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うさぎを巡るはなし

キオク ノ タマゴ

作者: 水花

天気は上々。のどかな風が吹く、ある春の日の午後のこと。誰も彼も、昼寝でもしているんじゃないかと思いたくなる陽気が、街を包んでいる。

 さて、その街の東の外れに、一軒の店がある。ここに建てられてから、はてどのくらいになるのだろう、年月を感じさせる、二階建ての店だ。その傍らには店の屋根を越すほど大きい樫の木が、青々とした枝を広げていて、よい目印になっていた。

 この木で一休みしようと、空から鳥が舞い降りてきた。けれど、息つく間もなく、鳥は再び空へと舞い上がる。

 なぜなら。店の中から、大きな声が響き渡ったからだ。


「ひ~ま~だ~よ~っ」



「うう、ひまだよ~うっ」

 磨きこまれて、飴色につやつやと光るカウンターは、頬をくっつけるとひんやり冷たい。でもしばらくそのままでいると、木の持つ温もりだろうか、ほんのり暖かくなってくる。

 カウンターの内側から、そこへべしゃりと突っ伏した少年が、しきりと喚いていた。

 白いシャツに柔らかい緑色のベストと膝小僧が出る丈のズボン、赤色の帽子を被っている。薄い茶色の髪が、帽子からはみ出ているのはご愛嬌といえた。

「こんな日もあるさ、まあお茶でもお飲みよ」

慰めようという熱意は少しも感じられない口調で、そう言ったのは丸い眼鏡をかけたうさぎ。白いふわふわの毛、長い耳、赤い目の、まごうことなきうさぎである。店の隅には、もとはお客さんのための丸テーブルと椅子がおかれていたのだが、今ではうさぎの指定席と化していた。そこでうさぎは・・・特段用事が無い限り・・・いつもお茶を飲み、本を読んでいる。

 少年はきっ、とうさぎを睨むと、低い声で答えた。

「うさぎはそれでいいかもしれないけどね、ぼくはお茶でお腹がたぷたぷだよ」

「そうかい。じゃあ、読書でも?」

 相変わらず熱意のない声でうさぎは答える。視線は分厚い本に向けられたまま、片手にはカップを握ったまま、少年の方をちらとも見ずに。

 少年はこの日特大級のため息をついた。こんなヒト(うさぎだけど)とわかっていても、何だか・・・ああそうか、コレが虚しいって気分なのかしらん?一つ賢くなったかも?でもそれも・・・。

「とっても虚しいかも・・・」

 少年の呟きは、めくるめく本の世界に没頭しているうさぎには、届かなかったらしい。

 かくして、少年は再び叫ぶ。

「も~やだ~っ、暇すぎるよ~っ!」




「魔法屋シェル」

 それが、街の東の外れにある店の名前。魔法屋という名が示すとおり、様々な魔法関連の商品を取り扱っている。のであるが。

「ほとんど雑貨屋、もしくはご近所の何でも屋だよね」

 少年・・・名前を伊吹と言う・・・は、カウンターの中から店内を見回して、力なく笑う。

 瓶詰め魔法や、魔法道具、ハーブの横に、砂糖や紅茶が並んでいるような・・・そんな店なのだ。

 伊吹の祖父で、店主である矢萩が、道楽で始めた店だ。矢萩は色んな土地に行っては、珍しいお茶や香料、またはガラクタとしかみえない置物や、綺麗な布や紐を持ち帰ってくる。街外れにある店で、広さだけはある店内だけども、モノが増える速度の方が速かった。

 伊吹が少し片付いたと思っても、その頃には矢萩が持ち帰ったもので元の木阿弥になってしまう。

「ねえじいさま、ちょっとは整理しようよ。何処に何があるか、わかりにくいじゃない。片付けられないんだったら、あんまり沢山持って帰らないでよ」

そう何度も何度も文句を言ったものの、そのたび矢萩はのらりくらり反論する。

「そうかなあ~あんまり片付いてたら逆に落ち着かないでしょ~?」

そして、伊吹の言葉など忘れ果てて、ソレ何処に仕舞うの、片付けるの誰だと思っているのと伊吹が頭を抱えるほどの品物を持ち帰ったりする。

「見てみて~お土産だよっ。見たことないモノ沢山あったんだ~。ちょっと持って帰るの、大変だったけどね」

「・・・・・・・じいさま、もう店の棚はあふれるほどなんだけど・・・・。だいいち、お茶も砂糖も瓶詰め魔法も薬も、同じ棚に並んでるでしょ、誰かが間違えて買ったらどうするの。危ないんじゃない?」

