第1章 人間はどんなことをしても見たいものを見ようとするものなのだ
目覚まし時計が鳴った。子どもの泣き声のように執拗な鳴り方だった。眠りから引きずり出された皓一は、寝ぼけたまま周囲を見回した。しかし、わかったのは、鳴っているのが自分の時計ではない、ということだけだった。
カーテンの隙間から覗く空はまだ暗い。枕元のスマートフォンを点けると、まばゆい画面の隅に「4:21」と表示された。隣の部屋の住人がうっかり目覚ましをかけたまま出かけてしまったのだろうか。アラームはなかなか鳴り止まなかった。普段、隣人たちの生活音が聞こえることはないのに、なぜその音だけが耳に届くのか不思議だった。よほど大きな目覚ましなのか、あたりが静かすぎるのか。
なすすべもなくベッドに横たわっていると、数分間しっかりと鳴ってから、これで自分の務めは果たしたとばかりにふっと音が止んだ。始まりも一方的だったが、終わりも一方的だった。耳を澄ますと、まだどこかでアラームが鳴りつづけているような気がした。
彼は予定外に早く起こされたことに腹を立てたが、それ以上に夢が中断されたことを惜しんだ。彼は夢の中で音楽を聴いていたのである。それは印象的なテーマを変奏しながら、ときに悲哀が漂い、ときに歓喜が満ちるという幅広い表情を持つものだった。彼は夢の中で、これは初めて耳にする曲だと思い、いつまでも聴いていたいと思った。ところがそこに、そっけないアラームが割り込んできた。彼はそれを無視して、何とか音楽だけに意識を集中させようとしたが、アラームは次第に大きくなり、ついに皓一の襟首をつかんで彼を夢から引きずり出してしまったのだった。
夢の中断を惜しむ人がよくそうするように、彼は夢の続きを見ようとしてまたすぐに目を閉じた、が、無駄だった。夢はおろか、眠ることさえできない。残念ながら、夢は見たいものを見たいだけ見られるようにはできていない。動画投稿サイトとは訳が違う。深いため息をついてから、彼はゆっくりと身体を起こした。
せっかく目覚ましをかけずに眠っていたのに……。
今日は彼にとってひと月ぶりのまともな休日になるはずだった。特に外出せねばならない用事もない。彼はもう一度ため息をついた。
しかたがない。どうせ眠れないのなら―。
彼は勢いをつけて立ち上がると、スマートフォンの明かりを頼りにデスクトップパソコンの電源を入れ、部屋の照明を点けた。電気ケトルに水を入れてスイッチを押し、玄関の郵便受けから朝刊を引き抜いて一面にさっと目を走らせた。食器棚からカップを取り出し、濃いめにインスタントコーヒーを作った。新聞をテーブルに置いてカップを手に机の前に座り、パソコンが立ち上がっていることを確かめると、長らく使っていなかった音楽作成ソフトを探して起動させた。
彼は小学校に入る前から母親の古い友人が開いていたピアノ教室に通い、中学校ではクラリネット、高校ではトロンボーンを吹奏楽部で吹いていた。音楽作成ソフトを持っていたのはその名残で、ひとりで楽器の練習をしたり、誰かと組んで演奏したりする時間を失った彼が、ふと思い立って昨年購入していたものだった。プロ仕様のソフトで、これを使えば素人には生演奏と聞き分けられないくらい高音質の音楽ファイルを作ることができる。買った当初は、好きな曲に自分なりのアレンジを加えてみたり、自分で曲を作ってみたりしていたが、やがてそれもしなくなり、いつしかデスクトップの画面からソフトのショートカット・アイコンも消してしまっていた。
楽器の練習に明け暮れていた十代の頃、彼は「昔楽器をやっていました」という大人にだけはなりたくないと思っていたが、今やそれ以外の何ものでもなくなってしまっていた。音楽は時間の芸術だから、聴くにも演奏するにもとにかく時間がかかる。だから仕事に追われる人間は、どうしても音楽とは縁遠くなってしまうものなのだ。これが普段、彼が彼自身に繰り返している言い訳だった。
しかし、今朝、彼は久しぶりに音楽を作る気になった。より正確に言えば、夢で聴いた曲をどうしても自分で再現してみたくなった。クローゼットからMIDIキーボードを引っぱり出してパソコンにつなぎ、まずバイオリンの音源で曲のテーマを打ち込んでみた。やはり力のある旋律だと思いながら繰り返しそれを聴いた。すると夢で聴いた曲の細部までが鮮やかに甦ってきた。彼はひとつも取りこぼすまいと、夢中で音を拾った。頭の中に鳴り響いている音楽とパソコンにつないだヘッドホンから聞こえる音楽を一致させようと、何度も音符や音源を入れ替え、リズムを作り替え、和音を組み替えながら、慎重に音を重ねていった。
