第18話 『晩餐』
討伐隊は薄暗い森を慎重に進行していた。ガルディアン山脈が近いのか、地面はだんだん坂道となってきている。なるべく魔獣に遭遇しないように静かに息を殺して部隊は歩き続けた。
魔獣の感知担当は僕と犬族のナナに任された。だが山脈が近づくにつれ、索敵を漏れ魔獣と遭遇する確率が上がってきている。
ガルディアン山脈からの山風が濃い霊気を運び込む上に、魔獣の臭いも拡散するせいで、奴らの居所が掴みにくくなっているのだ。もうすでに三度魔獣と遭遇している。それに日も沈み始め視界も大分悪い。
だがそんな悪条件でも誰一人として泣き言を言う隊員はいなかった。流石は普段から結界外で活動している人達なだけはある。それでも誰しもが不安混じりの緊張した表情をしていたのは事実だった。
「さっきの魔獣だけど、お前が助けなくても自分で何とかできたの」
隣で魔馬に乗っているナナが早口でそう言った。どうやら先のレグーとかいう蜥蜴に後れを取ったことを気にしているらしい。
「余計なおせっかいだったかもしれませんね」
「ええそうなの。あたしはお前と違って本気でルル姉を心配してるの。あんたが何を考えてるのか知らないけど、目障りなの」
そう言った彼女の声には苛立ちと焦燥が感じられた。一切の異変や手がかりを漏らすまいと、彼女の鼻や耳がピコピコ動いている。家族が心配でまともな精神状態では居られないのだろう。
「僕はルルさんにはあったことないですけど、彼女がシェリルや色んな人から好かれているのは知っています。調査隊の無事も願っています」
「綺麗ごとばかり言わないで欲しいの。お貴族様のあんたが魔族や下々の者を本気で心配してる訳無いの。シェリル様に好かれようっていう下心が透け透けなの。気持ち悪い」
「お前ら! そろそろ森を抜けるぞ。ここから先は完全に未知の領域だ。その前に最後の休息を取る」
グルドンの声だ。前方を見ると確かに木々が途切れている。どこからか安堵の息が漏れたのが聞こえた。やっとの休憩というのもあるのだろうが、ここまで誰も欠けることなく辿り着けた事にほっとしたのだろう。
薪を調達し火を炊く。交代で見張りをしながらそれぞれが休息に入る。仮眠を取る者、食事をとる者、武器の整備をする者と様々だ。ナナは相変わらず張りつめた表情で、座り込んでいる。
僕はどうしようか。余った干し肉とビスケットを齧ってみる……味気ない。こんな状況でも食事への文句が出てくるあたり、やっぱり僕もお貴族様だな。
「おい、リオン」
声の方を向くと一人で焚火の近くに座っているグルドンがこちらへ手招きしていた。何だろうと思いながら彼の正面に座った。良い匂いがする。どうやら何か作っていたようだ。
「どうしたんですか?」
「お前とは一度ゆっくり話をしてみたいと思ってな。ほら食え」
差し出された椀の中には大麦と野草を炊き上げた雑炊が入っていた。カチカチの干し肉としけったビスケットに比べればとんでもないご馳走だ。
「ありがとうございます。でもいいのですか? 貴重な食料を」
「なに気にするな。あまり旨くもないかもしれんが、何杯でも好きなだけ食え食え。ガハハハ」
僕はお言葉に甘えてありがたく頂くことにした。グルドンの方はもう自分の分の雑炊をよそってかき込み始めていた。
「いただきます」
おお美味しい。味噌玉を溶かしてあるのか、豪快な味付けだ。グルドンの方はもう食べ終わったのか黙って僕が食べ終わるの待っていた。
「お前はアスピアのお嬢が好きなのか」
突然予想もしなかった言葉をかけられ雑炊が喉にむせる。息を落ち着かせながら彼の方を見ると、その表情は驚くほど真剣そのものだった。
「……シェリルは僕が魔法を使えなかったせいで婚約破棄となった後も、ずっと僕を気にかけて助けてくれたんです。自分の方こそ、まだ子供だったのに辺境伯領の当主になって一番大変だったと思うのに」
焚火を見つめながら昔を思い返す。
「正直、領政も魔法も完璧だった彼女に僕は引け目を感じていて、避けていました。時々送られてきた手紙にも返事をしませんでしたし」
何をやっても上手くいかない。魔法が使えない。ただそれだけの為に周囲にも家族にも見放され、領民の為に開拓を行おうとしても誰一人協力してくれない。
