004
ショウが手際よく掠め取ったターバンの下から現われたのは、きめ細やかな白い肌の、こちらよりも明らかに年下の少女の顔だった。
「すげぇ手際。お前、犯罪とかしてないよな?」
「嫌だよショウ? 幼馴染が痴漢常習犯とか?」
「親友達はショウのコトをどんな風に見てるのッ!?」
「剥いておいて、わたしのコトは無視ッ!?」
思わず声を上げる《黒衣の霊騎士》に、ショウはわざとらしくじゅるりと口から音を立てて向き直る。
「じゃあ、剥いたからには責任もって食べちゃうけど良い?」
「え……?」
いやらしく細められたショウの眼差しに何かを感じたのか、《黒衣の霊騎士》は怯えたように後退った。
その光景を見ながら、リュウテキとヒチリは遠くを見るような眼差しで告げる。
「お前、やっぱり……」
「ショウ。私たちはいつまでも友人だよ……」
「待って待って待って~! 二人ともッ! 誤解だからッ!! 冗談だからッッ!!」
ヒチリは、涙目で抱きついてくるショウを面倒くさそうに引き剥がしながら、少女を見る。
その赤い瞳を潤ませてこちらを見上げてくる《黒衣の霊騎士》の姿に、何とも言えぬ罪悪感を覚え、思わず呻いた。
「なんかこっちが悪者みたいだ」
「それは気分だけだから気にすんな」
そんなヒチリを軽く小突いて、リュウテキは《霊騎士》の正面に、ヤンキーのように腰を落とす。
「とりあえず、名前は?」
《黒衣の霊騎士》はリュウテキ、ヒチリ、ショウの順に視線を巡らせた後で、勘弁したように、自らの名を告げた。
「ベル……大吠ベル」
「金髪赤眼色白ロリッ子霊騎士ベルたん!」
「ショウ少し黙ってて」
テンションを上げるショウの脳天にヒチリは手刀を振り下ろす。
「まぁむさいオッサンよりもずっと良いじゃねぇか」
背後のやりとりに、リュウテキは苦笑する。
「それにしても、ショウとリュウはこの子のこと気付いていたの?」
「ん? まぁ、正体はともかく、中に人間いるんじゃねぇかなぁ――くらいはな」
告げると、ヒチリは感心したように納得した。
「ほいでほいでー。ベルっちってば、何でこんなコトしてたのー?」
「ベ、ベルっち……?」
失礼なまでに馴れ馴れしくフレンドリィなショウのノリに、ベルは若干表情を引き攣らせる。
「馴れ馴れしくてごめんね。だけど、私もそれは疑問に思ってる。
もしよければ、答えてくれないかな?」
だが、ベルはショウからもヒチリからも視線を逸らして口を噤んだ。
「まぁ推測だけどよ」
このままでは何時まで経っても答えてくれないだろうと判断したリュウテキは、前置きをしてから、ベルの代わりに答えた。
「この公園を守ってたんだろ?」
目を見開いてリュウテキの顔を見るベル。
背中越しには、ショウとヒチリの驚いた気配も伝わってくる。
「ざっと公園を見て回って来たが、スピリット以外の魔獣は居なかった。
スピリットによってはその手の得物で、雑草や無駄に伸びた枝の剪定もしてたしな」
「なら……なんでスピリット達は私を襲ってきたの……?」
困惑するヒチリを、ベルはキッと睨み付けた。
「ま、魔獣バスターが、この子達を見るなり、問答無用で、襲い掛かって、くるからッ!」
きっとその言葉は、ヒチリには一番の予想外だったのだろう。
「だけど、魔獣は――」
「魔獣の全てが……人を襲う怖いやつだって……誰が決めたの?」
何か言おうとしたヒチリの言葉を遮って、ベルが問い掛ける。
余り人と喋り馴れてない感じのする、どこかたどたどしい口調ではあるが、真っ直ぐにヒチリに向けた視線とその小さくも力強い声に含まれる、彼女の強い意志を、ヒチリのみならず、リュウテキとショウも感じ取っていた。
そして、ベルの問いに、返答が思いつかず言い澱むヒチリに、リュウテキとショウは苦笑を浮かべる。
十六年前に発生し、世界中を混乱に陥れたユニゾン・ザ・ワールドと呼ばれる怪現象。
その直後に湧き始めた魔獣達は、人間の住む土地を蹂躙して回っていた。
それにより、地球の人口は激減。
それでも人々は懸命に、様々なものに立ち向かい、そして今はようやく――先進国を中心に状況が落ち着いてきたところである。
「まぁ確かにな。十六年経った今でも、まだ魔獣に関しては分かってねぇコトも多いし、魔獣被害も多い」
「日本に限らず、魔獣に対するストレスは、一般の人達の中に結構あるからねぇ……。
バスター達が大物倒せば英雄扱いされるし、自国の自慢になるし、それで国民のストレスが和らぎ、暴動が減るなら、国としては万々歳なんだろうけどさ」
初めは各国の政府が対応していた魔獣退治であるが、その数や事件の発生数から、民間に委託され、事業となり、魔獣バスターという職業が認められた。
完全実力主義のこの仕事は、年齢も主義主張も関係ない。
