VSゴブリン ②
「見てくだせえ。向こう側の門が開きやしたぜ?」
向こう端にある鉄扉は、地獄門と呼ばれていた。
それが軋むような音を立てながら、ゆっくりと開き、潜り抜けてやってくるのは地獄からの使者だ。
ゴブリンは本来、子供のように小柄だ。
だが彼らは異様なほど四肢が長く、筋肉が発達していた。
差し込んでくる日の光に忌々しそうにぎょろ眼を細め後、周囲を見回し、ギイギイ喚きながらうろつき始める。
「つまりあれと戦えってことなんだろうね」
「ひい、ふう、みい……七匹か……数は多い上に、持ってる獲物がちと厄介ですぜ?」
手にしているのは質の良さそうな長槍だ。
一方でこちら素手であり、更には手足は鉄球付きの鎖に繋がれている状態だ。
解説では訓練が施されていると言っていた。
あの素早い動き、長い腕、更に槍。
それらから繰り出されるを距離のある攻撃を、掻い潜り、反撃できる術は思いつかない。
「おまけに何か様子が変だね」
「目が逝っちまってる。……多分、あれ興奮剤か何かを仕込まれてやすぜ?」
「うわっ槍を構えながらこっちに真っ直ぐ向かってくるよ?」
「あっしは刃物がないままじゃ、なまくら以下なんでお役に立てませんぜ?」
「あたいも杖が無きゃね。……そっちの獣人の兄さんはどうなんだい?」
「俺はただの盗賊だ。残念ながら貢献はできそうにない」
「「「……」」」
自然と残りの人物に視線が集まった。
彼――オーク族の男は何も言わずその場に佇んでいた。
さすがはオーク族。何本もの鋼の棒をはち切れんばかりにきつく束ねてできたような引き締まった体躯を微動だにさせていない。
ーーこいつはもしかしたら期待できるかも知れねえ。
だがそう思ったのも束の間だった。
オークの視線は向かってくる魔物たちや観客ではなく明後日を向いたままで、口元に浮かべる笑みにも獰猛さが感じられなかったのだ。
「あの……旦那どうしやした?」
「花を見ていたのだ」
「花?」
「小さな花だ。このような殺伐とした場所でも咲くものなのだな」
彼の視線の先ーー闘技場の隅には、僅かな雑草と小さな白い花が一輪だけ生えている。単に手入れが行き届いていないだけだろうという感想と共に、このオークは果たして使い物になるのかという疑念が急に湧いてくる。
ーーおいおい大丈夫か、これ。
◆
『さあゴングと共にゴブリン君たちが一斉に特攻したーっ。恐れもなく、まっすぐに冒険者たちをめがけて駆けていく、疾走していく。……ここまで勇敢なゴブリンを見るのは珍しい気もしますね教官長殿?』
『ゴブリンは本来、臆病な魔物です』
『ですよね?』
『故に見世物向きにするべく、少々の細工を施しました』
『と言いますと?』
『飢餓状態にした上に、バッカスという蒸留酒を処方しております』
『わおバッカス。数滴で狂戦士化しちゃうやつ禁酒ですよね』
『許可をとり処方しました。理性を吹き飛ばし、好戦的にし、更には身体能力を向上させる効果があるそうです。後遺症が出るくらいの量を飲ませてあるので本当に強くなってますよ。恐らくは訓練所の教官全員が束になっても勝てないでしょう』
『これはもしや冒険者たちの圧倒的な劣勢かーっ? ……っとお? ここでごった煮さんに何か異変があった模様。一体どーした?』
『……何でしょう』
『オークさんがひざまづいて固まっている様子。体調不良でしょうか。ただ既に闘いは始まっており試合は続行となります』
◆
「ちょいちょいちょーい。あのオークはどうして急に祈りだしたんで?」
「はっ今更命乞いかい。大の男が情けないったらありゃしないよ」
どういうつもりだろうか。戦闘が始まるというのにオークの男は急にその場に蹲ってしまったのだ。
両手を握り、額を地面に擦り付けていた。
その姿は見ようによっては、ゴブリンたちに命乞いをしている様にも見える。
実際、観客の多くは、彼が戦意を喪失したのだと思い、にやつきながら野次を飛ばしこれから始まろうとする一方的な殺戮を楽しみにしている。
「まあ姐さん放って起きましょうよ、餌になって貰えば逃げる時間が稼げますよ」
「あんたガキの癖にえげつない事言ってのけるねえ。勿論、あたいも逃げるけどさ」
「ですよねー」
ダークエルフと獄東人は軽快な足取りでその場を離れた。
闘うつもりは毛頭ないようだ。
「緑肌の小さき者よ……」
やがてその反り返った鼻先を上げると、オークはゆっくりと立ち上がった。
いつの間にか準備運動を終えたように、全身から僅かではあるが蒸気が燻らせていた。
そして静かに腰を落とし、固めた拳を前に突き出すと、闘拳の構えを見せた。
