第11話 『支配』
男ってほんと下らない。ちょろすぎ。
私は後ろから何も知らずについてくるアスピア辺境伯に悟られないように笑った。
「さあどうぞ」
彼を秘密の個室へと誘うと、私はベッドの上に横たわった。こんなに馬鹿だとは思わなかったわ。結婚式に潜入などせずとも、今私が殺してあげる。
後は適当に自分にも傷をつけて悲鳴でも挙げて、逃げる暗殺者の姿を見たと言っておけばみんな騙されるわ。
すると彼がベッドに乗り、私の顔の左右に両手を突いた。私は体に魔力を流しながら、両腕を彼の首に回す。その首へし折ってあげる。
勝ちを確信した私は性欲まみれの豚を嘲笑った。
「ばぁ~か」
両腕をぎゅっと締め上げ一気に骨を折ろうと力を込めた。
あれ? なんで? びくともしない。
「どうかしましたか?」
底冷えする様な声が身体を貫いた。彼と目が合う。紅く、ただひたすら鮮血の如く紅く染まった瞳。縦に裂けた瞳孔。
「ひっ」
反射的に枕の下に隠した短剣を取り出す。胸元に突き刺そうとしたその刹那、刀身が信じられないくらい重くなった。手首が軋み思わず、刀の柄を取り落とす。
ズッと音を立てて床に突き刺さった短剣。
理解できない現象に呆然とそれを見つめる。
「おやおや枕の下にその様な物を隠していらしたとは。物騒ですね」
再び心臓が握り潰される様な冷たい声。生存本能が今すぐ動けと叫ぶ。慌ててベッドから身体を乗り出し、両手で短剣を引き抜こうとした。でも短剣はびくともしない。
「な、なんでっ!? なんでこんなにっ!」
「すいません。少し意地悪してしまいましたね」
「きゃっ」
その声と共に突然剣が軽くなった。全力でそれを引っ張っていた私は大きくのけ反り背中からベッドの逆側に転げ落ちる。
もう何が何だか分からなくなりながらも私は剣を構えた。
「どうやら力がご自慢の様子。私はこの通り素手ですが、思いっきり斬りかかってくださって結構ですよ」
そう言って両腕を広げる彼の背後では、竜の如き尾が妖しくうねっていた。でも前はがら空きだった。完全に舐められている! 見下された。許せない!
「ばかにしてッ! ぶっ殺す!」
全身の隅々に魔力を流し集中。限界まで引き絞ったそれを一気に解放!!
床を砕きながら蹴って一息で肉薄し、短剣を振り下ろした。絶対殺す!
「ブラキ!!」
「ブラキオン」
全身全霊の刺突がたった二本の指で挟まれる。次の瞬間、刀身があっけなく砕け散った。
目の前の現実が理解できず固まった瞬間、私の両手首を尾が締め上げた。そのまま何の抵抗も出来ずにベッドに全身を叩きつけられる。ベッドがひしゃげ木片が飛び散った。
「アァッ」
背中に走る激痛に身を捩ろうとした刹那、首筋に太い尾が巻き付いた。
怖い苦しい怖い苦しい怖い苦しい怖い苦しい怖い苦しい怖い苦しい怖い苦しい
こいつ人間じゃないっ。怖い。怖い。必死で尾を振りほどこうとするもぜんぜん離れない。
ゆっくりと悪鬼が近づいてくる。悪鬼の様なソイツの右手から黒い爪が伸びた。それが左の手のひらをスッと撫でると、青い血がぽたぽたと流れ始める。
「貴方は僕を殺そうとした。それなら殺される覚悟もできていますよね」
「イ、イヤッ」
「さあ口を開けて」
「イヤぁ。だ、だれかぁ助けてっガア、アッ」
尾がぎゅっと絞まり喉が潰れそうになる。なんでッ。息がッできない。
「せっかく二人っきりになったのですから、人を呼ぶなんて野暮な事はやめましょうよ」
束の間、尾の締め付ける力が弱まった。喉が解放され思わず大きく息を吸おうと口を開けた時、数滴の青血を垂らされた。次の瞬間、全身の血管が浮き上がり身体が痙攣しだした。
「ギャアぁぁぁ、ぁあがぁ」
声が出せない。苦しい。全身の血管が破裂しそう。身体が裂けちゃう。何時間にも何日にも何年にも永遠にも感じられるほどの苦しみの後、私は意識を手放した。
*
僕は個室に用意されていたグラスに呪術で水を注いだ。
はあ。最近こんなことばっかだな。ベッドで完全にのびてしまっているソレイの顔に水を注ぐ。
「起きましたか」
「なにすッ―ひっ、そ、そんな、夢じゃなかった」
