【第9章】物資を集めよう!【井戸を掘ろう】
エルナがいなくなってからどれほどの時間が経過しただろう。太陽の放つ熱気が大地を温め、エウレカとシルクスの体をこれでもかと炒めていく。体から吹き出す汗は少しずつ、しかし確実に体内から水分を奪っていく。
「暑い、暑いぞ」
「夏ですから当然です」
「何故こんなにも暑いのだ」
「魔王様が夏に屋外で待機しているからです」
「そんな馬鹿なことを決めたのは…………我であったな」
「そうですね」
草が焼き尽くされて茶色の大地だけとなった中庭。そんな広大な大地の上で魔王エウレカは今、伸びていた。地面に寝そべり、だらしなく四肢を伸ばす。その姿に魔王の威厳はない。
一部崩壊した魔王所で待つなり、使用人達が避難している地下空間で待つなり、選択肢は他にもあった。「3時間」と聞いていたのに屋外で待機することを選んだのはエウレカの判断ミスである。
その傍らには銀髪の魔族シルクスがカメラを構えている。シルクスの頭上には、どこからやってきたのか、タマネギ型のシルエットをした可愛らしいスライムが1匹……。
透き通った水色をしたスライムは、ぴょんぴょんと跳ねながら地面を進む。そして、大地に寝そべるエウレカの腹の上に飛び乗った。
「ギャーっ!」
「ピギィ」
「な、ななな、な、なぜに、なぜにスライムがここにおる!」
「ピギィ」
「気持ち悪い!」
「ピギピギィ!」
「我から離れよ、早急に。これ、シルクス。お主も我を助けぬかー!」
スライムの滑らかでプルプルとした肌触りはゼリーそのもの。その体はひんやりと冷たく、熱気でぬるくなっても日陰に移動すればまた冷たさが戻る。崩壊した魔王城においてスライムは、何度も繰り返し使える貴重な暑さ対策であった。
最弱の魔物として広く知られているスライム。核と呼ばれる部分を取り除くか壊すかすれば、その体はただのゼリー状物質となる。子供でも倒せるその魔物をここまで拒絶するのはエウレカくらいのもの。
「それ、私が用意したスライムですよ?」
「お主、どこから取り出したのだ!」
「どこって、このスカートの下です」
「あーあーあー、ストップストップ。スカートをめくるでない。めくるでない。めくったら白いレースの布地が見えてしまう」
「…………魔王様」
「なんじゃ?」
「セクハラってご存知ですか?」
エウレカが失言に気付くまでさほど時間はかからなかった。アワアワと両手を口にあてがうも時すでに遅し。色白の肌をゆでダコのように赤く染めたシルクスが、殺気を放ちながら微笑んでいる。
「見、見えたものは仕方なかろう」
「見たんですね?」
「あ、いや、その、これはだな」
「魔王様。私のパンツ、見たんですね?」
「……に、似合っておるぞ」
「いくら魔王様と言えど、女性の下着を覗き見るだなんてダメです。魔王様の変態!」
シルクスの「変態」という声が魔王城敷地内に響き渡る。その声に驚いてか、スライムは呆気ないほど簡単にエウレカから離れていく。エウレカは恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆って地面を転がり回ることしか出来なかった。
突如地面が盛り上がり、一人の幼女が姿を見せる。アイスブルーの髪にはあちこちに土の塊が付着。身にまとっている衣服は所々に穴が空き、未発達の体が一部露出している。当の本人にはそれを気にする様子はない。
「魔王様魔王様! 変態魔王様!」
トコトコとエウレカの元に駆け寄り、その体に飛びつく。その発言が無自覚にエウレカの心を抉っているとは夢にも思わず、エウレカの体を力一杯抱きしめる。次の瞬間、エウレカが苦しそうに呻いた。
「エルナ、離しなさい。あなたの力では魔王様が死んでしまいます」
「あ、しまったのです。ごめんなさいなのです。つい、力加減を忘れたのです」
「で、地下水脈は見つかりましたか?」
「あったのですよ。場所は魔王城の入口近くになるのです」
「井戸は作れそうですか?」
「もちろんです。エルナを誰だと思ってるですか? ドワーフたるもの、井戸を造形するのなんて朝飯前! なのですよ」
それは、エウレカが待ちわびていたドワーフのエルナだった。報告を一番待ちわびていたエウレカは、エルナに怪力で抱きつかれたことにより動けずにいる。代わりに報告を聞いたのはシルクスであった。
報告を聞くと、シルクスの白い尻尾が穏やかに揺れ動く。その手にはビデオカメラがしっかりと握られている。転げ回るエウレカの様子を撮ると、殺気が消え去った。
「魔王様、行きますよ」
「ぬ……す、すぐには……う、動けぬ……のだ」
「では、先程の変態発言を配信しましょうか」
「お主、卑怯じゃ……」
シルクスのパンツが見えてその色とデザインを口にしたのはつい先程の話。シルクスの「魔王様の変態」発言はすでに中庭全域に広まっている。これ以上の醜態は晒せない。そう思ったエウレカは、痛みを堪えて立ち上がる。
井戸から水を汲めるようになれば、少しは状況が改善する。スライム風呂ではなくお湯の風呂に入れるし、飲水の確保に困らなくなる。そうすれば、食糧の確保に専念できる。雨水を貯めるだけでは足りない分を、井戸水で補える。
「エルナよ。井戸から複数の場所へ送水することは可能か?」
「出来るのですよ。itubeで調べたのです」
「……そ、それは信頼出来るのか?」
「きっとなんとかなるのですよ」
「きっとでは困るのだぞ?」
「大丈夫、なのです。動画の内容にドワーフ族の技術を組み合わせれば、なんとかなるはずなのです……多分」
「おい!」
エルナの口から紡がれるは懐かしい動画投稿サイトの名前。自らが動画を投稿していることもあり、エウレカは不安の色を隠しきれない。だがエルナはそんなエウレカの前でドンと胸を張るのだった。
ドワーフ族は見た目こそ幼いが、男女共に力強い。鍛治・工芸技能においては魔族一と称される。ハンマーを用いて地面や石、金属を変形するのはドワーフ族の十八番。井戸を作ることも、ちょっとした機構を作ることも、ドワーフ族には容易である。
「ドワーフとしての能力には期待していますよ、エルナ」
「それはつまり、ドワーフとして以外は期待してないってことですか?」
「あなたはドジですから。くれぐれも。くれぐれも、物を壊すことのないように。エルナは破損した回数がドワーフで一番多いですからね」
「そ、それはエルナが……」
「責めてはいませんよ。ただ、心配なだけです。いつか魔王城があなたの手で壊れるのではないかと」
「失礼ですよ! エルナ、魔王城を壊すほどドジじゃないし、怪力でもないのですよ!」
エルナがエウレカの部屋の扉を破損したことは記憶に新しい。ハンマーの扱いや造形は得意だが、力加減が苦手というのがエルナの欠点だ。エルナ自身もそれを自覚しているのか、シルクスの指摘に返事をしながらも顔を赤くして俯いてしまう。
「井戸の作成は我には向いておらぬ。頼んだぞ、エルナ」
「……はい! 魔王様、このエルナにおまかせください!」
落ち込むエルナを気遣ってエウレカが声をかければ、その表情は一変した。苦虫を噛み潰したような表情はすぐさま笑顔に変わり、敬礼してからエウレカの元を去っていく。その様子を、シルクスのカメラはしっかりと捉えていた。