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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

世界を救った勇者は、私だけを救わなかった

作者: 音央とお
掲載日:2026/04/12

手の届かない鉄窓の向こうが、最近騒がしい。


「若い勇者たちが魔王を倒したとかで、凱旋パレードの準備をやっているよ」と、看守の一人が口にした。


隣の牢屋にいるおじさんへの内通者で、こうして耳を傾けていれば情報が手に入った。


「あの魔王を倒す奴が現れたっていうのか!?」


「おいおい、声がでかいぞ。怪しまれるから静かにしてくれよ」


「おっと、すまない。……それで、その勇者っていうのはどんな奴なんだ?」


「身体は鍛えられていたが、顔は優男だったよ。あれは姫様が黙っていないだろう」


「それは褒美に婚約でもしそうだな」


「囚人の俺には全く関係ないがな」と笑う声に、同意する。


外で何が起きようと、私には関係がない。

ここで、いつ自由になれるのかも分からないまま、枯れ葉のように朽ちていくだけだ。


――勇者を一目見るまでは、そう思っていた。



*   *   *



私は、王都には劣るが、賑やかに栄えた街で踊り子をしていた。


長く伸ばした髪、隠すべきところが透けそうな衣装。

艶を足すように化粧をされて、体をくねらせる。

――まるで娼婦だと軽蔑されたこともあった。


ある時に、王の前で舞を披露する機会に恵まれた。

私は、一番の美人であるミカエラさんに付いて身の回りの世話をしていた。


舞の素晴らしさはもちろんのこと、ミカエラさんは豊満な肉体をしていて、王の目は釘付けになった。


「またつまみ食いする気だよ」と、誰かが噂した。


突然の王命にミカエラさんは瞳を揺らした。


「学も何もない私には、後宮なんて無理よ」


そう弱音を漏らせば、誰か一人を侍女に迎えて良いと王は言い出した。

そして、その役目は――私に回ってきた。


「ハルンは器量は良いのだけど、舞の才能がからっきしだからだなぁ」


踊れないわけではない。

どうにも色気が足りないと評価されていた。

だから、侍女の真似事はしていた。


「ハルンがいてくれるなら心強いわ」


ミカエラさんにそう微笑まれて、私は断れなかった。


後宮は見た目こそ華やかだった。

――煮詰まったように泥々としているのに。


なんの後ろ盾もなく、その身一つだけで寵愛を受けていたミカエラさん。


「こんなところ、やっぱり私には無理よ」


気品すら感じるほど、踊り子時代は自信にあふれていた。

その面影はすっかり消え、見た目こそは最高の状態に保たれていたけれど、心はすり減っていたのが分かる。


「……近いうちに、身ごもると思う」


とても見ていられなかった。

ミカエラさんの侍女である私も居場所なんてなくて、一緒に逃げ出したかった。

そんな希望が、ここにあるはずもないのに。


毎晩のように艶声が後宮に響いた。

王の気が晴れるまで、気が狂いそうになるまで聞かされた。


「ご懐妊ですね」と、医務官に告げられるまで時間は掛からなかった。


「そう……ですか……」


まだ薄い腹を撫でながら、ミカエラさんの表情は虚ろで、もう生気など感じなかった。

彼女は、自ら堕ちたのかもしれない。


「――ミカエラが、毒を煽って倒れた」


幸いにも、母子ともに無事だった。

そう医務官は口にしたけれど、それは幸いではなかった。


本人が毒を手に入れるなんて不可能なはず。

けれど、懐妊前にも不可解なことはいくつもあった。

手を伸ばせることは、いつでもできた。


そして、こんな噂が流れる。


「誰かの差し金だ。――怪しいのは、あの侍女だな」


ミカエラさんとは会わせてもらえなかった。

噂の広がりと共に、それが真実のようにされた。

私の言うことなんて、誰も耳を傾けてくれない。


そして、まさか王と謁見することになるとは思わなかった。初老の恰幅のいい男だった。

「これが噂の」と呟き、嘗め回すように全身を見られた。


「顔は悪くない。……あとは、じっくりと成長させればいい」


鳥肌が立った。

王女と変わらない年齢の私を、女として見ている。


頭の中に、媚びたような女の声が響いた。

心とは裏腹に、体が男に従ってしまう。

そんな、悲鳴の声だ。


「しばらく、牢に入れておけ。数年もすれば――使えるようになるだろう」


これ以上の地獄はない。

