第二十一話 ハヤテの虎とそのあと
『そっちのはず頼んだ。』
カイリは、ユーベリータに一言声をかけて、他の数十匹から離れた位置にいる、ハヤテの虎の前に対峙をするように立ちはだかる。
『ユーベリータがああ言ったんだ。俺はこの一頭にだけ集中すれば良い。』
カイリはそう呟き、大きく深呼吸をする。
そして、その一頭のハヤテの虎をじっと見つめる。
戦闘に関しては、何もかも相手が上だ、まともに戦うだけでは多分、というか間違いなく勝てない。相手を焦らせなければ。予想外の事をしなければ。カイリは心の中で呟き、やがて剣を両手で構える。
『鋭利化!』
カイリはそう叫びながら、地面を踏み切り、ハヤテの虎の方向に、いくつもの木を伝いながら向かう。
正面から向かい合っても、力、速さの面でハヤテの虎に上回られているためカイリにはなす術は無い。それをなんとかして互角に持って行こうと導き出された答えが撹乱だ。木を渡って行き、ハヤテの虎の意識の外に出ようとする作戦を立てた。
速さを扱い切れてはいないため、木にぶつかりながらの不格好なものであるが、ハヤテの虎の目を晦ますには十分すぎる速さだ。
『今だ!』
カイリの目論見通りに、目の追いついていないハヤテの虎の後ろに回り、木を思いっ切り踏み切り、斬りかかる。
ヒュっと刃物が空気を切る鋭い音がして、ハヤテの虎の背中からわずかに血が吹き出す。
『くそ、浅すぎる!』
カイリが斬ったのは、背中の表皮の部分のみ、ハヤテの虎に与えたダメージはほとんど皆無であった。
カイリは、着地をした後にもう一度、飛びかかる。
しかし、たった一度にして、最大のチャンスを逃してしまい、焦ったカイリはハヤテの虎の正面から飛び込んでしまった。
『ウォー…ぐふっ。』
気づいた時には時すでに遅し、能力の発動も間に合わず、カウンター気味にカイリの脇腹にハヤテの虎の一撃が入る。
渾身の一撃が失敗に終わり焦ってそれを取り返そうとしてしまったのだ。速さがあっても、正面から来て仕舞えば見失うことはない。カイリの戦闘経験の浅さがここで如実に現れてしまった。
吹き飛ばされたカイリの腹から血が滲む。
攻撃を食らう瞬間にわずかに身を捩ったことと、服の耐久性のおかげで何とか傷は比較的に浅く済んだ。
『くそっ!』
カイリに隙を与えないように、ハヤテの虎はもう一度飛びかかってくる。
『ウォール、硬化!』
カイリの目の前から壁が生えてくる。それと同時にカイリは飛び上がり木の上に陣取る。もう一度、撹乱をする作戦を取ろうとした。
しかし、先ほどの二の舞にはならないように、ハヤテの虎は壁を突き破りながら、今度は木の上の方に飛び上がってくる。
『こんなの反則だろ!』
カイリは全力で木を蹴り、逃げる態勢を取る。
単純な速さではカイリが上だが、扱い切れてはいないため、一度は大きく離したもののすぐにハヤテの虎に追い付かれてしまう。
カイリの今持っている能力では、取れる戦法は実質的に肉弾戦しかない。
カイリは機会を伺いながら、なんとか攻撃を受けている。しかし、隙をついても攻撃は当たらず、ハヤテの虎の攻撃が着実にカイリを削っていっているため、かなりジリ貧な状態だ。
『はあ!』
カイリは状況をなんとか打開しようと、攻撃の隙を突き、喉元に剣を振るう。
しかし、ハヤテの虎はそれを簡単に避け、再びカイリの脇腹に攻撃を与えようと、爪を立て、引っ掻こうとする。
カイリは、それをなんとか剣で受けたものの、再び吹き飛ばされて木の幹に叩きつけられる。
カイリは自分の下を見ると、腹から出た血ですでに血溜まりが出来ている。その上、受け身を取ったカイリの左側の肋骨と左足と左腕は折れてしまい、思うように動くことは出来ない。
『流石に、キツイな。』
カイリは全身に感じる痛みの中、焦りとも悲哀とも取れる声色でその言葉を放つ。
『ユーベリータごめん。俺はこの程度らしい。』
自分の不甲斐なさを痛感し、ユーベリータには謝罪の言葉しか出てこなかった。かなり離れてしまったため、ユーベリータが救援に来るとは限らない。
今までの思い出が走馬灯のようにぐるぐると回る。
俺、死ぬのか。何も残せず、成し遂げれず、ただただ馬鹿にされ、見下されたまま。本当に何もない人生だったな。
その瞬間に「カイリは強いから大丈夫。」の言葉が頭に浮かぶ。
そうか、そうだよな。俺は強いよな。今死んだら母上は嘘つきになる。諦めるのはまだ早い、せめて最後まで足掻いてから死んでやる!
