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010


 ヒチリは自分の開拓能力(フロンティア)に、名称を付けていた。

 元々、ショウが自分の開拓能力に『無機無機植物園パワープラントパラダイス』と名づけているのを真似ただけなのだが。


 風を繰る、自らの能力――『風唄(シンガー)の詠み人(ウィンドライター)』。


 ただ、風を繰るだけでなく、ある程度は風の音や流れを読むことも可能であるが、それをするには集中力が必要なのと、基本的にジッとしてないと風を読めないので、実はあまり得意ではない。

 ちなみに、リュウテキの能力名をヒチリは知らない。たぶんショウも知らないだろう。単純に彼が名づけていないだけかもしれないのだが。


 東ニュータウン中央公園のとある出口付近で、全神経を風に溶かしながら、ヒチリが静かに呼吸をする。


 『風唄の詠み人』の風読み能力をここまで全力で使うのは初めてだ。

 カバー出来る範囲は広くなるが、その分、聞き分け――というか感じ分けというか――をしなければならないので、やたらと疲れる。


 それでも、《魔狼(まろう)狂月(きょうげつ)》を野放しには出来ない。やるからには、徹底的にやらなくてはないない。


「ヒィちゃん!」


 ショウの声が聞こえる。

 それと、荒い息遣いと、唸るような声。

 どうやら自分の方にではなく、ショウの方へと現われたようだ。


 風読みモードから、気持ちを切り替えて、風を詠うように自らの周囲へと集める。


 どうやら狂月は、ショウとの戦闘を避けようと判断したのか、彼女から逃げるように公園の中央へ向かって走っていた。

 柔らかな風を身に纏とい、ヒチリは地面を蹴って、舞うように高く大きく跳躍する。


 そして――


「破ぁぁぁぁ――……ッ!」


 空中で刀を抜き放つと、狂月の真上から、その剣を振り下ろしながら落下した。


 圧縮された風が剣圧に乗って空を走り、地面で炸裂すると、衝撃と突風を巻き起こし草ごと土をめくり上げていく。

 頭上という死角に近い場所からの強襲ではあったが、野生のカンの類か、《魔狼、狂月》は当たる直前に横へと跳んでダメージを最小限に抑えたようだ。


 ヒチリはすぐさま構えなおして狂月へと向き直る。


「ぐぅるるるるるるるぅぅぅ――……」


 魔狼は喉を鳴らしてこちらを睨んでくるが、


「何か、様子がおかしくない?」


 ショウの言葉に、ヒチリはうなずく。

 それはヒチリも思っていた。


 群れからはぐれた孤狼。凶暴化した魔獣。周辺に被害を出す手配獣(しようきんくび)

 その言葉から、こちらから手を出せば相応の反撃をしてくるだろうと思っていたのだが、この狂月、ショウから逃げるだけでなく、この期に及んでも、唸りながら徐々に後退していっている。


「逃げるにしても、手配書の情報から読み取った限りだと、もっとすばしっこいイメージがあったんだけど……」


 顔にある三日月状の傷。銀と黒が混じる毛並み。血で出来たマグマのように真っ赤な目。


(確かに真っ赤な目だけど……敵意とは、違う?)


 手配書に映っていた《魔狼、狂月》の真っ赤な瞳には、敵意と殺意と、そして飢餓が入り混じっていた。

 だが、今、目の前にいる魔狼の瞳はまるで、何かを守る為に命を投げ出す決意をしてるようにも見える――


「…………」


 しばらく睨み合った後で、ヒチリはふぅ……と息を吐いて、刀を鞘に収めた。


 狂月は一瞬だけキョトンとしたような顔をする。

 それを見たショウも、構えを解いた。


「襲ってこない……どころか、様子を見てる……?」


 この状況を訝しんでいると、キャンキャンという可愛らしい鳴き声と共に、小さなバンディウルフが駆け寄ってくる。

 すると、目を見開いた狂月が、慌てたようにその仔狼に駆け寄っていく。


 自分の足に擦り寄ってくる小さな魔狼の毛を舐めながら、目だけでこちらを睨んでくる狂月。それは仔を守る親のそれだ。


「こりゃあ仕留め辛ぇな」


 この場へと追いついてきたリュウテキが、頭を掻きながら苦笑した。


「仕留めるって、リュウ……」

「狂月は仕留める。ガキも仕留める。

 狂月だけ仕留めても、ガキが大きくなったら人間に復讐をしにくるかもしれない。

 ガキだけ仕留めたら狂月は文字通りの狂戦士になるだろうさ。

 被害を抑えるなら、両方ぶちのめすのが一番だ」

「わかってる……けどさ……」


 ヒチリとショウは顔を見合わせて、気まずい表情を浮かべた。


 リュウテキの言っている言葉の意味はよく分かる。だが、狂月の足へ無邪気にじゃれ付く仔狼を見ると、どうしても心が揺らいでしまう。

 狂月もまた、こちらを睨みながら時々、足元へ視線を映す。その時の魔狼の瞳は恐ろしいものではなく、ただ愛情に溢れた光を湛えているのだ。


 仕事とこの地区の今後を考えるなら、この親子を引き裂くべきだ。


 だが――



 『魔獣の全てが悪いって誰が決めたの?』



(こんな時に、ベルの言葉が過ぎるなんて……)


