後編
◇
ふと。
奇妙な感覚を覚えて、少女は目を覚ました。
あたりは真っくら。真夜中だ。
隣では母親が穏やかな寝息を立てている。
幼い少女にとってこんなにも暗く静かな世界は初めて体験するものだったが、不思議と恐怖はなかった。
それよりもこの奇妙な感覚だ。
少女はゆるゆるとベッドから這い出すと、寒さにぶるりと身を震わせた。
布団の上にかけられていた毛布で体をくるみ、引きずりながら歩いて外に出た。
一段と寒い。
しかし明るい。
見上げればまんまるの月がこうこうと輝いていた。
しばし呆けたようにその円を眺めてから、視線を前に戻す。青白く照らし出された風景の中に、それはあった。
一見するとただのカタマリ。
昼間に少女が作った雪だるまの残骸である。
そのときはまだヒトに近い姿をしていたのだが、今や頭は落ち、両腕たる枝もどこかに飛ばされてしまっている。もはやただの雪のかたまりとしか呼べない。
一度は目玉の役目を果たしていた松の実が、こちらを見上げるでもなく雪の上に転がっている。
そんな光景を前にして少女は、悲しむでも怒るでもなく、ただ小さくため息をつくのみだった。
「アキヤァン・ミリチ……」
・
・
・
・
・
◇
「――ナ・ヴァリ」
◇
「……」
「……」
「……お?」
あれ?
おや? うむ?
なんだか……なんだろう。
よくわからんが目が覚めた。
首が転がり落ちた程度ではやはり死なないということなのか。
さすがに一瞬意識は飛んだようだが。
「まったく、どうしろってんだよ……」
どこまでも救われない状況に俺はぼやきながら身を起こして、って。
「あれ!? しゃべれる! 動け……る?」
両手を顔の前に持ってきて……なんだこれ? 人形の手?
木の枝を削って作ったような棒状の腕。肘と手首にはちゃんと関節があって、指も三本だけだが生えていて、こちらも曲がる。
かなり精巧な作りであり、木の枝と手袋だけだった雪だるアームとは比べるべくもない出来栄えではあるが、そうであるだけに薄気味悪さがなお強い。いわゆる不気味の谷というやつか。
体と足は――
「おはよう」
「えっ!!」
突然の声。上から降ってきた。
見ると、
「きょ、巨人!?」
やたらとデカい女がそこにいた。
マジで馬鹿デカい。顔だけで俺の全身より大きい。
えぇいクソ、なんだってんだよ次から次へと。
とにかく逃げねばと起き上がろうとして、できなかった。
さっきもちらっと眼に入ったのだが、手同様木で作られている両足が、縛られているのだ。
でっかいリボンで。
ご丁寧に蝶結びにしてある。巨人の持ち物か?
「落ち着いて、雪だるまさん」
「!?」
なんだと?
こいつ今、俺のことを。
それにこの言葉。
「だいじょうぶ。危害は加えないから」
日本語だ。
「今からほどくけど、暴れないで。机から落ちたら危ない」
もう一度言うが間違いなく日本語だ。
流暢かつゆっくりと語りかけながら、足のリボンに指をかけ、言葉通りにするりとほどく。
俺はひとまず、動かなかった。代わりに問いかける。
「……つくえ?」
「そう。私が大きいんじゃなくて、あなたが小さいの」
なるほど。
言われながら周囲をうかがってみたが、確かに、といった感じだ。
目の前の巨大女はサイズ感こそバグってはいるものの、顔立ちや見える範囲の体格なんかは普通の人間のソレだ。服も普通のセーターをちゃんと着ている。
あと女といったがよく見てみるとまだ若い、というか幼い。中学生ぐらいか。
そしてこの場所。
めちゃくちゃ広大な空間に見えるが、造り自体は普通の山小屋風。もしこれが見たままならそこの柱なんか樹齢何万年の神木だよって話になる。
うん?
待て。山小屋、ログハウスだと?
俺が立っていた庭を構えるあの家もそんな感じだったよな。
ということはこの女の子。
あの幼女より明らかに年上だし、母親の方と比べても若すぎる。
ははーん、わかったぞ?
キサマ、あの幼女のお姉さん――
「と見せかけて成長した幼女本人だな!? あれから十年は立っていると見た!」
「え、わかるの? すごいね」
「えっ」
まじかよ。
こういうのっていったん外れるもんじゃないのかよ。
少女が続けて言う。
「それも、与えられた知識の中にあったの?」
「え?」
「え?」
え、なに?
