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第20話 『戦慄』

 蒸し暑い森林の中で、ナズベル家筆頭執事であるフランは、主であるソフィー・ド・ナズベルと昼食の用意をしていた。


 申し訳ない。ソフィー様に食事の手伝えなどさせてしまうなんて。本当はゆっくりとお体をお休め頂きたいのに、あまり特別扱いをすると身分が悟られかねない。


 私はチラリとアスピア家が連れて来たドワーフの様子を探る。ご老体のようだが、薪の為に木を切るその様子は、今でも彼が現役であることを示していた。


 でも気づいてはいない様だ。


 ほっと息をつきながらも、私の心はやすまらなかった。リオン・ド・アスピア。彼はお嬢様の正体がソフィー様だと勘づいている。彼とお嬢様が顔を見知る機会があったとすれば、社交界で遠目に見たことがあるくらいのはず。


 それなのにすぐ気づくとは記憶力が良い。


 私の任務はお嬢様の護衛だ。本当はこんな危険に晒すこと自体許せない。


 しかし今ナズベル領は危機的状況下にある事も事実だった。メデュラモン火山から魔獣が鉱山地帯に次々と侵入してきているのだ。


 火山は過酷かつ広大。襲い掛かる魔獣を撃退しながら侵入経路を探るには、私の力だけでは不足だった。それこそ辺境伯級の大規模魔法の使い手でなければ、手に負えないだろう。


 だがマルセイ様は法務官としてのお勤めがある上にご高齢。ご長男様はハルギリウス将軍率いる陸軍に仕官されており、戦争の準備でとても手が離せる状況ではない。


 次男様はレイブン学園に在籍されていらっしゃるだけあり、魔法の素養は素晴らしものがあるものの、本人が危険を嫌がられた。


 そこで自ら調査に名乗り上げられたのがソフィー様だった。小さい頃からソフィー様は快活なお方で、帝都で優雅に暮らすよりも、辺境で鉱夫達の子供と一緒に遊ぶ方が好きな方だった。


 そんなお嬢様が帝都に住まわれるようになったのは、メテルブルク家の長男との婚約の話があったからだ。広大な穀倉地帯で有名なメテルブルクとの良縁は領民達の助けになるだろうと、お嬢様はおっしゃった。


 髪を伸ばし日に当たるのを避け、古典音楽を嗜み、所作の一つ一つを指先に至るまで矯正し、帝都の貴族令嬢たらんと血のにじむ様な努力をされる姿を私は決して忘れない。


 それなのになんだあの結末は。大勢の貴族に見られながらお嬢様がバフェットに引きずられ嬲り者されたあの日のことを思い出すと、筆舌に尽くしがたい激情で頭がおかしくなりそうになる。


 帰って来た時のあの虚ろな目。まるで汚い物でも見るかのようなメテルブルク家の長男の目。許せない。必ず復讐してやる。


 完全に心が壊れてしまい寝たきりになってしまったお嬢様を、私は見ていることしかできなかった。ただ毎日お食事を匙に掬い口元に運ぶだけ。


 そんなお嬢様を救ったのは一人の少女だった。鉱山の麓の村の少女が村に訪れなくなったお嬢様を心配し、黄色い花を持ってお見舞いに来たのだ。


 何か月も全く反応がなかったお嬢様だったが、それでも少女は花を持ってベッドの傍に飾った。


 転機を迎えたのは冬の日だった。その日も見舞いに来た少女から、一粒の涙がお嬢様の手の上に落ちた瞬間を今でも覚えている。


 私は思わずその時を振り返った。


「……なぜ泣いているの」


 掠れた声でお嬢様が尋ねると、少女は暫く黙り込んだのち、ポツリと声を漏らした。


「パパがかえってこないの」


「どこに行ったの?」


「お山。みんなまじゅうがでたって」


「……いつからお父様は帰ってきてないの?」


「なんにちも、なんにちもたってるのに、かえってこないの。ママはもうパパはかえってこないって……」


 しんと静まり返った部屋にすすり泣く声だけがする。お嬢様は少女が泣き止むまでそっと抱きしめ続けた。顔の涙を拭き取り感謝の言葉を伝え、家に送り返すとお嬢様の瞳には光が戻っていた。


