第3話:『氷点下の転校生と、味のない?感情』
週明けの月曜日。私たちのクラスに、季節外れの冷たい風が吹き込んだ。いや、風じゃない。転校生だ。
「氷川れい、です。よろしくお願いします」
教壇に立った彼女――氷川れいちゃんは、驚くほど綺麗な顔立ちをしていた。切り揃えられた黒髪、白い肌、涼しげな目元。まるで精巧な人形みたいだ。だけど、その表情はほとんど動かず、声も平坦で温度を感じない。自己紹介も、それだけ。クラスの好奇の視線も、先生の紹介も、どこか他人事のように受け流している。まるで、彼女の周りだけ空気が違うみたいだった。初日から、彼女は教室の中で、不思議な孤高のオーラを放っていた。
当然、クラスのゴシップアンテナ(別名:味見きく)が、このビッグウェーブを逃すはずがなかった。
「ねぇねぇ、なめる! 見た!? あの氷川さんって子! 超美人だけど、なんかヤバくない!? 全然笑わないし、目も合わないし! 人工知能? アンドロイド? それとも実は雪女!?」
昼休み、購買で買ったメロンパンを頬張りながら、きくちゃんが興奮気味にまくし立てる。
「そ、そんなわけないでしょ…」
私は苦笑いするしかない。でも、確かにれいちゃんからは、今まで感じたことのないような、掴みどころのない雰囲気を感じていた。
「ね! こういう時こそ、アレの出番だって! 感情キャンディ!」きくちゃんが悪戯っぽく囁く。「あの子、一体全体どんな味すんの!? 試してみようよ! ね!」
「む、無理だって! そんな失礼なことできるわけないでしょ!」
私は慌てて首を横に振る。いくらなんでも、転校初日の子に、いきなり感情を味見しようなんて! しかも、もしまた殺人ソーダみたいな味がしたら…いや、それ以前の問題だ。
「えー、ケチ! ちょっとくらい、いいじゃん! 人類への貢献だよ、これは!」
「どういう理屈なのよ!」
きくちゃんはその後も「ねぇねぇ」とけしかけてきたけど、私は断固として拒否した。…拒否、したはずだった。
放課後。「ねじまき堂」の店番を終えて、とぼとぼと帰り道を歩いていた時だった。前方から、れいちゃんが一人で歩いてくるのが見えた。うわ、気まずい…。気づかないフリをして通り過ぎようとした、その時。
「あっ!」
れいちゃんが、道端の段差につまずいたのか、バランスを崩して持っていた本を数冊、地面に落としてしまったのだ。慌てて拾おうとするれいちゃん。
「だ、大丈夫!?」
私は思わず駆け寄り、一緒に本を拾い始めた。その拍子に、エプロンのポケットに入れて持ち歩いていた(だって、いつ何が起こるか分からないし!)、虹色ドロップの小瓶がカラン、と音を立てて私の足元に転がり出た。
まずい! と思った瞬間、私は焦ってそれを拾い上げ、中身がこぼれないように確認しようと蓋を開けた拍子に――またしても、うっかり、一粒、口の中に放り込んでしまっていたのだ! しかも、ちょうど顔を上げたれいちゃんと、バッチリ目が合ってしまった!
(あああああ、またやっちゃったぁぁぁぁ!)
心の叫びも虚しく、条件反射のように、私は「味」が来るのを身構えた。どんな強烈な味が来る!? 無表情の裏に隠された激情!? それとも、意外と普通の…?
………。
…………。
(…………あれ?)
何も、来ない。
甘くも、酸っぱくも、しょっぱくも、苦くも、辛くも、ミルクティーでも、殺人ソーダでもない。ただただ、無。
(味が…しない?)
いや、違う。よーく、よーーーく舌の神経を研ぎ澄ませてみると、微かに、本当に微かに何かを感じる。それは…なんだろう。冷たい。すごく冷たい。まるで、冷蔵庫でキンキンに冷やした、気の抜けた炭酸水みたいな……? 温度はあるけど、味も、感情の起伏も、何も感じられない、空虚な刺激。
「ありがとう。助かった」
れいちゃんが、拾った本を受け取りながら、平坦な声で言った。その瞳は、やっぱり何を考えているのか分からない。
「う、ううん、どういたしまして…」
私は、口の中に残る奇妙な「無味の冷たさ」に戸惑いながら、それだけ言うのが精一杯だった。
れいちゃんは軽く一礼すると、すぐに背を向けて、また一人で歩き去っていった。
残された私は、ただ呆然と立ち尽くす。
(今の…何……?)
感情の味がしない? それとも、あれが、れいちゃんの「感情」の味なの? 冷たくて、何もなくて、空っぽなのが?
頭の中が「?」でいっぱいになる。隣できくちゃんが「で?で?どんな味だった!?」って騒いでいたら、もっと混乱していただろう。幸い(?)、今は一人だ。
あの虹色ドロップは、人の感情を「味」として教えてくれる。でも、氷川れいちゃんだけは、違う。
(氷川さんって、一体……)
そして、このアメは、一体……?
私の日常に転がり込んできた謎は、どうやら一筋縄ではいかないらしい。