 迷いは剣閃を鈍らせる――だけど……


「リュウ……」

「それこそ仔犬みたいな声出すなっての」


 親は血塗られた、魔狼と呼ばれてもしかたのない魔獣かもしれない。

 だが、この仔はまだ生まれて間もなそうだ。血の味も、血の色も知らないように見える。


「頭ではリュウちゃんの言葉を理解してるんだけど」

「お前もかよショウ」


 もっとも、心境としてはリュウテキもあまり人のことは言えない。

 とはいえ――必要とあればこの二人に怒られようとも、このバンディウルフの親子を殺すのも躊躇うつもりはなかった。


(どーすっかねぇ……)


 胸中で頭を抱えていると、


「ばうあうっ!」


 突然、狂月が吠えた。

 まるで、こちらに気をつけろと警告するような吠え方に、リュウテキは眉を顰めた。


 殺意と敵意が増す。


 しかし、その対象は――


(俺たち、じゃねぇ……?)


 ならば何に対して……。

 疑問は直ちに解消される。


 GuuGyoAaaaaaaaa――……ッ!!


 魔狼ではない。別の魔獣の咆哮。

 しかも、どうにも空からその叫び声は聞こえてきたように感じる。


(――空……?)


 ゾクリと寒気を覚えた。

 巨大な影が一瞬横切る。

 思わず足元を見るリュウテキだったが……


(違うッ、そうじゃないッ! 上だッ!!)


 即座に自分を叱咤すると空を見る。


 だいぶ暗くなってきている空を飛ぶ、大きな黒い影。


 見覚えがあった。ありすぎた。


 ずんぐりとしたシルエット。鳥を思わせる顔の形をしているが、先に行くにつれ尖ったそれはクチバシなどではなく、巨大な口。開けば凶悪な歯が並んでいる。

 ボディだけで足から頭までは5メートル程度か。横幅は3メートルくらいはある。ただでさえ巨体なのに、その巨体には翼と一体になった腕がある。その翼を考えなければ、トカゲに見えなくもないその姿。

 指にあたるだろう翼先についたそれは、まるで鉤爪のように凶悪な形をしている。

 そして、その両翼を広げた時のウィングスパンは10メートル近くはあるのではないだろうか。

 その容姿、その体躯、その巨体。

 それは、わざわざヒチリの暴走を抑え込んで、戦うことを拒否した手配獣(ブラックリスト)


「《流離(さすら)翼竜(ワイバーン)》……ッ!」


 まずい――何に対してそう思ったのかはわからない。だが、リュウテキのその直感通りというべきか、ヒチリが風を纏って地面を蹴っていた。


「馬っ鹿ッ、野郎ォ――……ッ!」


 毒づいて、ヒチリを止めようと手を伸ばす。

 だが、その手は彼女を掴むことなく、空を切る。


 翼竜に肉迫するヒチリ。


「ヒィちゃんッ!」


 刀を構え、いざ一閃と思った矢先に、《流離う翼竜》は大きく羽ばたいた。

 突風が巻き起こる。空中にいたヒチリはバランスを崩して、地面へと落ちていく。

 バランスを崩しながらもヒチリはなんとか着地する。しかし、そこへ翼竜は突撃する。


「……ッッソタレェェェェ――……ッッ!!」


 ナイフを逆手に持って、リュウテキがヒチリと《流離う翼竜》の間に入る。

 振り下ろされる凶悪な爪を逆手に構えたナイフで受ける――だけでなく、


「おおおおおおおお――……ッ!!」


 喉の奥から迸るような叫びと共に、逆手に持ったナイフに能力(ちから)を込める。

 翼竜の爪が切り裂かれ、その下にある手へとナイフが食い込んでいく。


「――――――!!」


 翼竜が絶叫する。

 それを好機と見たのか、《魔狼、狂月》が《流離う翼竜》の足に噛み付いた。

 しかし、すぐさま離脱するところを見ると、文字通り歯が立たなかったのだろう。


 やばい――と、リュウテキは直感する。


 自分の能力を使えば、翼竜の硬い皮膚も切り裂くことは可能だ。だが、接近しなければならないのはリスクが高すぎるし、何より次は簡単に斬らせてくれるとは思えない。


 こちらとの間合いを離すように、大きく距離をとる翼竜。


「逃がさないッ!」


 すかさず、ヒチリが踏み込んでいく。


「ちょッ!? ヒィちゃんんーッ!?」


 今度はショウがヒチリを止めようと手を伸ばす――が、


「――――――…………ッッ!!」


 翼竜の口から、声の聞こえない咆哮が迸る。

 それを浴びたヒチリが動きを止めた。


 いや、止めさせられたというべきか。


 居合いをするべく、鞘に納まった刀に手を掛けた姿勢で、固まっている。


(ビビった……? いや、だったらあんなポーズのまま固まるわけがねぇ……)


 原因は分からない。だが、動けなくなっている。

 リュウテキは舌打ちをして走り出す。


(間に合うか……? 間に合ってくれ――……! 間に合えぇぇ……ッ!!)