どういう意味?
意図を図りかねて首をかしげる俺に、少女はためらいがちに訊いてきた。
「……えっと、あなたは自分のことをどれだけ理解してる?」
「自分のこと?」
そんなもん、ほとんどわからん。
だから全部説明するのも大して手間じゃないだろう。
「今は人形で、さっきまで――いや十年前か? それまでは雪だるまだったが、そのさらに前は人間だった。多分日本の男子高校生……あ、えっと、高等教育を受ける、そのために施設に通う17~18ぐらいの」
「だいじょうぶ。わかるよ」
「そうか?」
なんでわかる?
まぁいいや。
いや良くないのかも知れんけど。今は話を進めよう。
「わかるのはそれだけで、男子高校生って部分にいたってはただの推測で確証はない。こうなった原因も経緯も知らん。ただ、あんたが母親っぽい人と話してたときの言葉は、習った覚えもないのに理解できた」
「それって……こっちのこと?」
「ああ」
うむ。聞けるししゃべれる。
そして彼女が話しているのが間違いなく日本語であることもはっきりした。俺の耳にはなぜかそう聞こえる、みたいなパターンではなく。
少女の顔へとまっすぐに目を向ける。
そういえば今の俺、目とか、顔のあたりはどうなってんだろう? なんて疑問が浮かびかけだがとりあえず置いといて。
「で、どうやらあんたはいろいろ知ってる、と見受けられるが。説明を期待していいのか?」
「うん」
少女はうなずいた。
「全部話すよ。そのために、十年かけてその人形を作ったの」
「ほう」
うわぁ。
偉そうにうなずき返したけど、うわぁ。なんかめっちゃ重い話になりそう。
聞くのが急に怖くなったじゃん。やめてよ。
◇
もちろんそうも言ってられないので、ちゃんと聞いた。
まず、俺は人間ではないらしい。
今も昔も、だ。
この意識は仮初のものでしかないのだと、少女はそう言った。
「ギフトっていうのがあるの。この世界では十人に二、三人ぐらいがそういうのを神さまから受け取るんだけど、私のは『人形に意識と知識を与える能力』」
「意識と、知識」
「そう。ヒトのカタチを作って、『完成』と唱えると発動する。十年前、あなたが雪だるまとして目覚めたのはそのせい」
「なるほど……」
まさか真っ先に否定した幼女犯人説が正解じゃったか。
つまり、日本の男子高校生から生まれ変わったのは俺ではなくこの子の方で、俺はそんな彼女の……なんだ? 外付けHDみたいなもんである、と。
いやゲームソフト本体とセブデータの入ったメモリーカード、の方が近いか。
まぁその辺はどうでもいい。
要するに部分的なコピーであると。
えぇー……
「ごめんなさい。ショックだよね」
うん?
少女はうつむいて謝罪を口にした。何が?
って、そうか。お前はコピーだったんだよ! なんてのは普通に衝撃展開だよな。
アイデンティティーの崩壊は強キャラからモブまであらゆるパーソナリティを殺しうる毒薬だ。そんなものを与えてしまったとなれば、なるほど謝りたくもなるだろう。
しかし。
「なぁ。……そういやあんた、名前は?」
「え? えっと、ライゼ」
「そうか。ライゼ、そんなに気にしなくていい」
「でも」
「いいから」
もちろん全く平気ではない。ショックというかモヤっとする感じだが、どちらにしてもそんな深刻になられるほどのことじゃない。
別に強がってるわけじゃないぜ。
いやごめんちょっとだけ強がってる。
目の前でこんなかわいい女の子にこんな顔されちゃうとね、多少はね。
まぁこの子が転生者だって言うなら元男というわけになるんだろうけど。その男成分は俺が引き受けているということで。
「ちなみに前世の名前はわかるか?」
「……ごめん。それはわからない。というか前世については、あなたがわかっている以上のことは私もわからないと思う」
ふむ、俺同様に知識だけある感じか。物語なんかでよくある『本で読んだような』ってやつ。
というかその知識が彼女から俺に与えられてるんだよな。
そう思って内省してみると、確かにいろいろな情報が頭の中にある。
この世界の文化や風俗、社会常識からライゼ個人の細かな事柄まで。名前も実は聞くまでもなく知ってたっぽい。
あと、ちゃんと間違いなく女の子だ。
前世が男だから今世も男で実は男の娘だったんだよ的なオチを若干警戒してたが杞憂であった。閑話休題。
で、前世のことだけど。
やっぱりよくわからんのよな。
とりあえず仮に山田太郎であるとして。
例えば俺にこの山田少年の記憶があって、自分が太郎本人であると認識していたとすれば。ガワはともかく中身は本人の魂であると思っていたら、もっと強い拒否反応をしていただろう。
