1997年 7月
「検査結果が出たぞー」
暑さで朦朧とする尋花の目に、練習場の扉を開ける光希の姿が映った。尋花の魔力は未だに発動しておらず、授業などでも皆が魔法を使うところをただ眺めていなければならなかった。今も龍が黙々と剣を振るのを、練習場の少しひんやりとした壁にもたれて見ていたのである。
「おつかれ、こうちゃん…。ここって山奥なのになんでこんなに暑いの…?」
「盆地だからだろ。てか、こうちゃんやめろつったろ。先輩だぞ」
「良いじゃん~。美輝とか光希とか紛らわしいんだもん。だから、みいちゃんこうちゃん!」
「大して変わんねーし。龍、ほら結果!」
汗だくの龍が手を止める。
「で?どうだったの?やっぱり魔力なんて無かったんでしょ?!」わくわくした表情で尋花が聞く。
「いーや、ちゃんとあったぜ、藤城一族の魔力がな」
人殺しなどとは無関係でありたい、という尋花の願いはあっさり打ち砕かれた。
「ただ!」
「えっ何々?」
「新事実が発覚した!」
龍も近寄る。
「お前の魔力は外に出ないよう、ブロックされているらしい」
「え?」尋花が首を捻る。「それって、封印が解けてなかったってこと?ここ来る前に儀式的なことしたじゃん。あれが失敗だったとか?」
「いや、封印は解けてる。お前自身の力でブロックしてんだってよ」
「は?何それ?」
「たまーにあるんだよ、そういうことが。まあ16年間も押さえ込まれてた訳だから、それが関係してんのか…。それとも藤城家の魔力がそういう特異性を持ってんのか…。なーんか引っかかるんだよなあ。今また違う機関に検査回してる。なんつったってデータがねえんだよ。あいつらもろもろ全部消してばっくれてるからな。政府にも保管されてないし。今回もアメリカまでデータ探しに行って大変だったらしいぞ」
「そうなの?なんか良く分かんないけど、あたし家に帰っても良いんじゃない?魔法使えないんだし」
「だめだ」龍がピシャリと言う。溜息をついて光希が続く。
「何のために俺らがここに残ってやったと思ってんだよ。とにかくみんなが海外研修から帰ってくるまでにどーにかして発動させるぞ。あ~、さゆちゃん元気かな~」
「そんなこと言ってもなあ。てかこの前はゆいちゃんじゃなかった?」
「別れた」「チャラい…」
この学校は夏休みが無い代わりに、7月後半からの1ヶ月間、全生徒が海外研修へ行く決まりになっている。ホームステイをしながら、各国の魔法師のあり方を学ぶのだ。
「お前も相棒がいねえと寂しいだろ?」からかう様に光希が言う。
「何、相棒って。一馬のこと?」
一馬はあの後メキメキと腕を上げ、今や幕僚長の1番のお気に入りとなっていた。海外研修もさぞ楽しんでいることだろう。1年生の一馬と美輝は、今は海の向こうのカナダに居る。ただ、美輝に関して言えば例えここに残ったとしても、尋花とは口も利いてくれないのだけど。美輝だけではない。親が軍関係者だったり、後々軍への入隊を希望している護衛隊のメンバーですら、率先して尋花と話そうとする者は居ない。虐められている訳でもないが、この様な扱いを受けるのは生まれて初めての経験で、一学期が過ぎた今もどう対応すれば良いか分からないままだった。カナダに行ってもどうせ楽しめないと分かっていたから、龍と光希には悪いが尋花はかなりホッとしていた。
「午後は親父も来るってよ」
「げえっ、パパ来んの?!」
「パパもやめろっつったろ!ま、とりあえず昼飯にするべ昼飯、今日はなんだ?」
春休みと同じく食堂も休みになっているため、自ずと尋花が食事係になっていた。食堂を開放してもらい、3食を3人分(たまに幕僚長の分も)作っている。
「今日もうめえ!お前が料理できんのマジで意外だよなー」生姜焼きときゅうりの酢の物を一気に口に詰め込みながら光希が言う。
「失礼な!まあたいしたもんは作れないけどね」
「まあな、全部ババアっぽい料理だもんな」
「ババア?!」
「いやいや褒めてんだって。ほらうち、ガキの頃に母親出て行ったっきりおふくろの味とか縁ねえしさ。親父が雇うの調理師とかばっかりでなんか味気ねえの。なあ、龍」
「ああ」
「ふーん、そういうもん?あ!そうだ、松前漬作ったんだよ。出すの忘れてた」尋花が冷蔵庫からタッパーを取り出す。
「やっぱババア」
「こらあ!ネバネバは夏バテ予防になるんだから!」
