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月の魔法  作者:
1/17

1997年 3月

「こんなこと、前にもあった気がする」

 朦朧とする頭で尋花は思った。


 明日は中学校の卒業式だというのに、昨日の朝から上がった熱は一向に下がらない。一緒の高校に合格した友達と開けたピアスの穴が炎症を起こしたらしい。高校入学に浮かれて伸ばした髪まで染めたから、調子に乗ったバチが当たったのかもしれない。

「ピアスなんて…開けなきゃ良かった…」

布団の中から呻いたが、何の返事も無い。身寄りは母しか居ないし、その母は夜勤で朝まで帰って来なかった。「ひどくなったら電話して」なんて言われたけれど、電話のある居間まで行くのも辛いほど、症状は悪化していた。窓の外を見ると、綺麗な満月が溜まった涙で滲んでいる。尋花は小さな頃から何度もそうしたように、目を瞑って祈った。

「どうか、明日の朝には熱が下がりますように」

子供の頃から寂しかったり困ったりしたときは、決まってお月様にお祈りするのだ。そうすれば自然と不安は消えていく。何度も何度も祈って目を開けた瞬間、尋花の心臓がぎゅっと縮まった。

 窓の外に誰か居る。

 上から自分を見下ろしている。ここはアパートの4階でそんなことはありえない。月を背にしてその表情は伺えないが、しかし、はっきりと思った。

「こんなことが前にもあった」

熱のせいで幻でも見ているのだろうか。それとも……。考えている間に窓の外の人影が一人、また一人と増え、どんどん意識は遠のいていった。


 目覚めた瞬間、目に入った天井は尋花のアパートの物とは全く違っていた。起き上がろうとしたが、身体が動かない。熱のせいではなく何かに押さえ付けられている。ドキドキうるさい心臓の音を聞きながら、その高くて真っ白な天井をしばらく見つめた後、恐る恐る声を発した。

「誰か…誰かいる?」

コツンコツンと一人分の足音が近づいて、反対向きの顔が視界に現れた。

「目が覚めたか」

無表情な男が尋花の頭側に立ち、覗き込んでいる。学生服を着ていることから歳は自分より少し上だと思われたが、その目は同世代とは思えないほど鋭く、沈んでいた。しかし、その冷たい目を見て尋花はなぜか安心した。

「ここ天国?あたし死んだの?」

「いや、死んでない」

何の温かみも無いその言葉で、いくらか元気を取り戻す。

「まじで!良かったー。窓の外に人が見えたんだけど幻覚だったのかな?お迎えが来たのかと思って焦ったー!昨日からすっごい具合悪いんだよね」

「今は死んでないが、このままだと死ぬ」

「えー!どうにかしてよ。あとこれ、なんか体に巻き付けてるでしょ。外して!」

「……」

物音がして何人かの足音が次々と近づいてくる。男は表情を変えずに足音の方へ言った。

「拘束を解いても良いですか」

「許可しよう」

瞬間、体から圧力が消えた。重い体をゆっくり起こし、ぐるりと周りを見る。様々な年代の男女が、十人ほど自分を取り囲んでいる。部屋は広く、窓やドアも無く、殺風景で全て真っ白だった。自分はその中心にぽつんと置かれたベッドの上に居た。

「ここどこ…?」

「君のために造った部屋だ」初老の男が言う。「一条尋花。私たちはずっと君を監視していた」

何がなんだか分からず、尋花は暫く黙ってから聞いた。

「ママに連絡したいんだけど…」

すると今度は違う女が返事をした。「それはできません。急がなければ犠牲者はあなただけでは済まなくなる。やはり意識を戻すべきではなかったのでは?」

「いや、説明と同意が必要だ」初老の男が女を遮り、続けた。「君が生まれたと同時に、私たちは君の魔力を封じた」

「は?」

間の抜けた声を尋花が上げる。

「それは禁術だ。禁術は禁術たる理由がある。代価が大きすぎるのだ。従って君の体が今、自分の魔力に飲み込まれかけている。このまま死ぬか、それとも術を解いて魔法師として生きるかどちらか選んで欲しい」