コピーだなんて、そんなはずはない。俺の胸には確かに山田太郎として過ごした日々の思い出がある――的な。
でも実際の俺にはそんなものはない。
なんならコピーである可能性も全く想定してなかったでもないからな。
そう言った感じのことをざっくりと説明して、だから気にしなくていいと改めて言ってみたのだが、
「うん……」
効果はいまひとつのようだ。
「まぁどうしても申し訳なくてお詫びがしたいって言うなら、な」
「え? あ、うん。なに? なにかある?」
「おう。パンチラの一つでも見せてくれりゃぁいいよ」
「……」
スゥッ……と。
ライゼの顔から表情が消えた。
「おっぱいでもいいぞ」
「……」
「片方だけでも」
「……あぁ、そうだった。このヒト変態さんだったよ」
地の底まで届きそうなため息を吐いて、少女は言った。失敬な。
「いやちょっと待て。なんで俺の人となりを知ってた風なんだ」
「あ、それは」
なんでも十年前のあの日の真夜中、おそらくは俺の頭が転がり落ちた瞬間に。
彼女の脳に膨大な情報が流れ込んできたのだという。
全く身に覚えのない知識に思考、感情。
まだ幼かった当時のライゼには理解しがたい部分の方が多く、大いに混乱したそうだ。そりゃそうだろう。
ただ、その元が自分の作った雪だるまであること、そしてさらなる大本が自分自身であることだけは本能的に察することができたらしい。
「なるほど」
貸していたものが戻ってきた、って感じかな。
それから周囲の大人に話を聞いたり自分で資料に当たったりした末に、ギフトの内容を把握するに至った、と。
あと自分が転生者であることも。
で、この人形の身体を十年かけて完成させた。今ココ。
言うだけあるっていうか、実際よくできてるんだよな、これ。
動いててほとんど違和感がないんだが、その事実がまずすげえ。
主要な関節はだいたい再現されていて、腰や首にいたってはちゃんと前後左右に曲がる。各パーツのバランスも申し分ない。さらに眉と口も動くから簡略的ながら顔に表情までつけられる。鏡で見せてもらった。
特に感心したのは目だな。小さな円い紙を半分に折って下側を顔に張り付けてあるだけなのだが、上半分をパカパカすることで目蓋の開閉が表現できるのだ。
ただ、スピーカーも何も仕込んでないのに声が出せるあたりがすごく謎。
いやまぁ筋肉も神経も通ってないのに動けて見えて聞こえてることとかも謎と言えば謎だし、なんか魔法的なチカラが働いてるのだろう。神様からもらった能力なわけだしな、深く考えても無駄だ。
とにかくこれだけのものを、長い時間をかけたとはいえ一人で作り上げたライゼは天才かも知れん。
「ううん、一人じゃないよ」
「なぬ?」
なんでも母親とか近所のじいさんとかに手伝ってもらったのだという。
というかパーツを削り出して組み立てたのはライゼ本人だが、図面を引いて関節の構造やらを考えたのはほぼ、昔大工だったって言うそのじいさんなんだとか。
「いいのかそれ」
「いいみたい。それに最初の雪だるまだってお母さんの手を借りたんだし」
「ああ……」
そういやアレって当時のライゼと同じぐらいの大きさだったっけ。
幼女に作れるサイズじゃねぇな。少なくとも頭を胴体に乗せるのだけは大人の助けが必要だろう。もっと早く気付けよ俺。
ライゼはその事実から、他人の手を借りても大丈夫だとあたりを付けたのだそうだ。
ふぅむ。
「もう一つ訊いていいか?」
「なに?」
「俺の主観だと雪だるまからこの人形の身体まで意識が飛んでて中間がないわけなんだが、実際には十年経ってるんだよな? その間に一度も能力を使わなかったのか?」
俺なら使う。絶対に好奇心に負ける。
そうでなくとも人形を作る過程で実験的に使う必要に迫られる場面もあっただろうだし、母親やじいさんからそうしろとアドバイスを受けたりもしたはずだ。
と思うのだが。
ライゼは神妙にうなずいた。
「まず、謝りたかったから」
流れ込んできた感情の中で最も鮮烈だったのが、状況に対する恐怖と怒り。
それは五歳の少女が受け止めるにはあまりに大きく、強すぎた。
「『とらうま』っていうの? だから使うのが怖かったっていうのもあるし、それにもともと子どもは勝手にギフトを使っちゃいけないってことになってるし。だから別に我慢してたとかじゃないよ」
「ふーん?」
「待ってなにその反応。あなたにとってはついさっきのことなんだよね?」
いやぁ。
だってなぁ。
鮮烈な恐怖と怒り? そんなもん感じてたっけ?