何も認めず話すら聞かない連中が大嫌いだった。そして何より情けない自分自身が一番嫌いだった。
そんな僕にはシェリルはあまりに眩しい存在に見えたのだ。僕とは遠く離れた位置にいる存在。
「でも今は違います。彼女だって魔獣と戦争の板挟みになりながら、領民全員の命を預かっているという重圧に、折れそうになっていることを知っています。それに姉の様に親しく思っていた人の無事を願って、心を痛めていることも知っています」
きっと自分が前線に立てないことにも苦しんでいるのだろう。それでも彼女は今できる最善を尽くそうとしている。
今なら分かる。家族でもない赤の他人を思いやって手紙をくれた。そんな彼女の優しさに。
だから……
「だから僕は彼女が好きです。彼女の為なら命だって張れる」
「……そうか。俺もこいつらとダルム家のドワーフ全員が好きだ。お前が昨日助けた男は村に結婚を約束した女がいたのだ。この遠征が終わったら式を挙げるらしいぞ。ガハハハ」
全く遠征前にそんな約束するなんて、不吉なことするもんだ。そう言って笑うグルドンは穏やかな顔をしていた。そしてまたポツリと口を開いた。
「調査隊の長のルルはギムリの娘だってこと知ってるか?」
「ええ。本人から聞かせてもらいました」
「あの親子はまっこと世話焼きだからな。ギムリはもうとっくに体にガタが来てんのにいつまでも俺を心配してついてくる。娘も娘でなあ、もういい歳だってのにお嬢やナナの面倒ばっかり見て自分の事は二の次だ」
ギムリが孫を抱くまであいつも娘のルルも死なせたくねえなあ。そう言ってすっかり冷めきった雑炊の残りを自分と僕によそった。
「あそこにいるナナは小さい頃性奴隷として気色の悪い悪徳商人に買われ、そいつをお嬢が取り締まった時に見つけた子だ。最初は飯も警戒して食わなかった。常に飯に薬物を混ぜ込まれていたんだ。それを付きっ切りで介抱したのがルルだ」
あまりの過去に僕は口が利けなかった。この国で魔族の立ち位置はとても低い。だがそれでもそんな仕打ちあんまりだ。
「ここに居る者達は皆訳ありだ。それでも命を張って懸命に生きている。だから俺はあいつらが大好きだ。そしてこんなクソッたれの世の中と貴族が大嫌いだ。あの悪徳商人は今も大勢の魔族を貴族共に売っている。アスピアのお嬢でも領内ならともかく、領外の貴族に手は出せない」
治外法権。いくらシェリルでも領外に逃げ込まれれば、どんな犯罪者でも取り締まることはできない。そしてそれはメテルブルクでもそうだ。
ムーンドール全土での奴隷の即時根絶は、今は現実的に無理かもしれない。でも領内限定で性奴隷や奴隷に対する非人道的な行為の禁止は可能だ。だが他領にそれを強制することはできない。
だからこそ外交的な手段で他領にも同意を求めていく必要がある。ただシェリルは魔獣や戦争で今は手いっぱいだし、僕に至っては領主ですらない。
あまりに無力だ。
「どうしてそんな話を僕に?」
思わず言葉が漏れてしまった。ハッとなって顔を上げると、彼の瞳には燃えるような憎悪が見て取れた。彼は心の底からこの世界と貴族を憎んでいる。そして僕もまた貴族だ。
「どうしてだろうな……きっとお前も何かと戦っている戦士に見えたから、だろうな」
そう言って不敵に笑うグルドンに、胸の中で火を灯された気がした。
「今の僕にどうにかすることはできません。……でも僕が中央での権力を得たり、メテルブルク領がもっと影響力を持てたりするようになれば、アスピア辺境伯と連携して、問題の解決に取り組もうと思います」
「時間がかかるだろうな」
「一歩ずつでも進みます」
それっきりお互いに黙々と雑炊を食べ、焚火のパチパチとはじける音だけが響いた。
「雑炊ごちそうさまでした。今度何か御馳走しますよ」
「ふむ。何かとは、なんでもいいのか」
「ええ。なんでも良いですよ」
そういうとグルドンは少し悩んだように黙り、ふと思いついたように口を開いた。
「小童、結界の外を開拓して麦を植えたんだってな。お嬢から聞いた。なんて村だ」
「ナスタル村です」
「じゃあそこの麦で腹いっぱい雑炊を食わせてくれ。大好物なんだ。ガハハハッ」
これは楽しみだと、男は豪快に笑った。
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