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第15話 『商談』

 ナスタル村での事件を乗り越えて冬を乗り越え春が来た。僕は温かい陽気を感じながらこれまでを思い返した。


 畑は最初の土地の確保は僕がやったが田起こしは皆で取り組んだ。ナツなんかは大はしゃぎで父親と一緒に競争し、タツはおどおどしながらも懸命に水を運んでいて微笑ましかったなあ。


 それと同時にこの冬は盗賊達を徹底的に取り締まった。ナスタル村近くの盗賊から芋づる式に捕らえたのだ。ある時は洞窟や山を要塞の様にしていていた集団もいれば、都市そのものを裏で支配していた集団もあった。


 六つ盗賊の大集団を鎮圧し、その配下全てを合計すると何と一万人以上に及んだ。


 彼らはナスタル村の結界外に移住させ、六百ヘクトほどの畑を開墾させた。周りは土の呪術で防壁を作り、結界の中と外の複数か所に見張り櫓を建てた。


 絶えず持ち回りで森を監視し魔獣を発見し次第、すぐ結界内へ向け避難を開始できる算段だ。その為に何度も避難経路の確認や避難の際の班決め等、避難訓練を重ねた。


 これまでの領政を振り返っていると、マリアが入ってきた。紅茶の良い香りがする。


「アイリーンさんから報告です。無事にタロ芋の収穫が完了したそうです! 大麦も今年の夏には収穫できるみたいですよ!」


「本当!? 良かったぁ。魔獣の被害の報告は?」


「ありません。そもそもリオン様が全て討伐してしまったではないですか」


「まあそうだけど、森の最深部までは手を出せてないし。油断はできないと思ってね。でもそれなら良かった。本当に」


 実際かなりの数の魔獣を討伐した。特に多かったのは仔馬くらいの大きさの赤い蜥蜴だ。


「全く無茶ばかりするんですから。呪術は体に良くないので無理は止めて下さいと言ったら、リオン様剣で魔獣に向かっていくのですもの」


 ため息を吐く彼女に僕は苦笑するしかなかった。


 まあ実際剣の修行をしたいと思っていたから丁度良かったのだ。ギル爺亡き今、剣の稽古相手になってくれるのは魔獣くらいしかいない。でも記憶の中にあるシュナの身体捌きにはまだまだ届きそうにない。


「今日も午後からは、王城ですか?」


「うん。近衛として殿下の警護にいってくるよ。でも今日はちょっと早めに出たいかな。帝都の商人と商談をしておきたい」


 こうして束の間の休息を取った僕は転移陣に乗り、帝都ムーンドールへと向かった。


 *


 巨大な石造りの建物や古いが由緒ある木造の建築物を通り抜け、僕は一つの建物の前で止まった。


 一号館、二号館、三号館とある帝都の商業ギルドの中で最も古い一号館。壁の赤レンガはクラシックな質感を放っており、入るだけでも少し緊張する。


「やっぱり帝都は何もかもがやたらに大きいなあ」


 ナスタル村周辺で討伐した魔獣の素材たちをつめた袋を片手に扉をくぐる。


 何度か魔獣の素材を売りつけに来ていたので、既にギルド長とも顔見知りだし、さすがにもう顔パスで入れた。恭しく頭を下げる使用人に魔獣の素材を引き渡し、ギルド長アルマンの書斎に案内される。


「これはメテルブルク子爵様。よくおいで下さいました」


「アルマンさん。こちらこそ突然押しかけてしまい申し訳ありません」


「いえいえこちらこそ、他ならぬメテルブルク様のご訪問ですからこれより優先されることなど中々ございません。それに毎回仕入れさせて頂いている魔獣の素材。ここだけの話かなりの値段でお取引させて頂いているのですよ」


 そう柔和な笑みを浮かべるギルド長に、さっそく本題を切り出すことにした。


「今回我がメテルブルクは結果外での開拓に成功しました。想定以上のタロ芋が収穫され、今年の夏には大麦、秋には小麦が収穫されるでしょう。ナスタル村の生産量は去年の三倍になるはずです」


「結界外での開拓ですと!? それはまことなのですか?」


 優雅に紅茶を飲もうとしてティーカップを取り落としそうになるギルド長。指の震えがティーカップに伝わりカタカタと揺れている。百戦錬磨のギルド長が感情を露骨に漏らすほどに動揺していた。