確かに怖かったしムカつきもしたけど。
うーん。
「あ、もしかしてアレかな?」
「なに?」
いぶかるライザに、俺は雪だるブレインの急速冷却仕様について説明した。そのおかげで俺自身はそれらの感情を一瞬だけしか味合わずに済んだが、普通の幼女ブレインだった彼女はそうもいかず、必要以上に強い衝撃を受けてしまったのではなかろうか、と。
「だから俺は平気だ。むしろそっちの方がご愁傷様だったな」
「……ううん。もとはと言えば私が雪だるまなんかにギフトを使っちゃったせいだし」
「なら自業自得か」
うむ、とうなずく。
ライゼは神妙から渋い顔へと急速モードチェンジ。
他人からは言われなくないランキング上位に入る言葉だしな、自業自得。
「まぁそんな顔すんな。つまりやらかしたことへの罰は済んでるってことなんだから」
「え……」
「もう気にしなくていいってこと」
実際もう十分だろう。
こんな小さな女の子が――俺から見ればデカいが――謝らなきゃって十年も思い悩み続けて、そのための努力までしてきたんだ。
その苦悩の日々は彼女から与えられた『知識』からうかがい知ることができる。
あくまで知識であって自身の記憶として実感することまではできないが、想像はできる。
彼女にも、もう報われたっていいんだって、そう知ってほしいと思う。
「辛かったな。頑張ったな。おかげで俺は今、こんなにも自由だ」
その言葉を証明するように、俺は両手を広げて、さらにジャンピングターンを決めて見せる。やっぱ性能高けぇなこのボディ。
これほどのものを用意してくれた彼女には、やはり感謝しかない。
「ありがとうな、ライゼ」
彼女は少しの間ぽかんとしながら俺を見下ろして、それからハッと何かに気付いたように顔を背けた。涙を隠そうとしたのだとわかった。
女を泣かすなんて俺も偉くなったもんだなと、記憶もない癖にうそぶいてみる。
まぁ過去など大して重要じゃない。それより今は未来に目を向けたい。
具体的にはこの人形の身体と、ライゼのギフトの検証だ。
手製の形代に意識と知識を授ける――実に興味深い。
人形とはどこからどこまでなのか。人間以外の動物を模したらどうなるのか。
立体物ではなく絵を描いたら? 複数同時展開はできる? できるならそのとき俺からはどう見える?
そしてある程度が把握できたら今度は使い方だな。
この癖の強そうな能力をどう運用すれば最強か、考えただけでワクワクしてくる。どこから手を付けたらいいか悩むぐらいだ。
ライゼもそろそろ落ち着いてきたようなので、声をかけた。
「……うん、ごめん。なぁに、雪だるまさん」
「雪だるまて」
――いや。
そうか。最初にやるべきことが決まったな。
「あ、そっか。えっと……」
「そうだな、そうなんだよな。もう雪だるまとは呼べないし、かといって前世の名前もわからないんだよなー」
わざとらしい口調で言いながら、わざとらしくチラチラと視線を送ってみる。
不思議そうに首をかしげるライゼだったが、少しすると気付いたようだ。微笑んでうなずいた。
「そうだね。まず、あなたの名前を決めなきゃね」
俺も笑ってうなずき返す。
「ああ。格好いいのを頼むぜ、相棒」
こうして。
俺と彼女の新しい日々が幕を開けたのだった。
「ユキくん、なんてどう?」
「雪だるまだったからか? なんか女の子みたいだし、ちょっとなぁ」
「じゃあ、ダルくん」
「……悪くはないけど。別に雪だるまにこだわることないんじゃないか?」
「ん~……なら、マーくん」
「だから雪だるまから離れろって!」
駄目だこいつ。
ネーミングセンスがねぇ。