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月の魔法  作者:
7/17

1997年 12月

 たくさんの炎が揺らめく祭壇の前で一人、尋花は祈っていた。敬市郎と晴花の命日であるこの日は、毎年終業式が終わると慰霊祭が執り行われる。全校生徒以外に併設する軍の関係者も参列し、一人一人小さな蝋燭に火を灯していく。とても綺麗な光景だった。この光景を忘れてはいけないと、尋花は繰り返し十字を切って祈る。母が父の遺影の前で毎日そうしていた様に。周りにはもう誰も居ない。皆とっくに我が家へ帰る支度をしていた。

「それって、どうやるの?」

後ろから美輝が聞く。あの日以来、二人は次第に話すようになっていた。

「おでこ、胸、左、右だよ」

一緒に十字を切って、最後の祈りを捧げる。

「先生の見送り遅れる」

「そうだね!」

二人は足早にその場を後にした。


 転送魔法の陣は敷地の外れに雪を掻いて描かれていた。その周りには龍、光希、一馬、幕僚長を含む軍の数人、そして身支度を整えた木崎先生が既に集まっていた。先生は毎年、二人の命日にあの現場を訪れている。あの場所は今はただの林になり、人は住んでいない。

「わりぃな先生、今年は護衛に付いて行けなくてよ」「すみません」

幕僚長と龍が揃って謝った。

「いや、良いんですよ。尋花さんが居る今、こちらの警備を手薄にする訳にはいかないですから。防御結界も張って貰ったし、転送魔法陣だって使用許可が下りましたし。始めてなんで少し楽しみです」

「せんせ―!!」

美輝におぶさった尋花が猛スピードで向こうから近づいてくる。

「おせえ!」光希がどやした。

「ごめんごめん。みいちゃんありがと!良かったー、まだ出発してなくて。先生これ!」

尋花は先生に向かって花かごを差し出した。

「どうしたんですか?これ…」

「ママがあたしに作って送ってくれたの。枯れないんだって!これ、あたしの代わりにお供えして欲しいんだけど、良い?」

「分かりました」先生は笑ってそれを受け取る。

「お願い。気を付けて!」尋花はそっと包む様にその手を握った。先生が頷く。

「これが噂の転送魔法陣?!」そう言って皆の方へ走って行く尋花を、先生は優しい眼差しで追った。

「これさあ、みんな家に帰る時も使えば良くない?わざわざ電車で何時間も掛けてさあ」

「ざんねーん。これは1日1人限定1往復しか使えないんでーす。コストがぱねぇから」

「はあ?何それ。こうちゃん改良頑張ってよ」

「簡単に言うな!」

フフフ、と先生から自然に笑みが零れた。隣にいた龍と目が合う。

「本当に尋花さんは可愛いですね」

龍はじっと先生を見てから、

「渡しませんよ?」

と言った。驚いた先生が慌てて言う。

「そういう意味じゃないですよ?僕にも子供とか孫が居たらあんな感じかなあと思っただけで、まさかそんな…」

「冗談です」微かにふっと笑って龍が言った。

「…驚いた。君もそんな顔をするんですね」

「え?」

「いえ、何でもありません。尋花さんを大事にして下さいね」

「はい、言われなくても」


 先生が魔法陣の中心に立つと、そこから広がった光が辺りを包み、次の瞬間には音も無くその姿は消えてしまった。皆、暫く放心状態でそれを見ていたが、転送が無事終わったと分かり解散し始める。

「さあ!家に帰れるぞー!ママ楽しみにしてるだろうなあ。龍もう荷造り終わった?」

「ああ」

「早!あたしまだパンツしか入れてない」

尋花は龍の護衛付きで、冬休みの一時帰宅を許されたのだ。

「先生が帰って来たのを出迎えたらすぐ出発なんだぞ。間に合うのか?」

「分かってる分かってる!今から頑張るから~」

怒られそうな気配を察し、尋花はピューっと逃げて行った。

「お前も大変だなー」ケタケタと光希が笑う。

「私、手伝って来ようかな…」と美輝。「あーその方が良いよ」と一馬。

「お前ら、ちょっと良いか」

突然、幕僚長が声を上げる。

「うおっ、びくった。親父まだ居たのかよ」

他の軍関係者はとっくに帰っていた。そのいつに無く緊張した表情に、4人は身を固くした。

「…どうしたの?」美輝が聞く。

「木崎先生が学園に居ねえこの機会に、お前らに話しておきたい事がある。ここじゃなんだからちょっと着いて来てくれ」

皆、息を呑んでその背中に続いた。光希の脳裏に校長から聞いた話がよぎる。しかし、幕僚長の執務室に着き、皆が座った瞬間、その口からは予想とは全く違う言葉が発せられた。

