第14話 『権謀術数』
ムーンドール城の表域の間。絶大な権力を握る法衣貴族達の伏魔殿の最奥でイザベラは部下の報告を受けていた。
「アスピア辺境伯がナズベル辺境伯と接触いたしました」
「やはりそう来たわね」
ふぅと溜息をついて妖艶に足を組むイザベラ。その魅惑的な姿に部下たちは見とれ釘付けになる。だが彼女の思考を占めるのは一人の男だった。
さてやはり動いたわね、リオン。
宰相として政務をつかさどる傍ら、帝都の商業ギルドの八富の一家としての地位も持つ我がプゥル家には二つの家業がある。一つはヨギル家と専売契約を結んでいる塩の販売、二つ目は人材斡旋業だ。
といっても一つ目の方はヨギル・ド・ロランを近衛騎士団長から解任し、リオンを任命した時点で廃業になってしまったけど。
確かに痛手だったけど未練はないわ。あの時は宰相として国防の為にシャルメンドラの巨大門の破壊を阻止することが、最優先事項だった。
大切なのは人材斡旋業の方。よく村では男が出稼ぎに都市へ出てくることはよくあるが、それを管理統括する所からプゥル家の事業は始まった。
今では労働者の中に当家の間者を紛れ込ませ、この帝国全土に網を張り巡らしている。人の動きを追えばリオンが何をしようとしているのか推察できた。
間者達の報告を聞くに、彼がメテルブルク領のナスタル村とアスピア領の間に街道を造ろうとしているのは間違いない。
その狙いはアスピア領の主力品目である魔馬をメテルブルクに売る為だろう。でも交易には相手の需要が欠かせない。
メテルブルクが魔馬を欲するとしたら、それは開墾用の農耕馬だ。すると今度は開墾して生産される農作物の需要を持つ誰かが必要になって来る。
なら鉱山地帯で農地の少ないナズベルに、彼が交易を持ちかけようとするのは必然だった。
でもその先が分からない。本当に領地を富ませる事だけが彼の目的なのか。その時、もっと深く潜ろうとする私の思考を部下の声が遮った。
「……閣下。やはり杞憂なのでは? 殿下暗殺の阻止に加えて、シャルメンドラの巨大門の防衛。白龍卿の帝国への忠義は疑うべくもないかと」
「何が言いたいの?」
「その……あまり白龍卿と事を荒立てる様な事をするのは避けた方が……」
そう恐る恐る進言する部下の顔には怯えが混じっていた。思わず舌打ちしたくなるのを抑える。
超越者バフェットがどんなに悪逆非道を尽くそうとも誰も逆らえないように、あの裁判以降、バフェットに歯向かったリオンに対しても皆恐れを抱く様になっていた。
「アスピア辺境伯には娘の命を助けられた。借りがあるし、確かに杞憂かもしれないわ。でもね……彼の心の何処かに獣の様な暗い部分がある気がするの」
「何を以てそのような」
「今彼はアスピア領とナスタル村……いえもうあの規模の土地を丸々壁で囲っている以上、あれは城塞都市ナスタルと呼ぶべきかしら。とにかくアスピアとナスタルを結ぶ街道の開発を始めている。この意味が分かる?」
ここまで話しても首を捻る部下達の様子に思わず頭痛を覚える。事態の深刻さを全く理解していない。
「もう間もなくアスピア辺境伯がメテルブルクを侵略する準備が整うということよ」
「―!? そ、それはいくら何でも飛躍しすぎではありませんか?」
「戦争において最も重要なものはなにか分かって?」
「兵力ですか?」
「兵糧よ。兵力はその次。兵数で少ない方が勝った戦争は歴史上いくつもあるけれど、兵糧なくして勝った戦争はないわ。あなたがアスピア辺境伯だったとしてメテルブルクを落とすならどこから攻める?」
完全に押し黙る部下に内心でため息をつく。まあ政務官に戦略を問うのはこちらの筋違いかしらね。
「ナスタルは帝国でも有数の農業地帯となりつつあるわ。いざ戦争が始まればアスピア軍当然、交易路からナスタルに侵入するでしょう。そうなればアスピアが食糧不足で撤退することはあり得なくなる」
「そうなればメテルブルク辺境伯領から取り返せばよいのでは?」
「ナスタルの大部分はメテルブルクの結界外にあり、城壁で囲まれているのよ? 壁に囲まれたナスタルに兵を詰められたらメテルブルク側から奪還することは困難でしょう」
そしてさらに不味いのがナスタルの人々のリオンに対する支持率の高さだ。当然ね。彼らの多くは元々、盗賊・浮浪者・孤児だったところを彼に保護されたのだ。
そして彼が誰よりも先陣に立って、魔獣を駆逐し森を開拓する姿を目の当たりにしているのだから。
むしろナスタルの人々が軍に加わる可能性すらある。