強いて言えば、対魔獣戦に有用な者達が多いので、主に《開拓能力者》が中心となり、行われている――くらいか。
魔獣は悪。
別に魔獣バスターでなくとも、その理論でもって魔獣を敵視している人達が、今の世論では多数派であろう。
「で、でも……魔獣に食べられちゃったり……殺された人たちも……」
ヒチリもそうだ。純粋で真面目で――だからこそ、自分は正義の味方だとでも思っていたのかもしれないが。
「少なくとも、それは、スピリット達、じゃないから」
「確かに【魔獣】ってのは【動物】や【魚】なんかと同じ総称みたいなモンだからな」
「そもそも【獣系】だとか【亜人系】だとか【不定形系】だとか、そうやって分類もされ始めてるんだから、そろそろ【魔獣】全てではなく、凶暴な種族や個体に、ターゲットを絞る頃合なのかもねぇ」
「リュウもショウも、何でそんな冷静に……」
ヒチリの問い掛けに、二人は特に答えなかった。
ただ単純に、二人とも深く考えたことはないものの、だが決して考えなかったわけではないから――それだけだ。
もう一つ付け加えるのであれば、魔獣バスターが決して正義の味方ではないということを二人は理解していたから、かもしれない。
「この子達は、仲間意識が、強いの。だから、仇討ちとか、しようとする。
確かに、喋ったり、鳴いたり、しないから分かり辛いけど、でも……結構、気の良い子達、だから」
周囲を見渡しながらそう言うベル。
ヒチリは呆然と自分の両手を見下ろしている。
何を考えているのか、手を取るように分かるな――リュウテキとショウは、やれやれと嘆息した。
「ベル。お前の開拓能力は、こいつらに言うコト聞かせるってコトで良いか?」
「……正確には、違うけど、うん……間違っては、いない」
「じゃあ問題ない、かな?」
「だな」
悩めるヒチリは脇にやり、二人は互いにうなずき合う。
「ねぇねぇベルちょん。ここにいるスピリット達は、絶対に人を襲わない?」
「少なくとも、わたしと、自分達と、公園に危害が、なければ」
それは絶対だと言う強い意志を瞳に籠めて首肯するベルに、リュウテキはOKとうなずき返す。
「なら、これ以上俺たちは戦闘を望まない。スピリット達にも危害は加えねぇと約束しよう。
俺たちは公園の管理人達から、ここを解放してくれと頼まれたんだ。この公園に対する害意がないなら、俺たちの仕事もここまでだしな」
そう告げてリュウテキは立ち上がると、ベルに手を差し伸べる。
その手をしばらく見つめてから、
「信じる」
ベルはその手を取った。
「悪いがベル。公園の入り口まで一緒に来てくれ。
ここの管理人たちが、そこに停めてある車で待機してる。
お前がスピリット達と一緒にこの公園を守るって言うんであれば、それを説明してくれ。たぶん、管理人達も公園を守ってくれるヤツを悪いようにゃしねぇだろ」
「うん。わかった」
先行して歩き出すリュウテキに、ベルが付いていく。
それを見ながら、
「ヒィちゃん。置いてかれちゃうよ?」
ショウがそう言うと、どこか覇気なくヒチリはうなずく。
「うん……」
それを確認してからショウがゆっくり歩き始めると、ヒチリもその横に付いた。
「ねぇショウ」
「ほーい?」
「私、何のために戦ってるのかな?」
「その答えを他人に求めたら、それはもうヒィちゃんがヒィちゃんで無くなるだけだよ」
「……やっぱり、今日のショウは厳しい」
「リュウちゃんだったらもっと冷たく返しただろうけど」
そういう意味では、自分に訊いて正解だと微笑み、ショウは続ける。
「ヒィちゃんは真面目だもんねー……まぁいっぱい悩めば良いんじゃないかな。
でも、この手の問題にすぐ答えを求めちゃダメだよー。
あたしとリュウちゃんだって、何とか割り切ってるだけで、別に悩んでないワケじゃないし、答えを見つけてるワケでもない」
そうは言うものの、ヒチリがこのままなのはよろしくないと思ったショウは、軽く思案してから、訊ねた。
「ヒィちゃんは、これからスピリットと戦う時があったら、戦える?」
「わからない。気の良い魔獣なんて言われたから……」
「あたしとリュウちゃんは……戦うよ」
「え?」
「もちろん。この公園のスピリット達とは、問題が起きるまでコトを構えたりしないと思うけどね。
ここでない場所で――それこそ、住宅街にやってきたのが、剣を振り回してたりしたら、間違いなく殴る。
……ヒィちゃんは、そういうスピリットも見逃しちゃう気?」
「…………」
「ようはそういうコト。
全部纏めてひっくるめて考えようとするから悩んじゃうの。とりあえずは、目先のコトを最優先して判断するしかないっしょ?」
「そう……だね」
「――っていうか、ヒィちゃんはそもそも悩むなんて難しいコトするより先に身体が動いちゃうタイプじゃん?
