第32話 ルシフェレスの恋心
今回は甘々回です。苦手な人は飛ばすことをお勧めします。
「終わったかの?」
「ああ、終わった。全て、な」
エリスは死に、“死滅狂衰の門”は封じた。
これで紅の世界に当分の間は平和がもたらされた。
確証がないのが辛いところだが。
近い将来、また災厄が訪れるのは間違いない。
「しかしイカれた御人じゃったの、あのアケディアとかいう男。普通は自分の命と引換えにする魔法など、とてもじゃないが使えん。ルシフェがあんな隠し球を持っていたとは」
「私個人の隠し球と呼べるかは怪しいところだがね。一応は同等の立場を持つ7家当主だったのだよ、彼は」
イカれた、か。
褒め言葉だな。
そして、アケディア自身も惜しみない賞賛に足る男だった。
「で、次の行動は? 紅の世界での活動は終わったのかの」
「終わったよ。これ以上私にできることはない。だが、他の世界を放置しすぎた。何かとんでもないことが進行しつつあるかもしれん」
基本的に他の世界への通信手段はなく、情報交換も行われていない。
その情報が得られるとしたら、始まりの地だけだ。
あいにく私は、その国とのパイプは持っていないが。
「エリスとの戦いが終わったんじゃ。少し休んではどうかの?」
「その暇はない。他の世界が滅んでも紅の世界にはあまり影響がないとはいえ、放っておくわけにはいかない。堤防も針の一刺しから崩壊していくのだから」
体力なら有り余っている。
エリスとの最終決戦はおしゃかにされてしまったから。
ならば他の世界に行かない訳にはいかない。
何が起きているのやら。
常世の存在ならぬ私には過ぎた概念ではあるけれど。
「なら命令じゃ。休め」
「お前に命令される筋合いはない」
まさかマレフィにそんなことを言われるとはな。
装備を変えて調子づいたか?
殺気を込めて睨みつける。
「お主は焦っておる。今のルシフェは見ておれん。シシュフォスが生きていて、どれだけの衝撃を受けたのかマレフィは知らん。だがな、今のお主が危ういことはわかる。今のお主は、お主が嫌悪しておった自殺志願者と変わらん」
「ほう、私を愚弄するか? 今すぐ殺してやろうか?」
本当に調子に乗ってるようだな。
この私を愚弄するだと?
いくらお前でも許せるものでは、ない!
「ルシフェがそうしたいのなら、それでも構わんよ。気が済むまでやってくれ。マレフィはただ、ルシフェの力になりたいだけじゃ」
マレフィは無防備に体を晒す。
いくらでも好きに殺せ、と態度でも示している。
こんなふうに無防備にされてしまうと、逆に傷つける気はなくなる。
必要もないのに、無抵抗の人間を殺すなどできない。
相手がマレフィであれば、決して。
「何を考えている?」
「言うたじゃろ? ルシフェの力になりたいだけじゃ」
何をしたらいいのか途方に暮れると、逆に段々頭が冷えてきた。
駄目だな、私は。
シシュフォスが生きていたことに衝撃を受けて、らしくもなく焦っていたようだ。
他の世界に行って気を紛らわせようなどと。
「済まないな、マレフィ。苦労をかけた」
「お安い御用じゃよ。それにしても、お主がそれほど取り乱すとはの」
ぽん、とマレフィの頭に手を置く。
わずかに咲いた笑顔が儚く消え、目を伏せる。
「どうした?」
「そこまでシシュフォスのことが大事じゃったのか?」
子犬のような目でマレフィが聞いてくる。
捨てられるのかと心配なのか?
心配せずとも、シシュフォスのところにはいかない。
胸によくわからない感情が渦巻いている。
「マレフィ、好きな人はいるか?」
「何を言うておる? お前さんはよく知っておることじゃろ」
そのとおり。
マレフィの想いは知っている。
それでもこの耳で聞きたいんだよ。
「マレフィ」
「むぅ。改まって聞かれると、とても恥ずかしいのじゃが。……ルシフェじゃよ。マレフィが愛してるのはルシフェじゃ。これで良いかの?」
顔を真っ赤にしながらも答えてくれた。
うん、正直嬉しい。
けれど、マレフィに向ける愛情は家族に対するものか、異性に対する人のものか分からない。
シシュフォスに向ける感情とも別。
マレフィは家族? それともシシュフォスのほうが?
「私はマレフィが好きなのかな?」
「なぜ、それをマレフィに聞くのじゃ? マレフィが欲しい答えは分かりきっておるじゃろ。それを聞くのは……残酷じゃ」
それもそうだ。
嫌な奴かな? 私は。
自分がどれだけ嫌な人間でも気にしなかったのに、この瞬間だけは妙に気になる。
マレフィに暗い顔をさせてしまった。
他人の感情にビクつくのは初めてかもしれない。
どうすれば、笑顔になってくれるんだろう?
