カーテンコールとともに始まる
「お疲れ、明日も頑張ろうな」
「ありがとうマネージャー」
俺がタオルを差し入れると、うちの事務所のアイドルである藍澤 詩織は柔らかい笑顔でそう言ってくれた。今でも慣れない程の美しさと可愛さの中間をぬったような顔は、造形美の極地だ。
全国ドームツアー最終公演の前日リハーサルを終えたところだ。今時、アイドルグループではなく、一人だけでドームツアーを敢行できるアイドルは中々いない。恐ろしい程のカリスマ性だ。そんな人が、自分のために笑顔を作ってくれるのだと考えると申し訳ない気持ちにもなる。
考えてみれば、詩織のマネージャーになってもう六年間が経過している。詩織が十二歳でこの事務所に入ってからずっと、俺が詩織の担当だった。
「ねぇマネージャー」
「どうした?」
「やっぱ何でもない」
「大丈夫か? スケジュールも詰まってたし、疲れが出てたり、体調不良だったら遠慮なく言ってくれよ? 明日のライブだってキャンセルしても大丈夫だぞ。ファンのみなさんだって理解してくれるだろうし」
「ううん、そんなんじゃない。スケジュールはマネージャーが完璧に管理してくれてたしさ。本当に何でもない」
詩織の顔をジッと覗き込んではみるが、特に嘘はついていなさそうだ。
「わかった、じゃあまた明日な。明日が終われば少し休みだ。頑張ろうな」
出先のホテルに備え付けてあるアラームが鳴って、俺は起きた。
「うーん、よく寝たな」
頭をかきながら洗面台に向かうと、何か違和感がある。顔がいつもと違うように感じる、少し吊り目気味な目。いや、まつ毛が長いな、こんなに……? たまに外国人と間違われる位に高い鼻。小鼻が無いな、こんなに綺麗な形だったか? 口は大きい、大口を開ければハンバーガーだって四口で食べれる。絶対無理だな、こんなちっちゃかったか? 顔も大きめで、ちょっとゴツゴツしてる印象だ。うーん、小さい上になんかシュッとしてんだよな。何だかなぁ。次に胸板、小学生の頃からやっていた柔道は三段の腕前で、高校の時は全国大会にも出たことがある。その鍛えられた肉体は俺の数少ない自慢であると胸をドンと腕で叩く。硬いものを叩く音は鳴らずにむにゃりと柔らかい感触。肩幅も同様に、同じ成人男性の中では広い方。寝る時に来ていたTシャツは、片口の方から脱げかけてだらしなくぶら下がっている。
「あー、これは夢だ」
要するに、女性になっている。これは夢だ、夢に違いないと思い、ベタに頬をつねってみるが痛い。
顔でも洗えば夢の中でも目は覚めるだろ。
冷水を顔にかけてはみたが、何も変わらない。目が覚めて、クリアになった脳で、自分が女性になったということを実感しただけだ。
ただ、今一番考えなければならないのは詩織のことである。別に俺如きの何かが変わったとしても何の影響もないだろうが、変化はなるべく無い方がいい。
取り敢えずシャツに袖を通してみるが、ダボダボ、ただ、丈は短い訳ではないので身長が縮んだ訳ではなさそうだ、これは大きい。詩織に気が付かれない可能性も上がる。髪もそんなに変わってない、元から前髪は少し長めだったし、全体的にも耳にかかるくらい。ただ、この顔になってから見るとボーイッシュな女性の髪型にぴったりな長さだ。
ズボンは腰の高さで履くと、ツンツルテンであり男で会った時のスタイルが悪いのか、この体のスタイルが良すぎるのか。まぁ、うん、多分後者。
一度スーツまで袖を通してみるが、無理だ。ぱっと見位では気が付かれないだろうが、この胸の主張が強すぎる。どうすんだこれ、ボーイッシュ巨乳て俺。
取り敢えず、アメニティのハンドタオルを拝借し、サラシのようにして胸に巻き付けてみる。
「許容範囲か?」
まぁ、顔に面影が無いって訳じゃ無いし、スーツもチョットダボついてるくらいだし? 胸は、潰しても目立ってるけど、俺に胸がついてるはずがないっていう先入観もあるだろうし何とかなるはず。
そう思っていた時期が私にもありました。
「あれ、マネージャー、なんかイメチェン?ん? メイクとか?」
詩織にめちゃくちゃ見られてるって。
「今日は最終公演だな、頑張れよ」
「それに声も、男性にしては高いというか、低音女性ASMRでよく聞くようなタイプの声というか」
「あ、うん、風邪、そう、風邪! 気にしなくても大丈夫だから」
「そうですか、ならいいんですけど。取り敢えずお仕事頑張ってきます」
詩織はそう言ってから敬礼をし、ステージへと駆けて行った。
「みんなー、最終公演、盛り上がって行くぞー!!」
side 藍澤 詩織
私は今、罪悪感に駆られている。アイドルなのに恋をしているから。
ファンに向けて「好きだよ」という言葉を発する度にちくりと針が刺さる。たまにSNSを見ると、恋愛をしているアイドルは叩かれる。それは、虚構の存在であるべきアイドルが急に質感を持って現実へと表象するからなのだろう。それは何となくわかる。
この芸能界はあんまり綺麗な場所ではない。綺麗な外見を作るために、中の方はぐちゃぐちゃ。恋愛をしているアイドルの先輩なんて何人も知ってるし、それを咎めようとも思わない。自分だってどうなるかもわからない。今日だって、マネージャーに「一番好きだ」と言えたらどんなに楽だっただろうか。
「みんなー、ありがとうー!」
アンコールにも応えて最後の曲を歌い踊り終えて、私は舞台を後にした。