「ご飯おかわりあるか」
「あはは、龍これ好きだよね。そう言うと思って朝たくさん炊いた」
龍が席を立ち、調理場の方へ向かう。すると、光希がトーンを落とした声で言う。
「よく普通にしてんな」
「何が?」
「胸倉掴んできた男に普通はそんな態度取れねえぞ」
あれから、尋花と龍の仲が険悪になる事はなかった。
「別に喧嘩した訳じゃないもん。それに怖くなかったし」
「ひひひ、肝据わってんなー。お前絶対戦闘向きだぜ」
「はあ?絶対無理!」
そう、絶対無理なのだ。午後から始まった特訓でも、一匹も電気玉を倒せていない。幕僚長の怒声が飛ぶ。
「いつまで逃げてんだあ?!一発当たってみろ。自然と殺意が湧くぞ!」
「いやだー!!だって痛いんでしょ?!絶対嫌!殺すのも嫌!!」
涙目になりながら、尋花は必死で向かってくる電気玉を避けていた。
「イメージが大事だぞー。イメージ。何でも良いからそれを消すイメージしてみろ」
ギャラリーに上がった光希が上からヤジを飛ばす。
「イメージ?!意味分かんないんだけど!ちょっとストップストップ!」
幕僚長が盛大な溜息をついて地面から剣を抜き、
「この根性なしが!光希、どうにかしろ」と舌打ちをしながら向こうで練習している龍の元へ行ってしまった。
「突然こんなん無理に決まってんじゃん!根性の問題じゃないよ!」
検査結果が出てから特訓を開始する予定だった為、幕僚長の指導を直接受けるのは今日が初めてだった。
「まーまー、そう怒るなって」ギャラリーの柵を越えてふわふわっと光希がこちらに飛んで来る。あれも魔法なのだろう。
「親父もよー、必死なんだわ。今のところ藤城一族の魔法は藤城一族の魔法で相殺する以外対抗策がねえからさ。だから、とりあえずお前に魔法を使える様になって貰いたいわけ」
「そんなこと言ったって…」ふてくされて尋花が言う。
「まずはイメージすんだよ、イメージ。これはなぁ、電気の塊なんだよ」光希が手の中に電気玉を作る。「俺の場合はこれをほどいて散らすイメージで消す。ゆっくりやるぞ?」
すると電気玉からパチパチと光る糸のような物が何本も出てきて、最後には本当に散る様に跡形も無くなった。
「うわあ!すごい!」
「な?人それぞれイメージ次第で魔力の使い方も変わるんだよ。俺も親父も美輝も専門は電気だけど、みんな使い方は違うだろ?」
「あー!そういやそうだ。なるほどねえ」
少し分かった気がして楽になる。チャラい見た目に反して、光希の説明は細かく理論的で分かりやすい。龍や幕僚長の様に完全なる感覚派の者達の言うことが、尋花にはさっぱり理解できなかった。
「じゃあ龍のあれは?」向こうでガキンガキンやり合っている彼の手に握られた黒々とした剣を尋花が指差す。いつもどこからともなく出して来るのだ。
「あー、あれか。あれ、ダイヤモンド」
「は?からかってる?」尋花が笑う。
「いや、マジで」
「え!」思わずその黒い塊を二度見する。
「あいつの得意分野は硬化。物質を一番硬い状態に出来んの。いっつも空気から作り出してんだぜ。あの剣」
「えー!すっごいね」
「まあ、あいつは他の魔法も大抵全部使えるけどな。国家試験もパスしてるし。あ、そうだ良いもん見せてやるよ。龍ー!」
呼ばれた龍がこちらへ駆け寄る。
「なんだ」
「なあ、あついからアレやってアレ」ニヒヒと光希が笑う。
「……疲れるから1回だけだぞ」
「ひゃっほー!」
すると龍が手にしていた剣が消え、同時に頭上でピキピキと音がし始めた。龍は固く目を瞑っている。その目を開けた瞬間、尋花の頬に冷たい〝何か〟がふわりと落ちた。
「雪だ!」
見上げれば、ふわりふわりと雪の塊が後から後から降って来る。
「すごーい!!綺麗!冷たい!」
はしゃいでいたら、それはあっという間に霧に変わってしまった。
「あれ?ねえ、もう1回やって!もう1回!」
「疲れるから駄目だ。みぞれでも良いか?」
「みぞれ?やだよ!ちょっと待って、あたしやってみる。なんか分かった気がする」
先程の龍の様に、尋花も固く目を閉じグーッと力を込める。一応、龍と光希はその姿を見守るが…、
「ブハーーーッッ!!あれ?なにも起こってない?」
「あったりめーだろ」「寝言は寝てから言え」
「ひどい!」
年相応にはしゃぐ彼らの様子を、少し離れた所から見ていた幕僚長は、柄にもなく口元が緩んでしまった。