「はあ?何それ?テレビか何か?」

「嘘ではない。実際体が悲鳴を上げているだろう」

「……」

「君の母は全て知っている。後は君次第だ。どちらをとっても地獄ということに変わりはない。さあ、どうする」

「地獄…?どっちも嫌なんだけど…てか、本当に?」

尋花は冷たい目の男を見た。男が静かに頷く。

血の気が引いた。現実のこととは思えないが、本当にそうだとしたら……

「あたし、生きたい…!」

「禁術を解除する」

初老の男の言葉を合図に、それぞれが尋花を中心に円を描いて広がった。皆、口々に掛け声のような物を発しているが、はっきりと聞き取れない。冷たい目の男だけが尋花の傍に居て、ベッドに横になるよう促した。

「怖い…怖い…!!」

「静かに」

尋花は口を噤んでその目を見つめることしかできない。バラバラだった掛け声がだんだんと纏まり始め、ついに一つになった瞬間、突然光に照らされた。反射的に目を瞑ったが、違う、照らされている訳ではない。自分の目の中が眩しいのだ。

「うぅ!!」恐怖に呻き、身をよじろうとしたが言うことを聞かない。光はどんどん強くなり、体は心臓から指先に向けて脈打つように熱くなっていった。息もできない苦痛の中で、断片的な映像が尋花の中を掠め去っていく。

一つは、大衆がこちらを仰ぎ見て何か叫んでいる。一つは、分からない誰かを車椅子に乗せて歩いている。一つは、赤子の手をそっと握っている。もう一つは……滲んだ視界の中で、満月を背にした少年がこちらを見下ろしている。


 気づくと、またしても反対向きの顔が尋花を覗き込んでいた。

「体はどうだ」

「あんた名前は?」

尋花の唐突な質問に、冷たい目の男の眉間に皺が寄る。

「…体は?」

「うん、めっちゃ楽になった!」

ベッドから降りて周りを見ると、部屋には誰もおらず二人きりだった。向かい合って立つと男はかなり身長が高く、小柄な尋花と並ぶと30センチは差がありそうだ。

「巨人族じゃん!むかつく!」

「何の話だ」

「あたしは尋花だよ。知ってるっぽいけど。あんたは?」

「龍」

「龍ね!」

「…これから大事な話がある。付いて来い」

龍に続いて歩いて行くと、突然目の前に扉が現れた。驚いたが、平然とその先へ進む彼を前に何も言えず、黙って後に続いた。扉をくぐればそこは尋花の住むアパートの真ん前だった。とっさに後ろを振り返ったが、そこにはもう何も無い。どういうことか聞こうかと思ったが、突拍子もないことばかり起こっているのでどうでも良くなった。

「あたしんちに用なの?」

「お前の母さんも交えて今後のことを話す」

外は明るくなっていた。母はとっくに帰っている時間だ。

家のドアを開けて「ただいまー」と言うと、バタバタと音がして、母の裕花が出迎えた。

「体は大丈夫なの?」急かす様に裕花が聞く。

「大丈夫!大丈夫!すっごい楽になった。助かったよー」

間延びした返事に少しだけホッとした様子で、裕花は後から入ってきた龍に目を移した。

すると、「あ…!」と突然声を上げ、まじまじと龍を見つめてから、「ありがとう」と言った。

それに答える様に龍は深々と頭を下げる。何が何だか分からず、二人の顔を交互に見てから「どうしたの」と尋花が聞いたが、「何でもないの。さあ、上がって」と流されてしまった。

 居間に入ると、既に二人がソファに座っていた。一人は先程の場で発言していた5・60代の女で、もう一人は初めて見る40代程の男だった。二人ともキッチリとスーツを着込んでいる。尋花と裕花は、机を挟んでその向かいに正座する形で座った。龍は少し離れた場所に休めの姿勢で立っている。女が口を開いた。

