1997年 4月
尋花が校長から聞いた話を真実なのだと実感したのは、入学式が終わった後である。
あれから続いた初等教育での龍や一馬の態度はそれまでと一切変わらなかったし、他の先生からも何の説明もなかったものだから、校長の話は夢か何かだったのではとぼんやり思っていた。しかし、入学式の後、教室の前に張り出された座席表を見て席に着いた瞬間、それは現実なのだと引き戻された。それまでざわついていた教室が一瞬にして静まり返り、全ての視線が尋花に注がれる。恐る恐る隣の席にいた生徒に「よろしく」と声を掛けたが、顔を背けただけで返事は無かった。HRが終わり、足早に教室を出る。手足に力が入らないし、上手く息が出来ない。
本当だった。どうやら本当に自分はあの二人の孫らしい。
あの二人の孫という事は、二人を殺した一族の血が流れているという事だ。何の魔法も使えない体の中にそんなものを感じることは出来ない。だが、あの教室の皆がそれを証明している。皆はついこの間までの自分と一緒だ。〝そんなもの〟に関わってはいけないと思っていた自分と。
「尋花!」
突然後ろから声を掛けられビクリと体が跳ねる。振り向けば、一馬が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいる。
「大丈夫か?顔色悪いぞ」
「一馬…」
そうか、一馬は知らないのだ。自分と一緒でついこの間ここに来たばかりだから。クラスも違うし、皆の様子も知らない。しかし、知ったらどうなるのだろう。折角ここに来て初めてできた友達だと思っていたのに。何も言えないでいると困った顔で笑いながら一馬が言った。
「クラスの奴らになんかされた?」
「え…?」
尋花は一馬の顔を真正面から見て聞く。
「もしかして、あたしがあの二人の孫だって知ってる…?」
「おー、詳しい事は木崎先生の授業で初めて知ったけどな。入学前に軽く説明された」
あっけらかんといった感じの一馬に拍子抜けしていると、向こう側でこちらを見ながらこそこそ話す生徒の姿が目に入る。「行こ」と尋花が言って歩きながら話を続けた。
「怖くないの?」
「何が」一馬は本当に分からないという顔だ。
「あたしがだよ!あたし、あの人殺しの一族と血が繋がってるんだよ?」
「いや全然怖くないけど。だいたい尋花まだ魔法使えないじゃん」
「そ、そうだけどさ…」
「俺、自分の目で見たことしか信じないからなあ。どっちかっつーと尋花は、怖いとか危険とかの真逆な感じがするぞ」
ハッとして尋花が尋ねる。
「…一馬ってさ、もしかして初等教育の間あのでかい寮で一人で寝てたの?」
「何だよ突然。そうだけど、それがどうした?」
何だか良く分からないが、この男の器が相当でかいという事だけは理解できた。
「…あんた伊達に大家族の長男やってる訳じゃないね…」
「さっきから何言ってんの?」
一馬の言葉でいくらか気持ちが楽になる。尋花は生まれてこの方小さな虫すら殺さないようにして生きてきた。それはいつも母から教わっていたことだ。校長はその母が、殺された二人の子供なのだと言っていた。一族から逃れるために魔力を封じる禁術をかけられ、施設に預けられたのだと。結果的にその魔力は尋花に倍になって受け継がれたらしいが…。
一馬の言うとおりだと思った。見たこともない、良くも知らない人殺し達との血の繋がりより、優しく強い母との血の繋がりの方が、今の尋花にとっては真実だと言える。
「お?ちょっと顔色良くなったか?」
一馬が笑うので今日初めての笑顔が尋花から零れる。
「うん、ありがとう。一馬が友達第1号で良かったよ」
「ははは!なんだそれ。てゆーか、俺の前に龍先輩とも仲良いだろ」
「え?龍?龍は友達じゃないよ」
「そうなの?まあ先輩だしな」
そう言う訳でもないのだが…。龍は友達ではない。なぜだろう?