「俺は、あの二人は一族に殺された訳じゃないと思っている」


「…早すぎたかな?」ポツリと尋花が言う。

気合を入れたら億劫だった荷造りはあっと言う間に終わってしまった。転送魔法陣の周りは静まり返っている。皆どこへ行ってしまったのだろう。ぐるりを見渡すと、西の山の谷間に、うっすらと三日月が落ちていくのだけが見えた。魔法陣を覗き込みながら校舎の方へ行こうか迷っていると、不意に声を掛けられた。

「やあ、待たせたね」

聞き覚えの無い懐かしい声の方へ顔を上げたと同時に、耳をつんざくサイレンの音が鳴り響いた。



 木崎誠が事件現場に到着したのは、予定より少し早い午後3時前だった。頭がグラグラとした。800キロメートル以上の距離を端折ったのだから無理も無い。腕時計を見れば学園を出発して5分も経っていなかった。辺りを見回すが林しかない。都心に程近いこの場所は、事件後、人の立ち入りを禁止し木を生やして隠された。ここに学校があった事など皆忘れてしまっている。しかし、確かにここで二人は殺されたのだ。木崎はしゃがみ込んで足元の土をさわった。爆心地だけは木が育たなかった。その為そこだけポッカリ穴が空いた様に開けている。石碑も何も無いその土の上に、尋花から預かっていた花かごと、自分で用意した花を置き、手を合わせた。

この地に一人で来たのは初めてだった。周辺の調査はとうの昔に終わっているが、年に1回ここに来た際は必ず探索している。今回は1時間で切り上げる約束だ。

「よしっ」

勢いを付けて腰を上げたのとほぼ同時だった。ガサガサと背後から音がして驚き振り向くと、中年の女性が草を掻き分ける状態で固まっていた。あちらも同様に驚いた顔をしている。

「わー!びっくりした!ごめんなさい、あたし人が居るなんて思わなくて。はー、びっくり!」

からからと笑う姿はただの主婦といった感じだ。山菜でも取りに来たんだろうか。こんな真冬に…?

「すみません。ここは一応私有地なので立ち入り禁止なんです」

「ああー、そうよねえ。本当にごめんなさい。ちょっと拝んだらすぐ帰りますから」

〝拝んだら〟?

耳を疑った。良く見ると手に提げたビニール袋にジュースやお菓子が入っている。発する言葉に困っていると、あちらから声が掛かった。

「違ったら悪いんですけど、いつもお花をお供えしてたのってあなた?」

「え?」

「ほらあたし、忙しかったら来れない年なんかもあって、だって年末なんだものー。ほんとバチ当たりなんですけど、まちまちなのよね。時間もバラバラだったし、日付も前倒しにしたり遅れたりして。でも、何年かに1回今みたいにお花だけ置いてあったことがあったのよ。人に会ったのは今日が初めてだけど、何だか嬉しいわ」

真意を図りかねる。関係者でもこの地に入るには許可を取らなければならない。許可が下りたとしても、この負の土地に進んで入りたがる者はまず居ない。魔法師ならば皆そうだ。

「失礼ですが、どういった関わりでこちらに…」

「ああ、そうよね。ごめんなさいねえほんと。あたし昔、本家の大旦那様のとこで働かせて貰ってたの。ほんのちょっとの間だったけどぼっちゃんのお世話して。16の時よ、若かったわ~」

16歳?その様な使用人が居た事実を目にした覚えが無い。年末、自宅に帰っていた使用人達の調書は全て目を通した筈だ。

「…事実ですか?」

「ええ、まあ短期バイトみたいな感じだったんだけどね。ほら、ぼっちゃん体が悪かったじゃない。だから年末年始も世話してくれる人が必要だったみたいで、あたし実家が近くにあるのよ。お給料も良いし、お金持ちの家に寝泊りするのも悪くないかなーなんて軽い気持ちだったのに、本当命拾いしたわ~」

「あの夜もここに居たという事ですか」

「ええ、そうよ」

自分の心臓の音が耳元で鳴っている。

生き残りがもう一人居た。しかも記憶を失っていない。

「その日の事を覚えていますか」

「ええ、忘れたくても忘れられないわよ。あたし、寝ていたところをぼっちゃんに起こされたの。それで車椅子に乗せて門の所まで見送ったのよね。こんな真夜中にどこに行くんだろうって…すごく寒くて満月が真上にあったのを覚えてる。しばらく待っても帰って来ないから、あたしまた自分の部屋に引っ込んで寝たの。そしたらまた揺すり起こされて『逃げなさい』って言われたのよ。ぼっちゃんの幽霊に」

「幽霊…?」

「あはは、ごめんなさい変な事言って。今だからよお、こんな事言えるの。でもあれは絶対にそうだった。あたしびっくりして言われたとおり一目散に逃げたわ、自分の家まで。周りはひどい砂煙でもう何が何だか…。しばらく怖くて家から出られなかった。後から近所の人に火事か何かで爆発があって、人が死んだって聞かされたの。それで、ああ、あれはやっぱりぼっちゃんの幽霊があたしを守ってくれたんだって思ったのよね」

