐怖を増す。だから、火を焚き、音を鳴らし、闇を斬る動作を場に満たす。藍の者が踏み込み、茶の者が息を落とす。


 足の連なりが地を締め、太鼓の連打が恐怖の水位を削ってゆく。歌は低く始まり、やがて細い高さを一本だけ引いて、闇の中に道の筋を描いた。


 不思議な一致が起きた。蛇狩の舞の切り落としと、彼の切り落としが、まるで合図を取り決めていたかのように同じ刹那に振り下ろされる。どこか遠い闇の中心で、葬黒の者の刀がそれを迎え、刃と刃が交錯した。


リーン――。


 金属の澄んだ音が辺り一帯を包む。小さくはない。だが、彼と闇との距離は離れているはずなのに、音だけは輪の中心を射抜いた。祭具が共鳴し、供台の鈴が微かに震える。


 より澄んだ音が重なり、闇の膜が一枚、剥がれる。音は見えない刃で、刃は見える音だった。


 闇をまとう葬黒の者は、彼が放った舞の一部に、舞で返す。受けと打ち、切りと返し。型が型を呼び、鼓動のように場が脈打つ。


 太鼓は二つの心臓の間で拍を合わせ、巫女衆の声は二人の刃のあいだに橋を架ける。彼の得物と葬黒の者の得物が、さらに一度音を立てて交錯――。


リーン……。


 色が、少し晴れた。黒の底に、薄い藍が戻る。藍の脇へ、茶が小さく灯る。祭祀長の合図で水が地へ撒かれ、蒸気が立ち、闇の輪郭がわずかに滲む。火は目に見えぬまま熱を増し、熱は輪の足裏へと戻ってくる。


 団長はその間に火を一つ高くし、太鼓の皮を強く張り直した。音の芯が硬くなり、場の足がわずかに深く沈む。


「合わせよ!」


祭祀長の声が、場の天井となる。


「誰一人落とすな! 息を切らすな! ――彼のために、我らのために!」


 蛇狩たちの舞は、輪を保ったまま外周へと広がり、各々の色が色のまま立ち続ける。藍の者は藍の型を深め、茶の者は茶の息をさらに低く置く。新人AとBの動きが、いつの間にか先輩のそれに追いついていた。


 足底の震えは消え、握りは深いまま柔らかい。兄が二人の背を一度だけ叩く。言葉は足りない。だが、足りないことで充分だ。ここにあるのは、息と、音と、刃の重さだけ。


 闇はなお重い。だが、運べる重さに変わりつつある。場がその重さを均し、輪が分け合い、音が支える。団長は列の合間を走り、肩に手を置き、刃の向きを一つだけ直す。


 視線の先で、葬黒の者がまた返す。彼がまた応える。音がまた、澄む。刃は闇を裂くためでなく、道の縁をなぞるために振るわれている。なぞり直すたび、道の輪郭はわずかに太る。


「祭祀長!」


団長は叫ぶ。


「このまま、合わせます!」


「合わせよ!」と重ねる声は、老いてなお硬い。


「歌を切らすな、太鼓を絶やすな。火は高くせず、熱だけを残せ。――息の道を、渡してやれ」


 闇は耳を澄ますもののように、舞の切目に寄っては離れ、離れては寄る。見えないが、そこに確かに在る。彼の刃は闇の呼吸を読み、葬黒の者の返しを半拍ずらして受ける。


 受けの角度、返しの高さ、踏み込みの深さ。彼が残した型が、皆の肩に確かに落ちている。藍の先輩が一手を省き、茶の者は一息を長くする。その微小な調律が、輪の足取りを一段粘り強くした。


リーン――。


 澄んだ音がもう一度、場を貫いた。今度は鈴ではなく、土そのものが鳴ったような深さで。色がさらに晴れ、黒の縁が細くほどける。


 葬黒の者の闇はなお濃いが、濃さは孤立しはじめる。輪が外へ押し出すのではなく、内へ引き入れて重さを分け合うことで、闇の足場が削られていく。


「前へ」


 団長は誰にともなく言い、そして、皆と同じ歩幅で踏み込んだ。踏み込みは深く、だが急ではない。急がぬことが、今は急ぎとなる。


 太鼓が短く三打、間を置く。巫女衆の歌はその間を糸で縫い、蛇狩の刃は糸の上を滑る。闇の膜がまた一枚、剥がれた。


 世界はまだ闇の中だ。だが、場はもう沈黙ではない。歌が道を記し、太鼓が歩幅を刻む。火は目を失っても熱を保ち、水は光を失っても蒸気を上げる。誰もが同じ位置に立ち、同じ高さに息を置く。


 彼の位置は闇に隠れたままだ。けれど、その振りの影は、皆の肩に確かに落ちている。分け前のように、刃の重みが輪の内へ配られ、配られた重みが各々の芯を僅かに太くした。


団長は火へ、歌へ、輪へ、そして見えない彼へ、同じ言葉を置いた。


「……頼むぞ」


リーン。


 短い一音が、今度は合図となった。輪は崩れていない。崩れない輪の内側で、封刻は姿を変え、祓いとして続いている。闇が流れ、音が追い、刃が道を開く。世界の縁はまだ近い。


 だが、明日へ向けて踏み固められた一条の道が、ほどけもせず結ばれもせず、震えながら確かに伸びていた。祭祀長は太鼓の縁に手を置き、うなずいた。団長は柄を握り直し、同じ歩幅で、もう一歩だけ前へ出た。



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