「私は、日本高等魔術魔法師学校で副校長をしている瀬野です。こちらは学務課の水谷。今日は入学手続きの説明に参りました」

「は?」尋花がすかさず口を挟む。「入学って何それ、何の話?」

尋花の口振りを「こら」と裕花が注意したが、瀬野は全く気にしていない様子で続けた。

「あなたは先程、禁術を解いて魔法師として生きることを選びましたね?」

「うんうん」

「従って、我が校への入学が義務付けられました」

「え?!何それ、超困る!」

「義務です」

「ちょっと待って!あたし春から友達と同じ高校行くんですけど」

「そちらは既に辞退して頂きました」

「は?!勝手に?!」

「はい」

「ひっど!夜間部とかないの?」

「ありません」

「ええー…。ママ何とか言ってよー。あたしが受験めっちゃ頑張ったの知ってんじゃん」

「あんたが決めた事なんだから、最後まで自分で責任持ちなさい!」

裕花が励ますように尋花の背中を叩く。叩かれた背中を少し伸ばしてから、観念したように「分かりましたー」と溜息交じりに尋花が答えた。

一通りの入学手続きを終えると女が言った。

「では、荷物をまとめて下さい。準備が出来次第出発します」

「えっどこに?」呆けた尋花が聞き返す。

「先程言ったとおり、あなたには春休みを使って初等教育を受けてもらいます。我が校は全寮制ですので…」

「全寮制?!」

「さっき説明してもらったでしょ!本当にすみません…」また尋花の背中を叩きながら裕花が謝る。

「そこって遠いの?」

「JRやバスを利用して9時間程ですね」

「9時間…夏休みとか家に帰れる?」

「お正月と春休みに1週間だけ許されています」

「……」

魔力や魔法学校などという事より、この事実が今日で一番のダメージを尋花に与えた。今まで母一人娘一人の生活の中で、尋花は母親の元を離れたことが無かった。いつか親離れする時が来るとはいえ、それはもっと先の話だと思っていたのだ。無意識に涙が溢れ出す。終いには母にしがみ付き、子どもの様に声を上げて泣いていた。

「あんたもう16になるんだよ」と、裕花に背中を擦られたが、その手の温かさすら涙を誘発させた。泣き止まない尋花を見かねて女達が席を立つ。

「では、1時までに準備しておいて下さいね」

その言葉に尋花の涙は引っ込んだ。

「ちょっと待って!」

「何ですか?」

「卒業式出てもいい?」


 先程の涙が嘘のように、友に囲まれた彼女は満面の笑みである。魔力を持っている事や、高校を辞退し魔法師学校に行くことを絶対に他言しない。そして護衛として龍も同行する。それを条件に尋花は卒業式への出席を許された。龍と裕花は保護者席でその姿を一緒に見守る。彼方此方から我が子の成長を喜ぶ啜り泣きが聞こえる中、裕花は嗚咽しそうになるのを必死で耐えていた。これから娘に降り掛かるであろう苦難を思うと「なぜ自分が替わってやれないのか」と悔しくて堪らない。震える声で隣に座った龍に告げる。

「龍くん。これからも尋花をよろしくね」

無言で力強く龍は頷いた。


 卒業式を終え、尋花と裕花、龍の三人は急いで駅へ向かう。ホームに着くと、既に電車は来ていて教職員の二人は乗り込んだ後だった。別れ際、裕花は首につけていたネックレスを外し、尋花に手渡した。それは施設で育った裕花が唯一持っている親の形見であり、尋花も母にとってそれがどんなに大切な物か良く知っていた。

「ダメだよ!無くしたらどうすんのさ!」

そんな言葉を無視して、裕花は娘の手に無理やりそれを握り込ませる。

「お守りだから」

母のその言葉にまた涙腺が緩む。小さい頃、仕事に行ってほしくなくて駄々を捏ねた時、よくこのネックレスを持たせて貰ったのだ。あの時も今と同じように困った顔で笑っていた。そんな母を見て、尋花も無理矢理涙を引っ込め、笑顔でネックレスを受け取り鞄の奥に仕舞った。発車を知らせるベルが鳴り、急いで電車に乗り込む。扉が閉まり、ゆっくりと母の姿が小さくなっていく。もうその表情は見えないが、きっと泣いているのだろうと思うと、さっきまで我慢していた涙が堰を切った様に溢れ出した。一頻り泣いて自分の座席に行くと、既にその隣に座っていた龍から無言でハンカチを渡された。ぶっきら棒な優しさが何だか可笑しくて、笑いながら「大丈夫!」と言って席に座ると、どっと疲れが出て急な眠気に襲われた。うつらうつらしながら龍に聞く。

