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  作者: 麻生 紡
1/6

きっかけ

「――――」

 誰かの声が聞こえる。影のようなものは見えるけど、あれは誰?

「――お姉ちゃん」

 泣きながら目が覚めた。そうだ、あれは23歳の若さで亡くなった姉だ。事故か自殺か不明の転落死。当時わたしは、まだ高校生だった。

 わたしは現在28歳。姉の年齢をとっくに追い抜いてしまっていた。

 5歳上の姉は、成績優秀、運動神経も良く、身内の贔屓目を除いても綺麗な人で優しかった。紺野天音といって、名前まで綺麗だと妹ながらに思っていた。

「うわ、ヤバ」

 ぼんやりしていたら遅刻してしまう。慌ててベッドから降り――降りた瞬間床の上にある何かを踏んでしまい、パキッという不吉な音がしたのは気にしないことにする――顔を洗って、塚状態になっている洗濯物から適当なのを引っ張り出して着替える。メイクを五分で済ませると、沢山のものが散らかって床が見えない惨状に溜息を吐き、今はもうわたしひとりしかいないマンションを出た。


 仕事をしていても昨夜見た夢が引っかかって仕方がない。気分を変えるため昼休みは一人で外に出ることにする。

 ――筈だったのだが

 「珍しいね、こんな所で会うなんて」

 「……そうですね……」

 同じ部署の上司である森本さんと鉢合わせしてしまった。店のセレクトがまずかったか。しかし、昼休みで時間に余裕をもって行ける場所となると限りがある。仕方がない、さっさと済ませよう。

 一人用のカウンター席へ向かおうとすると

 「こっち、空いてるから良かったらどうぞ」

 「……失礼します……」

 断り辛く、同席する羽目になった。

(……どうしてこうなった……)

 ただ一人で静かにランチを取りたかっただけなのに。

 しかも相手が相手だ。二年先輩、そこそこイケメンの部類に入るのだが、この「そこそこ」が曲者で自分にもチャンスがあるのではないかと狙っている女子社員もそれなりにいる。

 こんな所を誰かに見られたら周囲が煩くなること間違いない。巻き込まれるのはごめんだ。

 注文をとりにきたので迷うことなく済ませる。

 「ランチセットのAで」

 「わたしはミックスサンドとオレンジジュース」

 「それだけで足りるの?」

 「たくさん食べると眠くなりそうなので」

 本当は早く食べられそうなメニューを選んだだけなのだが。食事を終えたら寄る所があると言って、早々に店を出よう。

 「紺野さん、仕事はどう?慣れてきた?」

 半年ほど前に今の部署へ移動になり、彼の下につくことになったのだ。あの時も大変だったなぁ。ちょっと現実逃避したくなるのは許してほしい。

 そもそも彼と初めて会ったのは新入社員として入社してすぐの頃だった。新人のわたしの教育係となったのが彼だったのだ。

 希望していた輸入雑貨を取り扱う会社に就職して社会人になり、覚えることもたくさんあって、でも充実していた――一ヶ月後にあの一本の電話が来るまでは。


 ようやく仕事の内容も掴めてきて、ある程度一人でこなせるようになってきたある日、見知らぬ番号から私用のスマートフォンに電話がかかってきた。

 就業中なのですぐ切ったが再びかかってくる。

 「大丈夫?」

 森本さんが心配そうに声をかけてくる。

 「すみません、知らない番号なので……」

 答えながらまた切った。その時、目の前の固定電話が鳴った。

 「河山物産、紺野でございます」

 「こちら〇〇警察の○○です。紺野美雨さんに代わっていただけますか?」

 「――わたしですが」

 「紺野明美さんが交通事故に遭われました――」

 何か言っているが、頭が真っ白になって何も入ってこない。

 わたしの様子がおかしいのに気づいた森本さんが傍にやって来る。

 「どうした?」

 「――警察から――母が――交通事故に遭ったと――」

 息をのんだ彼はすぐに課長の席へ行き、二人で小声で話したかと思うと

 「お電話変わりました、上司の佐藤と申します」

 あっという間に佐藤課長が電話を替わり

 「今のうちに帰る準備をして」

 と廊下へ連れ出された。

 そこからはまるで夢を見ているようだった。佐藤課長と森本さんに付き添われ母と無言の対面を果たし、状況の説明を受けながら諸々の手続きを進めていく。父も既に亡く、新卒の新入社員を一人放り出すわけにはいかないと思ったのか課長が力になってくれて、何とか葬儀まで無事に終えることができた。