彼が作業を終えたとき、カーテンの隙間から覗く空はまた暗くなっていた。作り上げた音楽ファイルの長さは八分四十二秒。たったこれだけのファイルを作るために、彼は丸一日を費やしたのだった。その間、インスタントコーヒー以外は何も口にしなかった。パソコンにかじりついたまま休憩も取らず、ほとんどトイレにさえ立たなかった。彼は完成した音楽ファイルをスマートフォンにコピーして部屋の明かりを消し、ベッドに横たわってイヤホンでそれを聴いた。
よし、もうひとつも直すところはない。ぼくの腕ではこれが精一杯だ。休日をつぶしてしまったけれど惜しくない。もし一から作っていたら、何年かけてもこんな曲はできなかっただろう。ただ再現するだけだったから、一日でできたんだ。むしろ今日中に何とか形にすることができてよかった。明日になれば、曲の細部をうまく思い出せなくなっていたかもしれないから。とにかく、おもしろい一日だった……。
心地よい疲れが彼の全身を満たしていた。彼はそのまま眠ろうとしてしばらくベッドに横になっていたが、深呼吸をして目を開けると、また勢いをつけて立ち上がった。スリープ状態になっていたパソコンを起こし、部屋の明かりを点けて机の前に座り、今度は動画ファイルを作りはじめた。と言っても、先ほど完成させた音楽ファイルと黒一色の画面を組み合わせてスライドショーを作るだけだったので、作業を終えるのに十分もかからなかった。彼はそのファイルを動画投稿サイトにアップロードし、インターネット上で音楽がきちんと再生できることを確認すると、パソコンの電源を切って、今度こそ眠りに就いた。
曲のタイトルはあれこれ思案した挙げ句、Creginaとした。
翌朝、彼は六時半に目を覚ました。いつも通りスマートフォンの目覚ましアプリを使っての起床だった。よほど眠りが深かったのか、夢を見た覚えはない。ひどく空腹だった彼は、厚切りトースト二枚を焼く間に玉子二つのベーコンエッグと簡単なサラダとインスタントコーヒーを作り、朝刊片手に一気にそれらを平らげた。それからシャワーを浴び、身支度を整えて家を出た。
駅で電車を待つ間、スマートフォンで動画投稿サイトを見た彼は我が目を疑った。Creginaの視聴回数が一二六三回になっていたのである。彼が動画をアップロードしたのが深夜二時ごろ、それからたった六時間足らずで千人以上が聴いたことになる。
千人以上―いったいどこの誰が? 世界は新たに動画が投稿されるのを見張る人間であふれているのだろうか。
彼はすぐにこのサイトの統計情報のページを見た。それによれば、サイト全体の一日の視聴回数は数十億回にのぼるとのことである。動画の投稿総数についての情報は載っていなかったが、そちらも相当な数になるだろうと彼は思った。
その後も視聴回数が気になった彼は、仕事の合間に何度もスマートフォンでそれを確かめた。昼休みを終える頃にはCreginaの視聴回数は五千回を超えた。
―おいおい、管弦楽で、しかも画面はずっと真っ黒なんだぞ。
彼は思わず口に出してそう言いそうになった。サイトのシステムに不具合でも生じているのではないかと思って他の動画も見てみたが、普段と何も変わるところはなかった。彼がその日の仕事を終えて帰りの電車に乗る頃にはCreginaの視聴回数は一万回を超えた。この数字が何かの間違いではないらしいことは、動画に寄せられるコメントが増えつづけていることからもわかった。コメントの中には「軽い」「薄い」といった否定的なものもまれにあったが、ほとんどがCreginaを褒めるものだった。英語で書かれたコメントも多かった。
見知らぬ人びとからこれほどの賞賛を浴びるのは、彼にとって初めてのことだった。コメントを読んでいるうちに彼の胸の奥で何かが弾けてスマートフォンを握る指の先まで力が満ちた。どういうわけか、高校二年の吹奏楽コンクールで初めて金賞を取ったときのことが思い出された。あのときは文字通り躍り上がって喜んだものだったが、今の高揚感はそれと似ているようでもあり、違うようでもあった。吊革につかまったままひとりでにやけていると、他の乗客から気味悪がられるのではないかと気になったけれど、彼は自然に口角が上がってくるのを抑えることができなかった。
七日後にはCreginaの視聴回数は三十万回を超えた。この頃には、何者かによって作られたCreginaと他の映像を合成した動画が現れるようになった。
