【第8章】魔王のあるべき姿!【魔王城へ】
「私、危うく梅の名前を付けられるところだったんですね。幼い私に感謝です」
フェンリルの話を聞いて最初に発せられたシルクスの言葉は、自らの名前についてだった。卵の経緯や生まれた時のエウレカではなく名前の方が気になる。実にシルクスらしい感想だ。
「悪いやつじゃねぇんだけどな」
「それは、わかります。ダメなところも含めて、私は魔王様が大好きです」
「……そうか」
「というわけで、魔王様を無理やり起こしましょうか」
「悪い、全然話が見えねぇんだけど」
「魔王様はスライムが苦手ですので、スライムを用意しましょう」
「いや、どこに居るんだよ、スライムなんて。結界があるから外からは連れてこられねぇぞ」
何を思ったのか、シルクスはエウレカを無理やり起こすことを選んだ。人の目も気にせずにメイド服のスカート部分に手を突っ込む。しばらく服の下で手をモゾモゾと動かすと、何かを掴んで外に出した。メイド服から出てきたものは――。
「あんた、なんてものを服に仕込んでんだよ」
「こんなこともあろうかと、常にスライムを忍ばせています」
透き通った水色のタマネギ型の体。愛くるしい大きな目。何を考えているのかわからないポカンと開いた口。弾力のある体は見ているだけで癒される。それはどこからどう見ても、スライムと呼ばれる魔物であった。
シルクスに掴まれてメイド服の下から登場したスライムは地面に放り投げられる。着地した直後、その体をプルプルと震わせ、愛らしい顔でシルクスを見つめた。
「スライム、この人の顔に乗っかってください。この人に好きなようにまとわりついてください」
「ピギィ!」
シルクスに命じられ、スライムはエウレカの顔面目掛けてジャンプした。エウレカの顔に着地すると、不定形の体がエウレカの顔の凹凸に合わせて若干変化する。それはすぐさま効果を発揮した。
「冷たい、ぞ。なんら、ひょれは……」
スライム特有のゼリーのような感触に気付いたらしい。エウレカの手が顔の上に居座るスライムに触れる。その刹那、エウレカが一気に覚醒したのだ。
「うぎゃー! ぎにゃー! うわー! 嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ」
「ただのスライムですよ?」
「気持ち悪い、気味悪い、早く離れよ。うう、この感触は大嫌いなのじゃー」
「素敵なリアクションありがとうございます、魔王様」
「は、早くスライムを動かしてくれぬかー?」
「もう、仕方ないですね」
シルクスがクスリと笑いながらスライムをエウレカの顔からどかす。目覚めたばかりのエウレカは、スライムの出どころを気にすることもなく安堵のため息をつく。だが、本題はここからであった。ふざけていたシルクスの顔が急に真剣になる。
「……というわけだ。エウレカなら結界的なやつ、どうにか出来んだろ?」
シルクスがスライムをしまっている間に、エウレカはフェンリルから説明を受ける。
ここはドラゴンの住処であるゴシェンロン山のどこかであり、見えない壁に阻まれている。壁はフェンリルの力では破れず、遠吠えも外に届かなかった。エウレカはその事実を聞かされても、スライムドッキリを仕掛けられた時ほど驚きはしなかった。
「つまり、その見えない壁を無効化すれば良いのだな?」
「出来んのか? というか、出来るよな?」
「可能だ。しかし気になるのは、我々がここに出ることを知った上でなぜ結界なるものを作り出したのか、じゃな。本当に殺すつもりなら、閉じ込める理由がなかろう?」
エウレカは両手を地面につき、どうにか立ち上がる。しかし右足を軽く地面につけた瞬間、その体が崩れ落ちた。エウレカが顔面を打ち付ける寸前に、シルクスがその体を受け止める。
「……魔王様。私が背負います」
「すまぬ。骨折してたこと、忘れておったぞ」
「自業自得ですけどね、その怪我。魔王様が勇者を庇ったりするから――」
「その反省はもう十分にしておる! 今は、城に戻ることが、最優先であろう?」
「そうですね。では魔王様、お願いします」
シルクスが見えない壁があるとされる位置へと、エウレカを背負って移動する。問題の場所に来ると、エウレカはシルクスの頭上から腕を伸ばして見えない壁に触れた。
次の瞬間、何も無かったはずの空間にヒビが入る。ヒビは瞬く間にエウレカ達の頭上に、そして見えない壁全体へと広がった。その刹那、パリンとガラスが割れるような音と共に空間が割れ、破片が光を反射しながら散っていく。
「これで大丈夫じゃ」
「何したんだよ、あんた」
「魔法の類を無効化しただけじゃ。大したことではない。さて……フェンリル、シルクス。お主達はまだ、戦えるかのう?」
エウレカが問いかけると、シルクスもフェンリルも視線を地面に向ける。
シルクスは先程まで魔力切れで気絶していた。エウレカに魔力を分け与えられたとはいえ、下手に魔法を使えばまた魔力切れを起こすだろう。戦えるかとなると微妙だ。
フェンリルは地中からエウレカとシルクスを救出し、見えない壁があることを突き止めた白狼。これと言った不調は訴えていないが、魔力が無くなるのも時間の問題だろう。フェンリルの場合は武器である爪と牙の負傷の方が問題だ。
「戦わずともよい。我が敵の注意を惹き付ける。その隙に、味方を……魔王城にいる全ての魔族と魔物の安否を確認してほしい」
「それくらいであれば、大丈夫です」
「ま、安否確認くらいなら俺様でも出来んだろ。戦うのは厳しいけどな」
ドラゴン族の長はドラゴン達が魔王城に向かうことを伝えていた。それに加え、トドメを刺さずに地下空間に閉じこめ、エウレカ達が現れるであろう場所には事前に結界まで構築している。わざわざ生かしたのは偶然か必然か。
(あれは、演技だ。紛れもない演技だ。本来であれば我々は皆、地中で潰されていたはずじゃ)
ドラゴン族の長の真意は未だにわからないまま。エウレカ達に残された選択肢は、無事に残っているかもわからない魔王城に戻り、その様子を確認することだけ。
「魔王様、録画は続けていてもよろしいですか?」
「……ろく、が?」
「itube投稿動画です。まだ容量がありますので、魔王城の様子も撮影出来るかと」
「いや、そもそも、なぜカメラを持っておる?」
「こういうハプニングこそ視聴者ウケが良いと、『ウケる動画の作り方』という本に書いてありましたので」
場の空気を考えないシルクスの申し出に、エウレカはため息をつきながら頷くしか出来なかった。フェンリルの口からは笑い声とも威嚇の声とも似つかぬ声が漏れる。シルクスの表情が眩しい笑みへと変化した。




