序
両親が超美形で才人、生まれてきた双子の兄は更に美形の天才。そんな四人家族に普通の顔をしてそこそこ優秀に生まれた俺。
こんな俺は至極健全に、歪んで育った。それはもう見事なもので捻じ曲がり過ぎて逆に綺麗なものになる程だ。
別に、親や兄の性格が悪いわけではない。確かに、多少捻じ曲がった理由に真っ直ぐすぎる彼らの存在もある。しかし、基本的に俺の性格が悪いのは周囲の目によって綺麗に曲げられただけだ。
「…………こんな風に急に自分のことを考えても、ダメか……まぁ、まだ色々試してないことはあるから希望を持って行かなければ……」
「ふー……ん? お、海斗~朝からよくやるな~……」
「陸斗がリビングに……ってことは、ちょっと時間かけ過ぎたな。急いで学校に行かないといけないか。」
「おい、……まぁその通りなんだけどよぉ……」
朝から巻き藁突きと鉄球入りの袋蹴りで部位鍛錬をしていると件の天使のような美貌を持った兄が二階から降りてきた。どうやら、考え事をしている内に結構な時間が経っていたらしい。
「朝食はフライパンの中に残ってるから。じゃあね。」
「おー。また後で学校でな~」
キッチンに向かう兄、陸斗のことを尻目に俺は家から出る。
(あ~今日こそ、クラスごと異世界転移しないかな~……)
そんなことを考えながら。
俺がこんなことを考えるようになったのは、小学校高学年に入ったところだ。何をやっても兄の陸斗に勝てず、時には陸斗の幼馴染の少女にも負け、泣きそうになった。
そんな中で八つ当たりをしようにも優し過ぎて逆に辛くなる家庭環境に息苦しさを覚えた俺は空想の世界に逃げ込んだ。拳法や空手、それに勉強なども兄が辞めた後も続けて周囲には健全に育っているように見せながらだ。
それからしばらく。空想の世界に逃げ込むにもお金が無くなった俺は仕方がないのでネット上の無料小説にハマり、そして異世界で抑圧された自我を自由に解放する主人公たちに身の上を重ねたのだ。
そこから俺は努力した。
いつ、異世界に行っても良いように拳法……八極拳、翻子拳、劈掛拳、形意拳を、空手は良く分からないがスポーツではないものを。
取り敢えず、両方ともオリンピック委員会にも体育協会にも非加盟の、アマチュアを名乗る喧嘩道場で訴訟すれば勝てると確信できるくらいの特訓を受けた。
全て、身体能力系のチートを授かった時の為だ。
そして、勉強やくだらない雑学、現代の生活を送るにあたって必要な機器や機械などの構造、様々なことを知るために大量の本を読み、ネットでも調べ、自ら情報収集を心掛けた。
全て、知識チートもしくは、生産系チートを授かった時の為だ。
しかし、まだ俺は一度も異世界に行っていない。
(メンタル的な問題か……アプローチの方法を変えないとダメだろうか……それともやっぱり家庭環境が悪くないとダメなのだろうか……家出すべきか……?)
「海斗さん。お早うございます。」
「もういっそ、一回トラック……お、お早う……」
トラックに轢かれて死んで逝こうかと考えている所に俺は声を掛けられた。甘く、涼やかな声。聞く者を魅了するその声の持ち主は、我が兄と比べても遜色ない程の美少女、大神 陽菜だ。
「……陸斗さんは、いつものようにまだ家ですか?」
「あぁ。そう。」
野暮ったいウチの学校の制服を見事なまでの美貌で圧倒し、それをそういうファッションとして形成させている彼女は俺の隣に立っていつもの様に訪ねてくる。
ご覧の通り、彼女はおそらく兄のことが好きだと思われる。で、我が兄は俺に直接、陽菜のことが好きだ等と宣っていた。いい加減くっ付けばいいのにと思いつつも品行方正な陽菜はさっさと学校に行く俺に着いて来る。
「もう少し、陸斗さんも早く学校に来ればいいのですけどね……」
「アレはああ言う病気なんで、無理でしょ。」
適当に陽菜の言葉を聞き流しながら俺は靴の中で踵歩きをして前脛骨筋を鍛えつつ学校に着く。もう鍛えている感はあまりないのだが衰えられても嫌なのでそんな習慣が付いているのだ。
「着きましたね……では、また……」
「はい。さよなら。」
陽菜さんと別れて俺は自分の教室に向かう。クラス分けは兄と陽菜が一緒で、俺だけが別のクラス。しかし、陸斗が俺のクラスに来て一緒に食事を摂ろうとしてくるので陽菜さんもついて来る。その時が学校での再会時間となる。
(……さて、それまでは気軽で、必須のボッチ生活を送らなければ……勿論、巻き込まれ型の異世界召喚のことも考えてトップカーストの連中のことを観察しつつ……だがな。)
椅子に触れないように極々僅かに浮かせて腰かけているように見せると俺は読書を開始する。今日見ているのは『小麦のヒミツ』と言う本だ。まずは系譜が載っており、原種の説明。そして、今日に至るまでの流れや品種ごとの水分量や保存可能期間、特徴や向いている調理方法などが載っている。
俺はそれを葉の色と形、花の色と形、茎と葉の関係性、更には葉脈の流れまで事細かに覚えられるように食い入るようにして見る。
(同じものが必ずあるとは思わないが……進化の収斂を期待するくらいは良いはず……いざ異世界に行って生産チートを貰った時に将来図のイメージが出来なきゃ意味がない……)
少し前の方ではこのクラスのトップカーストの女子たちがワイワイやっている。しかし、しばらくすると教師が入って来て席に戻って行った。
(……この江口とかいう教師の動きも普通じゃない……常に体重を乗せきらずにすぐに動くことが可能な軽やかな動きをしてる……早く、早く勇者としての再召喚来い! 巻き込まれるのは俺だ!)
