スフレチーズケーキ
俺はコルベットのボンネットで目が覚めた。
コルベットはお気に入りだ。
しかしここまでの記憶は無い。辺りを見回して、
「異世界かよ?」
と呟きたくなるほどの光景に眉をひそめる。
俺の前には、金色に輝く丘があった。
奇妙なほど完全な半球体。
いや、これは丘じゃねえ。巨大なスフレチーズケーキだ。
近づいて、恐る恐るちぎり、口に含む。
甘い。しかし焼き加減も甘い。
これは塩入れるのも忘れてるな。甘さがぼやけている。
妻の焼くケーキみてえだ。
しかしなんで俺はこんな場所に……いや、そもそも俺は何で結婚なんかしたんだ?
ただで飯作って洗濯とかしてくれる女が欲しかったのか?
確かに俺には幻想があった。
女っつうのは砂糖みたいなもんで出来ていて、週末にはうっまいケーキ焼いてくれるもんだとばっかり思っていた。
若かったあの頃は虫歯しか恐くなかった。
どうやら俺は記憶喪失になっているらしい。
俺の名前も、妻の顔も思い出せん。
いや、思い出したくねえのか?
例えば、劣化しまくったから記憶から消したい、とかか?
しかし俺だって妻のことは言えないかもしれん。
何となく頭を掻いたら、毛がたくさん抜けた。
頭皮に限界が来ている。
そんな現実から逃避したくて、俺はこんなとこに来たのか?くっそ。思い出せねえ。
うんうん唸り続けて、やっと思い出したのは、妻の歯並びだ。整っていた。顔はわかんねえ。
それから、ご無沙汰な夫婦生活に業を煮やした妻に、
パジャマを剥ぎ取られたこっわい記憶とかも甦る。
俺もムスコも生まれたての小鹿みてえに震えちまってた。
顔はやっぱり、暗くて見えなかったなあ。
並びが良い歯だけが光ってた。
……くっだらねえことは覚えてんだよなあ。
記憶の配置が本当に狂ってやがる。
とりあえず、もっと回りを探検せねば、と思ったら、コルベットのボンネットが、どかん! と開いた。
俺はたまげて尻餅を着いた。
天使が現れる。
おでこに前髪がくるん、とまかさってる、くりくりお目目の天使だ。
安っぽい羽根がパタパタして、仮装大会みてえだぜ。
「貴方は死にました。このままですと、天国行きです」
「まじかよ、照れるな」
俺は頭を掻いた。また髪が抜ける。天使は踊った。
「ですが、戻れます。生き返れます。今ならね」
俺はあぐらをかく。
「戻っても、どーせつまんねーんだろ」
「奥様が喜ぶだけですね。今泣いてます」
……。
「帰るわ。戻してくれ」
俺は立ち上がり、薄い頭髪を、手櫛で整えた。
やっぱり髪が抜けた。
「それは愛って奴ですか」
首を傾げやがった天使の言葉を、全力で否定する。
「ちげーよ。ケーキ焼く時は塩入れろ! てな。言い足りなかった。それを思い出しただけだ」
天使はワケが分からない、て顔をしたが、関係ねえ。
これは、俺と妻のバトルだ。俺らのことを知らねえやつは、黙ってろよ、すっとこどっこい!
てか、待ってろよ、妻。
俺が手本でケーキ焼いてやる。
おめえが真似したくなるよーな、うっまいヤツをな……!!