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1月に咲いた桜の名は

作者: 北澤有哉

「ったく、あいつは何をやってるの?」


 病院の個室、私は開く気配のないドアを睨みつける。だけど、既に3回目。睨みつけるのも、いい加減疲れた。ため息をつき、ちらりと窓の外を見ると、午前中は良かった天気が、今は吹雪で荒れている。1月末。今日の札幌は氷点下を超えない。

 飛行機は飛んでいるだろうか。まだ、着いていないのか。


 ーー有介のばか。


 今日が山だと言ったのに。絶対来てと言ったのに。12月のお見舞いにも来なかったあいつは、今日も来ないつもりなのか。


「……おばあちゃん」

 

 色んな機械に繋がれて、呼吸器で苦しそうに息をしていた。病室には心拍の音だけが響く。元気だった頃のおばあちゃんを思い出し、私は歯を食いしばった。


 ーーあんなに、小さい頃に遊んでもらったのに。


 おばあちゃんはお花好きで、特に自分の苗字が入っているソメイヨシノが大好きだった。私も有介も小さい頃は満開の円山公園に連れて行ってもらったものだ。

 満開のソメイヨシノの下で、花嫁衣装が見たいわ、と言ってくれたが、それは間に合いそうに無い。

 

「ごめん、おばあちゃん」


 久しぶりに、おばあちゃんの手を握ったが、とても冷たかった。

 うちの両親は、先生におばあちゃんの容体を聞いている途中だ。看護師もいない。今は私ひとり。外の吹雪も相まって、少し心細かった。 



 突然、ドアが開いた。外の吹雪が入ってきたのかと思うほどだった。


「ばぁちゃん!」


 久しぶりに聞いた、弟の肉声。私の胸には怒りが湧き上がった。


「あんた!」


 私は睨みながら振り向く。雪にまみれたジャケットにマフラーが、日焼けした顔に不釣り合いだった。北海道を出た有介は沖縄でサーファーになっていた。

 両手で抱えているものは、お見舞いの花だろうか。袋に入ってよく見えない。今更、なにを持ってきたのか。


「いい加減に」


 しなさい、と言おうとして、声が止まる。握られた手に力が入ったからだ。


「おばあちゃん!」


「ばぁちゃん!」


 有介は、私の横にひざまづく。両手には袋を抱えたままだ。


「有介かい?」


 目を開けて、首を僅かに動かす。


「そうだよ。僕だ。間に合った。ばぁちゃん、間に合ったよ」


 有介はそう言って、袋を剥がす。「何が」と言おうとして、私は息を呑んだ。


「ああ、綺麗なソメイヨシノだねぇ」


 有介の腕には、小さいれけど満開の桜の鉢植えが抱えられていた。


 そこから、おばあちゃんは桜が散るまで1週間持ち堪えた。最後まで笑顔だった。

 告別式の際、棺には散った桜の花びらを全て入れた。どんな別れ花より、喜んだに違いない。



「それで、お葬式が終わって落ち着いた後に、有介に訊いてみたの。そしたら、「姉さん、桜前線は沖縄からスタートするんだ」って。で、調べたら」


 コーヒーを一口飲む。私は、わざと焦らすように言った。


「沖縄の桜は1月15日でもう開花してたの」


 名古屋駅のいつもの喫茶店で、私はサイエンスライターをしている彼氏、佐伯亮にこの話をした。

 コーヒーカップを持つ、私の指につけられた結婚指輪が光る。私たちは既に入籍している。付き合い始めたのは、8月。おばあちゃんに報告したのは昨年の12月。お見舞いに行くついでの報告だった。両親は「そんなに急ぐ必要はない」と言ってくれたが、私も亮も納得してのことだった。

 それは、おばあちゃんを喜ばせたかった部分も少なからずある。だから、正直、私たちはもう少しだけ、彼氏、彼女の関係でいたい。それを彼も良く理解してくれていた。そんな彼は、今日、日本に帰ってきたばかりだ。


 結婚式には間に合わなかった。


 それだけが、私の心残りだった。


「「やるじゃん、うちの弟」って、ちょっと見直したわ。良い話でしょう? ネタに詰まったら使おうと思ってるぐらいなのよ」

 

