第21話 『死地・終』
息を整え今やるべきこと、今できることを整理する。まずフル・フレイムはこれ以上打てない。打ててフレイムまでだ。だが第一形態の銀獣を仕留めるだけならそれだけで足りる。
目的は右斜面の魔獣の殲滅だ。隊が左面の獣を突破し撤退を図るにしても、後ろから襲われれば命はない。何としてでも僕が右の三体を殺る必要がある。
「グルドンさん。突撃のタイミングは僕が右の魔獣を全て仕留めた時でお願いします」
「ああ。俺達はお前が魔獣を殲滅するまで奴らの攻撃を耐え凌ぐ。だがあの雷撃に二度はもたねえ。二発目が来る前に仕留めてくれ」
「了解です」
速さ、速さがいる。僕は自分が見た最速を思い出す。それはフェルゼーン城でサルヴァンと激突したあの夜。シュナが老王の孫を連れて彗星のように空を駆けて行ったあの術だ。
「「ギュオオオオオオオン!」」
「来るぞ! お前ら俺に手を貸せ!」
そういってグルドンを先頭に魔獣討伐隊のドワーフ達が地面に手を付いた。一拍遅れて、彼らの眼前の地面が隆起する。現れたのは三重の岩壁。
だがそんな障害物で止まる銀獣ではなかった。鼓膜を割るような咆哮の後、左右計六体の魔獣が青い稲妻を振り下ろす。
「フレイム!」
雷と岩。炎と雷がぶつかり合う。かくして炎は見事に雷撃を打ち消した。僕は後ろがどうなった確認せず、一気に空中に躍り出る。今僕が見るべきは前だけだ。
三体の銀獣が一斉にこちらを見上げ、次の雷撃の準備に入る。空中で身動きできない獲物を確実に消し炭にする気だ。だが僕も無策で宙に飛び出したわけじゃない。
血管中の霊気をつま先から髪の一本に至るまで均一に流し込む。一点集中ではなく、全体へ。体の温度が急激に上昇していくのを肌で感じる。
「「ギュオオオオオオオン!」」
銀獣の口内に稲光が走った。雷撃が来る。魔獣と僕の間に霊気が通ったのを感じた。このままなら直撃だ。
「土壇場だけど、やるしかない。シューティング・フレイム!」
全身が燃え上がった。身体は骨の髄まで炎と化し、人の形を失う。その時ついに魔獣から迅雷が放たれた。稲妻は一直線に僕めがけて飛来する。
だがもう遅い。
炎の彗星となって全ての霊撃を掻い潜る。稲妻の通り道は霊気の流れで読み切った。必要だったのはそれを避け切るだけの速度だけ。
体を炎に変換した僕は一体の魔獣めがけて、流れ星の様に宙を駆ける。衝突の刹那、身体を実体化させ魔獣の脳天に剣を突き刺した。
爆風と衝撃波が走り抜ける。遅れてボトリと何かが落ちた音がした。音の正体は剣で貫かれた銀獣の頭部。魔獣達が遅れて仲間の死を感知する。
僕は全身を炎から実体に戻し、吹き飛んだ銀獣の頭部から剣を引き抜く。油断せずに魔獣の骸を見るも、骨と霊気の姿に覚醒する気配はない。やはり首輪がついたまま死ぬと本来の力を発揮できないようだ。
銀獣が怒りに震え唾液を撒き散らしながら咆哮する。恐るべき速さで僕の頭上を取り、その剛腕を振り下ろす。だが獣の凶爪が届く前に、再び僕の姿は炎と消えた。
紙一重の所で魔獣の腕撃を躱しきり、魔獣の勢いを利用して心臓目掛けて剣を突き刺した。
次の瞬間、魔獣にズンッと重い衝撃が走る。目の見えない銀獣には何かが自らの急所を貫いたとしか分からなかった。
僕は剣を捩じりながら引き抜く。傷口から大量の血液が噴き出し、僕の白服と焦げた地面を染め上げる。だがそんなことお構いなしに、僕は片手を最後の銀獣に向け一言詠唱した。
「消えろ。フレイム」
超高温の火炎が空気ごと焼き払いながら魔獣を襲った。炎は火柱となって渦を巻くように獣を捕らえて逃がさない。もがき苦しむように暴れていた魔獣も最後には灰塵と帰し風と共に消えていった。
まだ気を抜くな。動けなくなるぞ。あと少し粘れ。
「グルドンさん! 今です!」
「おう! 全員突撃!!」
岩壁は今まさに最後の一枚が砕け散ったところであった。崩れた壁を飛び越え魔馬に騎乗した討伐隊が一気に谷を駆け登り始める。僕も自分の魔馬ラミーに飛び乗って後を追いかける。
最前線をグルドンが走り、すぐ後ろを剣を握ったドワーフやナナが走っていた。皆が鎧の周りに岩を纏っている。後方に少し遅れ気味で走っているのは、魔法で壁を維持するのに力を使い果たした者達だろう。もう魔馬にしがみつくのが精一杯と言った様子だ。
銀獣の一体がグルドンの前に立ち塞がった。だが彼は気にせず真っ直ぐに突っ込んでいく。振りかぶるのは鉄のメイス。彼の鉄槌に大きな石礫がどんどん引き寄せられている。岩でメイスが巨大になっていく。
銀獣が魔馬もろともグルドンを引き裂かんと巨腕を振り下ろした。彼もメイスを下から叩きつける。鋼と鋼がぶつかり合ったような音と火花が飛び散った。
僅かの拮抗の刹那、驚くべきことにグルドンの方が打ち勝った。まさに人馬一体の動きだ。
獣の片腕が千切れて宙を舞う。のた打ち回る魔獣に残る二体が動揺した。一体が取り敢えず反撃をしようと口に稲妻を集める。
させない!