去年、この学校に非常勤講師として赴任してきた女教師を見て俺はそう願う。最初は興味なかったがふと授業中に歩き回っている様子を見て、道にある鞄などを避けている動作から武術をしていると気付いてからずっと思っていることを今日も念じる。
相手はその視線に気付いているようだが、何も言わずに今日もまた普通に朝のショートホームルームが終わってしまった。
午前の授業、既にその分の予習を終えており、微妙に分からなかったところだけ授業をまともに聞きはしたが、殆どの時間を異世界に行って何をするかということを考えていた時間が終わり、昼休みが来る。
だが、今日は兄とその幼馴染が教室に来なかった。
(いつもと違う……! これは、フラグか……?)
その日の午後、俺はワクワクして授業中ずっと異世界に行った後の順番、そして優先順位とその達成手順を考えていた。
そして放課後、何故かクラスのリア充軍団がいやに教室に残っていたので俺はしばらく読書をする振りをしてそれを窺う。途中で兄の陸斗が来たが先に帰らせ、窓際の席にいる周囲に馴染めずにいつも一人でいる同級生にもし巻き込まれ役だったら押しのけてでも入ろう……という敵愾心を抱きながら夕暮れ時まで待つ。
しかし、何も起きなかった。帰りにカラオケによるとか非常にどうでもいいことを言いながらその一団が去って行くのを見送り、俺は内心で舌打ちをして席を立つ。
帰りは瞬発力を付けるために爪先歩きだ。勿論、人に見られて不審じゃない程度にしか浮かさない。無駄な時間を過ごしたことを苦々しく思いながら廊下に出ると陽菜に出会った。
「あっ……海斗くん……」
「どうも。」
軽い会釈をして挨拶をすると彼女の方から話しかけてきた。
「今、帰り? 一緒してもいいかな?」
「……どうぞ?」
話しながら帰ると、今日はどうやら生徒会の雑務があり、陸斗と一緒に帰れなかったということだ。そして丁度終わったところに俺が来たらしい。
まぁ、将来の弟になるかもしれない相手だから気を……短い悲鳴っ!
周囲を索敵。見ると、2トントラックが路上に出てきている子どもを撥ねようとしている! こんな状況だが笑みが止まらない。トラックの運転手には悪いが……俺は異世界に行くっ! なぁに、子どもを撥ねるよりも多少歳が行ってる奴を撥ねた方が罪は軽いはずだぜ……?
「海斗君!?」
猛然とトラックに向けて走り出した俺に陽菜が声をかける。タイミング的には絶望的。だが、俺の鍛え上げられた体は俺を裏切らないっ!
「間に合えぇぇえぇぇぇっ!」
子どもを抱きかかえ、そして俺は……
子どもを抱えて普通に逆車線に着地した。
「チッ! ……あ、大丈夫か? 危ないから道路には飛び出すなよ?」
裏切らなさ過ぎた。無傷だ。畜生。トラックは逃げるようにして去って行き、陽菜は激怒しながら俺の方へとやって来る。だが、俺にはそんなことどうでもいい。
「失敗した……」
異世界に行き損ねた。あれは、逝ける案件だった。
「反省してください! もう……心臓が、止まるかと……」
「悪かったなぁ……」
運が。今度はもう少しいい感じにトラックが来ないかな? ブレーキとか踏むなよ。遺書書いてあるから安心して殺せよ。まぁ、書士の書いたやつじゃないから法的能力には乏しいが……
逆車線から来た車がクラクションを鳴らすので俺は子どもを降ろして歩道へと移動する。その間陽菜は将来の義弟である俺に説教をかましていたが俺は知らん。
(しかし、あんなにおあつらえ向きの状況……生涯一度あるかないかの……)
「聞いてますか!?」
「あぁはいはい……」
面倒臭いな……そう思いつつ今日はどうやら異世界に行けないようなので諦めて家に帰った。