「私は、何をしたいのかな?」
「心の整理をしたいんじゃろ。お主は曖昧を嫌う露悪家じゃ。分かるものならそれが何か、分からないなら分からないと、白黒つけなければ落ち着けない人間じゃ。多分、お主は分かりそうで分からないという未知の経験をしとるんじゃろう」
そういうことか。
妙な気分になるものだ。
自分以上に自分のことを理解している人がいて、その人に自分の現状を説明されるという体験は。
意外と、心は荒れない。
「そう、か。なら、ここではっきりさせてしまうのも悪くない、か」
「それができんから、悩んでおるのではないか?」
言い返す言葉はないが、強引な手段がひとつだけある。
少しマレフィには犠牲になってもらうけれど。
別に構わないな?
「マレフィ、目を閉じて上を向け」
「え? そ、それはつまり――」
動揺している。
顔を真っ赤にした後に回復したのに、また顔が赤くなっている。
恥ずかしがり屋だな。
「目を閉じろ」
「う、うん」
繰り返すと、素直に従ってくれた。
私はマレフィを抱え上げて、キスをした。
抵抗感はなかった。
むしろ、幸福感がある。
これが人を好きになる気持ちならば、世界もまだ捨てたものではないと思える。
好きな人が危険にさらされるくらいなら、むしろ世界を破壊してやるけど。
「どうだった?」
「ど、どうだったって……い、今のはお主が自分の気持ちを確かめるためにやったことじゃろ?」
そうだけど、恥ずかしがりながら告白するマレフィが見たいんだ。
だから、引いてあげない。
今でも十分に顔を赤く染めているけど。
どうしよう、今黒い笑顔を浮かべているかもしれない。
「そうだよ? けど、今のマレフィの気持ちを聞きたいな」
「あぅぅぅ。マレフィの気持ちを聞いてどうしようと言うんじゃ」
私はマレフィを抱きしめたまま離していない。
だから、マレフィは逃げられない。
本人は視線をそらそうとするだけで、全くもがいたりはしてないけど。
「マレフィ? 今の気持ちを聞かせて」
「……う、うれしいぞ。嬉しいに決まっておろう。うぅ、分かりきったことを尋ねおってからに」
顔を背けながらでも、はっきりとそう答えてくれた。
でも顔は背けても、チラチラと私を伺うんだね。
恥ずかしくてまともに顔を見れない、とか思っているのだろう。
「そうだ。マレフィ、お前の命、私にもらえるか?」
「良いぞ。ルシフェの言うことなら、なんでも聞く」
突飛な願いに躊躇なく応じてくれる。
一度マレフィを下ろす。
マレフィは残念そうな顔をする。
「手をだせ」
「これで良いかの?」
なんの疑いもなく手を出す。
全てを私に任せてくれる。
マレフィの小さい手に私の手を重ねる。
「“あにま”を“はく”の“びりようす”にて“えりやうんと”」
言魂と共に、重ねた手を諸共に針で串刺す。
これは冥術。
命そのものを対象とする、生者では識ることすら命を賭させられる冥界の魔法。
「“あくと”を“れいにすびりんど”に“ふぁるはらうと”並びに“いすべりやうんど”」
マレフィは聞いたこともない詠唱に対して、完全に身を任せてくれている。
拒否されたら冥術は失敗し、二人とも死んでしまう可能性すらある。
お互いに心から全てを預け合わないと使えない術。
「“くれふぉると”、“れすたあがるえ”、“いんはかうぉっく”」
目に見える変化は何もない。
奇妙な、言語にすらなれない言葉未満の言の葉を紡いでいるだけ。
「“あにますてるりらびりやすぼんど”」
これで終わり。
最初から最後まで目に見える効果はなかった。
ただ静かに呪文を唱えて終わった。
これで準備は終了。
本番は少し猟奇的だ。
指を切って血を流す。
それをマレフィの口に近づける。
「舐めろ」
「む、マレフィはリリスではないのだが…」
多少渋るものの、すぐに舐めてくれた。
マレフィが私の指をくわえる姿は背徳的だ。
指が、くすぐったいな。
「どうだ?」
「……まずい。やはり血は舐めるものではないな」
血は美味しくはなかったようだ。
少し顔を歪めている。
「次はマレフィの番。指を少し切れ」
「うむ。でも、マレフィの血も美味しくはないと思うんじゃが」
すぐに指を切って差し出してくれる。
血を舐めるのは儀式だからしょうがない。
指をくわえて血を舐めとる。
マレフィの指は美味しいけど、血はまずいね。
「これで契りは終了。どうだ? 何かが変わったか?」
「む? 特に変わったことは……」
まあ、お互いを目の前にしては些細なことではあるけど。
決して無視できるような要素ではない。
「私のことを感じるだろう? 今の冥術は魂の交換。少し魂をもらって、魂をあげた。これでお互いのことが少しわかるようになる。おぼろげにだが、感情や位置等だな」
「そうか。しかし、感情とやらは顔を見たほうがよくわからないかの? 位置の方は重用するときもあるかもしれんが」
確かに。
だが、これはおまけに過ぎない。
「この儀式の本領はこれからだ。私が死ぬときはマレフィも死に、マレフィが死ねば私も死ぬ。一種の呪いだ。そして、この呪いが解けることはない」
「そうか。ルシフェが死ぬときマレフィも一緒に死ぬのか。マレフィはお主を感じていられるのなら、望むところじゃ。けれど、ルシフェはそれでいいのかの?」
全然動揺していない。
命を握られたのだから、少しは動揺してくれても良かったのに。
…この子は本当に私のことを好いてくれる。
「施術したのは私だ。そのためにやったんだ。良いに決まっているだろう。それにしても、お前は何も聞かないな。不安はないのか?」
「ない。マレフィはルシフェの全てを受け入れる。受け取らせて欲しい。けど、そこまで言うのなら、一つだけ、聞いてもいいかの?」
献身的だ。
私に全てを捧げようとは。
嫁としてはこの上ないな。
「何かな?」
「なら、えっと。その……理由を聞いても良いかの?」
顔を横にそらせて、とても照れている。
そんなに照れる質問か?