「ああ!!」一馬の突然の大声に尋花が飛び跳ねる。
「なに?!」
「龍先輩から、放課後第一練習場に来いって言えって言われたの言うの忘れてた!」
「は?何?言えって言う?」
「やべー!時間過ぎてる!行くぞ!」
走り出した一馬の後を尋花は訳も分からず追いかけた。
第一練習場は校舎からかなり離れた所にあった。大きなドーム型の体育館の様な見た目で、隣接する自衛軍所有の建物と渡り廊下で繋がっている。練習場の中は、様々な人やら音やら物質やらが飛び交っていた。20人程の生徒が魔法の打ち合いをしている。尋花も一馬もその光景に圧倒されていると、どこからともなく龍が目の前に現れた。
「遅い」
すかさず一馬が頭を下げる。
「すいません!すっかり来いって言えって言われたの言うの忘れてました!」
「何…?言えって言う…?」
先程の尋花と同じ様な顔を龍がしていると、後ろから一人の男子生徒がやって来た。金髪にゆるいパーマがかかっており、いかにもチャラ男といった感じだ。
「へ~こいつか!」
そう言うとジロジロ尋花を見始める。反射的に後ずさると、その男子は面白そうにニヤーっと笑って、
「ちんちくりんじゃん!」と言った。
「はあ?」思いっきりしかめっ面になる尋花。
「並ぶとちんちくりんコンビだな!」一馬にまで飛火した。
「ハハハ、なんすかそれ」一馬の目が笑っていない。
「龍!こいつら面白ぇぞ!」
龍の肩を抱きながらさも楽しげに言う。龍はその手を振り払って、「名前」と言った。男子生徒が尋花達に向き直る。
「2年A組、鈴原光希!護衛隊副隊長だ。あっちなみに隊長は龍な。これからよろしく!」
満面の笑みで右手を差し出されたものだから、案外良い奴なのか?と思いながら尋花がその手を握り返した瞬間、『バリバリバリッ』と超強力な静電気の様な痛みが体中を駆け巡った。
「ぎゃああ!!!」
尋花の叫びに大爆笑の光希が手を離すと、バリバリは治まった。笑いの止まらない光希に代わって龍が説明する。
「こいつは電気魔法が専門なんだ。電気が自在に扱えると今みたいな事もできるし、速く動いたり、速く考えたりする事もできる」
「そうそう!」涙目の光希が付け加える。
「ちなみに俺は、この魔力のおかげで女に苦労したことが無い!自由自在に操れるからな。分かるか?全身!どこでも!さきっちょまでだぞ?!」
「ブッハ!」一馬が吹き出した。尋花は全く意味が分からない。
「おー、一馬つったっけ?お前意外といける口か。ま、こういうのはなー、実際経験してみねえと分かんねんだよなー…」
などと言いながら、尋花との間合いをジリジリ詰める光希の脇腹に龍の手刀が刺さった。
「いって!待て待て待て、からかっただけだっつの。龍、その目やめろ。まあ、冗談はさて置きだな、俺はどっちかってーと体より頭の電気使う方が得意なんだわ。つーわけで、俺がここの司令塔。俺の命令は絶対。そこんとこヨロシク!」
「えー?うっそだあ!めっちゃ頭悪そうじゃん!」
「…え?これは一発ボコった方が良いのか、龍」
「いや、こいつは誰にでもこうだから安心しろ」
そんなやり取りをしていたら、突然、龍と光希の間に女子生徒が現れた。
「おっ美輝!やっと来たな。こっちが体の電気専門」
光希が美輝と呼んだその女子は、細身で背が高く、とても綺麗な顔をしている。尋花は思わず隣の一馬に耳打ちした。
「ちょっと!ちょー可愛くない?あむろちゃんみたい!あむろちゃん!」
「分かる。俺あむろちゃんめちゃくちゃ好き」
こそこそ話す二人を一瞥すると、美輝は何も言わずものすごい速さで何処かへ行ってしまった。
「は?感じ悪…」低いドスの効いた声を一馬が発したので、ぞっとした尋花が固まっていると、光希がフォローを入れた。
「わりーな!ちょっとした反抗期ってやつ?名前は美輝な。俺らの妹で、お前らと同じ1年だから仲良くしてやって」
「おれら?」尋花が首を傾げる。
「そそ、俺と龍の妹」
「先輩達って兄弟なんすか?似てないっすね」
「え?龍、家族いないって言ってたじゃん」
尋花の言葉を聞いて、驚いた光希が龍を睨む。
「お前な…どこから生まれようと一緒に育ったら兄弟は兄弟だろ」
それを聞いて分かった。龍が言っていた『家族みたいな人達』が誰なのか。
突然、バアン!と大きな音がして、軍と繋がっている渡り廊下の扉が開いた。とても大きな剣を背負った、50代くらいのいかつい男がこちらに向かって歩いて来る。皆打ち合いを止め、次々と敬礼し始めた。
「遅えよ親父~~」
目の前まで来たその男に光希はへらへらと声を掛けた。途端にゲンコツが落とされる。
「いってえ!!」
「馬鹿野郎!ここでは幕僚長だって言っただろうが!」
「え~面倒くせえ。なげーんだもん」
「幕僚長」龍が言う。「一条尋花、林一馬、両名揃いました」
「ごくろう」
そう言って向き直った男の顔に見覚えがあると尋花が気付く。
