第3話:再始動05
「な、なに?」
真剣な僕の表情に、母は少したじろいだ。
父はあまり変わらず、ん?といった感じで僕に耳を傾けている。
「どうしても、買ってほしい物があるんだ」
母はスプーンをお皿に置くと、手を膝に置いて、姿勢を正した。
「お小遣いなら、ちゃんとあげていると思うけど」
「うん、十分もらっている」
たぶんだけど、僕は高校生の小遣いの平均以上はもらっていたと思っている。
「でも、すぐにでも始めたい事があって…そうだ。お小遣いの前借でも全然構わない」
僕は少し興奮気味になっているが、母は静かだった。
「何を始めようとしているの?」
冷静に淡々と母はそう質問してきた。
僕は一拍置いて、落ち着いて答えた。
「格闘ゲームをやりたいんだ」
「格闘ゲーム?」
「そうなんだ。実は、昨日格闘ゲーム部に見学へ行って、部の人に入らないかと誘われて…」
あれ?
誘われたから入りたいんだっけ?
「勧誘されたってこと?」
「う、うん」
「巴伊都。ゲームはくだらないんじゃなかったの?」
衝撃が走った。
こっちの僕はそんなことを言っていたのか?
みんながやっていて、日本中で盛り上がっているんじゃないのか?
でもそうか、やっぱり僕だ。僕も教室やテレビの向こうで盛り上がっている連中に嫌気がさしていたっけ。
「たしかにそう言ったけど…」
あんなに馬鹿にしていたのに、内容がゲームになったから、僕は掌を返してこれから一緒に楽しもうとしているのか?
それって、ただの…。
「…言ったけど、それはただの」
言葉に詰まった。
ここまで来たら、それがなんだったのか、もうわかっている。
けど、それが口から出てこない。
母と父は、黙って僕を待っていてくれていた。
「ただの…」
こっちの世界に来た一日半、僕はしょうもない時間を過ごしたか?
僕も構ってくれた人達は、ダメな奴らだったか?
僕はいったい何を見てきた?
「ただ、まわりに馴染めない自分を守っていただけだったんだ」
僕の声は、いつの間にか涙声になっていた。
高校生にもなって、親の前で泣き始めてしまったことを情けなく思った。
でも不思議なもので、涙と一緒に、言葉も流れ落ちていく。
「とっくに気づいていたんだ。僕だけ色んな事から遅れている。でも、今更まわりに追いつこうとする度胸も気力もないから、自分の世界に引きこもるしかなかったんだ。まわりを悪く言って、一人で自分を肯定してやるしかなかったんだ」
テーブルに涙が落ちた。
自分はいったいどんな顔をしているのだろうか?
「でないと、自分を保っていられなかった」
ゲームは好きだ。本当に好きだ。
だけど、ただの逃げ場所にしていたことは、言い訳できない。
加藤に一矢報いた時、屋良さん達に勧誘された時、関泉さん達と握手をした時、栄樹さんにゲームを教えていた時、僕が満たされていたのは単にゲーム関連だったからではない。
「正直、勧誘されてほだされたってところもあるかもしれない」
それでも。
「それでも、僕がほしかったものがそこにあるかもしれないんだ。絶対に中途半端はしない。だから、僕にチャンスをください!」
僕は机の上に手をついて、頭を下げた。
自分が何をしゃべったのか、自分でもわからない。
感情を言葉にできたが、それが相手に伝わるかは別問題。
僕は下げた頭を戻せないまま、母の言葉を待った。
「いいんじゃないか」
そう言ったのは父だった。
まさか父からそう言ってくれるとは思っていなかったから、顔を上げて確認してしまった。
父は始めと変わらず、気楽な感じでいた。
父は頬杖をついて、目だけを母に向け、僕の視線を誘導した。
母の顔を見て、僕は心底驚いた。
母もまた、泣きそうな顔をしていた。
肩を張り、テーブルの下でスカートを握りしめているのがわかる。
「お、お母さん…?」
無意識に母のことを呼んだ。
「めずらしく話しかけてきたと思ったら、ずいぶんな内容ですね」
それは怒っている時の口調だったが、今はそんな風に感じなかった。
「いきなり泣き出すんだから、こっちまでつられちゃったじゃない」
そう言いながら、母は涙を拭いた。
「ごめんなさい」
そう様子に申し訳なく思い、僕は素直に謝った。
「それで、何がほしいの?」
「えと、格闘ゲームをする専用コントローラーみたいなやつで、たぶん二万円はしないと思う」
「わかったわ」
母はそう言って、再びカレーを食べ始めた。
「え?買ってくれるの?」
「そうよ。でも私もお父さんも格闘ゲームのことはわからないから、自分で買ってね」
母は、あっさりと承諾してくれた。
「あ、ありがとう」
目的を達成して安堵したのか、思っていたよりもあっさりしていたせいか、僕は気の抜けたお礼を言った。
「いいわよ。…それで、あなたのやりたい事ができるなら」
母は目を合わせてはくれなかったが、最後にそう温かく言ってくれた。
父はその隣でうんうんと一人で納得して、サラダに手をつけていた。
「ありがとう」
僕はもう一度だけお礼を言って、残りのサラダを食べ始めた。
テレビだけがしゃべり、食器の音しか聞こえない空間に戻った。
でも、どこか心が安らぐ感じがした。
それは、僕だけではなかったと思う。
僕は久しぶりに、家族と話ができたのだった。




