カルナと覚悟
目が覚めたのはイマリアさんの家のベッドの上だった。昨日の事を思い出そうとしながら部屋の中を見渡してみた。机と椅子、その上には、白紙の紙とペンが置かれていた。角にある小さな本棚には、薬や、薬草に関する本や、地図が置いてある。部屋に1つある小さな窓からは、太陽の光が入り込んでいた。
ふと、机の奥の壁に針で留められている写真に目が行った。遠くてイマイチなんの写真か分からなかった。その写真を見に行こうと立ち上がると、昨日の疲れがまだ抜けてないのか、体がふらつき、ペタリとその場に座り込む。それと同時にイマリアさんが部屋に入ってきた。
「おはよう、カルナ。その感じだと、まだ疲れは取れてないみたいだねぇ」
イマリアさんは、クスクスと笑いながら私を立たせてくれた。
「イマリアさん、あの写真は」
私が言うとイマリアさんは、私をベッドの縁に座らせ、机から写真を持ってきた。
「これは、アタシと旦那の写真だよ。ほら、アタシの隣にいる男さ」
私はその写真を見る。そこに写っているのは、葉巻を手に持ち笑みを浮かべる男と、嫌な顔をして葉巻を取り上げようとしているイマリアさんだった。
「葉巻、お嫌いなんですか?」
私は、イマリアさんに聞く。
「あぁ、嫌いだねぇ。匂いもダメだし、服とか家の壁に色が付くのもダメ。特に家の中で吸われたら最悪だよ。あんたも葉巻なんて吸うんじゃないよ?あれは、煙と一緒に幸せまで吐き出すような代物だからね」
「はぁ、分かりました」
イマリアさんの言った事に私は頷いた。
少し、沈黙が続いた後、イマリアさんは、パンと手を叩く。
「ほら、下に朝ご飯置いてあるから食べるよ」
イマリアさんに肩を貸してもらいながら、1階まで降りて、ダイニングに向かう。机には、トーストと目玉焼き、サラダと牛乳が2人分置かれていた。席に座るとイマリアさんが向かいの席に座った。
「イマリアさんって料理出来たんですね」
「もしかして馬鹿にしてる?まぁ、言ってしまえば焼くだけだからね。あとは、野菜切るぐらい。アタシだってこれぐらいは出来るさ」
イマリアさんはそう言いながらトーストを食べる。私も牛乳を一口飲んだ。
その朝食がイマリアさんとの最後のひと時だった。その次の日からイマリアさんは、旦那さんの所に旅立ってしまった。勿論、部隊に挨拶に行ったらしいのだが、私はその時、丁度アンチ討伐で、3日程遠出をしていたのだ。すれ違って最後の挨拶も出来ないまま、その2年後、彼女は帰らぬ人となってしまった。
ならば、せめて彼女が安心して天から見ていられるように、そして何より、ハイルとの夢を果たす為に!私は更に努力を重ね、異常気象が起こった際に出来た、特攻部隊の隊長にまで上り詰めた__はずだった。
しかし、今はどうだ。私は今、何をしている?ただ、あの悪魔から逃げただけ。そうして、近くの木陰でビクビクと震えている。これでイマリアさんは安心しているのか?ハイルとの夢、私は最強の騎士と言えるのか?__違う!新米に守られているだけの臆病者だ!そう思うと止めどなく涙が溢れてきた。
私は、ガクガクと震える足を押さえつけてアルフレッド達が行った、町に向けて歩き出した。
町は炎に包まれていた。昨日見た町の光景とは全く違う。昨日の光景が自然豊かな緑だとすると、今の景色は赤。文字通り燃え盛るような赤だ。心の中で恐怖が増していく中、私はまず、ロウさんの家に向かった。自分の記憶を辿っていた時に思い出したからだ。彼がイマリアさんの夫なのだ。写真に写っていたのは、もっと若かったが間違いない。彼だけはなんとか救おうとした。
ガラッと扉を開ける。熱と血の匂いが私に届いた。血の気が引いていくのを感じた。おそるおそると部屋の奥に歩いていく。棚の裏に回った時、座り込むロウさんを見つけた。よく見ると、下半身が瓦礫に潰されており、血が辺りに流れ出ている。「お前さんは」と、とても驚いた表情で言ってくる。瓦礫を退かそうとすると、ロウさんはそれを拒絶した。
「さっきの坊主にも言ったが、ワシは長くは持たん。ここにいるのは時間の無駄だぞ?さっさと行け」
「その体であなたは大丈夫なのですか?」
