2015年 12月
物心がついた時には、知花はその存在を認識していた。母が繰り返し語る『遠くのどこかで生きているお父さん』だと思っていた。しかし、それを母に言う事は無かった。そうではないという確信も同時にあったからだ。小学校に上がる頃、藤城一族の話を母、祖父、瀬野先生の三人に囲まれるようにして聞かされた時、はっきりと分かった。彼が藤城敬市郎なのだと。眠りに落ちる時、夢から覚める瞬間、もう一人の誰かと重なる様な感覚。そして遥か遠く、微かに見えるもう一つの自分と同じ魔力。
知花が大きくなるにつれ、彼も共に成長していった。彼はずっと眠っていた。自分の体を分解し、作り直しているのだ。誰にも干渉されない地下深くに潜り込み、彼が生きた17年間をゼロから繰り返している。全ては、この血を滅ぼすために。
誰にも言った事は無い。言いたくもなかった。片割れを守りたかった。
林太朗が夕方届けてくれたクリスマスパーティーの写真を、知花は彼から貰ったアルバムに入れて眺めていた。正月休みに入ってしまうからと写真屋にせがみ、急いで現像してもらったと言っていた。カメラは林太朗の両親がクリスマスプレゼントとして送ってきたものだった。それで写真を撮って送って欲しいという事らしい。知花は思い切って、毎年自宅で行っているクリスマスパーティーに林太朗を呼んだ。尋花、美輝、一馬、その子供達、祖父、瀬野先生、毎年変わらず同じメンバーの中に林太朗が居る。変な感じだし、緊張した。林太朗は知花の何倍も緊張していた。が、子供達に懐かれまくったおかげですぐに打ち解けた。
写真の中の皆は笑顔だった。美輝の出産で子供達をあずかっていた事もあり、ここ1ヶ月随分と賑やかな時間を過ごしていた。それが嘘の様に、家の中は静まり返っている。毎年慰霊祭の日は一緒に過ごすと決めていた母も、夜になると知花に背中を押されながら忘年会へと出掛けて行った。知花は、林太朗からクリスマスプレゼントとして貰ったそのアルバムを、確かめる様に何度も何度もめくった。ふと、林太朗自身の写真が1枚も無い事に気付いた。自分が交代して撮ってあげれば良かったと後悔した。彼の笑顔が見たかった。コートを羽織って家を出る。
誰かに見つかったらアウトだが、驚かしてやろうと寮の窓から林太朗の様子を伺う。カーテンが開いていて、帰省の為、リュックに荷物を詰めているのが見えた。途中でベッドに寝転んでクロに何か見せている。目を凝らすとそれがクリスマスパーティーの写真だと分かった。部屋には他に誰も居ない。コンコンと窓を叩く。林太朗は目を見開いて驚いていたが、すぐに笑顔になってこちらへ駆け寄り、窓を開けた。
「びっくりした!何してんの」
「ちょっと忘れ物。部屋誰か戻って来る?」
「ううん。もうみんな家帰ったから。忘れ物って?」
知花は窓から強引に中へ入った。「えっ」と小さな声が林太朗から漏れる。
「写真」
「写真?」
「あんたが写ってるのなかったから」
「ああ、俺ずっと撮ってたから」
「…一緒に写ったやつが欲しい」
「ええ!うん、良いけど。えー?何、どうしたの」
机の上にあったカメラを手に取りながら、へへへと嬉しそうに林太朗が笑う。ベッドに並んで座り、レンズを覗き込む。どちらともなく手を繋いだ。自然と顔がほころぶ。数枚撮ってデータを確認した。どれも良く撮れていた。
「見て、この知花かわいー。またお願いしたら現像してくれるかなあ」
そう言った横顔が可愛くて愛しいと思った。知花はその頬にキスをした。驚いてこちらをむいたその唇にもキスをする。みるみるうちに林太朗の顔が真っ赤になっていった。知花は声を出して笑った。女たらしかと思いきや、そういう所は自分と同じく初心だという事を、知花はもう知っている。
固まったままの林太朗に「じゃーね」と言って、また窓から外へ出た。満月がかなり高くまで昇っている。その光を遮るものは何も無い。昼間降り積もった雪に全て吸い込まれてしまった。目覚めた彼がもうすぐそこまで来ているのもはっきりと見えた。繰り返された彼の人生は今日、遂に終わりを迎える。自分と共に。
『あたしが生きていくためにあんたを生んだ』
母の言葉に知花は安心した。自分も自分のために生きて良いのだと思った。今ならはっきりと言える。自分は今日この日のために生まれてきたのだと。
飛行のスピードを上げながら、右手に力を込めて槍を作り出す。
『こういうのって本当に安心するんだよ』
そう言って、ネックレスをさわった林太朗が浮かんだ。しっくりと馴染む右手のそれは、知花をこの上なく安心させた。さっき握った林太朗の手の温もりが染み込んでいる様だった。
尋花が張った結界の突き当りまで来ると、知花はそっとそれに触れた。分解の波が一気に広がり、その数秒後、けたたましいサイレンが鳴り響いた。結界を破るには一族の魔力で相殺する他ない。検問所を通らず外に出るには、これ以外手段が無かった。すぐに人が駆けつけて来るだろう。知花は更に飛行スピードを上げた。
森の中は月明かりで満ちていた。知花がまっさらな雪の上に足を下ろすと、まもなく彼も数メートル向かいに降り立った。
彼の瞳の奥に自分が居ると分かった。
「歳はいくつ?」
初めて聞いた声が懐かしい。
「17」
知花がそう告げるだけで、彼は気付いた様子だった。彼が生きた17年間は、57年前の今日、とうの昔に終わっていたのだ。自らの死を思い出してしまった彼の体が、内側から崩れていく。背中から母やその仲間達がこちらへ近づいて来るのを感じた。彼は最後の力を放とうとした。知花が前へ進み出た瞬間、何かがそれを遮った。
気付けば知花は、あの温かな腕の中に居た。林太朗が覆い被さる様に知花を抱きしめている。刹那の中で、なぜ後をつけられていた事に気付かなかったのだろうと思った。その気配からは、殺気も、焦りも感じられない。いつもと同じ温かさがただそこにあるだけだ。そして、その温もりが消えることはなかった。
林太朗が胸に下げたネックレスが光っている。それと同時に赤黒い光が目の端をかすめた。その姿を追えば、黒々とした見慣れた剣を持った男が、藤城敬市郎の心臓を貫くのが見えた。




