第16話 『ナズベル家の執事』
自身の魔法を簡単に掻き消されたことに動揺を見せたナズベル辺境伯だったが、直ぐに無表情に戻った。そのまま彼が部屋に飾られた金細工の女性像の腕を動かすと、遠くでベルの音が聞こえた。
すると即座に中々の霊気を持った存在がこちらに向かってくるのを感じた。さっきの執事か。扉が三度素早くノックされる。
「入ってよいぞ」
「失礼します」
「急な話じゃが、お前にはアスピア辺境伯と手合わせしてもらうことになった。手加減は要らん」
「承知いたしました」
丁寧だが無駄のない動きで頭を下げる黒服の執事。だがスッとこちらを直視する炎を思わせる朱い瞳はこちらの一挙手一投足を観察していた。灼熱を思わせる髪色も相まって圧迫感がある。
……辺境伯の執事は何でこんなに曲者揃いなんだ。
「ではこちらに」
彼? いや確かフランと呼ばれていたから彼女? 彼女について階段を降り、暫く歩くと屋敷の庭に出た。
緑の芝生が美しい。今日はいい天気だな。
そんなことを考えていると、後ろから着いてきたナズベル辺境伯が咳払いした。
「どうしました?」
「武器は要らんのか?」
「大丈夫です」
力の霊気で強化された膂力で剣を振るうと折れてしまうのだ。自分の爪の方が切れ味も耐久力もある。
「そうか。ならば二人とも今少し離れ、見合ってもらおう」
声に従い僕とナズベル家筆頭執事が向かい合う。彼女が腰を落とし右手を柄にかけた。
居合術?
そんな位置からでは届かないぞ。
「始め!」
刹那、炎の斬撃が視界を覆っていた。斬撃を放ったのか。三日月型のそれがゆっくり迫り来る様に錯覚する。しかも後続にもう一つ斬撃が見える。
抜刀状態から返す刀で二連撃か。
初撃に対して半身を逸らして躱そうとするのを直感が制止する。斬撃に練り込まれた霊気量が異常だ。迫り来る斬撃に焦点を合わせる。
「堕ちろ」
水平に直進していたそれが突如、直角に地に落ちた。斬撃が赤く爆ぜ、黒煙が視界を覆う。
まだだ。もう一撃来る。
炎翼を羽ばたかせ上空に舞うと、先ほどまで自分が居た場所を灼熱の斬撃が通り過ぎた。間一髪だったな。
相手の場所を探るも黒煙で上手く身を隠しているようだ。でも霊気は誤魔化せない。居場所目掛けて指をさす。
「フレイヤ」
指先に火が灯ったかと思うと、人など簡単に呑み込めるほどの火球が立て続けに三度放たれる。しかし最初の一発は縦に、二発目は横に引き裂かれる様に空中で斬り捨てられた。
爆散し吹き荒れる火炎と黒煙。だが三発目は迎撃が間に合わなかったのか地面に着弾した。
吹き飛ぶように執事の身体が宙を舞っているのが霊気で感じられる。地面に降りようと背中の炎翼を消そうとした瞬間、彼女が霊気を練ったのを感知した。
「おもしろい」
煙を突き破って現れたのは灼熱の斬撃の乱舞。背中の翼を再展開し、当たりそうなものだけを振り払う。
彼女は僕が目視できずとも、相手の正確な位置を把握できることに気づいている様だ。
だから三発目のフレイヤはわざと喰らったように演技したのか。そして僕が油断したところに、宙に舞った体勢から斬撃を放った。
だが斬撃の何発かを見当はずれの方向に放っていた様子を見るに、どうやら向こうは僕の位置は把握できない様だな。
「煙に隠れず姿を現したらどうです? 貴方と違って私は姿が見えなくても、正確に位置を把握できる。むしろ隠れるだけ不利では? 貴方は目視せねば私の位置が分からないようですから」
「いえ。アスピア辺境伯様は視界に入れたものを地に叩きつける事ができるご様子。それは出来かねます」
「視界に入れないと発動しないと考えた根拠は?」
「私が最初に放った技は二連撃でした。その初撃は地に堕としたのに、二発目は宙に舞い躱されましたね。違いは黒煙という視界を遮るものの有無。つまりアスピア辺境伯様の視野に入ることは敗北に繋がります」
さすがは筆頭執事。エンキの瞳術の弱点を看過している。やっぱり一筋縄では行かないか。
というか先ほどから彼女が放ってくる飛ぶ斬撃って、赤月の騎士のソレイがやっていた技だな。斬撃を飛ばす流派か何かあるのだろうか。
「正解です。私は貴方の事を少し見くびっていたようだ」
「お気になさらず。それでは本気で行きます」
なんだ? 突然気配が変わった。強い霊気を感じる。どうやら刀に霊気を注ぎ込んでいるようだ。
真っ赤な光が黒煙すら貫き輝き始め、煙が刻一刻と晴れていく。
刀に籠められている霊気量からして相手は次の一撃で決めるつもりだな。即ち彼女にとっては絶対に外せない一撃。煙が晴れ僕の姿を認めた瞬間に斬撃を放つ気か。
なら僕も彼女が視界に入った瞬間に叩き伏せる。どちらが先に技を放つかの勝負。瞳に霊気を籠め、間もなく現れるだろう執事の姿を捉えるべく黒煙の奥を注視した。
来るッ!!