 それでも、ここで自分が流されてはお終いだという、妙な使命感に駆られて、反論は試みたのだが。

「大丈夫。売る時に確認するし」

「大丈夫じゃないか?本当に危ないものは、後ろの棚にあるしな」

 そう矢萩とうさぎが声を揃えて言うものだから、伊吹は渋々ながらも頷くしかなかった。カウンターの後ろには、天井に届くほどの高さの、扉付きの戸棚があった。もちろん鍵がかけられる。扉がついている上半分には、様々な色、形の瓶が並び、下半分の抽斗には薬や薬草、少し取り扱いに注意する魔法道具などが入れられていた。この中の物を取り出すには、矢萩がうさぎが持っている鍵を使うのだけど・・・今まで伊吹は、彼らがこの戸棚をあけるところを見たことはない。

それでも、懲りもせず大量にモノを持ち帰る矢萩には文句を言うし、片付かない店内を見てはため息と愚痴を零すのだが。

 ところで、この店は街外れの、しかも街道沿いにあるから、旅人がふらりと立ち寄ることもある。店の外にあるベンチで一休みして、街へと向かうこともあれば、街をでる旅人が、買い忘れたものをこの店で買っていく、そんな事もある。

 それなのに。カウンターに頬杖をついて、伊吹は外を睨む。今日はとてもいい天気なのに。

 いや、いい天気だから、なのか?

 朝から、お客さんが一人も来ないのだ。

 祖父の矢萩は早朝から出かけてしまい、不在だ。もっとも、居たとしても店番をしているかどうかは、疑わしいけれど。

 店主不在時の責任者である・・・もっとも、店主不在時の方が、圧倒的に多い・・・うさぎも、日がな一日本を読んでお茶が飲めれば問題なしと思っているのを、伊吹は知っていた。

 店内を掃除して、商品を並べている棚を片付けて、カウンターの隅にはガラスコップに挿した花を飾って。

 そうしたらすることもなくなってしまい、伊吹は暇だと喚く破目に陥ったのだ。

「そういえば、矢萩はどうした?朝から姿を見てないようだが」

「あれ、うさぎに言ってなかった?じいさまなら出かけたよ。例によってお茶の買い付けだって。ついでに魔法使いの所に寄って、瓶詰魔法買い足してくるって」

 伊吹、聞いてくれよ、珍しい異界渡りのお茶なんだって!ああ、売り切れないうちに行かないと!店の事はいつものように、うさぎに頼んでおいてくれ。

 うさぎが起きてくる前に、そう慌しく言い残し、矢萩は出かけて行った。いつものことなので伊吹はああまたかと呆れるだけだったし、起きてきたうさぎも何も聞かなかったものだから、すっかり言った気になっていたようだ。

「ほんと、茶道楽なんだから」

 そう締めくくると、うさぎは丸眼鏡の奥の、紅い目を細めた。

「へえそうか。じゃあ僕も是非ご相伴させてもらおう」

 全くこの人たちはもう。付き合いの長い伊吹には、うさぎが内心とても“うきうき”しているのがわかった。

 うさぎも矢萩に負けず劣らずお茶が好きなのだ。あまり表情の変わらないうさぎが、嬉しそうにするのは、美味しいお茶を飲んでいる時か、読みたかった本を見つけた時くらいなのだった。