……そう思ってしまった。


それから数年の時が流れた。

私は牢から出ることなく、栄養だけは与えられていた。


姿を見ることはないけれど、隣の牢には誰かが入れ替わりでやって来た。


「二人目の王子が生まれたらしい」


「また懐妊するんじゃないか」


ミカエラさんは貴妃として扱われているらしい。

あいも変わらず使い込まれながら――。

そのせいか、私の存在は忘れられている。最初からいなかったかのように。


ただ、時間だけが流れる場所で、私は動けずにいた。



*   *   *



結界に守られた王都では忘れ去られていた。

魔族の存在が、人間をいかに痛めつけてきたかを。

あの王に期待などできなかった。


私の両親だって、魔族に食べられてしまった。

生まれた村では珍しくなかった。

遺された幼子は、人買いに攫われ、踊り子として売られた。


勇者一行の噂を聞いて、遠い記憶が蘇る。

――若い勇者が人間たちの希望となった。


「……そうか、魔王はいなくなったのか」


現実味もない、もう関係のない世界だ。

感情はまったく動かなかった。


「その勇者様が王に成り代わってくれればいいのに」


囚人の男がそう言えば、看守も頷いた。


「姫君と婚約するなら、いずれそうなるさ」


「あの王は後宮を手放さないだろ」


「そのとおりだ。……いつになるやら」


――いなくなればいいのに。

そう願うほど、希望は遠い。



それから、姫と勇者の婚約は順調に進んでいるらしい。

王の娘は悪い噂しかなかった。

それでも、目を瞑れば美女と権力が手に入る。


勇者になるような男は、野心家が多いと言われている。

いくつかの季節が過ぎ、明日は盛大な結婚式が行われるらしい。


「準備はどうだ?」


また、あの囚人は看守と話していた。

内容はこれまでで一番不穏だった。


「順調だ。明日、脱獄させてやる」


「ありがたいね、お祝いムードってやつは」


「ここの警備は薄くなる」


「隙だらけってわけだ」


見返りはいくらだとかに興味はない。

それよりも、思わぬ道が拓けそうで喉が震えた。


――混乱させるために、全ての鍵を壊すらしい。

何人いるのかは分からない。


逃げない者なんていないだろう。……私だって、そうだ。


行く場所はない。

でも、ここで朽ちるのは御免だった。


……たとえすぐに命を落とすことになっても、死に場所は私が決めて、終わらせる。


朝が来るのが待ち遠しい。

そう思えた。……はずだったんだ。


目の前には、誰も予想していない現実があった。

勇者と姫の式は行われなかった。


……この国が、終わりを迎えたからだ。




*   *   *


鉄窓の向こうに光が差し込みかけた頃だった。

妙な騒がしさに目が覚めた。

外はまだ寝静まっているはずなのに。


男たちの怒声、女たちの悲鳴、焦げ付く匂い。


……何が、起きているの?


荒い足音と共に、いつもの看守が「まずいことになった!」と叫んだ。

金属を砕く音が響いた。隣の牢の鍵が壊されたようだった。


「なにがあった?」


「反乱だ! 王が殺された」


その言葉に息を呑んだ。

あの王が……?


「なんでそんなことに? いったい誰が、あいつを……?」


「それが……」


看守は一瞬、言い淀んだ。

けれど、隠さずに口にする。


「――貴妃に背中を何度も刺されたようだ」


ミカエラさん……?

どうして? どうして……!


閉じ込められているはずの彼女が、どうして刃物(はもの)を?


行動よりも、そこに引っかかりを覚えた。

ミカエラさんなら、やりかねない。

毒を飲むほどの決断ができる人だ。


「誰かに、渡された……?」


そう考えるのが、自然だった。

でも、一体誰に?


「とにかく逃げるぞ! ここが火の海になる前に!」


鍵が壊される音が、いくつも響いた。

しかし、私の扉の前には来なかった。


「間に合わない、急げ!」


その時、初めて囚人の顔を見た。

目が合ったけれど、すぐに逸らされる。


「……待って!」


……置いていかれた。

牢屋には、もう誰もいなかった。


「なんで……」


頬に涙が伝う。

とめどなく流れて、息が詰まった。


「どうして、みんな……私を置いていくの」


お父さんとお母さんは魔物に食べられた。

村の人は見ないふりした。

踊り子たちだって、私が侍女に選ばれて胸をなで下ろしていた。

牢に入れるだけして忘れ去った王様。


みんなみんな、私のことなんてどうでもいいんだ!