「てか何で電車?魔法使いなら飛んでけば?」

「こっちにも色々あるんだ」

「あはは、何それ…」

言い終える前に瞼が落ちた。遠くなる意識の中で「寝て起きたら全部夢だったらな」などと思ったが、そんな願いはあっさりと打ち砕かれ、一行は無事魔法師学校へ到着した。



 着いた初日は夜だったし、用意されたベッドですぐ寝てしまったから、この魔法師学校がここまで大きな学校で、ここまで山奥に建てられていると尋花は思わなかった。中・高・大エスカレーター式の一貫校だということや、人目につかない様になっていることは道中龍に聞いていたのである程度予想はしていたが、どこまで歩いても校舎の端には着かないし、窓の外には木と山しかない。この校舎は、3つの山の谷間に建てられている。人目につかないにも程があると尋花は思った。校舎の外に人の気配が無ければ、校舎の中にも人の気配は無い。全寮制のこの学校は、春休み中は生徒も教職員も皆家に帰る決まりらしい。従って今この学校に居るのは、初等教育のために残った教職員の数人、護衛の龍(いったい何をそんなに守ってるんだろう?)だけだった。

 山と山の間に夕日が沈んで行くのを、一人、授業の終わった教室で眺めていた。初日の今日は、副校長だと言っていた瀬野先生の話が全く頭に入らなかった。外国語でも話してるのかと思うほどちんぷんかんぷんで、4時限目あたりにはもう泣きそうだった。

「魔法とは、万物に働く力を自由に操れるということです。得手不得手はありますが、その仕組みさえ理解していれば必ず魔法は使えます」

このあたりまではなんとか理解できたが、後はもうダメだった。元々勉強は苦手だが、そんなレベルじゃない。次元が違うのだ。基本魔法の火、水、電気、力のうち、いずれも尋花は発動させることができなかった。後ろに立っている龍は先生に言われてお手本を見せたりするが、それ以外はただ黙っているだけだし、先生は困ったような怒ったような顔で何度もその仕組みを説明するだけだ。そのまま授業が終わり半分ふて腐れてここに座っていた訳だが、教室の中がだいぶ暗くなっているのに気付いて慌てて校舎を後にした。尋花が寝食するのは、校舎の隣に建てられている学生寮ではなく、そこからかなり離れた所にあるとても小さな平屋の家だ。家と言っても白い真四角な箱の様な見た目で、部屋が2つと必要最低限の物が用意してあるだけの簡素なものだった。全く同じ物がその隣にも建っていて、そちらには龍が住んでいるらしい。

「どうしてあっちの寮じゃないの?」と龍に聞いたが、

「そのうち分かる」と何だか良く分からない返事が返ってきたきりだ。

この辺りは木に囲まれていて昼でも薄暗い。日は沈み切っていないのに、もう手元さえ見えない暗さだ。鍵を開けるのに手間取っていると、急に後ろから枝が折れるような音がした。ビクッと体が勝手に跳ねる。振り返ると龍が立っていた。

「龍も今帰り?」

めちゃくちゃ声が震えている。ちょっと恥ずかしい。

「ああ」

それだけ言って自分の家へ入ってしまおうとする背中に、慌てて「また明日ね!」と呼びかけた。こくりと頷いた姿が一瞬見えて、扉はすぐに閉まってしまった。


 今までだって一人で晩ご飯を食べることはあったのに、箸を握る尋花の手は小刻みに震えていた。冷蔵庫の中にあるものは自由に使って良いと言われていたので、簡単な夕食を作ったは良いが、一向に喉を通らない。結局殆ど残してしまった。テレビも何も無い部屋で起きている訳にもいかず、さっさと支度をしてベッドに入った。目を閉じたが、外で鳥でも鳴いているのか、家の中で木が軋んでいるのか、そんな音ばかりが耳に入って全く眠れない。その度にビクついて何度も起き上がる。窓の外の木が揺れるのさえ怖くて怖くて仕方ない。1時間も2時間もそうしていると、自分が世界にたった一人なんじゃないかと思えて涙が滲み始めた。「龍が隣に居る…龍が隣に居る…」と言い聞かせるが、部屋の窓からは森しか見えないので、本当に居るのか?とだんだん不安になってきた。遂に一際大きなバキンッッという音が響いた瞬間、尋花はもうほぼ反射的に家を飛び出し、その隣のドアを叩いていた。