 名古屋に帰ってからは、もう仕事モード。特別休暇と有給休暇を合わせて、1週間も使ってしまった。

 目の前の彼はというと、時差ボケで眠そうにしてるかと思いきや、なんと笑っていた。


「なんで、笑ってるのよ」


「いや、君の弟、名前、なんて言ったっけ?」


 亮はエスプレッソの香りを嗅ぎながら、一口すすった。

 

「有介。いい加減、義弟の名前は覚えてよね」


「そう、有介くんね。だって、吉野さん、いっつも『あの子』とか、『あいつ』とかしか呼ばないんだから」


 私はもう『佐伯』なのに、亮はまだ、私のことを『吉野さん』と呼ぶ。編集者としての仕事の都合上でもあるし、甘酸っぱい恋愛をしたい2人の都合でもある。


「ほら、それで?」と、私は先を促した。


「そうそう。有介くん、ほんとに天邪鬼というか、会えるのが楽しみだね」


「どういうこと?」


「あのね、いいかい? 1度しか言わないよ。ソメイヨシノは沖縄では開花しないんだ」


 一瞬、ポカンとしたが、意味が分かると、思わず前のめりになった。カップが揺れる。危ない、危ない。


「えっ? ほんとに?」


「そう、沖縄ではね。何度も実験されているけど、成功していない。ソメイヨシノが開花するには低温期間が必要でね。そこから、春にかけて暖かくなると咲くんだ。だけど、沖縄じゃあ、冬の気温が高すぎる。だから、桜の開花の指標として使われる標本木は、沖縄ではソメイヨシノじゃなくて、カンヒザクラなんだ」


「じゃあ、あの子が持ってきたのはカンヒザクラなの?」


 ーーあの子、嘘ついたのね。いや、正確には嘘じゃないか。あいつは「ソメイヨシノ」とは一言も言っていない。しかも、おばあちゃんは喜んでたし。


 でもーー


「なんか、ちょっと騙したみたいで、素直に喜べないわね」


 憮然とした私に、なぜか、亮はまだニコニコ笑っている。


「まだ、何かあるの?」


「まぁね。話を聴く限り、花びらは散っていたんだろう?」


「うん。おばあちゃんも「綺麗なソメイヨシノ」って言ってた」


「じゃあ、それは本物のソメイヨシノだ。カンヒザクラは、花びらは散らず、花ごと落ちるからね」


「でも、沖縄じゃソメイヨシノは咲かないんでしょう?」


「だからね」


 彼はコーヒーを一口飲む。さっき私にやられた仕返しなのか、わざと焦らすように言った。多分、私の焦らしはそんなに長くない。


「……有介くんは、12月のお見舞いに来ている」


「はい?」


「その時に北海道で買ったソメイヨシノを沖縄に持って帰っていたんだ。12月までに低温期間を得たソメイヨシノは、沖縄の暖かさを受けて一気に咲いた」


「そんなことって……」


 言葉が続かない私に、亮は優しく頷いた。


「だから、有介くんは言ったんだよ、「間に合った」って。あれには2つの意味があったんだ」


「おばあちゃんは……」


「理解していたんだろう。まさに、奇跡の桜だ」


 やっぱり、ばかだ、あの子は。胸に熱いものが込み上げてくる。私は、残ったコーヒーを一気飲みした。底に溶け残った砂糖が喉に残る。甘い。


 全く、もっといい記事が書けそうじゃない。


 久しぶりに、あの子の元に遊びに行こうか。泣きそうになる私を見透かすように、亮は立ち上がり、伝票を持って、言った。


「沖縄の桜見てみたいな」


「そうね。自慢の弟を見せてあげる」


 2月中旬の沖縄は、カンヒザクラが満開のはずだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 開花調整という見事なトリックで、唸ってしまいました。 [気になる点] 鉢植え? どこまででっかいの? [一言] 1月に咲かせるソメイヨシノ。商売にならんかなあ。
[良い点] 謎解き要素とヒューマンドラマ要素のバランスが絶妙で、とても読みやすかったです。 ラストの一文を読んだあとは、登場人物たちの未来を想像しました。余韻に浸れる物語をありがとうございました。
[良い点] 面白かったです。有介くんの桜が間に合ってよかったですね。 亮さんの名推理がよかったです。
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