僕の婚約者は耳が長い
十六歳になった日の朝、僕は許婚の存在を教えられた。
起き抜けに仏間に正座させられ、両親、祖父母、曾祖父母から説明を受ける。
それにしても、随分と唐突な話だ。
自慢ではないが、この十六年間随分と平凡な人生を歩んできたが、まさかここで許婚とは。
「幸いお前にはお付き合いしている人もないようだし、ちょうど良いじゃないか」
随分と失礼なことをのたまう父は、入り婿だ。
ついでに言えば、ここに居る父、祖父、曾祖父は全員入り婿になる。
水が悪いのか何かの祟りか、この久保田家は代々女しか生まれない。
驚くべきことに僕は実に百六十年ぶりの男子らしいのだ。
「ちょっと待ってよ、父さん。相手は納得してるの? 会ったこともないのに」
「先方からの申し出だからなぁ…… 百四十年も待ったそうだし」
「百四十年?」
一体、どんな物の怪と結婚させられるんだ、僕は。
抗議混じりに疑問の叫びを上げる僕に、父はのんびりとした声で答える。
「ああ、エルフなんだよ。相手さんは」
† † †
仁徳天皇の十一年、大和吉野の奥より金の髪に白き肌の夷人が来朝する。
耳が長い。
彼らは自らを廻流部と名乗り、大王に練蓮なる珍味を献じた。
その祖は遥か東方の中つ国という地を経、そこから西へ西へと旅して吉野の地に流れ着いたと語る。
弓術をよくし、その裔は速見流、日置流に薫陶を与えた。
神燈推古書院刊『本朝弓道儀軌』より
† † †
「……エルフだ、本当に」
僕は初対面の相手に随分と失礼な言葉を吐いた。
鹿威しの鳴る料亭は奇妙な静寂に包まれている。
目の前に座っているのは、エルフだ。
流れるような金髪に、蜂蜜を溶かしたような乳のような白い肌。
奈良県南部に自治領を持つエルフ族は同じ日本国民だが、教科書以外でお目にかかることは滅多にない。
そのエルフが三人、目の前に座っている。
美人、美人、美男。
恐らく左端が母親で真中が僕の許婚なんだと思うのだが、見た目では年齢が分からない。
何と言ってもほとんど不老不死の人々だ。
生物学的にも、ホモサピエンスとは全くの別種。
遺伝的に交雑は可能で、法的にも結婚可能だけど、塩基配列は全然違う。
一体全体、どういう理由で許婚なんだろうか。
じろじろと興味本位で見つめる僕を咎めるように、向かって右端の美男が咳払いをする。
多分父親だけど、僕と同い年と言われても違和感がない。
「物部ギルノール忠親です。こちらが娘のエフィルディス涼子」
「涼子です」
そう言ってペコリとお辞儀をする許婚に、僕はドギマギしながらお辞儀を返した。
何故か、気まずい空気が流れる。
そこで僕はとんでもないことに気付いた。
まだこちらは名乗ってもいなかったのだ。
「あ、えっと、あの、望太郎です。久保田望太郎! 十六歳です」
取り乱す僕を見て、許婚がくすりと笑う。
可愛い。
まるで、花でも咲いたみたいに雰囲気が和らぐ。
「よろしくお願いしますね、旦那さま」
† † †
「つまり、えーっと僕のご先祖様が君の村に匿われたのが原因なの?」
「原因、という言い方はどうかと思いますが…… そうなりますね」
そう言って、許婚が僕の隣で微笑む。
お決まりの「では後は若い二人に任せて」の流れになり、僕たちは庭園の池に架かる橋で鯉を見ている。
「当時、明治新政府からの独立を企図していた奥羽越列藩同盟は、吉野に根拠地を持つエルフとの同盟を模索していました。エルフが輪王寺宮政権に協力すれば、新政府の喉元にナイフを突き付ける形になりますから。丁度、キューバ危機におけるソ連とキューバの関係ですね」
「は、はぁ…… なるほど」
正直なところ、許婚の話は僕には少し難しかった。
明治維新直前に久保田家が秋田から奈良にやって来た理由を説明してくれているらしいのだが、日本史も世界史も苦手な僕にはチンプンカンプンだ。
「そこで交渉の使者に選ばれたのが、旦那様のご先祖に当たる方だったのです」
「ところが新政府軍に見つかって、君たちの里で匿われた、と」
「はい、そうなんです!」
笑顔がこぼれる。
ああ、可愛いな。でも、この釈然としない気持ちは何だろう。
「そこで旦那様のご先祖様は、匿った礼に久保田家に男子が生まれたら婿にするという約束を我が家に残されたのです」
エルフには、男性が少ない。
近親交配が進んだからだとも、種族の特性だともいうが、はっきりとしたことは分からない。
そこで昔から“種借り”と称してエルフは里に下りてホモサピエンスの男と交わったのだそうだ。
「でも、久保田の家になかなか男の子が生まれなかった、と」
「……そうなんです」
お陰で許婚は、百四十年も待つ羽目になったのだ。
年齢を聞いて驚いた。今年で二百十六歳。
どう見ても同い年にしか見えないのに。
ひしっと許婚が僕の手を握る。
柔らかい肌の感触と、鼻をくすぐる蜜のような香りに胸が高鳴った。
「お願いです。こんなお婆ちゃんとじゃ嫌かもしれませんけど……
約束を、守って下さいませんか?」
見ると、許婚の瞳には涙の粒が盛り上がっている。
辛かったのだろう。
百年以上も、久保田家の男子のことを、待っていたのだ。
ずっと、ずっと。
僕は、決心した。
○
「婚約の件、お断りします」
「……えっ?!」
許婚の涙の粒が大きくなる。
口元を手で覆い、今にも泣きだしそうだ。
僕は、人差し指でそっと許婚の涙を拭ってやる。
「“久保田家の男子”としてではなく“久保田望太郎”としてお付き合いをして頂けませんか?」
涼子は一瞬黙り、そして笑った。
「はい、ふつつかものですが!」