「どうした?」

まだ寝ていなかったのか、龍はすぐ出てきた。

「なんか、バキバキ音してる…!」

龍に部屋の中を隅々まで見てもらう。当然、何かが潜んでいる訳も無い。

「家鳴りだろう」

「いえなり?」

「しばらく誰も使ってなかったからな。木が軋んでいるんだ」

「そ…そっか…」

そう言って帰ろうとする龍の腕をとっさに掴む。そして次の瞬間には声が出ていた。

「一緒に寝ない?」

いつも無表情な龍が少しだけ目を見開く。

尋花はなんとなく林間学校のあたりから男女は別々に寝るものなんだと理解していたが、『一緒に寝る』に別の意味があることをまだ知らなかった。ただ、「一人で寝るのが怖いのか!」と馬鹿にされる事だけは覚悟した眼差しで龍を見つめる。もちろん龍はもう一つの意味もちゃんと知っていたが、数秒考えた後、

「眠れないのか?」と言った。

こくこくと尋花が頷く。龍は黙ってベッドの横に椅子を置いた。

「眠るまでここにいる」

馬鹿にされなかったことにひどく感動した尋花は、龍の肩をバシバシ叩きながら「ちょー良い奴!!ちょー優しい!!」を5回くらい言った。龍は迷惑そうにその手を振り払って、尋花をベッドに押し込める。顎の下まで布団を引き上げながら尋花が聞く。

「何歳?」「何?」

「龍は何歳なの?」「17」

「17…じゃあ今年3年生?」「そうだ」

「何で護衛なの?あたしの世話係ってこと?」「…まあ、そんなとこだ。寝るんじゃなかったのか?」

「良いじゃんちょっとだけ!そっちはあたしのこと色々知ってるけど、あたしは知らないもん。教えてよ!」「…分かった」渋々頷く。

「うーんとね、じゃあ身長は?」「186センチ」「…死ね」「おい」

「血液型」「B」

「あたしO」「……」

「特技は?」「ない」

「好きな芸能人」「いない」

「よく聴く音楽」「聴かない」

「ないばっかじゃん!えーと、家族構成!」

「家族はいない」

「えっ」尋花が起き上がる。

「お父さんもお母さんもいないの?」「ああ」

「死んじゃったの?」「いや、会ったこともない」

「あっ、じゃあ施設で育ったとか?」「そんなとこだな」

「まじで!うちのママと一緒!」「…そうか」

「でもね、ママが育った教会にたまに一緒に行って、シスターと話したりするとなんか、家族みたいって思うよ」

「…俺もそういう人達はいる」

「でしょ?良かった良かった。一人で生きてる人なんていないもんね」

「…そうだな」

尋花が大きなあくびをする。

「眠れそうか?」

「うん…あ、最後にひとつだけ」

「何だ」

「好きな食べ物は?」

「食べ物…特にないな」

「またないじゃん!せっかく作ってあげようと思ったのに」

「…できるのか。料理」

「失礼だなー。意外と美味しいんだぞ…」

もう瞼が落ちそうだ。

「もう寝ろ」

「うん…ねえ、明日は晩ご飯一緒に食べよう。絶対うまいって言わせてやるから…」

龍が笑った気がしたが、それは既に夢の中だったのかもしれない。


 次の日、初等教育に新しく生徒が加わった。一馬は、尋花と同い年の男子で、ついこの間まで普通の中学に通っていたらしい。背は低く、黒髪・短髪、年相応に元気な男の子だ。しばらく無表情で大人染みた人達と居たせいか、尋花は何だか嬉しくなって、1時限目が始まる前にすっかり打ち解けてしまった。

「普通の中学通ってたってことは、一馬も魔力封印されてた系?」

「封印?なんだそれ、おれは普通に隠してたよ。使わないようにして」

「えっ、そうなの」

「うん。まあ、魔力自体そんなに強くないし苦労しなかったけどなあ」

「じゃあ、まだ魔法も使えないかんじ?あたしも全然ダメなんだよねー」

「そうそう。試験のために基本魔法だけはできる様にしたけど、火以外はあんま得意じゃないんだよな」

一馬が手のひらを開くと、ジリッと音を立てて小さな火柱が上がった。仲間ができたと思って一瞬喜んだ尋花はうな垂れながらまた聞く。

「…試験って?」

「編入試験だよ」

「あたし、そんなん受けてないよ」

「特待生ってことか?」

「さあ?」

「おれはさ、実家の八百屋継ぐつもりでいたから、魔法師とかなる気全然なかったんだけど、護衛隊に志願したら学費タダになるって言うじゃん。それ聞いて入学決めたんだ!下に妹弟6人もいてさー」