 類は友を呼んでいるなあと伊吹は思う。

 そして、今日何度目になるか、数えるのも放棄したため息をついた。

「お客さんちっとも来ないし、何しようか」

 することもないしなあと、うさぎを見るけれど。

「昼寝でもすればいいよ」

 うさぎはにべもなく答えた。相変わらず目は本に向けられたままだ。

 伊吹はカウンターから身を起こすと、拗ねたように唇を尖らせた。

「じゃあ、ぼく本当に昼寝してくるからね、お客さん来ても知らないからね」

 読書の邪魔をされるのが嫌なうさぎ。それを知っていて、少し困らせるつもりで言ったのに、構わないよと手を振られてはそれ以上どうすることも出来ず。

 昼寝してくる・・・そういい残して、二階にある自分の部屋に向かったのだった。


 うさぎは視線を本に向けたまま、伊吹の足音が小さくなるのを聞いていた。店主であり祖父である矢萩がいい加減すぎる反動だろうか、伊吹は責任感がつよい。この店にしたって、矢萩自身が“儲けよう”なんて気がさらさらないんだから、お客が多かろうが少なかろうが、気に病むことはないのだ。

 一応店として営業している以上、それなりの体裁とサービスは必要だろうけど。なんだかんだ文句を言いながらも、伊吹は楽しそうに客と話したり店番をしているし、また買いだしに出かける矢萩に、自分の欲しいものを頼む、ちゃっかりした所もあるから、まあ心配ないかとうさぎは思い、再び本の世界に飛び込んだのだった。


ぎしぎしと軋む音をたてる階段をあがる。二階の南向きの一部屋が、伊吹の部屋だ。他には祖父の寝室や客室になっている。部屋に入り、伊吹は窓を開け放した。暖かい風がふんわりと流れ込み、カーテンを揺らす。窓からは街から街道へと続く、白い道が見下ろせた。人影一つない道が。

「あ~あ、退屈だなあ」

 呟いて、ごろりとベッドに寝転がった。昼寝をしてくると言ったものの、お日様の匂いのするシーツや毛布は気持ちいいと思うものの・・・昼寝をしたいわけではない。

 かといって、うさぎのように本を読みたい気分じゃなかった。

「あ~あ、退屈・・・」

 もう一度声に出して言ってみると、余計に気分が沈んだ気がした。

 うさぎには、もしお客さんが来ても知らないよと言ったものの・・・この調子じゃあお客さんなんて来ないだろう。それに、うさぎは本当は、伊吹よりもお茶は言うに及ばず、瓶詰め魔法だの魔法道具だのには詳しいのだ。

 ただ、客商売には致命的なほど、愛想というものをどこかに置き忘れているというだけで。

 もっとも、常連の皆様はそれを承知で、うさぎの愛想の無さを大して気にしてないふうだった・・・ありがたいことに。

 天気もいいし、どこかに遊びに行きたいなあと思ってみるけれど、仲のいい友達は街に居るし、皆商売をしている家の子だから、お休みでもない日の、お昼がいくらか過ぎた時間じゃ家の手伝いをしているだろう。

 それに、今から行っても、街に着いた頃には日が傾いている。それからじゃ殆ど遊べない。

 まったく、じいさまが辺鄙な場所に店を構えるものだから、遊びに行くのも一苦労だ。

 街、で伊吹は、いつも優しげな笑顔で自分を迎えてくれる人を連想した。

「梢さんの淹れたお茶が飲みたいなあ・・・」

 祖父やうさぎは、あれだけお茶が好きなのに、お茶を淹れることじたいはあんまり上手じゃない。

 だからか・・・街へ行った時は必ず梢さんのお店に寄って、お茶を飲んで帰る。時々この前仕入れたお茶なんだけど、淹れてくれないかと茶葉を持ち込むこともある。

 梢さんは街の西の外れで、“カレント”という名前の喫茶店をしている男の人だ。いつも黒くて長い髪の毛を、首のところで一本に括って、紺色のエプロンを着けている。

 矢萩やうさぎを上回るお茶好きで、お茶の仕入れに行ってきます、しばらく休業しますという張り紙一つ店の扉に貼り付け、姿を消すこともしばしばだ。その辺りが矢萩やうさぎと気が合うのかもしれないと伊吹は思っている。