「ですがそうなれば帝国も軍を派兵すればよいのです。それこそそんな大義名分も何もない侵略行為など、帝国諸侯にも呼びかけ白龍卿を叩く絶好の機会」
「もし彼が大義名分を用意しなかったらね。でも用意できた場合、辺境伯にして近衛騎士団長であり、凄まじい国への功績を持ちながら超越者にすら歯向かう白龍卿に対し、一体どれだけの諸侯が賛同するかしら」
「いったいどんな大義があると言うのです」
「そんなものいくらでも出せるわ。例えばメテルブルク辺境伯並びに長男のマルコムの悪事の証拠を出すとかね。結局例の首輪の魔獣の件、メテルブルクが所持していた首輪の魔獣との関連性は有耶無耶になったままだもの」
ぽかーんとした表情を浮かべる部下に苛立ちを覚えながら、さらに捲し立てる。
「仮に本当にメテルブルクが白だったとしても、それを利用し黒に見せかけてもいい。そうでなくても彼らを何者かが弑してメテルブルクが乗っ取られたりしたら十分ね」
「辺境伯の暗殺など非現実的では」
……使えない。これだからコネと金と世襲だけで法衣貴族になった連中は。頭が痛くなるほど、楽観的で保守的だ。常に最悪の状況を想定することが大切なのに。
国の頂点に座す超越者バフェット卿の残虐な自領での圧政、それに従順し既得権益に保身する貴族共、貧困、盗賊、人狩り……結界という鳥籠の中で千年もの月日を経たこの国はもうとっくに腐り切っているのではないか。
いえそれをどうにかするのが宰相。私だけは死んでもそう思ってはいけない。
「……これ以上の空想は時間の無駄ね。目先の事に集中しましょう。これ以上アスピア辺境伯が権力を握ると帝国の権力バランスが崩れかねない。ナズベルには書状は既に送ってあるわね?」
「はい。ですがナズベル辺境伯は大法官として常に中立であることで有名です。ご心配なさらなくてもアスピアと結びつくことはないかと」
「物事は最悪を想定し次善策を用意することが肝要なの。あと結界部にこの書状を送って頂戴」
「結界部? なぜそのような所に」
「少しは自分で考えなさい」
*
「交易路じゃと?」
「ええ。ナズベルに農作地は少ない。帝都を経由して数多くの関税を掛けられた食糧の輸入は、非常に貴領の財政を圧迫しているはず。悪い話ではないかと。今度の戦争でさらに価格も上がるでしょうしね」
ソファーの膝掛けに頬杖をついてじっとこちらを見つめるナズベル辺境伯。海千山千の大貴族だ。流石にそこら辺の貴族と違い、簡単に考えを読めそうにない。
「すまんの。最近ものを見る力が衰えてきての。目を凝らさねばよく相手の顔が見えん。別に睨みつけておるわけではない。儂もそろそろ隠居の頃合いか」
「御冗談を。ナズベル辺境伯はこのような有事の時にこそ帝国に必要なお方でしょう。それとも安心して後を任せられるお世継ぎがいらっしゃるので? 確か御子息が二人いらっしゃるとか」
「あれはまだ駄目じゃ。長男はハルギリウス将軍率いる陸軍に仕官してもうたし、弟の方はやっとレイブン学園の七年生よ」
「サンシオと戦争が始まるという時期に仕官ですか。ご立派ですね。ご次男様もレイブン学園とは名門ではないですか。これはナズベル家は安泰そうですね」
「ふん。その若さで近衛騎士団長になった者に言われても皮肉にしか思えんな」
そんな言葉とは裏腹にまんざらでもない様子だ。家族思いの父親なのだな。弛緩した空気に居心地が悪くなったのか、ナズベル伯が咳払いした。
「無駄話はこれくらいにして、結論を言おう。ナズベル家はその申し出を断らせてもらう」
「なぜ?」
「我がナズベルは貴族同士の争いを調停する役目を代々負っている。一つの家に与することはできんのじゃ」
「一つの家とは考え違いです。新交易路はメテルブルクも絡んでいます。別に交易をするだけで中立を崩したとは誰も思いませんよ」
「ヨギル家が外れておろう。アスピアとヨギルが対立していることを儂が知らんと思っておるのか」
おかしい。ナズベル辺境伯の中立発言が建前な事は明白だ。アイリーンに試算してもらったナズベル辺境伯領の人口と、キュラン侯爵から情報入手した商業ギルドからの年間の食糧輸入量から考えても、彼がこの提案を飲まないはずがない。
どんなに美しい理念を抱いていようとも、実が伴わなければ意味が無い。人が生きていくためには水と食料は必須なのだ。ならナズベル伯には別口で食糧を手に入れる術があると言うことだ。
……帝都か。目の前のナズベル辺境伯の後ろで妖しく微笑むイザベラ宰相の幻影。交渉の次元が一つ上の段階に移ったことを僕は察した。




