1997年 9月
一ヶ月近く続いた特訓の甲斐も無く、尋花の魔力は未だに発動していなかった。ただ、魔法の仕組みにはかなり興味が湧き、生まれて初めて学ぶために本を読んだりもした。分かったことは、構造を理解し、イメージしなければならないという事だ。意思を持って魔力を使わなければ魔法は起こらない。
「え?イメージ?」
新学期が始まり、昼時の食堂は賑わいを取り戻していた。海外研修から帰って来た一馬の土産話も早々に、尋花が質問する。
「そうそう、いつもどんなイメージで魔法使ってる?」
「うーん、火以外は仕組みを考えながらかなあ。でも火魔法は、金属と金属をぶつけるイメージだな!」
「ぶつける?」
「うん。強くぶつけたら火花が散るだろ?ガキの時からずっとそれ。母ちゃんの先祖が江戸で鍛冶屋やってたらしいんだよ」
「鍛冶屋?」
「刀とか包丁とかを火で打ってつくる人」
「そうなんだ…そういうのも関係してるのか…」
「先祖に魔力持ちがいると、両親に魔力なくても子供が突然魔力持ちになることがあるんだってさ。うちも父ちゃん母ちゃんは一切魔法使えないけど、俺と末っ子の妹が胎児検査で引っかかった」
「胎児検査?」
初めて聞く言葉に尋花が首を傾げる。
「そうそう。たしか腹の中に居るときに遺伝子検査するんだっけな。義務だって言ってた気がする。尋花も親に魔力ないし、それで分かった口じゃないか?」
「そうなんだ…」
改めて己の無知を思い知る。考えてみれば、自分の魔力を封印された経緯も、母の出生に関する詳しい事情も何一つ知らないのだ。
食事を終え一馬と別れ、そんな事を考えながら自分の教室に向かう。教室に入ると、自分の席の周りに人だかりが出来ていた。尋花の姿に気付くと皆散り散りになる。「またか」と尋花は思った。それは新学期が始まってからよく見る光景だった。
新学期が始まってから、龍と光希は出来るだけ早く練習場へ向かう様にしていた。練習場の壁に書かれた落書きを消すためだ。全て尋花の魔力発動を抗議する内容だった。尋花が魔法を使えない事は授業の様子などで周知の事となっていた。今までは目立った嫌がらせなどは無かったが、海外研修に参加しなかった事により夏の特訓が噂されているらしい。
「はー、直接書くなよなあ!せめて張り紙にしろ」
「ほら急ぐぞ」龍が絞った雑巾を光希に渡す。
二人はその口汚い言葉を消す作業に取り掛かろうとした。
「あぁー、やっぱり」
背後から今一番聞きたくない声がして振り返ると、そこにはバケツと雑巾を持った尋花が立っていた。
「こっちにも書いてあるんじゃないかと思ったんだよね」
そう言うと、言葉を失っている二人の横に立って落書きを消し始める。
「…気付いてたのか?」
止まっていた手を動かしながら龍が聞く。
「だって机とか教科書とかにも書いてんだもん。そりゃ気付くよ」
「本当、肝据わってんなー!」無理におどけた声で光希が言う。
「…平気って訳じゃないよ。でも分かるから」
「分かる?」
「うん。あたしだって怖いもん。自分が人を殺すんじゃないかって」
「……」
「お、俺らは別に、そういうつもりでお前の魔力を発動させようとしてる訳じゃねえよ」
「うん。でも分からないじゃん。データだって無いって言うし」
「それは…」
「あたし分かったよ」手を止めた尋花が二人の目を見て言う。
「分からないから怖いんだって。教えてくれない?おじいちゃんとおばあちゃんの事。藤城家がどうやって人を殺してたのか」
「俺から話そう」
いつからそこに居たのか、幕僚長が三人の後ろに立っていた。尋花の正面に進み出て言う。
「俺が見たあの二人を」
「俺は、二人と一緒に学生運動に参加していた」
「えっ」
場所を移した先で、三人に向かって放たれた言葉に驚いた尋花だったが、すぐさま木崎先生の話を思い出す。〝学園の殆どの生徒が参加していた〟……。
「…仲良かったの?」
「いや、俺は1つ年下だからそこまでじゃねえ。それでも戦闘にも参加してたからな。接点はあった」
よく考えてみれば、この世代の魔法師は多くの者があの事件に関わっているのではないだろうか。では、なぜ…