「フラン。化粧台に座りたいの。手を貸してくれるかしら」


「は、はい。直ぐに」


 すっかり細くなったお嬢様の手を取り、化粧台にお連れすると、引き出しから鋏を取り出した。


「お嬢様、どうされるおつもりですか」


「あの子はお父様を亡くしたにもかかわらず、こんな私の事を心配して見舞いにきてくれた。今度は私が助ける番」


 止める間もなかった。次の瞬間お嬢様はあれほど丁寧にお手入れされていた髪をバッサリと切り捨てていた。


 そこからは弱った身体を元に戻す日々を重ねた。マルセイ様もお嬢様の正気が戻ったことを、涙を流して喜ばれた。


 だがその理由が危険なメデュラモン火山に向かう為だと知ると、とても逡巡なさっていたが、それでも最後には嬢様の意志を尊重し黙認された。


 そして遂に部隊を編成し火山の調査が始まった。私の剣とお嬢様の魔法により、最初はとても順調だった。しかし深層へと進むにつれ火山の瘴気はより濃くなり、魔獣の強さは桁違いに強くなっていく。


 それでも私たちは何とか奥に進んだが、ある日とうとう調査部隊に犠牲者がでた。相手は巨大なマグマの鎧を纏った蚯蚓の魔獣。


 マグマが冷え固まった岩の鎧は非常に硬く私の剣では切り裂けず、お嬢様の土魔法も弾き返してしまう。


 そいつの執念は異常だった。毎日その魔獣は私達を付け狙い、壁や床や天井ありとあらゆる場所から岩盤を突き破って襲ってくる。


 部隊の半分が無残にも喰い殺された時、これ以上の危険は冒せないと調査は打ち切りとなった。それから魔獣は増え続け、鉱山はどんどん閉鎖され荒れていった。


 打ちひしがれるお嬢様の姿。無念さと無力感のどん底に居た時、彼は突然やって来た。


 あの憎きメテルブルク家を象徴する白髪。だというのに身に纏う外套はアスピアの藍色。男の名はリオン・ド・アスピア。貴族の間では、不祥事を起こしたシェリル・ド・アスピアを強引に妻にし、アスピア辺境伯の座を奪い取ったとされている。


 あながち間違いではないのだろう。実際彼が十七歳にして近衛騎士団長に上り詰めた際も、ヨギル家嫡男のヨギル・ド・ロランを蹴落としていた。


 最初は世渡りが上手いあの長男と同じ醜い口先だけの男かと思っていたが、その姿を見た瞬間にそれは間違いだと悟った。


 見る者の魂を貫く様な鋭い赤眼。白髪を突き破り生えている漆黒の角、外套の下から生える龍の如き尾。


 マルセイ様から話では聞いていたが、彼が大勢の貴族の前でバフェット卿に歯向かったという話はまさか本当のことなのか。


 信じられなかった。超越者に逆らう者など存在するはずがないと。だがその姿を見た私は信じざるを得なかった。その姿は正に白龍卿。


 マルセイ様はおっしゃった。アスピア辺境伯は危険だ。お嬢様を頼むと。マルセイ様が命令されるまでもない。私はお嬢様を命に代えても御守りする。


 そう決意を新たにした時、突如自身の身体が引っ張られる様な感覚に陥った。


 はッと意識を切り替え、周囲を見渡す。何だあれは!? 木々の隙間から赤い光が差し込んできている。あっちはアスピア辺境伯が見張りに消えた方角だ。


「サーシャさんはそこで待機してください」


「私も行きます」


「危険です」


「危険ならなおのとことです。貴方と私二人ならきっと大丈夫」


 ちらりと後ろを向くとドワーフの老人が斧を片手に走ってきている。反射的に柄に手が伸びかけたが、良く見るとこちらを害そうとしている訳ではないようだ。単純にあの光の向こうに駆け付けようとしているのだろう。


 だがここでお嬢様と別行動することも危険か。


「分かりました。行きましょう」


 木々を抜けるとアスピア辺境伯が空に手を翳していた。手の先にある火球は激しく発光していて、まともに見る事ができない。前に一度戦った時はあんな魔法見なかった。


 とにかく状況を確認しないと。私は手で光を遮りながら、アスピア辺境伯を問いただした。


「何事ですか!?」


「目と耳を抑えておいてください。フル・フレイム」


 まずい。あれを放つ気だ。反射的にお嬢様を庇い覆いかぶさる。その刹那身体が消し飛ぶかと錯覚するほどの爆音と爆風が身体を打ち付けた。


 キーンとした耳鳴りを無視し空を見上げると、そこには地獄が広がっていた。空が燃えている。あの戦いは手を抜かれていたのか。


 降り注ぐ大量の火の粉が淡い光の粒へと姿を変えていく。身体の震えが止まらない。次元が違う。人ではない。魔獣などより遥かに恐ろしい存在をナズベル領に迎え入れてしまったのだと、その時私は心の底から思い知らされた。

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