次の瞬間、居合の構えを取っている彼女の姿が視界に入った。瞳孔が細められ焦点が合う。もう既に刀を抜いている!?
鞘から抜刀する最後の一瞬と、僕の姿が見える瞬間が丁度重なる刹那のタイミングを逆算し、煙が晴れる寸前から刀を抜き始めていたのか。
紅蓮に輝く斬撃が肌を焦がす位置まで迫っていた。咄嗟に焦点を合わせ、地面に弾き堕とす。まだ次がある。
今の剣撃に籠められた霊気量は、さっき彼女が刀に溜めていた全量ではない。あの一瞬で斬撃に籠める霊気を分割したか。
直後頭上に霊気を感知。空を見上げると、太陽を背にしながら居合の姿勢になった彼女の姿があった。焦点を合わせようとして、陽光に思わず目がくらむ。
放たれた灼熱の一閃を、左手の爪を伸ばして受け止めた。だが超高温に熱された刃は対象を溶断すべく、激しい火花を散らしながら僕の爪を斬り進んでいく。
僕は剣撃を受け止めている左爪に対し、右手を翳した。
「フレイム」
剣撃を爪ごと爆破。尋常ではない轟音と業火が天を焼く。執事は爆風で上空に打ち上げられ、黒煙が空を埋め尽くす。
まだだ。霊気を感じる。彼女はまだもう一発放てるはず。
最後の一刀が空を覆った黒煙を突き破り現れた。今までで最も熱く巨大だ。だが煙で僕の姿を確認できなかったのだろう。狙いは逸れ庭に向けて落ちていく。
今ので霊気を使い切ったようだ。だがまだ油断できない。視線を頭上に向けようそして、僕は眼下にチラリと映ったそれに目を引かれた。
咄嗟に落下する斬撃に焦点を合わせ宙にとどめる。そのままゆっくりと斬撃をこちらに引き寄せようとした刹那、背後に気配を察知した。
尻尾で執事の放った突きを逸らすも、刃が肩に逸れアスピアの青外套を引き裂く。外套の下のミスリルと擦れ火花が散った。
それに構わず僕は炎の斬撃を十分な高さまで引き寄せ、火の霊気を纏った手で掴む。
「フレイム」
僕が手を握りしめると、斬撃が霊気と共に爆ぜ消えた。次に地面に落下していく執事に焦点を合わせ、落下速度を緩めゆっくりと地面に下ろす。
精根尽きたのか、焼け焦げた芝生に両膝を突いたまま動かない彼女の傍に降りる。
「ハァ……ハァ。なぜ、最後に視線を逸らしたのですか」
「落ちていく炎の斬撃の先に、花が咲いていたから」
彼女が僕の視線の先を追う。丁寧に手入れされた花壇に小さな黄色い花が咲いていた。ハッとした表情を浮かべる執事。
「私は負けただけでなく、執事失格です。お嬢様の花壇になんてことを」
「いいえ、貴方は素晴らしい執事ですよ。それでは失礼します」
僕はナズベル辺境伯に一礼し、ナズベル邸を辞した。




