次から次へと「めんどうくさい」
ようやく現れました、「第三の手」
※これは学生の書くエセサラリーマン小説です。それを踏まえてお読みください。
「たすけてっ!」
一度悲鳴を上げたことでふっきれたのか、女子高生が声を張り上げた。
電車の駆動音に多少かき消されはしたが、助けを求めるには十分すぎた。さすがの傍観主義者たちも、いよいよ反応せざるを得なくなる。
すると、男の手が暴れだした。慌てているのがめちゃくちゃ伝わってくるのだが、それは逆効果だ。そんなに派手に動いたら、バレるに決まっている。
「なにしてるんだ!」
吉男の前で吊革につかまっていた眼鏡の勤め人が、男の手を捻り上げた。
手の甲に血がにじんでいる。間違いない。
「俺じゃねえって!!」
男は弁解するが、これもまたお粗末だった。
この状況で、問い詰められてもいないのに自分が無実だと言い張るのは、認めているようなものだ。
「そいつが痴漢だ!俺は見たぞ、ちゃんと見てた!」
そう言ったのは、隣のサラリーマンだった。
自分のしていたことは棚にあげやがってと思わなくもないが、証人があらわれたことで周囲の目が変わる。
男が血相を変えた。
その時、電車が停止した。
吉男を含めて乗客たちは捕り物に気をとられていたから、慣性に振り回された。
男がそれを利用しないわけはなく、左手の拘束を振りほどくと、扉が開き切る前に飛び出した。
「あっ!」
と、多くの声がそう言った。だがそれは男が逃げることを暗示したのでなかった。
そこは多くの勤め人が乗り降りする駅であり、今は通勤ラッシュ真っ只中。
普段から駅員が一人か二人ホームを巡回していて、列の整理やら遅延情報をアナウンスしたりする。
また今日のような遅電の日には、巡回を増員してトラブル回避に勤めるという徹底ぶりであった。
そのため、男が飛び出した先には整理され降車する人間のために用意された空間と、飛び出してくる人々を誘導する駅員が待ち構えていたのだ。
人込みに紛れて逃げるどころか、目立つ場所に自分から走っていったのだ、奴は。
開ききらない扉から無理矢理出ようとした男は足をつっかけてあわや顔面からホームに転落しかける。
まさか本当に飛び出してくるとは思わなかった駅員だったが、彼がダッシュで滑りこみ、男の体を支えなかったなら、鼻血の池ができていたことだろう。
「そいつを逃がすな!」
「捕まえろ!」
「痴漢だぞ!」
口々に叫びながら後続の乗客が降りてこなければ、駅員は男を介抱していたに違いない。
痴漢という言葉を聞いた瞬間、駅員は支えていた不安定な体を手放し、胸から落ちて「ぐえっ」と呻いた男の上に股がると、あっという間に腕を捻りあげてしまった。
この一連の光景を、人の壁によって吉男は見ることができなかったが、その日の夕方のニュースで取り上げられて一部始終を知った。
誰かが撮影していたその場の映像も流れたが、吉男の姿は映っていなかった。
男が飛び出し捕まえられていたちょうどその時、吉男は痴漢というめんどうくさい事象を遥かにしのぐ、めんどうな状態に陥っていた。
わざわざ降りて見物しようなどと言う意欲には駆られなかったのだ。
その状態を一言で現すなら「混乱」であろう。
人々が降りてぽっかり空いたスペースに、おそらく人間のそれと同じ形をした右手首から先が、浮遊していた。
(めんどうくさい)
一体何なんだよ、これ。
痴漢もやっと捕まりました。
次話は、「第三の手」についていろいろと。