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とぐろ  作者: バトレボ
1章
1/26

葬黒の者

新作です。2話連続投稿、1本目です。よろしくお願いします

 風は止み、土は硬く、空気はひどく澄み過ぎていた。


 彼は、砂利を踏んだ音が最後の合図になるのを知っていた。目の前で、葬黒の者がゆっくりと振り向く。皮膚は煤のように沈み、黒髪は濡れた刃の光を吸って、輪郭だけを残している。


 顔はある。だが、そこに感情の出入りはない。あるのは、かつて人であった身体に残った、かつての「型」だけだ。


 一拍、間が空く。静止画のように、世界が少し縦に伸びる。

 つぎに訪れるのは雷鳴ではない。獣が岩間をすべるような、低い擦過音。一歩で彼の目の前に飛び出す。


 葬黒の者が持つ得物が、まるで空気の目を探すように、無造作に振り上げる。遅い。だが、その遅さは虚だ。引きずっていた得物はいつ振り上げたのか。刃は一息に加速して、主人公の喉元を割りにくる。


 踏み込む。右足が土をつかみ、踵の奥に重みを沈める。

 その瞬間、主人公の体内で、眠っていた何かが目を開ける気配がした。皮膚の下で筋がきしみ、視界の枠が収束する。


 瞳孔が、細く、縦に裂ける。腕に、深い藍色の鱗が芽吹き、汗の上に並んだ。足の指が、五つのまとまりから三つの爪へ組み変わっていく。踝から尾の骨が芽を出し、布の内側で静かに揺れた。


 それでも、彼は迷わない。

 見ている。今まさに振り下ろされんとする得物。その重み、その冷たさ、その過ち。見ることだけが、最初の防ぎになる。



---


 葬黒の者――その者を語るには、ずっと昔の話をせねばならない。取り返しのつかない代償。そして、未だにその代償を償い続けている時間の話を。


 始まりは、昔あったとされる、ただ一匹の蛇を祀った王国だ。


 蛇は水を導き、畑を潤し、川を静めた。祈りは土を耕し、土は人を養い、人は蛇の名を呼んだ。小さな村が集まり、やがていくつもの村がひとつの国になった。


 豊穣は富を呼び、富は武を呼んだ。周辺の村々は、その繁栄にあやかりたいと、徐々に迎合していった。水路は延び、穀倉は膨らみ、倉の鍵は増え、鍵の数は権力の数になった。


だが、繁栄は長くは続かなかった。


 強大さは自らを食う。王国はゆっくりと、しかし確実に、蛇を祀ったころの姿を失った。かつて蛇の印が現れれば村をあげて祝ったものだ。


 王族もまた、祝福を畑や川へ送り、年の初めに名を捧げた。だが、いつからか声は逆向きに響くようになった。


蛇さまがいるから我らが在る、ではない。

わたしたちが在るから蛇さまが在るのだ、と。


 より強い力、より強い権力。あいつより、あの国より。耳触りのよい言葉は、蛇信仰の芯を少しずつ腐らせた。


 国は「一から六の儀」を行い、残すは「七環の白蛇」を用いた七つ目の儀となった。


 祝祭の火は高く、供えは多く、祈りは長くなった。だが、祈りは長ければよいものではない。


 七つ目の儀は、願いの重さを支えきれず、やがて暴走した。夜は裂け、川は逆流し、蛇の名は呪詛に変わり、王国は一夜で崩壊した。


 祝福は呪いとなり、土地は蛇の呪いを吐き出す場に変わった。人は眠り、起き、働き、老い、死ぬ。その合間に、蛇は形を得て地を這い、祈りの残骸を食んだ。


 呪いを前に、人々は剣を取った。はじめは「殺す」ことが正しさだと思われた。


だが、蛇の呪いは一度では祓えない。


 頭を落として祓えば、次は頭が二つになって現れる。

 胴を貫いて祓えば、次は胴に風穴を抱え、風の出入りで声を生む。

焼けば、内側に火を宿し、

凍らせれば、皮を剥いで赤い筋肉を見せた。


 方法に応じて姿を変え、強くしぶとくなる。やがて、人々は気づいた。殺しても、消えない。ならば、と、数えることを覚えた。


七度祓う。

同じ呪いを、異なる方法で七度祓う。


頭、胴、焼き、凍り、絞め、射ち、解き。


七つの輪をくぐらせる。


 そうして初めて、呪いは核を手放し、土地は静まる。七度祓ったのち、祓い手は、その呪いの残り火を自らの身体へ取り込む。


 土地の毒を自分の中で飼うこと。それが、鎮静の代償だった。


 その道のりを七巡、七度を七回以上越えた者がいる。彼らは、祝福の裏側を知り尽くし、恐怖の水位を下げ、祓いの型を体に刻んだ。


 だが、刻みすぎた。

 祓いは、身を守る壁であると同時に、内側へ繋がる門でもある。取り込みは境界を薄くし、名を呼ぶたびに中と外が入れ替わる。封印の儀に座らなければならないとき、彼らは座らなかった。


 封じれば、祈りが止む。祈りが止めば、残した者の中の火が消える。そう思ってしまった。あるいは、もう思えなかった。


葬黒の者――

それは、七祓いを七回以上越え、葬黒になった己を封じる儀式から逃げ、呪いの側へ堕ちた者の呼び名だ。


彼らは、今も歩いている。

そして、今日、ここに一体がいる。



---


 主人公はその影を見据え、息を吐く。喉の奥が灼けるように乾き、尾の骨が小さく軋む。


 祓いの型はすでに身体に刻まれている。だが、今目の前に立つのは、かつて「人」であった者。七巡を越え、なおも座に就かなかった影だ。


 砂利を蹴り出す音が響く。葬黒の者が振り上げる得物は今まさに、彼の命を絶とうと、確実に彼の喉元へ振るわれたのだった


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