僕は手のひらに霊気を集めようとして、突如尋常じゃない激痛が走り五本の指先から血が噴き出した。手の甲の血管も千切れて血が流れてきた。
「させないの!」
ナナが水球を銀獣の口元に生成した。当然魔獣の強力な霊気に彼女の水球が対抗できるはずもなく一瞬で蒸発する。だがわずかに残った水に電気が流れ込み、もう一体への魔獣に逸れた。電撃の流れ弾を浴びた銀獣が悲鳴をあげる。
「歯食いしばれ!」
誰しもが満身創痍。だがそれでも駆けることを止める者は誰もいなかった。一縷の望みが谷を越えた先にあると信じて。全身を疲労が蝕み、意識は朦朧とする。生存本能と全身を刺すような痛みが、気絶することを許さなかった。
「後ろを見るな。前だけを見ろ!」
グルドンの叫び声が聞こえる。後ろから迫りくる銀獣を察知したギムリが魔獣の進行方向に魔法で小さな落とし穴を作り足元を掬っていく。
「あと、少し……」
そうナナの絞り出すような声が聞こえたその時、谷全域に霊気が走るのを感じた。なんだこ―
大地が跳ね上がった。そう感じた時、僕らは空へ落ちていた。魔馬も人間もドワーフも、銀獣でさえ宙を舞っていた。いや空へ落ちているんじゃない。谷全体が急に隆起して僕たちは上空に打ち上げられたんだ。
やがて上昇速度がゆっくりと落ちて行き、ある一点で静止した次の瞬間。僕らは谷底へ向けて落下を始めた。眼下を見るとそこには信じられない光景が広がっていた。
先ほどまで駆け登っていたはずの谷の左側面。その標高が倍ほどに隆起している。さらに驚くべきことに、なだらかだったはずの斜面が今や巨大な岩の針に覆われて剣山の様になっていた。
このまま落ちたら全員串刺しだ。僕はもうなりふり構わず全員にルフトを唱える。ぎりぎりの所で風が皆を包み込み、衝突するように谷底の一本道へ不時着した。
何人かは肩から落ちて骨を折ったり、魔馬にも足が無残な状態になったりしてしまっている馬もいた。
「ギュオオオオォォォ……」
銀獣の唸り声にそちらを見ると、岩の棘で串刺しになっており苦し気に藻掻いている。夥しい量の血が剣山を流れ落ち、谷底に血の川を作り出す。流れる血が僕の靴を濡らした時、身の毛もよだつ様な悪寒と重圧が僕の脳を揺らした。
「谷の奥から何か来てる!? この臭い……まさか」
ナナの悲鳴のような声が谷に木霊する。魔馬たちが恐慌状態になり暴れだした。迫りくる恐怖を感知する術のない隊員達はただ事情が呑み込めないようにキョロキョロしている。まずいこのままだと。
「絶対に谷奥を見るな! 地面を見ろ!」
僕が叫んだのとほぼ同時に土煙が晴れた。真っ赤な血の道を踏みしめながら現れたのは一頭の魔獣。一言で言うなら山羊の様な姿をしている。だがその佇まいは正に大地の化身といっても過言ではなかった。
歪に曲がりくねった栗色の剛毛、大きく湾曲した二双の巻き角、万物を打ち砕くほどの硬度を直感させる漆黒の蹄。なにより特徴的なのは山羊の様に面長な少年の顔だ。にっこりと笑みを浮かべながらこちらを見つめている。
そしてその首には灰色の首輪が付いていた。
「えへへ」
背後でブシャッと何かが弾けるような音がした。振り返ると隊員の一人が死んでいた。穴という穴から血が噴き出ている。発狂したんだ。この魔獣を直視してしまったのか。
魔獣の歪んだ霊気にあてられて、血液中の霊気が歪みに耐え切れずに噴き出したんだ。
僕ももう限界かもしれない。呪術を使いすぎて霊気が相当歪んだ。もう全身から噴き出している血が止まらない。
「カホッ」
「ル、ルル姉!? いやあ死なないで」
地面に横たわっているルルさんが血を吹き出しナナが泣きついていた。怪我人なのに上空から馬ごと落ちたのだ。もういつ死んでしまってもおかしくない。