 まあ、珍しいお茶を仕入れたから飲んでみてねと、時々とんでもない味のお茶を出す以外は、祖父やうさぎより常識人かなと思っているけど。

「あ~あ・・・」

 伊吹は気が抜けた声を出した。寝転がっているのにも飽きたのだ。

 そうだ。伊吹はむくりと起き上がる。じいさまも居ない、お客も居ない。これは、前から気になっていたアレをするのに、絶好の機会じゃないかと。

 伊吹はついさっきまでの退屈さなど吹き飛ばして、足取りも軽く階段を降りていった。


 伊吹は店の裏手にある、大きな倉の前に立っていた。そこは今では使われていない場所で、中に何があるの、どうせ片付けてないんだろうから、ぼく片付けるよと伊吹が言うたび、危ないから入るんじゃないと止められている場所でもあった。

 けれど、今日は止める矢萩はいない。何がこの中にはあるんだろうと、わくわくしながら伊吹は扉に手をかけた。ぎいっと軋みをあげながら、重たい扉はゆっくり開いた。ひょいと薄暗い中を覗き込んで、途端に顔をしかめた。ひんやりした空気とともに、黴臭い匂いが鼻をついたからだ。足を一歩踏み入れてひゃあと悲鳴をあげた。もうもうと埃が舞い上がったからだ。げほごほと咳き込んでしまい、涙目になってしまう。

 埃がおさまった頃、そろそろと更に奥へと進んだ。そしてそこで見たものに、思わず気の抜けた声をあげてしまう。

「う~わぁ~・・・何コレ・・・」

 整理をしようという気はあったのだろう、棚はいくつか置かれていた。しかし、それも溢れるようなガラクタの山の前では、役に立っていない。何に使うのか、そもそも使えるのかすら不明の物、色が変わっているような置物、巻かれたままの絨毯、積み上げられた本・・・それらが、あまりにも、あまりにも雑に詰め込まれている。

 一つを抜けば、たちまち全てががらがらと崩れてきそうなほど。通路らしきものは見えるが、最早ソレは獣道。辿らないのが賢明と言えそうだった。

「危ないからってじいさまが言ってたの・・・本当の事だったんだ・・・」

 これでは確かに、危なくて仕方がない。片付けに駆りだされたくない、祖父の言い訳だとばかり思っていたのだけど。祖父のいい加減さ、或いは大雑把さは、よ~く知っていたが、これは酷すぎる。何をどうやったらここまで詰め込めるのか、伊吹にはさっぱりわからなかった。よくぞここまで詰め込んだものだと、うっかり変な感心さえしてしまいそうだ。

 じいさまが帰ってきたら、問い詰めてやる。そう深く心に決めて、もう一度ガラクタの山を眺め回す。

 何処から手を付けたら、この山を綺麗に均せるのか。至難の技と言えそうだった。出来ないとは思わないけど、時間と手間がかかるだろう・・・それもかなり。そして、祖父とうさぎの助力は少しもあてにならなかった。

「ほんっとに、じいさまったら・・・・片付けられないにもほどがあるよ・・・」

 悔しいことにすぐに手をつけられそうにないので、一旦伊吹は倉の外に出ようと思った。扉の所まで行って、このまま出るのも何だか癪だと思い、引き返す。何か面白いものはないだろうかともう一度辺りを見回したとき。きらりと光るものが目に映った。埃まみれになりながらも、鈍く光ったそれは、伊吹の拳ほどもある大きさのまるい珠だった。

「なんだろう、これ」

 床から拾い上げ、外に出て扉を閉める。吸い込んだ埃を吐き出すように、大きな息をしてから、持ち出した珠をこすってみた。埃まみれで曇っているかと思われた珠は、どうやら初めから曇硝子のようなもので出来ているらしい。いくらこすっても透明にはならなかった。