だったら、悩むよりも思うがままに動いて、動きながら答えを見つけるのが一番なんじゃないの?」
頭の後ろで手を組んで、気楽な口調でそう言うショウに、ヒチリは肩の力を抜いたような笑顔を浮かべてうなずいた。
「そうだね。うん、そうする」
「よしよし。いつものヒィちゃんスマイル。それそれ。笑顔って大事だよー」
「ショウはいつも笑ってるね」
「笑ってればだいたい何とかなるって思ってるからねー」
「……ベルに、スピリット達を斬ったコト、謝ってくる。
偽善だとか、調子が良いとか思われるかもしれないけど……そうしないと気がすまないから」
「うん。行け行け~。思ったように動く方がヒィちゃんらしいしね」
駆け足でリュウテキ達のところへ向かうヒチリの背中を見送りながら、ショウはどこからともなく、チューブ入りゼリーを取り出した。
その先っちょを口に咥えながら足を止める。
そして、後ろに振り返り、戦闘の後片付けを始めているスピリット達を見ながら独りごちた。
「なーんて……ヒィちゃんには偉そうなコト言ったけど、ベルるんの言葉は、ショウにだって相当な悩みの種になっちゃたみたいなんだけどね」
ユニゾン・ザ・ワールドから十六年。
ただ魔獣を退治してるだけではダメな時代が来ているのかもしれない。
そんな中で、《切り拓く者》である自分に何が出来るのだろうか。
開拓能力を持たない人は、何が出来るのだろうか。
しばらく足を止めて考えていたが、今この場で答えが出てくるものではないだろう。
「なーんて、カッコ付けた所で、ショウ達程度が何か出来るワケじゃないんだろうけどさ」
肩の力を抜き、軽く嘆息して、再び歩き始める。
顔を上げて見ると、正面でヒチリが手を振っていた。
「まぁショウだって、悩むより動いてた方が気楽、かな」
そう独りごちてから、ショウは気を改める。
ヒチリに手を振り返し、いつも通りの笑顔を浮かべ、ショウは彼女の元へと走り出すのだった。
「ベルッ!」
名前を呼びながら駆けてくるヒチリに、リュウテキとベルは足を止めずに首だけをそちらへ向けた。
「……なに?」
「えっと……あの……ごめん」
「……何が?」
ベルの横に付いて、謝るヒチリに、困ったように眉を顰めてみせる。
「君のスピリット達を斬ってしまった」
その言葉に、ベルは少しだけ思案するように沈黙した。
ややして顔を上げると、
「気に、しないで」
ベルはヒチリにそう告げた。
「いいの?」
「あの子達は……核みたいのがあって、そこが傷つかない限りは、しばらく姿を消して、動かなくなる、だけだから。
それに――わたしも、黙ってこういうコトしてたから……誤解されちゃったんだと、思うし」
「そう」
ヒチリは空を見上げ、軽く深呼吸をした。曇った気分を変えるように。
「リュウ。今回の件、報告書には……」
「不幸なすれ違いって書いておくさ。
ついでに、公園のスピリット達に関しては人を襲わないとも書いておく。
もし、それでもスピリット達をどうにかしたいのであれば、俺たちか管理人達を通せって、おまけも書いておいても良いくらいだな」
そう答えるリュウテキに、ヒチリは安堵したような笑みを浮かべる。
ベルもまた、そんなリュウテキを不思議そうに見上げていた。
そんなベルの頭を軽くぽんっと叩いてから、リュウテキはどこかシニカルな笑みを浮かべて唄うように、言葉を紡ぐ。
「俺たちは生まれた時から魔獣が居たし、生まれた時から晴れの日の空ってのは紫と青の斑模様だ」
ベルに言い聞かせる――というよりも、ベルとヒチリに自分の胸の裡を明かすような、そんな様子だ。
「でもよ。昔に撮られた映画とか写真とか見るとさ、紫なんてない――いや、ちょっと違うな――あー……マーブル模様なんかじゃなく、ただ青や赤が一色。あるいは滑らかなグラデーションだ。そこに雲の白があって、綺麗なんだよな」
リュウテキはベルの頭に乗せていた手を上着のポケットに戻して、天を仰ぐ。
彼に釣られるように、ヒチリとベルは空を見上げた。