「あ!おじさん、あの真っ白な部屋に居たでしょ?」
「お、おじさん…?」男の額に青筋が浮かぶ。龍が説明する。
「この方は鈴原幕僚長。魔法師軍、及びこの護衛隊の最高指揮官だ」
「ちなみに俺らの父親な!」光希が口を挟む。
「へえー、おじさん偉い人なんだ」
「おじさ…まあ良い。いいか?護衛隊に入ったからには、二人とも強くなってもらわにゃ困る。今日はお前らにどんな素質があるか、俺が直接見てやるから手始めに…」
「え?護衛隊に入るってなにそれ。てか護衛隊ってなんなの」尋花が呆けた声を上げる。
「あぁ?まさかお前らこいつに説明してねえのか」
「そう言えば」「してねーわ!」
「おい、しっかりしろ隊長、副隊長…。護衛隊っつーのは、簡単に言えば生徒で組織された自衛軍だ。有事の時は戦闘にも参加してもらう。自分の身は自分で守れって事だわな!だから…」
「戦闘?!むりむり!あたしぜんぜん魔法使えないよ?!」
「…何だって?」幕僚長が龍を見る。「瀬野先輩の授業受けたんじゃねえのか」
「一度も魔力の発動はありませんでした」
「…そうだったのか……。光希、精密検査に回しとけ」
「へーい」
「尋花、お前は後だ。一馬つったな?お前は…」
幕僚長は手の中に、バチバチと音を立てる電気の塊の様なものをつくった。
「これを殺せ」
その電気玉が、生き物のように幕僚長の手の中で動き始める。一馬が唾を飲み込み、前へ進み出た瞬間、それはものすごい速さで一馬に飛び掛った。
「っ…!」
よけ切れず、頬をかすめる。どうやら触れると痛いらしく、一馬の眉間に皺が寄った。尋花の目では追い切れない。魔法が使えたとしてもこんな事はできないと思った。こんな危険なことは…。暫くすると一馬はその速度に慣れてきたらしい。もう攻撃は食らっていないし、指をさしては惜しい所に小さな火柱をつくっている。そして最後にボンッと一際大きな火柱が上がり、電気玉は跡形も無く消えた。
「おおー!すげえじゃん!」
光希が駆け寄り一馬の肩を叩いた。汗を拭いながら笑って一馬が言う。
「俺ずっと野球やってたんで、なんかその時のこと思い出したら出来たっす!」
「反射神経良いんだな!」
「それであの身のこなしか!魔力は弱えが、なかなか見込みがあるぞ。なあ龍」幕僚長が振り返って言う。龍が頷いた。
「尋花!!」
「うわっ何、おじさん声でか」
「何で魔力が発動しねえのかは分からないが、今日のところは仕方ねえ。今から全員で演習やるからお前はそれを良く見とけよ。一馬も参加できるならして良いぞ」
「はい!」
「よし、じゃあ…」幕僚長が背負った剣を鞘から抜く。さっきの電気玉の様にバチバチと電気を帯びて光ったそれを、思いっきり振りかざし、地面に突き刺した瞬間、
「はじめーーー!!!」そこら中から電気玉が飛び出した。皆が一斉に攻撃を始め、あっという間に魔法やら、叫び声やらの爆音で練習場は満たされた。尋花は圧倒され、後ろの壁まで後ずさってしまった。良く見ろと言われたが出来れば目を瞑っていたい。気が滅入りそうになっていると突然、一匹の電気玉が目の前に現れた。
「いっ!?」
触れると痛いことを思い出し身を硬くしたが、一向に攻撃してくる気配が無い。それどころかその一匹は尋花の足元に隠れてしまった。
「怖いの…?」
これは生き物なのだろうか…。尋花は身を屈めてそれを隠すようにした。
「おい」
突然の声にビクッと体を震わせ振り返ると、龍がこちらを睨んで立っていた。その手には、黒々とした日本刀の様な剣が握られている。
「何してる」
「何って?」
「何でそれを庇ってる?」
「だって…怖がってるみたいだったから」
「それにそんな感情は無い。たまに魔力の流れが悪くて、動きの鈍い奴が出てくるだけだ。どけ」
「…だめだよ」
龍の目が、いつもよりずっと冷たい。
「どけ」
剣を振り上げた。
「だめだってば!!!」
尋花が両手を広げて立ちはだかる。前髪が数本パラパラと散っていくのが見えた。剣を持っていない方の手で、龍が尋花の胸倉を掴む。
「やらなきゃ、殺されるんだぞ」
尋花はその目を見た。冷たい目の奥にあったものを見据えて言った。
「それなら…死んだ方がマシだよ」
ドンッと勢い良く尋花を突き放し、龍は出て行ってしまった。その後を美輝が追いかける。皆が静まり返ってこちらを見ている。いつの間にか電気玉は足元にいる一匹だけになっていた。幕僚長が地面から剣を抜くと、その一匹もポンっと音を立てて消えてしまった。
「おい、大丈夫か」光希が声を掛ける。続いて一馬も駆け寄った。
「…うん、あたしは大丈夫だけど…」
「龍のことあんまり悪く思うなよ。あいつがああなるのも無理ねえんだ。俺らはお前に死なれたら困るから」
「ああそうだ」大剣を鞘に収めながら幕僚長が言う。「お前はこれから、俺達の大事な戦力になる」
誰の言葉も頭に入ってこない。尋花はただ、あの泣きそうになった龍の目を思い出していた。