「よりにもよって、それを一番に聞くか? 副作用とか、いろいろあるだろうに」
「ん? それは必要があったら話してくれるじゃろ。それより、マレフィにそんな術を施してくれた理由が知りたい。嬉しい言葉が聞けそうじゃから、な」
まあ、副作用なんて先ほど言ったことくらいだけど。
いや、アレは効用か?
死ぬときは一緒、というのがあの呪術だ。
「理由……独占欲、かな。ところで、夫を失った未亡人が新しい夫に励まされてハッピーエンドで終わる物語がある。それをどう思う?」
「うん? そんな物語は聞いたことが……いや、妻には節操がないと思うのじゃ」
そんな物語は聞いたことがないか。
この世界は娯楽が発展してないからな。
それでも、マレフィはその場面を想像して答えてくれた。
「そうか。私もマレフィと一緒だ。仮に私が死んだとして、マレフィが他の男に励まされるなどと虫酸が走る。マレフィは私だけのものだ」
「そ、そうか。うむ、嬉しいぞ。ルシフェがマレフィのことをこんなにも思ってくれたとは。もう、死んでもいい」
マレフィが力いっぱいに抱きつく。
結構照れるな。
だから本当に死なれたら困る、などと益体のないことを思ってみる。
マレフィが死んでも、わざわざ自殺する手間は必要ないとはいえ、な。
そろそろ話を現実へ戻そうか。
愛や夢想を悠長に話していられる情勢でもない。
「少し休んでから他の世界に行くぞ。ここまで放置してきたのだから、何が起きていたとしても不思議ではない」
「ふむ、“死滅狂衰の門”のことを考えると、他の世界で何が起きているか考えたくなくなるの。で、シシュフォスのことはどうする?」
私はシシュフォスのことこそ考えたくない。
まあ、アレは世界を滅ぼそうとしたりはしないだろう。
はずみで“やる”かもしれないが、下手に我々が近くにいても逆効果だろう。
結論、放置だ。
「そっちは考えなくていい。他の世界が紅の世界に与える影響を見極めなくてはならない。ただでさえ時間が足りないのに、そんなことまで面倒は見ていられない」
本当に時間が足りなくて困る、などと考える私に悲しそうな視線を向けるマレフィ。
何故そんな視線を向ける?
「ルシフェ、それは逃避じゃよ。言いたくはないが、シシュフォスやリリスのことも好きなんじゃろ?」
「それは恋愛感情ではないよ。お前さえ居てくれれば私は……」
私のマレフィを想う気持ちとシシュフォスを想う気持ちは別物だ。
だから、シシュフォスへの愛は異性に対するものではなく、家族かそれに類するもの。
それが論理的思考というものだ。
リリスに至っては、精神年齢が幼すぎて対象にはならない。
「マレフィへの愛情がシシュフォスへの愛と質が違うからといって、それが異性への愛でないとは限らん。ルシフェはシシュフォスのことを好いておったよ。相手が強いから気後れしておるのか?」
「強い相手にコンプレックスを抱くように見えるか? しかし、シシュフォスへの愛情ね。どうなんだろうな?」
何を言っている?
そもそもマレフィに悲しい顔をさせるくらいなら、捨て置いても良いのだが。
しかし、シシュフォスに思うところがあることも事実。
どうしたら良いものやら。
けれど、このモヤモヤした感情はシシュフォスへの恐怖の裏返しか?
「確かにマレフィとて、ルシフェの女が増えるのは望むところではない。だが、妥協するルシフェはもっと見たくない」
思いつめた表情ではっきりと宣告された。
そう、か。
確かに、妥協など『最強』ルシフェレス・ファフニル・イラのすることではない。
「全く。お前以上の嫁はいないな。決めた。リリスは私のものだし、シシュフォスも私のものにする。もちろん、お前も手放す気はない。一生私の傍にいろ『魔女』マレフィキウム・ヘクセ・ウィッチクラフト」
「もちろんじゃ」
花のような笑顔を見せてくれた。
新章突入しました。次からは強大な敵と戦っていきます。