「何であたしに何も言わなかったの?」
「それは……俺達が少なからず責任を感じているからだ。あの二人を、晴花先輩と敬市郎先輩を死なせてしまったことに」
いつもの豪快な姿からは想像もつかない顔をした幕僚長を、尋花は黙って見つめた。
「皆が多くを語りたがらないのは、本当にあの二人が慕われていたからだ。本当に凄い人達だった…。先頭に立ったのは晴花先輩だった。能力もずば抜けてたし人望もあったからな。反対に敬市郎先輩は魔法が全く使えなかった」
「え?そうなの?」初めて聞く事実だ。
「ああ。突然変異ってやつらしい。体も不自由でいつも車椅子に乗っていた。近親婚が原因じゃねえかと言われてる。それでも次期当主としての権力は絶大だった。居てくれるだけでこっちは心強かったんだ。…それに…こんな事言うのは可笑しいのかも知れねえが、なんつーかこう、神々しい人だった」
「神々しい?神様っぽいってこと?」尋花が聞く。
「そうだ。まあ同じ人間なんだがな。そうとは思えねえ何かがあの人にはあったよ。晴花先輩はその真逆、お前にそっくりだった」
「は?!」
「ブフッ」光希が吹き出す。
「神々しいの真逆があたしってどういう事?!」
「お前に神々しさは無いだろう」龍が真剣な顔で言う。
「真面目に言うな!で?あたしに似てんの?」
「ああ、本当にそっくりだった。顔や雰囲気もな。誰の懐にもズカズカ入っていくタイプで、しかし皆に好かれてた。本当に藤城家の血が流れてるのか疑ったよ。あの時代じゃ下々の者とは口も利かねえのが普通だったっつうのに…。何より優しい人だった。一族の魔力を防御として使ったのは、後にも先にも晴花先輩しかいねえ」
「防御に…?」
「そうだ。自分や仲間の周りに薄い膜の様な結界を張って、飛んできた攻撃だけを分解する魔法だった。俺も何度もその魔法に守って貰ったよ」
「……」
「正反対の二人は無いものを補い合って生きてる様に見えた。敬市郎先輩は地位こそあるが力が無い。反対に晴花先輩は力はあるが、藤城家の中では地位が低く冷遇されていた。だからこそなのか、二人の絆はとても強かった。俺は…俺達は、そんな二人と仲間として戦える事が本当に嬉しかった…。あんな結末で二人は死んじまったけどな」
幕僚長が尋花を真正面から見据える。
「あんなことはもう二度と起こさせねえ。そのために、お前には自分や皆を守るために魔力を発動させて貰いたい。頼む」
そんな風に頭を下げる父の姿を光希と龍は初めて見た。
「…守るために…」ゆっくりと噛締める様に尋花が呟く。
「今話したことはあくまで俺の主観だ。もっと詳しい事が知りてぇんなら、木崎先生に訊け。あの人はこの事件の専門家だ」
「ああ、そろそろ来る頃だと思いましたよ」
尋花が魔法史学準備室の前に立つと、見計らっていた様に木崎先生が扉を開けた。
準備室の中は甘いコーヒーの香りが立ち込めていて、そこら中に書類や本が積み重ねてあり、かなり雑然としている。だがそれは少しばかり緊張していた尋花を逆に安心させた。
「鈴原君から話は聞きました。コーヒー飲めます?ココアにしますか?」
戸棚を開け、二人分のマグカップを取り出しながら先生が聞く。
「ココア!」
尋花は何か手伝う事はないかと先生の元へ駆け寄った。先生は半分本に埋もれた冷蔵庫を指差した。中を見れば尋花の大好物のチーズケーキが入っている。それも底がクッキーになっている物だ。
「これちょー好き!」
「奇遇ですね。僕もです」
にっこりと投げ掛けられた笑顔は、やはり尋花を懐かしい気持ちにさせた。
「僕はあの事件の生き残りです。あの日、あの現場に居た唯一の人間なんです」
「ぐふぉっ」
チーズケーキを食べながらさらりと述べられた言葉に思わずむせる。
「初等教育の時はそんな事言ってなかったじゃん!」
「機密事項だから許可が無いと僕からは話せないんですよ。今日は鈴原君から許可を貰いました。順を追って説明したいので、少々僕の昔話に付き合って貰えますか?」
尋花が頷くと先生が続ける。