「馬鹿野郎。これが大丈夫に見えるか。一応、痛み止めを打ったが、それでも痛いもんは痛い。あとは気合だ。嬢ちゃんもさっさと行け。何度も言わせるな」
「いや、私はあなたに用があって来た。あなたを助け出すまではここを動かない」
そう言った私をロウさんはギロリと睨みつける。
私はドキリとした。
「どうした。昨日までの嬢ちゃんなら、所構わずあの、化物に突っ込んでいっただろう?怖気付いたか?」
心臓が高鳴るのを感じた。そうだ。きっと、私ならそうするだろう。少なくとも昨日までの私なら。……正直、ロウさんが助からない事は、一目見た時から分かっていた。私は、自分が戦えない理由にロウさんを助けるという事を勝手にあてがったのだ。なんて、最低な人間なんだ。不安と恐怖と共に、自分への怒りがふつふつと湧いてくる。
「図星か、どうやら今日、都市に戻ってから何かあったみたいだな」
ロウはそう言うと、ハァとため息を1つ吐いた。私は、観念してこれまでの事をポツポツと話し始めた。
「ふーん、つまり嬢ちゃんのやる気だったり、闘争心は根こそぎ、消えてしまったと。今は、不安や恐怖しかないと言う事なんだな?」
「はい、恥ずかしながらその通りです」
ロウさんは、顎に手を当てて考える。
「それなら、少しおかしくねぇか?不安や恐怖しかないとなると、なんで嬢ちゃんはここに来れたんだ?普通、そういう絶望した人間てのは、身動きが取れなくなるもんだろ?」
私はロウさんの言葉にハッとする。そうだ、あの時、悪魔と向かい合った時は怖くて動けもしなかったんだ。それをアルフレッドに背中を押されて、ようやく歩き出せたんだ。
「俺が思うにだが、自分に怒りを感じたんじゃないのか?それが自分を突き動かした」
「そう……かもしれません」
「じゃあ、それで良いんじゃねえか?嬢ちゃんはまだ若い。それなのに、隊長を任されるって事は、人の何倍も努力をしてきたって事だ。そりゃあ、才能なんて言葉もあるくらいだ。それもあるかもしれねぇ。でも才能があるやつだって努力しなきゃ辿り着けねぇ所だってあるもんだ。まぁ、何が言いたいかって言うとだな、あんたのこれまでの努力と思いは、こんな事でポキリと折れるものだったのか?違うから怒ってんじゃないのか?……って事だよ」
私は、思い出す。イマリアさんとの修行は、当然、体を鍛える修行だったが、心が折れそうな時の為でもあったのではないか?……現に私は、絶望に心を嘆きながらもここまできた。そういう強い心、良くも悪くも諦めの悪い心を持つ修行でもあったのではないか?
そして、ハイル。彼がもう歩けないと聞いた時の絶望と今、私が感じている絶望とどっちが、大きいだろうか。いや、それはどちらでも良い。肝心な事は、私は一度、本当の絶望というものを経験している事だ。あの時の絶望を越えられて、今の絶望を越えられないという事があるのだろうか。
……そんな事はない!私は、勢い良く立ち上がった。急に立ち上がった事で、ロウさんは、ビクリとしたがそんな事は関係なかった。
私は、ロウさんが咥えている葉巻に手を伸ばすと、それを引ったくり、遠くに投げ捨てた。
「あ、おい!何しやがる!」
ロウさんは私に今にも飛びかかりそうな目をして言った。しかし、私は間髪いれずに言った。
「葉巻なんて吸うもんじゃないですよ、ロウさん。ロウさんは今、煙と一緒に幸せまで吐き出しているんですよ」
ロウさんが目を見開いた。口は半開きになっていて、心の底から驚いているように感じた。そして、暫くの沈黙の後、ロウさんは、大きな声で笑い出した。
「ふは、ははははは!!まさか、そんな事言う奴があいつの他にいるとはな!嬢ちゃん、それは誰から教わった事なんだい?」
「私の、師匠です。私には、勿体ない程、素晴らしい師匠でした」
「はははは!そうかい。確かに、そいつは、ワシにも勿体ない女だったよ」
ロウさんの顔に笑顔が溢れる。しかし、その目からは、涙が流れている。私は、その涙を見ないように背を向けた。
「じゃあ、行ってくる」
短く、ロウさんに告げた。今、ロウさんの姿は見えないが、私には小さく、確かに聞こえた。
「行ってこい……。あいつの__イマリアの分まで、お前さんが戦って、幸せになってくれ」
その言葉を背に、私は崩れかける家を出た。