「何だろう」

 透明にはならない珠は、中に何かを閉じ込めているような気がした。



「おや、昼寝をするんじゃなかったのかい」

 伊吹が店に戻ると、うさぎは本から顔もあげずに言った。テーブルの上のポットが変わっている所を見ると、新しくお茶を淹れたらしい。

「それ一体何杯目のお茶なのさ~・・・ま、いいけど、これ見てくれる?」

 呆れながらも、伊吹はうさぎに、持ってきた珠を見せた。

うさぎはね、本当に色んなことを知っているんだよ。そう伊吹の父はまるで自慢するように言っていた事がある。何か知りたいことがあれば、訊いてみるといいよと。

ただし、と父は付け加えるのも忘れなかった。簡単に教えてくれるとは、限らないけどねと。

そう・・・何回かに一度は、“たまには自分で調べてみたらどうだい。君の知りたい事は、この辺りに書いてあるから。これでわからなければ、こっちにも書いてあるから、辿ってみるんだね”うさぎは数冊の本を示す。

“それでも調べ方がわからなければ、訊きにくるといい”知ってるなら教えてくれればいいのにと、文句を言いながら伊吹は本をめくるのだった。

うさぎはおやと眉をあげ、本を閉じて伊吹を見上げる。

「珍しいものを持ってるね。何処から持ってきたんだい?」

「これが何か、知っているの?」

 うさぎはこの珠の正体を知っていたようだ。本当に驚くほど色んな事を知っている。

 頷き、うさぎはこれは手紙だよと言った。

「手紙?この曇硝子みたいな珠が?」

「そう。昔々の、まだ字が無い頃の、ふるい手紙だよ。魔法を使って、伝えたいことを閉じ込めたものだ」

 かしてごらんとうさぎが手を出したので、伊吹は珠をのせる。明るい方を向いて、丸眼鏡の向こうの目を細める。

「どこにあったんだい?」

「裏の倉だよ・・・ほんと、あの状態って何なのさ・・・」

 伊吹がげっそりと肩を落とすと、うさぎはにやりと笑った。

「矢萩が“入るな”って言っていた意味がわかっただろう?」

「よ~くわかりましたとも!下手に入ったら雪崩起こしそうなんだもの・・・じいさま帰ってきたら、問い詰めてやるっ。で、要らないものは処分してやる~っ」

「まあ精々がんばってくれ。アレで矢萩はなかなか手ごわいぞ」

 集めたものは、なかなか手放さないからなと、うさぎは低く笑う。伊吹は唇を尖らせた。

「他人事だと思って~」

「他人事だからな。僕の部屋に侵食してこない限り、どれほどモノがあろうが関心ないしな」

 だから、倉を片付ける気なら、声援は送ってやるから頑張れ。

 涼しい顔でうさぎは答える。手伝ってくれる気は・・・予想はしていたけれど、全く無いらしい。

 少しくらい手伝ってくれてもいいじゃないかと、恨めしげに見上げる伊吹に構わず、うさぎは手の中の珠を見つめ、はてこの“読み方”は・・・と呟いた。

「確か、このコトバだったはず・・・」

 伊吹には、“コトバ”は聞き取れなかった。言葉ではなかったのかもしれない。歌のような旋律が聞こえた後。

 伊吹は目を見開いて、息を飲んだ。

 うさぎの手の中の珠が、旋律に反応して光を放ったかと思うと・・・淡い像を結んだのだ。

 伊吹の知らない誰かの姿を・・・そして。その誰の、語りかけるような“声”が聞こえた。


 声がやみ、光も消えて。しばらく二人とも黙ったままだった。古いふるい時間のなごり、過去からの“声”が、まだ近くに漂っている気がして。

 傾きかけた午後の光が、やわらかく二人を包んでいた。

 不意に鳥の鳴き声が聞こえてきた。気の早い鳥がねぐらに帰ろうとしているのだろうか。

 夢から覚めたように、伊吹は何度も瞬きをした。

「これが“手紙”。珠に魔法で封じ込めた“声”を、誰かに伝えるためのもの。誰が誰に宛てたものかは・・・もうわかりはしないけどね」

「どうして倉にあったのかな。“手紙”なのに。ひょっとして、出し忘れでもしたんだろうか」

「さあ・・・出し忘れたか、出しそびれたか。もしくは、開けなかったか。本人あるいは当人にしかわからないことだ」

 もっとも、その本人もあて先の誰かも、とうにこの世に居ないがね。そう・・・矢萩の祖父さんの祖父さんの、そのまた祖父さんが生きていた頃の、“誰か”が書いたものだ。それくらい、遠い昔のものだと。

