練習だよ?
「ハァ、ハァ」
「マネージャー? 何でそんなに疲れてるの?」
「ハァ、大人はな、いつも疲れてんだ。ハァ、気にしないでくれ」
「いや、原因は確実にその被ってる紙袋でしょ」
どうせ、一緒に働いていくうちにバレるのだろうが、お人よしの詩織のことだ。なんとかもぎ取った少々の休みを、俺のことに使いかねない。なるべく秘密にしておかなければ。
「この紙袋はな、その、上からなんか絶妙なタイミングでスポっと入ってきたんだよ。でも、こうこの奇跡をな、伝えたくて」
「確かに、それは凄い……」
もう既に楽屋に戻ってきているのだ。ステージ裏では暗くてお互いの顔がはっきり見えなかった。顔を見られたら完全に終わる。
「じゃあもう外そうよ」
「いや、お偉いさん方にも見せたい」
「凄いよ、凄いけどなんかね、そのそこまでじゃないかも、お偉いさんも反応に困るだろうし、私に見せて終わりくらいじゃない? その奇跡は」
詩織は瞬間的に俺の紙袋に手を伸ばしてくる。それを回避するためにのけ反ったのだが、その空振った手が、俺の胸元で引っかかり巻いているタオルを持っていき、ボタンも弾き飛ばした。
窮屈から解放された二つの山は、とんでもないスピードで元の形に戻り、更にもう一つボタンを弾き飛ばした。
「ふぇ?」
詩織のこんな情けない声をいつぶりに聞いただろう。
マネージャーとして、せめて「お疲れ」の一言だけでも言おうとここに来たのが間違いだったのかもしれない。えげつのない空気が流れ、空調の音と、ドームの外にいる詩織のファンの楽しげな声が聞こえてくる。
「貴方、誰ですか?」
「うーん、これはその」
「でもそれ、西沢マネージャーのスーツ……まさか彼女さんですか?」
ここで逃げるという選択肢も取れたのだが、あまりにも詩織が悲しい顔をしているので腹を割ることにした。
「俺なんだよ詩織」
そう言って紙袋を取ってみせると、詩織の顔が明るくなった。
「貴方が?」
面白いものを見ているといった様子で、俺の顔をジッと見つめてくる。
「エイッ」
詩織は、俺の胸に手を突っ込んで来た。俺は一瞬抵抗しようとしたが、相手は詩織である。傷つけてはいけないので、されるがままの状態にを選択した。
「あー、マネージャーだ。うん」
「お前の判断基準どこなんだよ……」
「いやいや、ちゃんと見てたよー。慌てた時に人間って出るからさ。普通の人だったら抵抗するんだけど、何もないというか、一瞬だけ抵抗しようとして相手を見て止めたよね。そこだね。四六時中私のことを考えてるせいで反射的に私を傷つけちゃダメだって思ったでしょ?」
その考察は見事であり、やっぱり幼い頃から人を見ているというのは凄いのだなあとぼんやりと考えた。
「え、いきなりそうなったの?」
もう一度、俺の全身を観察した後に、詩織はそう言った。
「ああ、いきなり」
「へー」
「なんかあんまり驚いてないんだな」
「まぁ身近に一人いるからね」
「え?」
「知らないの? ほら、ルナちゃん」
ルナちゃんというのは詩織の後輩にあたるアイドルで、ウチの事務所がゴリ押している。おそらく年齢は冬神社長と同じくらい。度々社長と話している? というか揉めているのを見る。
「は? あの子が?」
「そうだよ! 第一に、この事務所を冬神社長が買収したのだって、ルナちゃんの可愛さを世に知らしめるためだって。しかも、ルナちゃんと冬神社長って結婚してるからさ、結構、こうさクるよね。その、人妻僕っ子アイドルって」
「芸能界がお前を歪めてしまったな……」
キラキラと目を輝かせる詩織。その目は真っ暗な芸能界に指す一筋の光なのかもしれない。歪んでいるけど。
「まあ、それはそれとして、明日からしばらく休みだ。それに伴い、俺も休みを貰った。何か欲しいものとかあるか? お疲れ様プレゼント買うよ」
詩織は手を顎に持ってきて考えるポーズを取ってからこう言った。
「じゃあね…マネージャー」
「うん、何だ?」
「だからね、マネージャー」
「マ、ネ、エ、ジャ、アー?」
俺が自分のことを指差すと、詩織が大きく頷いた。
「その、それってお付き合いする的な?」
「そうだよ」
「いや、それはまずいって、ファンを裏切る形になる」
「今の自分の姿を見て」
「まぁ、うん。そうだよ? そうなんだけど」
「今度、私が出るドラマって恋愛ものじゃなかった? その練習として、マネージャーを選んだわけよ。それなのに、勘違いして本気にしちゃって…….」
くー、こっちの純情を弄びおって、と思いながらも、長年詩織を見てきた中で、そういった成長を喜ばしく思ってしまうのは自分がアラサーだからであろうか。
「練習ならいいぞ、是非是非、俺を使ってくれ」
「よーし、じゃあ早速ご飯食べに行こ! あ、その前に、マネージャーの格好どうしよう。ギリだよー今、捕まりはしないけど痴女だよ痴女」
「すみません、スーツないですか?」
スタイリストさんに聞いてみたが、首を振られた。
「じゃあこれ着なよ」
詩織は服が掛かっているラックからトラックジャケットを取ってくれた。
「ほら、これだったら男の人が着てても女の人が着てても違和感ないし、中性的な今のマネージャーにピッタリだと思う」
着てみると、ピッタリと合って鏡の前に立ってみると思わず「おぉー」と声をあげてしまった。自分なのに……
詩織は、メガネを掛けカツラをしてメイクをいつもとは違うものにしてから、外で待っている俺の手を取った。
side 島崎 詩織
紙袋を被ったマネージャーにはびっくりしたけど、それが女性になったマネージャーだったっていうのにはそんなにびっくりしなかった。何ならチャンスだと思った。だって、女の子同士ならお付き合いしてるのもバレないだろう。直ぐに青写真を書いてしまうのが私の悪い癖だ。
多分マネージャーは私を異性として見ていない。ここからが勝負だ、マネージャー!
誤字報告ありがとうございます!