「多っ!めずらしいね!てか、護衛隊って何それ…」

ここで扉が開いて先生が入ってきた。いつの間にか龍も後ろの定位置に立っている。今日はいつもの瀬野先生ではなく、初めて見る60代くらいの男の先生だった。

「おはようございます」優しい声だ。

尋花も一馬もはきはきと「おはようございます!」と返す。

「元気が良いね」

フフフと先生が笑う。

すると尋花は、とても懐かしいような不思議な気持ちになった。

「僕は木崎誠といいます」

木崎先生は黒板に自分の名前を書いて、その横に『魔法史学』と書いた。

「魔法史?」尋花が無意識に読み上げる。

「そうです。これから僕らが学ぶのは、『魔法史学』、魔法の起源と歴史です。元々人間は全ての者が魔力を持っていたと言われています。知っていますか?」

 そこから先は板書も実技もない、ただただ先生の話を聞くだけの授業だった。それにも関わらず、尋花も一馬も一時たりとも眠くなることはなかった。先生の話は淡々とした語り口調なのに何故だかとても引き込まれる。世界史から始まった授業は日本へ移り、最後の時限には明治以降の近代まで進んでいた。

「人々の生活が科学的に発展すればするほど、魔力を持つ者は減っていきました。元々生きる術だった訳ですから、その必要が無くなれば消えてしまうのはごく自然なことです。その他に魔力というものが、地域性や、遺伝的要因に強く影響されることも原因だと考えられます。人々の生活が外へ外へと向かうことで血が薄くなっていったのです。しかし、明治以降、政府の命でその血を逆に濃くしていく一族がいました。それが藤城家です。彼らの魔力は普段の生活で役に立つことは殆どなく、人々に忌み嫌われていましたが、どの時代にもその能力を求める者がいて、長い間それを家業としていました。政府はそれに目を付け、地位を与えて利用しようと考えた。彼らはその力を主に戦争で使いました」

「戦争で…?」思わず尋花が口を挟む。

「そうです。人間の歴史とは戦争の歴史と言っても良い。魔力も常にその戦争に利用されてきました。戦争で一番役に立つ魔法はどんなものだと思いますか?尋花さん」

今日始めての質問に焦った尋花が答える。

「ええっ、なんだろ…みんなを守る魔法とか?」

「一馬君は?」

「うーん、食べ物を生み出す魔法とかですかね…あ、でもそれは普段から役に立つしなあ」

「龍くん」

尋花も一馬も龍が後ろに居る事を忘れていた。反射的に先生の視線を追って振り返る。木崎先生がもう一度問う。

「龍くんは、どんな魔法が戦争で役に立つと思いますか?」

龍はあの冷たい目で、真っ直ぐ前を見て答えた。

「人を殺す魔法です」

頭から冷水を被った様な気持ちがした。隣の一馬もそんな顔をしている。

「その通りです。藤城家は人を殺せる魔法に特化した一族でした。それも音も無く、跡形も無く人や物を消し去る魔法です。彼らは長らく暗殺者として生きて来たのです。そして、その力を戦争で使うことにより政府から多額の報奨金を受け取り、それを元手に国内初の魔法師学校を開設しました。それがこの学校の前身となる、藤城学園魔法魔術学校だったのです」

先生が息を整えてから言う。

「今から話すことは、魔法師として生きる上で絶対に知らなければならないことです。良いですね」

二人が頷く。

「藤城一族は、戦後、日本における魔法師会の全ての権限を握っていました。GHQにより各財閥の解体が進む中、一族にはその手が及ばなかった。彼らの魔力に利用価値があったからです。当時、全ての魔術と魔法師は一族の管理下にあり、従う他ありませんでした。それに反旗を翻し自由化を求めたのが藤城学園に通う生徒達です」

先生が尋花と一馬の目を順番に見る。

「君達と同い年くらいの子供たちが大人に立ち向かったんですよ。指揮を執ったのは、一族総本家当主の息子、分かりやすく言えば、最高権力者の息子である藤城敬市郎と、その婚約者の藤城晴花という生徒でした」