「……」

「そのあとずっと20年ぐらいは怖くて近寄ること事も出来なかったのよー。でもほら、やっぱり命の恩人だからちゃんと供養しなきゃって…」

「…なぜ」

「え?」

「なぜ幽霊だと思ったんですか…?敬市郎くん本人ではなかったのですか」

「ああ…、それはだって服も何も着てなかったし。何より、自分の足で立ってたから」



 一目見て人間ではないと分かった。それはボロ布の様な物を身に纏っているが、相反して髪や肌には何の汚れも付いていない。若いのか、老いているのかそれすら分からない。自分の体が微動だにしない。それは尋花が生まれて初めて感じた『恐怖』そのものだった。

「本当はもう少し早く来る予定だったんだが」

サイレンの音が絶えず鳴り響いている。魔法陣を挟んだ向こう側に居るというのに、その声はするりと耳に入ってくる。

「どうせなら色々と見ておきたかった。僕らが変えた世界を」

にこり。笑ったかの様に口角を上げた。

「君は先生の魔力を多く受け継いだんだね。気付かない訳だよ」

「でも」

「誰もこの力には抗えない」

その右手がすっと前に出された。

「さあ、こんなことはもうここで終わりにしよう」

尋花の体はやはり微動だにしなかった。転送魔法陣が光ったのと、それが魔法を放ったのは同時だった。光の中心で振り返ったその懐かしい笑顔が、自分の母と同じものだったことに尋花は初めて気が付いた。気が付いた時には、その笑顔は砂になって散っていた。

「ああ、参ったな。君以外を裁くつもりなんて無かったのに」

そう言葉を発した瞬間、それは凄まじい爆音とともに猛攻に襲われた。そう認識した時にはすでに尋花の体はその場から離れていた。いつかの様に美輝の肩に担がれている。上からも横からも何人もがそれを攻撃しているのが見えた。だが、攻撃は全て次から次へと分解されている。美輝の隣を光希と一馬が走っていた。尋花は光希に向かって叫んだ。

「あれは何!?先生…先生が!!」

「先生は死んだ…!間に合わなかった!!」

光希の口からガチガチと歯の鳴る音が聞こえた。

「藤城敬市郎だよ…生きてたんだ…!あいつが一族を皆殺しにした!お前のことも殺しに来た!!」

尋花はもう一度それを見た。幕僚長と龍の二人が同時に攻撃を仕掛ける。スローモーションの様に幕僚長の右腕と左足が消えていくのが見えた。

「パパ!!!」

尋花の叫びに光希と美輝が振り返る。美輝の足が縺れ、尋花が地面に投げ出された。制止される間もなく尋花は走った。

「尋花!!」

背中の声は聞こえない。ただ真っ直ぐに前方の龍だけを見ていた。敬市郎に向けたその真っ黒な切っ先が、消えてゆく。龍の腕に向かってその魔法がどんどん進んで行くのを、ゆっくりと、はっきりと、尋花は理解した。そして手を伸ばした。


その瞬間、敬市郎の魔法は消えた。彼はこちらを見た。その目は…―。

一瞬の隙を龍は見逃さなかった。僅かに残った切っ先を彼の心臓めがけて突き刺し、抜いた。ガクリと敬市郎が膝を着く。しかしそれも一瞬で、瞬く間に空に舞い上がり、消えた。それを追って軍の者が10数名空へ消える。

 バランスが取れず、這いつくばってもがいていた幕僚長が残った拳で地面を打った。サイレンの音が鳴り続けている。



 日が落ち、窓の外には雪が舞っていた。ふわりふわりと優しく光るそれをしばらく眺めてから、尋花はカーテンを閉めた。

 先遣隊から姿を見失ったと連絡が入り、夜明けと共に増員が送られる事になった。当然、龍もその中に入っていた。護衛隊の中からは彼だけだった。会議の場で泣き崩れる光希の体を尋花は黙って支えた。運ばれて行く幕僚長とともに軍の病院へ向かった美輝も、一馬の支えなしでは歩けなかった。

 尋花の家の周りを軍の者達が囲んでいる。龍を家の中に呼んで、春の始めに母から預かっていた物を鞄の奥から取り出した。そのネックレスを彼の首に付ける。

「だめだ。大事な物だろう」

「良いの、持って行って。お守りだから」

尋花は「自分も行く」と駄々を捏ねることはしなかった。龍の手を握ってその目を見つめる。心の中は静まっていて、自分と同じ気持ちなのだと分かった。

「一緒に寝ようよ」

いつも無表情な龍が少しだけ目を見開く。しかし、すぐにふっと微笑んで、

「眠るまでここにいる」と言った。

それを聞いた尋花の顔がジワジワと赤くなる。

「いや…、今日はそういう意味じゃなくて…。あの時の話こうちゃんにしたら超怒られた。あたし、何も知らなかったんだ…本当にごめん」

火が出るんじゃないかというぐらい赤くなったその顔を見て、龍が声を出して笑った。

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