三週間後にはCreginaの視聴回数は一千万回を超えた。この頃にはCreginaをさまざまな楽器で演奏したカバー動画、それらをサンプリングして作られたリミックス動画、その音源に合わせて踊ったダンス動画、さらに自作の歌詞をつけて歌ったボーカル動画、それをCGのキャラクターに歌わせたボーカロイド動画といったCreginaの二次、三次制作の動画が多くアップロードされ、それぞれに視聴回数を増やすようになった。動画に寄せられるコメントも何語なのかよくわからないものも含めて増える一方だった。
六週間後にはCreginaの視聴回数は五千万回を超えた。この頃には、ただの感想とは異なるメールが彼のもとに届くようになった。驚異的な速さで視聴回数を増やしているCreginaの作曲者として話を聞かせてほしいというウェブライターからの取材申し込みやコンサートで演奏したいので総譜を送ってほしいという楽団からの問い合わせなどである。彼は取材はすべて断り、使用はなるべく認めることにした。
すでにCreginaを勝手に使った動画がインターネット上には数多くアップロードされていた。そのような動画が現れはじめたとき、彼は著作権者として動画投稿サイトにひとつひとつ削除要請をしていたが、それでも次々に現れるので、次第に手が追いつかなくなった。やがて彼は彼が作ったCreginaのオリジナル音源をそのまま利用した動画を見つけたときにだけ削除要請をするようになった。二次、三次制作の動画の中には彼が感心するようなものもあったし、たとえそのような形でもCreginaの聴き手が増えることを彼は喜ぼうと思った。動画に広告を載せていなかったのでその収入はなかったけれど、彼が問い合わせに応じた楽団などからはいくらかの使用料が彼の銀行口座に振り込まれるようになった。
取材はすべて断り、使用はなるべく認めるという彼の方針は思わぬ事態を招いた。Creginaの知名度が上がりつづける中、彼が沈黙すればするほど彼への関心は高まっていったのである。最初は何人かのウェブライターが彼を謎の作曲者としてごく小さく取り上げるだけだったが、そのうち、どこで調べたのかサイズの合わない学生服を着た彼の写真(それは高校の卒業アルバムから取られたものだった)を載せ、幼いときからピアノを習っていたことや今はプログラマーとして働いていることなどを紹介するウェブサイトが現れるようになった。
いつかこういうことが起こるかもしれないと覚悟はしていたが、いざ自分の顔や経歴がネットで晒されてみると、彼は自分自身がCreginaになってしまったような居心地の悪さを感じた。自分の像が見知らぬ誰かに勝手に縦覧され、改変され、際限なく拡散されていくような感覚。結局、人間はどんなことをしても見たいものを見ようとするものなのだ、と彼は思った。
一方で、彼は自分に対する関心は遠からず消え去るだろうとも思っていた。とにかく世間を騒がす出来事は次から次に起きるし、人々の関心は移ろいやすい。衆人の耳目を集める珍事は翌日には別の珍事に置き換わり、首相の名前すら三代前になるとすぐには思い出せないありさまである。ちょっと話題になっただけの作曲者のことなど、あっという間に忘れ去られるに違いない。何かが残るにしても、寸詰まりの学生服を着てぎこちなくほほえむ少年の画像を載せた六十キロバイトほどのウェブページが、遠洋に浮かぶ木片のようにインターネット上をただよいつづけるだけだろう。彼は身を竦めて監視塔のサーチライトが過ぎ去るのを待った。
ところが、彼の期待はあっさりと裏切られた。著名なアメリカの指揮者とイタリアの映画監督が、それぞれのインタビューの中でCreginaを賞賛していることが報じられたのである。今注目している作品はあるか、という質問に対して、指揮者はCreginaを挙げてフランツ・リストを彷彿させる秀作と語り、監督はCreginaを映画のテーマ曲にしたくなるような抒情性を湛えた傑作と語ったのだという。二人のコメントはまったく別の海外メディアで、ほぼ同時に出されたのでインパクトがあった。日本のメディアはこれを大きく取り上げた。こうしてCreginaが国際的な評価を得たことに引きずられる形で、彼もその作曲者としてより多くの関心を集めることになり、ついにテレビまでが例の写真を使って彼のことを報じるようになってしまった。
彼の居心地悪さはいよいよ増した。街ですれ違ったり、電車に乗り合わせたりする誰もが、彼の顔を覗き込み、彼の一挙一動を注視しているように思われてしかたなかった。誰もこちらのことなど気にも留めていないのだといくら自分に言いきかせても気が休まらない。会社では何人かの同僚から褒めそやされたが、彼が素っ気ない返事しかしないので、誰も彼の前ではこのことに触れなくなった。しかし、それはそれで自分が孤高の人間を気取っているようで彼は落ち着かなかった。
やむにやまれず、彼は渚にメールを送った。