カイリはそう決心をする。
ハヤテの虎は勝負は決し、後はとどめを刺すだけかのようにカイリの正面に悠然と立っている。いつ仕留めようか、ハヤテの虎には油断の二文字が明らかに浮かんでいる。
カイリが右手の剣をもう一度強く握る。
『チャンスは一回。』
ハヤテの虎が地を強く踏み込み、飛びかかってくる。その動きはとどめを刺すためだけの真っ直ぐに単純な動きだった。
『鋭利化、伸びろ!』
その刹那に剣を前に突き出し言葉を発する。
右手に持たれたその剣は突っ込んでくるハヤテの虎の額に伸びて行く。元来ならば反応し切れていただろうが、油断をしていたハヤテの虎は剣が伸びる予想外の出来事に反応が遅れて、わずかに身を逸らすのみで精一杯だった。
『グギャァァァァォッ。』
カイリの剣はハヤテの虎の右目を捉え、ハヤテの虎は痛みから苦痛で大きく吠える。
頼む逃げ出してくれ。とどめを刺すことが出来なかったカイリは心の中でそう祈る事しかできない。
しかし、その思いは虚しくハヤテの虎は血が滴り潰れた目をカイリに向ける。その表情には恐れは無く怒りしか見て取れなかった。
『ああ、逃げないんだな。』
カイリは先ほどのハヤテの虎の突っ込んだ衝撃で右腕すらも使えなくなっていた。
ハヤテの虎は、今度こそとどめを刺そうと、こちらに対して威嚇をしながら観察をする。
『もう、大丈夫だ。何もしないから。』
カイリはハヤテの虎に呟く。
『俺、頑張ったよな。最後まで足掻いたよ。でも、ダメだった。母上、兄さん、そして、ユーベリータ本当にごめんなさい。母上、今、そっちに行くから。』
カイリは死を覚悟して、空を見上げる。その目には青く広がる空が移った。
カイリ、あなたが来るにはまだ早いわ。
カイリは、空を見上げた瞬間にその声が聞こえた気がした。
そして、カイリは気を失った。
ーーーカイリは目を覚ます。目線の先には、どこか見たことのある天井があった。
俺は死んだんじゃないのか。カイリには、状況が整理できなかったが、全身にぐるぐる巻きにされた包帯と、隣で椅子に座りながらうたた寝をしているユーベリータを見て、状況を理解した。
『また、ユーベリータに助けられたのか。』
カイリはユーベリータに大きく感謝をした。
『本当に弱いな俺は。いつも、ユーベリータに助けられてばかりだ。』
カイリは自分の弱さを心の底から不甲斐なく感じていた。
『どのくらい寝てたのだろうか。』
窓の外を見ると、うっすらと光が見えていた。この方角はおそらく夜明けだろうか。しかし、これだけでは寝ていた期間がカイリにはわからなかった。
『んにゃ。』
ユーベリータはカイリの動きを感じ取ったのか反応をし、目を覚ました。
『ユーベリータ、おはよう。』
カイリは、未だに痛む右腕を無理矢理に上げる。
ユーベリータはそれを見て、一瞬、動きが止まったが、すぐに目に涙を浮かべる。
『良かったぁ!カイリが目を覚ました!』
ユーベリータはカイリに思いっ切り抱きつく。
カイリは痛み以上に恥ずかしさを覚える。
『3週間近くも目が覚めないから本当に心配したんだよぉ!』
ユーベリータはさらに力強く抱きしめる。ここで初めて戦いで負った傷の痛みが恥ずかしさを上回ったが、それ以上に嬉しさを感じていた。
『心配かけてごめんね、ユーベリータ。そして、ありがとう。』
カイリにはユーベリータが心配をして涙を流してくれたことがこれ以上無いほど嬉しく感じた。
『心配なんてしてなかったんだからぁ!』
ユーベリータはそう言ったが、ユーベリータの目の下にクマが出来ていることが見て取れた。
『そんなに泣かないでよユーベリータ。せっかくの美人が勿体ないよ。』
カイリはそう言ったが、目に涙を浮かべていた。
『わかった、もう泣かない。』
ユーベリータはガシガシと目を擦る。
『良かった、それが1番似合うんだ。』
カイリはほっと息をつく。
そのあと、1ヶ月分のユーベリータの話を聞き、ようやくユーベリータが落ち着きを取り戻した。