「えっ」尋花と一馬が同時に声を上げる。

「苗字が一緒って事は血が繋がってるんじゃないの?」

「親を倒そうとしたって事ですか?」

先生が頷く。

「そうです。どちらもその通りです。一族には血を濃くするために近親婚を繰り返す風習が根強く残っていました。殆どの子供が生まれた時点で許婚を決められていたと言います。そんな二人が自分の生まれ育った家の解体を自ら望んだのです。その行動はいわゆる学生運動に発展していきました。学園の殆どの生徒が参加し、最後にはかなり激しい戦闘もあったと聞きます。遅かれ早かれいつかそのような事が起こると誰もが分かっていました。政府からも再三要請があった。しかし、一族はそれを許しませんでした。彼らはその運動を重罪とみなし、見せしめとして、活動を企てたその二人を校舎ごと爆破し殺害しました」

短い悲鳴にも似た音が自分の喉から聞こえた。親が子供を殺した……?

「日本政府はそれをテロ行為とし、藤城家の全ての血縁者を指名手配しました。ですが、彼らはもう家すら消し去り証拠隠滅を謀って逃亡した後でした。幸い、事件発生時刻が真夜中だったため、二人以外の生徒や周辺住民に被害はありませんでした。しかし、もしまた彼らの攻撃を受けた場合、対抗し鎮圧する力を我々は持っていなかった。全ての魔力は一族によって支配されていたからです。そのような人材を育成するために、政府は海外からの支援を受けながら新しくこの場所に学校を作りました。魔法師会が独立した自衛軍を所有しているのもそのためです。しかし、事件後約40年、今に至るまで彼らが姿を現したことはありません。特殊な魔法道具を使って一人一人の魔力を追っていますが、そのレーダーが反応したこともありません。おそらく海外へ逃亡したと考えられているため、捜査は今も続いています」


 木崎先生の話が頭の中でぐるぐると回っている。尋花は、人殺しやテロなんて自分とは無縁のものだと思って生きてきた。とても危険で関わってはいけないものだとも思っていた。そんな危険な世界に足を踏み入れてしまったのかと考えていたら、作った料理も美味いのか不味いのか分からなくなった。せっかく約束どおり龍と一緒に晩ご飯を食べていると言うのに。龍も龍で尋花が話さない限り何も言わないので、結局美味いのか不味いのか分からず仕舞いだった。並んでキッチンに立って、龍が洗った皿を拭きながら尋花が尋ねる。(龍はさっさと帰ろうとしたが、「あたしが作ったんだから龍が茶碗洗うんだよ!」と尋花が怒った)

「ここって安全なの?」

「何がだ」慣れない作業に手間取っているのか、下を見たまま龍が答える。

「だからこの学校!先生が言ってた人達に急に襲われたらどうすんの」

「対策はしてある。それに強力な結界魔法で登録者以外は敷地内に入れないから、まず心配はない」

「え、それあたしも登録してんの?」

「生徒は入学が決定した時点で全員が魔力登録している」

「……そもそもその魔力ってさあ、あたし本当に持ってんの?」

「何だ」龍が手を止めて尋花を見る。

「魔法も全然使えないし、何かの間違いなら今からでも入学取り消しとか出来ない?」

「それはない」

「えーでもさっき先生遺伝がどうこう言ってたけど、あたしママが魔法使ってるとこなんて見たことないよ?覚えてる限りじゃパパも普通の人だったと思うし…」

「…それは……」

龍が答えに詰まったタイミングで玄関の扉をノックする音が響いた。尋花の手から落ちそうになった皿を龍がキャッチする。

「何?誰?」

「校長先生だ」

「え?そうなの?」

「お前に話があると言っていた」

「は?聞いてないけど」

「言ってないからな」「おい!」

扉を開けるとあの真っ白な部屋で話した初老の男が立っていた。

「え!おじいちゃん、校長先生だったの?」

「はっはっはっ。こんばんは」

校長は奥で皿を洗っている龍に目を移す。

「やるな!今時の女子はそうでなきゃいかん」

それから「そのまま、そのまま」と龍に声を掛けると、ソファに座った。何の事やら良く分からなかったが、尋花もその向かいに座る。

「本当はもっと早く来るつもりだったんだが、色々と立て込んでいてな。木崎君の話はもう聞いたかい?」

「うん!今日聞いた」

「じゃあ長々とした説明は要らないな。結論から言う。君はあのテロで亡くなった二人の孫だ」

「は?」

カチャカチャと龍が皿を洗う音だけが響いている。

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