「リオン」
「グルドンさん!」
なんとグルドンもこの魔獣を直視していた。しかし右目からダラダラと血が流れている。でもこの男は確かにこの化け物の霊気に耐えていた。
「こいつがエンキか。最期の相手に不足はねえ。俺が足止めをする。その間にこいつらを連れてこの谷の一本道を走り抜けろ。恐らく行きに通った草原地帯に繋がっているはずだ。そしてこいつの情報と首輪について報告してくれ」
「無茶です! あなた一人でどうにかなる相手ではない!」
「お前ら聞いたな! 今すぐ魔馬に乗ってここから逃げろ。魔馬を失った奴は仲間に乗せてもらえ。ギムリ! ルルを離すなよ」
無茶だ。グルドンはここで死ぬ気だ。これほどまでに歪んだ霊気に当てられて、正気で居られている時点で奇跡なのに。
いやそうか。
彼が何故立っていられるのか理由が分かった。
先ほどの地形を変えた一撃、あれは間違いなく土の霊気による攻撃だ。グルドンの属性も土。お互いの属性が同じだからこそ、エンキの霊気をまともに浴びても正気を失わないんだ。
だが正気を失わないだけで、彼がこの後死ぬことには変わりない。ギムリが張り詰めた表情で口を開く。
「グルドン……お主」
「もうこれ以上……俺の仲間は誰も死なさせねえ。絶対だ!!」
グルドンが両手を地につけ瞳を閉じた。瞼から滝の様に血が流れている。本当に死んでしまう。僕が彼を引き留めようと足を踏み出した途端、僕達とグルドンの間に分厚い霊気が走った。
「うおおおおおおおお!」
黒茶色の高壁が聳え立つ。その高さは完全に谷を塞ぐほどで、空でも飛ばないと乗り越えることはできそうにない。つまり霊気を消耗した僕が彼を救う手段はないということだ。
「隊長!」
「俺達も戦わしてくれ! 隊長一人置いてけねえよ」
涙を流して壁に縋りつく隊員達。だが彼らの声が届くことはないだろう。これほどの規模の魔法を行使できるほどグルドンの霊気量が多いとは感じられなかった。
自分の身の丈以上の魔法を行使した者がどうなるかなど想像に難くない。サルヴァンに全霊気を懸けて特攻し、血達磨となって死んでしまったヒューイの姿が過る。
「撤退しましょう。彼の覚悟を無駄にしてはいけない」
「ふざけないで! 部外者のあんたが口出さないでよ」
ナナが涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら僕に掴みかかってきた。顔が青ざめている。常人なら正気を失ってもおかしくない霊気の中だ。だが僕はそんな彼女の手を振り払った。
「死んでも仲間を守ろうとした漢の覚悟を踏みにじるな! 今僕たちがすべきはこの壁が壊される前に生きて逃げる事だ!」
きっと彼女にとってルルという女性を姉の様に慕っていたように、グルドンのことをもしかしたら父親のように思っていたのかもしれない。壁の向こうにいるのがマリアだったら、僕だって壁をよじ登ってでも助けにいく。
でもそれで二人とも死んでしまったら誰も救われない。だからこそグルドンは他人の僕に皆を連れて逃げろと言ったのだ。彼女らを冷たく突き放し、引っ張っていくのは僕の責務だ。
「ギムリさんはルルさんを魔馬に乗せて下さい。その他の人も手を貸し合って、魔馬に騎乗するんです。乗り次第、この道を走り抜けます」
「ちょっと何勝手なこと!」
なおもナナが食らいついてきた。半身を逸らして躱す。そのまま首に手刀を打ち込み気絶させ、肩に担いだ。その時大地が再び揺れ始め、轟音とともに高壁に罅が入った。
「走れ!」
僕たちは谷の一本道を駆け抜ける事しかできなかった。