 伊吹は珠を見つめた。あふれ出した“声”は、とても暖かくて。それを受け取るはずのない自分の気持ちも温かくした。

「あれ、珠が透明になっているよ?」

「ああ・・・閉じ込めていた“声”を解放したからな」

 そううさぎは答えた。

「こいつは一度“読む”と二度と再生は出来ない。そこが普通の・・・今の“手紙”と違うところさ。開けたら最後、“読む”端から消えていってしまう」

 思い出のよすがとすることも出来ない。繰り返し眺める事も出来ない。

それでも。

「“読んで”みないと何が書いてあるのか、知ることは出来ないんだね」

 消え去るしかないとわかっていても。


伊吹が手を差し出すと、うさぎは手のひらに透明になった珠を乗せてくれた。それを両手で包み込むようにして持つ。うさぎはもう興味を無くしたようにお茶のカップに手を伸ばしていた。

「ねえ、“声”の閉じ込め方、知ってる?」

 うさぎは目を細めて頷いた。

「じゃあさ、ぼくにその方法教えてくれない?」

「いいよ」

うさぎは答えた。何のためにとも、何を込めたいのかも、聞かなかった。ただ、丸眼鏡の奥の目を、さらに細めて笑った。



 日が暮れて帰ってきた矢萩に事の顛末を話すと、彼は何も言わずに伊吹の肩をたたいた。

「この手は何さ」

 胡散臭げに伊吹が見上げると、祖父はにやりと笑った。

「いや、頑張ってくれという、じじからのハゲマシだよ」

「一人で片付けろって事?ふうん、ならガラクタから処分しちゃうからね!」

「いやいやいや、伊吹はおじちゃんの大事なもの勝手に捨てるような子じゃないよ~」

 伊吹が上目遣いに睨みながら脅しても、祖父は堪えた様子はなく、かえって朗らかに笑う。

「・・・・・・・」

 伊吹が沈黙している間に、祖父は「いいお茶が手に入ったんだ、食後のお茶にしよう」と言って、いそいそと準備を始めたのだった。うさぎは、“いいお茶”の単語に反応し、伊吹の助けにはなってくれなかった・・・。



「まったく、じいさまったら」

 二階の自分の部屋に戻り、伊吹は机に頬杖をついた。下のキッチンでは、祖父とうさぎが、手に入れたお茶について、香りや味がどうの、自分の好みからすればどうのと、伊吹にとってはそこまでこだわりの事を、ごく真剣に話し合っている。つきあいきれなくて、早々に逃げ出したのだ。

 伊吹はぺたりと机に頬をくっつけて、透明になった珠を見つめた。指先ではじいて転がしてみる。

 なにを“書こう”。

 “誰か”が“書いた”手紙を読んでから、伊吹も手紙を書きたくなった。時間が過ぎて残るものって、何だかいなあと思ったし、誰かに・・・もしくは、遠い未来の自分に、今の自分が何かを伝えたいと思ったのだ。

 “手紙”を“読む”とき。誰かは・・・或いは未来の自分は何を思うだろう。

 

 伊吹は椅子から立ち上がり、手のひらで珠を包んだ。

 “言葉”を封じ込める方法は、うさぎに聞いた。


 やがて珠がぼんやりと光り、曇硝子のようになる。その珠を伊吹は部屋の棚の隅に入れた。

 いつかこれを“読む”・・・誰かの、あるいは、遠い未来の自分のために。

 

 “手紙”を“読んだ”時・・・どんな思いがするだろう?

 それを想像すると、何だかとても楽しくなって、伊吹は小さく笑い続けた・・・・。


 伊吹の“言葉”を知っているのは、遠い空に浮かんだ月だけ。

 封を切られるいつかの日まで、“手紙”は静かに眠り続けるのだった。


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