 「一人で大丈夫か?」

 「はい。どうしていいかわからなかったので、本当にお世話になりました」

 「忌引き休暇が終わっても無理そうなら連絡するんだぞ」

 「ありがとうございます」

 葬儀後の斎場で佐藤課長に頭を下げる。

 「森本さんもありがとうございました」

 「何かあったらいつでも電話していいから」

 「はい」

 再び頭を下げる。二人には世話になりっぱなしだ。早く一人前になって仕事で恩返しできるようになろう。


 リビングにある仏壇の前に設置した台の上に母の遺骨を置くと、ソファに座ったまま動けなくなった。

 早く着替えて喪服をハンガーに掛けないと、と思うがぼんやりしたまま時間だけが過ぎていく。

 ドサッ

 自分の部屋の方から物音がした気がして恐る恐るドアを開けると、朝急いで支度した為に適当に置いていたバッグや服の山が雪崩を起こしていた。

 ため息を吐きながら散乱しているものをかき集め、ついでに着替えてしまう。かき集めたものたちは見なかったことにした。

 自分の部屋で眠る気がしなくて、毛布を持ってリビングへ戻る。電気を付けたままソファの上で丸くなった。


 様々な手続きをしている間に忌引き休暇もあっという間に終わり、出社した。

 挨拶を済ませ、前日電話で森本さんに相談して持参した菓子折りを渡す。

 「困ったことがあったら遠慮せずに相談していいからな」

 「はい」

 自宅に一人でいるよりここで仕事をしているほうが気がまぎれる。何より余計なことを考えずに済むのが良い。

 休んでいる間に溜まっていた書類を処理していく。

 休憩時間に他の先輩社員から佐藤課長が去年父親を亡くし、その経験からわたしのことを心配していたことを聞いた。

 (それであんなに親身になってくれたんだ)

 祖父母は小学生の時に父方も母方も亡くなり、両親は一人っ子だったので頼れる親戚もおらず本当に心強かった。

 定時になり、誰もいない家に帰宅する。母が家を出てからずっと一人暮らし状態だったけれど、今はもう帰って来る人もいない正真正銘の一人だ。

 今までと変わらないはずなのに何かが違った。


 「――さん?――紺野さん?」

 しまった、ぼーっとしてしまった。

 「あ、はい、すみません」

 「何か気になることでも?」

 「いえ、入社したばかりの時のことを思い出してました」

 「――ああ、色々あったなあ。でも、紺野さんは覚えが早いから良かったよ」

 「そんなことないです、普通ですよ」

 「うーん、前から思ってたけど紺野さんは自己評価が低いね。どうして?」

 「え?」

 考えても見なかった言葉に、びっくりして目を見開いた。

 「……わたし、そう見えますか?」

 「自覚ないんだ。実力あるのに、もったいないと思って」

 両親にとって全てにおいて優秀な姉に比べ、わたしは出来の悪い子でしかなかった。

 (誰にもそんなこと言われたことなかった)

 黙ってしまったわたしに

 「ごめん、注意してるわけじゃないんだ。」

 慌てたようにフォローする。

 「少し早いけど、戻ろうか」

 と、伝票を持ったので自分の分を支払おうとしたのだが

 「気分悪くさせたお詫び」

 結局ごちそうになってしまった。

 「ごちそうさまでした。あと、びっくりしただけなんです。言われたことなかったので」

 「そうか。――この後、会議室に来てもらっていいかな」

 「わかりました」

 会議室に場所を移し

 「早速だけど、新見さん知ってる?」

 「はい、もちろんです」

 社内で知らない人はいない我が社きってのバイヤー、新見晶子。年齢は確か五十歳前後だったはずだ。

 「実は、新見さんの後任を探しているんだ」

 「新見さん退職するんですか?」

 「今すぐじゃないけど、今年五十歳になるから、早期退職されたらあと五年ってことを考えると後進を育てないと」

 第二の人生で何かを始めるなら早期退職もありうるのか。

 「それで、紺野さんやってみないか?」

 「わたしがですか?」

 「総合的に見て一番向いてると思って判断したけど、海外出張が増えることになるからよく考えて返事して欲しい。給与は変わらないけど休みが不規則になるし」

 「いつまでに返事をすればいいですか」

 「一か月で返事が欲しい。ダメなら、他に探さないといけないから」

 「考えてみます。失礼します」

 「もっと自分の人生を生きていいと思うよ」

 何も答えられず、頭を下げて会議室を出た。


 自分の人生を生きる。

 どういうことかわからずに、その言葉がずっと頭の中をぐるぐる回っている。

 毎日、普通に出社して仕事をして、休日は家でゴロゴロ、偶に外出。

 恋人は、特に作りたいとも思わなかったので、ずっといない。

 ひとりで思うがままに生活してきたつもりだったけど、そうは見えなかったのだろうか。

 もやもやした気分のまま午後を過ごし、そのまま真っすぐ帰る気になれず、目的も無いまま書店に入った。

 仕事関連の本を一通りチェックしてから、女性誌をパラパラとめくるが気になる記事もなかったので棚に戻す。

 何かないかと歩き回っていると、インテリア関係の棚に来ていた。表紙に目を引かれて手に取り、様々な部屋を見ているうちに自宅マンションの状態が脳裏に浮かぶ。

 遺品もそのままに、自分のものが積み上がっていく、まるで大きな墓だ。そしてわたしは墓守だ。

 居ても立ってもいられなくなり、急いで帰宅する。

 酷い気分だった。信じていたものが崩れ去っていく。気が付きたくなんか無かった。

 なんとか玄関までたどり着き、鍵を閉めてチェーンを掛ける。

 玄関から見ただけなのに

(なにこれ……)

 廊下には通販の段ボールがまるでこれから引っ越しするかのように積んである。

 どの部屋も床なんか見えないし、自分のもの、家族のものが入り混じって混沌としか言いようのない状態だ。

 わたしは噓つきだ。平気な振りをしていたけれど、全然平気じゃなかった。

 今までずっと荒れた状態のまま放置していたのは、家族の死を認めたくなかったからだ。じぶんは独りだと認めたくなかった。現実と向き合う勇気が持てなかったのだ。

 家族と住んだマンションという巨大な繭に包まれて目を背けて生きてきた。

 

 片付けよう。


 新しい仕事に挑戦するのか、自分が本当は何をしたいのか、答えがわかる気がした。

 

 

 

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