 全身の筋肉を躍動させて、リュウテキは大地を蹴る。


「うおおおおおおおおおおおッ、ヒチリィィィィィィィィィィ――……ッッッ!!」

「リュウちゃん!? ヒィちゃん!?」


 翼竜が大きな口をあけて、ヒチリに迫る。


「クソドラがぁぁぁぁッ……これでも喰ってやがれぇぇぇぇぇッ!!」


 その口の中に右手を突っ込み、舌へナイフを突き立てた。

 叫び声を上げながら、大きく飛び退く翼竜。


「はぁ……はぁ……ヒチリ?」

「ご、ごめんリュウ。なんかお腹の奥で何かがずーんと響いたと思ったら身体が動かなくなっちゃって」

「いや、お前が無事ならそれでいい」


 仰け反って苦しがっている翼竜を見ながら、リュウテキは安堵の息を漏らす。


「リュウちゃん!!」


 ショウにしては珍しい大慌てした様子で、駆け寄ってくる。


「――腕……ッ!」

「あいつの口の中に置いて来ちまった」


 その時になって、ようやくヒチリも気が付いたようだ。

 リュウテキの右腕――それの二の腕の半ばほどから先が無くなってしまっている。


「の、呑気なこと言ってる場合じゃ……」

「ショウ。お前の能力で適当に止血を頼む。

 ヒチリ。倒す必要はねぇ。離脱する為にアイツに一発、強風をぶち当てろ」


 即座にショウは自分が着ていたジャケットを脱ぐと、リュウテキの腕に巻きつける。

 それから、


「えーっと、とりあえず、ヨモギとドクダミでいいよね!」 


 巻きつけたジャケットを二種類の植物へと変化させた。止血と痛み止めの両方を目的としているが、気休めにもならないかもしれない。

 すぐさま動いたショウだったが、ヒチリは顔面を蒼白させている。


「わ、わたしの……わたしの、せいで……リュウ、が……」


 呆然としているヒチリの背中を、ショウが思い切りひっぱたく。

 同時に普段のショウからは想像も出来ない鋭い声が放たれた。


「シャンとしろッ! 漆竹(しつたけ)ヒチリッ!!」

「あ……」

「言われた通りに動けッ!

 動かなければ、リュウちゃんの腕だけじゃなくて、あたし達全員の命も危ないんだよッ!」


 ハッとしたような顔をすると、風を集めて、もがく翼竜に叩きつける。

 暴風に襲われ、巨体が地面を跳ねた。


「アイツが立ち直る前に……逃げっぞ……」


 脂汗を額に滲ませながら、リュウテキが告げる。


「ヒィちゃん、露払いッ! 逃げる為の道を開いてッ!

 リュウちゃんにはあたしが肩を貸すから!」


 ヒチリは無言でうなずいてから、狂月親子へと視線を向ける。


「お前達も今のうちに逃げた方がいい」


 狂月はヒチリの言葉を理解したかのようにうなずいてから、少しだけリュウテキを見遣った。

 その一瞬、少しだけ悔しそうな顔をしたのは、ヒチリの気のせいだろうか。


 だが、それを考える間もないうちに、狂月は自分の子供の首を咥えると、雑木林の方へと駆け出して行く。


「行こうヒィちゃん!

 旧東ニュータウン交差点まで行けば、車が拾えるかもしれない」

「うん!」


 うなずいてから、ヒチリは《流離う翼竜》へと一度、向き直った。


「ヒィちゃん!」


 ショウの声に、分かってるとだけ答えて、剣を構えた。


「もうちょっとだけ、もがいていろッ!」


 圧縮した風と怒りを刀に込めて、剣圧と共に解き放つ。

 それで大きく吹き飛ばしはしたものの、やはりあまりダメージが入ってないようだ。

 それがどうしようもなく悔しいが、今はそんなことを悔やんでいるヒマはない。


「ショウ。リュウは頼んだよ!」


 気持ちを切り替えると、ヒチリは踵を返して、ショウと共に駆け出す。

 泣くのも悔やむのも怒るのも、全部後に回して、今はここから逃げる。


 今するべきコトは、他にはない――ただ、それだけだッ!


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