2015年 6月
机の上に置いたままになっていた『進路志望調査票』を、知花は無造作に鞄に入れて家を出た。締め切りは今日だが何も記入していない。一度溜息をついてから、朝露の光る道を歩き学校へ向かう。
2年生に上がった段階でクラスは進路別の編成となった。大まかに、戦闘員を希望する者、研究員を希望する者、行政や外交などの官職を希望する者で分けられている。知花は戦闘員クラスだ。父がそうだったということ以外に理由は無い。今回の調査ではさらに細かい具体的な進路を記入しなければならなかった。もっとも母が、この地から出て行く事を許す訳もないのだから、大学進学以外に選択肢は無いのだが…。
自分の席に着き、見繕っていた学部や学科を書き入れ、朝のホームルームで担任に提出した。ちらついた林太朗の言葉を振り払って、授業の準備のため教室を出る。1時限目は実技だ。2年生に上がってから、戦闘訓練の授業は一気に増えた。実技は好きだ。技を極めることだけに集中していれば良いのだから、ごちゃごちゃ何かを考える必要が無い。
おしゃべりしながら歩いているクラスメートをぐんぐん追い抜いて、知花は1番乗りで第一練習場へ入った。早速父から受け継いだ『硬化』の魔力で日本刀形の武器を作り出す。素振りから初めて先生が来る頃には体は出来上がっていた。今日は1対1の接近戦を5分ずつ、人を入れ替えて行うといった内容だ。知花の実技の成績はクラスの中でもトップだが、男子相手だと力負けしてしまうこともある。授業が始まって30分が経ち、小休憩に入った現時点では順当に勝ち進んでいる。しかし、次に当たる男子は今まで一度も勝てていない。あちらはあちらで藤城一族の知花を目の敵にしたいらしく、毎回全力で掛かって来るのだ。どうしようかと思って壁に凭れながら汗を拭いていると、窓の外から声がした。
「うわあ、格好良いね!」
声だけですぐ分かった。林太朗だ。開けられた窓の外から練習場を覗く様にしている。
「…何してんの」
「え?さぼりさぼり。俺も第二練習場で実技の授業やってたんだけど、怖くてさあ。逃げて来た!電気玉ほんと怖い」
「……」
電気玉は初歩の初歩だ。こいつは戦闘員にはなれないなと思っていると、窓の外から手が伸ばされ、知花の頬に触れた。
「傷、出来てる」
初めて感じた『再生』の力は、この上なく心地良かった。思わずその手に自分の手を重ねてしまう程に。
ビーッと笛が鳴って我に返る。授業再開だ。駆け足でその場を離れる知花の背中に、「応援してるからねー!」という林太朗の馬鹿でかい声が当たった。何人かがこちらを振り返ってざわついている。知花が普段生徒と話す事が無いからだ。向かいに立った対戦相手にも、
「お前、友達居るんだな」と小馬鹿にされた。無視を決め込む。
もう一度笛が鳴って対戦がスタートした。
始まって2分の段階で、知花は2回膝を着いてしまった。ルールとしては膝を着いた数が多い方が負けだ。もしくは1回でも尻餅を突けば負けとなる。母から受け継いだ『探知』の魔力を利用した細かな技の駆け引きを得意としている知花にとって、何の考えも無しにバカスカ力技だけで押してくる者はかなり相性が悪い。開始3分の段階で窓際まで飛ばされ、また膝を着いてしまった。
「なあ、悔しかったら一族の魔力使えば?」
半笑いの対戦相手がいつもの煽り文句を言う。藤城家の魔力としては『探知』の力しか知花が使えないのを知って言っているのだ。心を無にして立ち上がろうとしたその時、窓の外からまた声がした。
「ねえ、それ違う形に出来ないの?」
「は?」
振り返れば、窓枠越しに林太朗が知花の手にある剣を指差している。
〝違う形〟
意味を理解するより先に体が動いていた。走りながら右手に握った剣に力を込める。柄はどんどん長くなり、反対に刀身は短くなっていった。両手で握った瞬間、ゾクゾクするほど馴染んだ。なぜかさっき触れた林太朗の手を思い出した。体が軽い。
飛び掛ってきた対戦相手を柄を軸にしてかわし、驚いた隙を突いてその膝を打った。グラリと体勢を崩した喉元に、黒光りする切っ先を向ける。ビーッという笛の音と共に対戦相手が尻餅を突いた。
「やったじゃん!!」
林太郎の声にハッとする。それと同時に対戦相手の顔が醜く歪んだ。口角が上がりそうになるのを感じて隠す様に後ろを向けば、満面の笑みの林太朗が目に入る。じわりと全身が温かくなった。つられて笑いそうになった瞬間、
「人殺しだけじゃなくて、男たらし込むのもお家芸かよ」
はっきりと背中側から言い放たれた。
広がりかけた熱が一気に氷になった。指先から心臓に向けてどんどん冷気が送り込まれる。
後ろから自分を嘲る笑い声だけがやけにはっきり聴こえる。
「――――…っっ」
息が、できない。
全身が凍ってしまう。この感覚はまずい、だめだ。だめだ……!!!
「ちょっと!変なこと言わないでよ!」
朦朧とする視界が、窓枠に手を掛け身を乗り出す林太朗を捉えた。
「たらし込もうとしてんの俺なんだから!!」
ドッと体に熱が戻った。
振り向かずとも皆が自分と同じく唖然としているのが分かる。
「こら!何してる!」先生の怒声が飛んで「うわっ!」と林太朗はどこかへ逃げて行った。
「…頭おかしいんじゃねえの」
ぼそりと呟かれた対戦相手の言葉に、知花は心の中で同意する。そしてもう一度、自分の右手にある見慣れない黒い塊を強く握った。
何となく身構えていた知花だったが、昼休みに中庭へやって来た林太朗はいつも通りだった。拍子抜けした後、当たり前かと納得してお礼を言う。
「実技の時はありがとう」
「いやいや、俺はちょっと思い付きで言っただけだから。それをすぐ形にしてものにしちゃうなんてすごいよなあ。本当かっこよかった!」
「…うん」
一応、最後に自分を救おうとして言ってくれたであろう言葉にもお礼を言ったのだが。伝わったのだろうか。
「今までは形変えたりしたことなかったの?」
「うん。全然、思いつきもしなかった」
「すごい無理してる感じがしたけどなあ。絶対槍の方が合ってるよ。ほら、薙刀とかも女の子がやるもんね。剣になにかこだわりでもあったの?」
そう言われて、ハッとした。自分自身が忘れ形見であった事を思い出してしまった。途端に罪悪感が胸の中に苦く広がる。
「…うん。剣じゃなきゃだめなんだ……」
武器の形を変えてしまった事を母には言えないと知花は思った。