「……あの子も、私を置いていった」


一番古い痛みを思い出す。

村で一緒に過ごした男の子。


お父さんが食べられて。……お母さんと消えていった男の子。

ずっと一緒にいようねって約束したのに、いなくなった。


「あの時から、私の運命なんて決まっていたんだ」


もう、そうとしか思えなかった。

自分ですら、どうにもできない。


「……ゲホ、ゲホッ」


火が近付いてきてるのかも。煙臭い。

口元を押さえ、床に這いつくばった。


「……死にたくない」


それは自然と口からこぼれた言葉だった。


「死にたくないよ、こんなところで……」


世界から忘れ去られて、消えたくなかった。


頭がだんだんぼんやりとしてきた。このまま意識が消えていくかという時――


「迎えに来たよ」


それはやって来た。

水面にそっと広がるような声だった。


「……え?」


誰もいないはずなのに。

幻のようなその声に驚いていると、乱暴に金属が砕かれた。

ゆっくりと足音が近づいてくる。


「……誰?」


若い男だった。全身が血まみれの――。

口元は微かに弧を描き、目は柔らかく細められる。


「……約束を果たしに来たよ。これからは、ずっと一緒だ」


傷だらけの腕に、そっと抱きかかえられる。

まるで宝石を扱うかのように触れられた。


見覚えのない男。

……なのに、青みがかった瞳には見覚えがあった。


「ヒュード?」


「……ああ。久しぶり、ハルン」


「本当に……?」


彼が身に着けていたマントに包まれる。

みすぼらしい服が隠されて、少しほっとした。


「どうして、あなたがここに……」


「君に会うためだよ。……まさか、王宮の牢屋に入れられているとは思わなかったけど」


幼い頃に村を出て行ったヒュード。

私が売られたことも、後宮に来たことも知るはずがないのに。


「私のこと……覚えていたの?」


「当たり前だろ。大人になった。――結婚してくれるんだろ?」


「そんな昔の話……。とっくに時効だと思ってた」


あのまま置いていった訳じゃなかったんだ。

それに、心が少しくすぐったくなった。


ムッとヒュードの眉が寄せられた。


「無かったことになんてさせない。――そのために、回りくどいことをした」


「え?」


「褒めてくれるよね? 君のために世界を救ったんだよ。目障りな魔王も――あの汚らわしい王も、全部いなくなった」


「……ヒュード……?」


それは私の知る、優しい男の子の顔ではなかった。


「君を探すために勇者になって、婚約までさせられた。さすがに、結婚式は勘弁だと思ったよ。僕には大切なお嫁さんがいるんだから」


見つめ合ったまま、逸らせなかった。

逸らしてしまえば、どうなるか……想像もしたくなかった。

心臓が嫌にうるさかった。


「これからどうしようかな」


「なにが……?」


ヒュードは私を抱えたまま、ゆっくりと牢屋から離れていく。周囲の騒がしさなど嘘みたいに、鼻歌を口ずさむ。

それは村に伝わる愛の歌だった。


「もう勇者なんて興味がなかったんだけど。これといってやりたいこともないんだよね。勇者でも続けとくかなぁ」


知らない男の声で、ヒュードは囁く。


「僕は勇者だから。――いつだって、君の世界を救ってあげる」


君を煩わせることは、全部失くしてあげる。

これって、間違ってないよね?


「……」


「勇者の言うことは、正しいんだよ」


それは違う。

そう口にしたいのに、私たちの時間はあまりにも違いを生んでいた。


少年でなくなった勇者。

私は何の力も持たない囚人。


どちらが正しいかなんて――……

勇者の救った世界では、愚問となる。


この世界に、私の味方はいない。


「……ヒュード、私はあなたのこと何も知らない」


「ゆっくり知ればいい。……もちろん、君も教えてくれるよね?」


「……ええ」


何も、話したくない。

すべてを壊してしまう、あなたには。


私を煩わせるのは、

――この世界、そのもの。






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