「僕の両親は魔法師で、世界各国を飛び回る外交の職に就いていました。僕はそんな両親に引っ付いて色々な国で幼少期を過ごしたんです。新しい国に移る度に、両親はその国の歴史書を僕に与えました。国を知るには国の歴史を知るのが手っ取り早いという事だったんでしょう。まんまと僕はのめり込みました。一日中本ばかり読みあさる様な子供でしたが、両親が何か咎めた事は無かった。本当にのびのびとした環境で僕を育ててくれたんですよ。だからなのか、戦争で二人が死に、日本の親戚を頼ってこの地に足を踏み入れた時、ここは牢獄なんだろうかと感じたほどです」
「牢獄?」
「そうです。皆、上からの支配を当たり前の様に受け入れていました。とても古く排他的な考えに日本魔法師会は支配されていたんです。僕はそれをどうにかしたかった。どうにか出来る世代を育てたかった。そうして魔法師学校の教師になろうと決めたんです。その為にはさらに魔法史という学問を深める必要がありました。僕は魔法が使えないからです」
「えっ?そうなの?」
「はい。親が魔法師なので当然魔力は持っていますが、魔法として発動させる事が出来ません。どうやら両親の魔力の相性が悪いらしく、生まれながらに〝魔力を外に出せない魔法を掛けられている〟という状態らしいんです」
「…なんか、あたしみたい」
「フフ、そうですよね。意外とそういう突然変異は珍しくないみたいですよ。わざわざ魔法師として生きる人は殆ど居ませんけどね。もちろん僕も周囲の人達に反対されました。ただでさえ魔力の弱い者は嘲られていた時代でしたから。それでも、世界の国々で蓄えた知識だけで僕は教師になりました。そしてあの二人に出会ったんです。敬一郎君と晴花さんに。僕の考えに一番初めに賛同してくれたのは他でもない彼等でした。彼らが先頭に立てば、あっという間に仲間が増えました。日本の彼方此方で学生運動が起こっていた時代です。皆、はやりの様にこぞって参加しました。命、立場、色々なものが危険に晒されていると知ってか知らずか…。そういう時代でした」
「……」
「無理に抑え込み弾圧しようとすれば、その力はさらに大きくなる。大人達の断固とした態度に私達は武力を用いる事にし、運動が始まり1年が経った頃には、それは激しい戦闘に変わっていました。それでも大人は現状の態勢を変える様子は無かった。長引く戦闘に終止符を打ったのは、晴花さんの失踪です」
「え…」
「彼女は約半年間姿を消しました。実質的なリーダーを失い、我々はあっという間に弾圧され、運動は終わりを迎えました。当初、彼女は上の者から拘束されていたのだと考えられていましたが、あなたの存在が明らかになった事でその考えは覆されます。彼女はその半年の間に、誰にも知られず出産していたのです。あなたの母である裕花さんを」
「……」
「その後の調査で、遠く離れた孤児院で一人で出産し、すぐに姿を消している事が分かっています。その翌日、彼女は殺されました。その子の父親である敬市郎君と一緒に。そして首謀者である僕も殺される筈でした。しかし、守られた」
「守られた?」
「そうです。爆心地の校舎から何百メートルも離れた場所に倒れていた僕の体には、晴花さんの防御結界が何重にも張られた魔力痕が残っていました。僕の命は救われた。しかし、なぜ救われたのか分かりません。爆発の衝撃で、僕は全ての記憶を失ってしまったからです」
「そうなの…?生まれてから全部ってこと?」
「はい。なので今まで話した事は全て人づてに聞いた話です。今の今まで記憶を取り戻す事は出来ていません。事件後、僕はまた魔法史学を学び直し、彼らの事件も調べ尽くしました。しかし、何かを思い出すことは無かった…。それでも僕はこの事件の真実が知りたいんです」
「真実って…―?」
「なぜ彼らだけが殺されたのか。なぜ僕だけが生き残ったのか。元はと言えば、この事件の引き金を引いたのは僕です。彼らを炊きつけ死なせてしまった。その罪悪感から逃れたいだけなのかも知れませんが…。それでも僕は、本当の意味を知りたいんです」