雲ひとつ無い晴天だ。マーブル模様に様相を変える空は、ヒチリとてもう十六年間見続けてきた見慣れたものである。
「この公園もそうだ。
俺たちには何の思い入れもねぇけど、だいたい二十歳以上の人達には色々あるんだろ。
ユニゾン・ザ・ワールドの直後、人がたくさん死んで、人の住むところを魔獣に追われて、それでもここ数年で情勢は落ち着いてきたらしいし、その過程で魔獣を倒す希望が生まれた。
そうやって落ち着いてきたからこそ、帰りたくなってきたんだろうな」
あの歴史の転換地点ともいえる出来事以前の生まれか、以後の生まれか。
それによる、かつての世界へ馳せる思いの差は、きっと今を生きる人達の中でも大きい溝なのかもしれない。
「ここの管理人さん達もそうなんだよ。公園を取り戻したい。だけど自分達じゃ魔獣に敵わない。だから、バスターに依頼する。
とはいえ、バスターは自分達より若いのばっかりだ。それが悔しいんだとさ」
だけどそれでも、リュウテキはそんな人達の力になりたいと、思っている。
映像記録などで見る、あの突き抜けるような青い空を自分の目で見てみたいと思っているから。
「それでも、頼らざるを得ないから、思い切り俺たちのコトを心配しながら、頭を下げてきた。
そんなオッサン達を見て、ヒチリはジッとしてらんなくなったんだろ?」
こくん、とヒチリはうなずいた。
「わたしも……そう」
「ベル?」
「パパとママ……この公園で会ったんだって。
ここの川に、綺麗なお花が一杯咲く季節に、絵を描きに来てたママが、足を滑らせて川に落ちたパパを助けたのが、切っ掛けだったって……」
そうか――とリュウテキとヒチリはうなずく。それ以上は、何も言わなかった。
ベルの雰囲気から、その両親は今どうしているのか――それに漠然と気が付いた。
そして――そういうことは今のご時世、余り珍しいものではない。残念なことではあるのだが。
「だから、守っていたの?」
「うん。川がお花で、一杯になるところ、見たくて」
「ならなおさらだ。そのコトを管理人さん達に言ってやれ。
花が満開になった公園を見たいだなんて、オッサン達、喜ぶと思うぜ」
「……うん」
小さく、だけど歳相応の可愛らしい笑みを浮かべてうなずくベルの頭に、ヒチリは手を乗せてやる。
くすぐったそうにするが、嫌ではないようだ。
何となく年下の妹が出来た気分で、ヒチリも小さく微笑んでいた。
「そういや、ショウは?」
「ん? ええっと……まだ後ろかな?」
ベルから手を離し、ヒチリは振り返ると、ショウはのんびりと歩いていた。
そんなショウにヒチリは大きく手を振ると、それに気が付いたショウが手を振り返してから、少し歩く速度を早め出した。
「ベル。俺たちの連絡先を教えておくからよ。何かあったら連絡くれ。可能な限りは協力してやるからさ」
「いいの?」
「アフターケアもしっかりとやるのが、顧客を増やすコツってな」
そう笑ってから、リュウテキは再びベルの頭に手を置いた。
「まあ、ビジネス抜きにしても。ベルとは仲良くしたいと思ったんだけどな?」
「……ともだち……ってコト?」
「ああ――そうかもな」
うなずいてから、リュウテキは自分を示した。
「俺はリュウテキ。今こっちに向かってる背の低いバカっぽいけど実は頭が良いのがショウ。
んで、ここでショウに向かって手を振ってる背の高い頭良さそうだけど実はバカなのがヒチリ」
「ちょっとリュウ。その紹介、トゲがある」
ヒチリはほっぺたを膨らませながらそう言ったあと、ややして恐る恐る訊ねた。
「……もしかして、リュウも怒ってる?」
「さぁな」
「やっぱりッ!?」
素っ気無くそっぽを向くリュウテキに、ショックを受けたように叫ぶ。
そのやり取りに、クスクスとベルは笑う。
そして、ショウと合流したところで、ベルは改めて告げた。
「あの……改めて。
わたし、ベルです。大吠ベル……。よろしく」
そう名乗るベルに、三人は同時に手を差し伸べて、声を合わせた。
『こちらこそ』