「取り敢えず貴方の置かれている状況を説明しますね」
血が垂れている手のひらを下に向けた。ぽたぽたと垂れる青い血の雫。だがそれらは床に落ちる前に青い炎となり燃え尽きた。
「これと同じものが貴方の中にも流れています。もし私に逆らえば貴方は身体の内から焼き尽くされるでしょう」
「ふ、ふざけんな! 誰があんたなんかの―」
「燃えろ」
「ああああぁぁぁああああ、わ、わかったあ! わかったからあ。ごめんなさい。許してください」
急激に上昇していく体温に耐え切れず床に崩れ落ちのたうち回る彼女を僕は静かに見下ろした。
「先ほど貴方が欲しがっていた式の招待状だが、十枚あげよう。ただし僕は結婚式の参加条件を貴族階級以上とするから、貴方がその招待状を渡せるのも貴族階級だけだ」
「わ、分かりました」
「その代わりにこちらからも聞かせてもらおう。赤月の騎士とはどういった関係だ?」
「赤月の騎士? な、なんのことですか?」
……やはり別人なのか。
確かに目の前の人物はシュナと戦っていた赤月の騎士と同一人物だ。性格も似た印象を持つし、霊気の質も同一に感じる。
だが先ほど試しに戦ってみて分かった。その熟練度は赤月の騎士のソレイの方が遥かに上だ。彼女の方は力の霊気を完全に制御し、飛ぶ斬撃まで放っていた。
言葉の上ではいくらでも別人だと嘘を吐ける。でも身につけて来た技術、身のこなしは隠しきれるものではない。この人は本当に別人だ。
「双子の姉妹はいるか?」
「なんでそんなこと聞くのですか? ……まさかあなた私について何か知っているの!?」
先ほどまで恐怖で怯えていた様子だった彼女の目の色が急に変わった。しがみついてくる彼女の鬼気迫った様子に、面食らうも平静を装う。
「質問しているのはこちらだ。それで双子の姉妹はいるのか?」
「し、知りません」
「知らない? 隠しても無駄だ。貴方のお父上であるキュラン侯爵に聞けばわかる話ですよ?」
「あいつは何も知らないわ。だって私の親じゃないもの。あいつは自分に子供ができないからって家の存続の為に、奴隷で魔法が使えた私を買っただけです」
そう言い放つ彼女に嘘をついている気配はなかった。
キュラン侯爵家め、奴隷商とやり取りをしていたか。まあいい。家の力は利用させて貰いたいので、今後はさせないようにしよう。
「とりあえずキュラン侯爵が知らないことは理解した。それで貴方も自分に姉妹がいるか分からないのは何故だ」
「記憶が無いからです。奴隷商が私をあいつに売るより前の記憶が無いの。何度思い出そうとしても何も無い。真っ黒な感じ」
……これはヨギル家とは別件か。きな臭いけど今は対応すべき物事が多すぎる。これ以上手を広げる余裕はない。
「そうか。その奴隷商の名は知っているか?」
「たしか……ゴールドシップ。そんな名前だったと思います」
「記憶しておく。貴方がヨギル家の暗殺集団の一員になった理由は?」
「な、なんのこと」
とぼけようと視線を逸らす彼女に僕は優しく声をかけた。
「本当に燃やされたいのかい?」
「お、長に言われたからです。あなたを殺せば私の失った記憶の秘密、本当の親を教えてくれるって」
なるほど。彼女の初期衝動は自身の出生の秘密か。それなら彼女を従わせるには命を脅すより、こっちの方が効果的かもしれない。
「長とは誰だ? ヨギル家の誰かか?」
「し、知りません。いつも仮面をしていて顔は見せないんです」
仕方ない。こっちで調べるしかないか。
「では貴方は企みが成功した振りをして仲間に招待状を渡しなさい。見返りに私は貴方の生命の保証と私が知っている貴方の秘密を教えよう」
「嘘つかないで! あんたが私の事を知っているはずない」
「なぜ貴方に姉妹がいるか聞いたのか、興味はないのか?」
正直なところ、僕も彼女の事は何も分からない。それに大した秘密でもない。でも彼女をヨギル家からこちらに裏切らせるブラフとしては十分だろう。そうでなくても彼女は僕に生殺与奪の権を握られている。
「ま、待ちなっ」
なおも追いすがろうとするソレイの首筋を尾で殴り気絶させ、僕は個室を出てプールへと戻った。