『ユーベリータ、助けてくれて、ありがとう。そして、ごめんなさい。』
ひと段落をして、カイリがユーベリータに頭を下げる。命を助けて、看病をしてくれたことに対する感謝と謝罪、そして、心配をかけたことに対する謝罪であった。
『カイリがあそこまで粘ったから生きてるんだよ。もっと誇って良いと思うよ。』
ユーベリータは、手を横に振りながら、笑顔で答える。
『いや、ユーベリータには本当に申し訳ないと思ってる。いつも迷惑をかけてばっかりだし、助けてもらうばかりだ。』
『本当に良いのよ。頭を上げて。』
カイリはその言葉でようやく頭を上げる。
それを見てユーベリータは、続ける。
『それに、弟子は師匠に迷惑をかけるものよ?迷惑をかけちゃいけないなんて思ったらダメ!迷惑をどれだけかけてもいいから、どんどん強くなっていく事が何より師匠に対する恩返しだよ。それに師匠からしたら迷惑をかける弟子も本当に可愛いものなのよ。』
そう言いながら、ユーベリータはカイリの頭を撫でる。カイリが、どこか感じたことのある温かみがその手にはあった。
『あり、がとう、ございます。』
カイリはその言葉に胸がいっぱいになり詰まりながらもなんとか感謝を伝える。
『一緒に強くなろう、カイリ。私はあなたを信じてるから。』
ユーベリータのその言葉にダムが決壊したかのようにカイリはただただ泣く事しか出来なかった。
『後、カイリの着ていたあの服。』
カイリが落ち着きを取り戻したタイミングで声を出す。
『ボロボロになっちゃってもう着れないだろうけど、カイリが助かったのは、あの服のおかげでもあるのよ。』
『あれは、俺を救ってくれたもう一人の恩人が作ってくれたものなんだ。』
『そうなんだね。後でその人に会って、感謝を伝えないと。私も会ってみたいわ。』
『うん。ユーベリータも絶対に歓迎してくれると思うよ。』
サリーさんとシイラさんは元気だろうか。カイリはその姿を思い浮かべる。
『そうだ!何も食べてなかったよね。私が作って来てあげるよ。』
ユーベリータが突然、カイリに向かって大きく声を上げた。それと同時にカイリの感情に暗さが見える。
『何を作るの?』
カイリは恐る恐る問う。そして、またあの恐怖が頭に蘇る。
『多分、まだ胃が受け付けないだろうから、果物をジュースにして持ってくるよ。』
ユーベリータは、そう言いながら軽やかに部屋から出ていった。
そして、ジュースなら大丈夫だろうと、カイリの心も少し軽くなった。
が、その見立ては甘かったとカイリはのちに痛感をすることになる。
ユーベリータが10分ほどで部屋に戻る。その手には木の取手のついてないコップあった。
『はい、どうぞ。』
ユーベリータはカイリに、それを手渡す。
カイリが中を見ると、ジュースは綺麗なほどに紫色であり、匂いは果物特有の甘い香りが漂っていた。
『美味しそうだね。』
『ベリーが入っているから、体にも良いよ。早く飲んでみて?』
『わかった。いただきます。』
カイリはコップに口をつけ、流し込む。
そして、カイリは即座に口からコップを離す。
不味い。
カイリにはこの言葉が浮かぶ。今までの殺人的な味ではないのだが、ただただ不味いのだ。
恐らくユーベリータは単純に果物を混ぜただけであろう。しかし、それだけで不味いものを作れてしまうユーベリータにカイリは尊敬の念すら持ちそうになっていた。
これは少なくとも怪我人の飲むものじゃないな。そう思いながら、わずかに苦笑をする。
『どうかな。』
ユーベリータは自信作であったのか、明らかにウキウキしている。
『体に良さそうな味がするよ。』
良薬は口に苦し。カイリはそう思いながら、人想いにコップにある残りのジュースを一気に飲み干した。
『良かった!まだまだあるからどんどん飲んでね!』
一気に飲み干したカイリを見て、ユーベリータは嬉しそうに台所に行き、もう一杯持ってくる。
カイリは、心の中で、いつかユーベリータの料理の修行もしないとなと呟きながら、再びジュースを一気に飲み干した。