「うぬらとて囚われ弄ばれただけの存在なのだろう……せめてこのゴリアテ、一撃の元、逝かせてやると約束する」
そんな呟きが確かに聞こえた。
◆
「ギャッギャッ」
かつての大戦役においては魔王軍の一員として戦ったゴブリンだったが、オークとは違い少なくとも大陸においては亜人扱いされることはない。
何故なら土地を持たず、規律を持たず、理知的ではなく、協調性に欠ける性質である為、大戦役以降も、どの種族とも調印を結ぶことなく以前と変わらず扱われ続けたからだ。
故に彼らは魔物という扱いのままだった。
「ギャギャギャッ、ギャギャッ」
ただ彼ら自身が冒険者の訓練の練習台として、家畜同然の、いやそれ以下の生活を強いられていた事に何も感じていなかったかといえばそれは嘘だ。
彼らにも境遇を憂い、何かを怨嗟する能力は確かにあったはずだ。
ただそれももう過去の話。
過酷な日々に心を削られ、飢える日々に思考を削られ、更にはバッカスによって残っていたはずのなけなしの理性は奪いとられてしまった。
彼らはもはや目の前並べられた肉を破壊し、貪る衝動だけに突き動かされる獣に過ぎないのだ。
◆
オーク族にはひとつの習慣があった。
彼らは戦う前に必ず一度、跪いた。
彼らは戦いに赴く前に、必ず太古の戦神に祈りを捧げた。
同時にそれは己の魂を戦神に預ける儀式でもあった。
魂を預ける事で、彼らは戦う前から既に生者ではなくなる。故に死を恐れる必要などなく、また痛みや、疲労からも解放され、その肉体が活動を許す限り闘い続ける事が出来る恐るべき戦士となれるのだ。
そしてドガンーーという地鳴りと共に円形闘技場が僅かに揺れた。
◆
『うおっ!! なっなっなんだーっ⁉︎』
『あれは……?』
『一瞬とんでもない轟音が聞こえてきたぞお。そしてゴブリンと冒険者たちは突如舞い上がった砂ぼこりで見えなくなった』
『うわっ、向こうから何か飛んできたぞ』
『え、ええ西側の壁に何か張り付きましたが。……おおう、どうやらゴブリンの肉片のようです。一体どうなってるんだ』
『うっすらと晴れてきた煙の中に動く巨体が……』
『あれは……オークです。オークが一人で、ゴブリン七匹と戦っています』
『そんな……馬鹿な……』
『あのオークとんでもなく強いぞおおおお。まるで鉄槌を下すが如く、巨大な拳を、地面に叩きつける。頭蓋骨を一撃です。とてつもない怪力だああ。うわっまた一撃。また圧殺。圧殺。圧殺』
『あ……ありえない……選りすぐりのゴブリンたちだぞ……ああ……ドック……スニージー……グランピー……ドーピーまで……何という……手塩にかけた我が子たちだぞ……』
『ひょおおお、すげーすげー。圧倒的じゃないですか。瞬くうちにゴブリンを地面に叩き潰し、巨大な凹地を作っていく。これはまるで拳の押印だあああ! ……そして、そして、そして開始数十秒も経たないうちに、しかも無傷で、あの強化されたゴブリン勢を残らず葬り去ってしまったー!』
『……』
『いやあ見てましたか教官長殿? 何かコメントを……? 教官長殿? もーしもーし?』
『ば……化け物め……』
◆
「……良い戦さだった。貴君らの勇姿は決して忘れん」
観客席は静まり返っていた。
先程までの嵐の如く凄まじい戦いぶりに呆気にとられたのだろう。
その場にいた者たちは残らず全員がただ一人に――固めた両拳を突合せ、地面の一部と化した肉塊に向かい深々と礼をするオークの姿に注目していていた。
「おいおいおい……そりゃあ一方的な殺戮過ぎますぜ……」
「ふ、ふん……まあ一介のオーク族にしちゃ見どころはありそうじゃないか」
無論、獄東人の少年と、ダークエルフの女も驚愕の表情を浮かべていた。
彼らもその実力は認めざるを得なかったようだ。
かくいう俺自身も同じだ。
近くでその闘いぶりを目にした為か、全身の毛が、尾の先まで逆立っていた。
だが暫くして冷静になって、その姿を眺め、酷い有様であることに気付く。
「……ていうかさ旦那、浸ってないで、その血とか脳髄なんとかしようぜ?」
「そうだな。余は水浴びを所望する」
背後でガシャンと音がした。
再び天国の門が再び開いたのだ。
俺は思わず「はあ」と溜息をつき、再び生きて、あの惨めな何もない独房に戻れることに安堵した。
いやその前に本日の功績者を洗い場に案内する必要があるようだ。
◆
『――というわけで今回、勝利の女神は冒険者ゴッタ煮さんたちに微笑みました』
『そんな……』
『皆さーん、彼らの動向は要注目ですよう。今後の活躍に期待大です』
『馬鹿な……』
『それでは司会進行は興行弁師ベーゼちゃんとお』
『ありえない……』
『燃え尽きちゃった教練所の教長官殿でお送り致しましたー。次回もぶっ殺ー(挨拶)♪』