「ええ。私はこれを皮切りに、結界外縁部での大々的な開拓を実行する計画です。その暁には農作物の領外への輸出も行うつもりでいます。今回はこの大規模開拓計画への出資のお願いをしに来ました」


「なるほど出資のご相談ですか」


 アルマンの顔つきが変わる。結界外での開拓という偉業への驚嘆の念を捨て、商人の顔となっていた。


 僕はアイリーンが作ってくれた資料をテーブルに並べながら収穫量の予想と、それを元にした輸出量を説明していく。大方の状況をギルド長が把握できたところを見計らい僕は静かに口を開いた。


「見返りは一年後の小麦を一釜当たり銀貨一枚でお売りすることの確約です」


「……? 奇妙なことを仰いますね。これでもわたくしどもプロです。実際にお取引をさせて頂くことになれば、市場価格を鑑みて適正な価格で仕入れさせて頂きます。小麦一釜でしたら、今の相場でしたら青銅貨が七、八枚でしょう。銀貨一枚には届きますまい」


 ほんの僅かに怪訝な顔をしながらも、相手が貴族だからか無礼が無いように慎重に言葉を選んだのが分かる。


「アルマンさん。私が言いたいのは今でなく一年後に、その時の市場価格とは関係なしに必ず一釜銀貨一枚でお売りするということですよ。つまり仮に一年後の麦の市場価格が跳ね上がって、価格が一釜あたり銀貨二枚になっていたとしても、メテルブルクは銀貨一枚での取引を約束しましょう」


 とうとうギルド長もこの言葉の意味を理解してくれたらしい。最初にハッとした表情になり、次に何かを計算するように黙り込み、最後には目元を赤くして興奮の表情を浮かべていた。


「この前決起式があったばかりですが、やはりかの国との戦争が近いということですか?」


「フェルゼーン改めサンシオとの戦争はこのままなら避けられないでしょう」


 僕は胸に込み上げる苦々しい思いを呑み込んでそう言った。シェリルも領の魔獣討伐へムーンドールから兵を増援してくれるどころか、逆に兵の出兵を要求されて悩んでいた。


 フェルゼーンを乗っ取り、陽教の国サンシオを建国したサルヴァンの方もムーンドールを滅ぼす気でいるのは間違いないだろう。


 ただでさえ最近は食糧不足による飢饉も多くなっている。ここでさらにサンシオとの戦争が起きれば、国も商家も食糧を買い占めるだろう。


 麦を含め全ての食料の価格はこれからも上昇し続けるのは間違いない。銀貨二枚どころか、一釜銀貨三枚になっていてもおかしくない。


「子爵様は麦の値が上がると予想されていらっしゃるのに、本当に今の相場で売ることを約束しても良いので?」


「増えていく人口、限られた領地、予想される戦争。このままだと想像を絶する大飢饉がメテルブルクを、いや国全体を襲うでしょう。そうなる前に一刻でも早く、領全域で開拓を進め少しでも収穫量を増やさなければならない。その為には資金が今すぐにいる。そのためなら将来の儲けが減ったとしても、今、資金がいるのです」


 僕の視線に気圧されたように、ギルド長が息をのんだ。僕は金儲けがしたいのではない。領民の命を背負っているのだ。是が非でもこの商談を飲んでもらわなければならなかった。


 僕はさらに補足の為に口を開いた。


「もちろん相場が予想と外れ一釜銀貨一枚より下がった場合は、ギルド側の判断で契約を破棄できます。より有利な安い市場価格で取引できることもお約束しましょう」


「確かに、確かに魅力的な商談です。実現すれば莫大な利益がギルドの懐に入るでしょう……し、しかし如何せん結界の外が絡んでくる計画。魔獣という不測のリスクによる開拓の失敗も大いに考えられまするゆえ」


 食糧の値が上がるのもほぼ確実。成功すれば巨万の富を得られることも確実。しかし、魔獣というリスクが彼に最後に一歩を思いとどまらせていた。


 そんな彼を見ながら僕は思った。そろそろかな。


 突然ドタバタと誰かが走ってくる音が聞こえた。焦った様なノックの後、ギルドの使用人が真っ青な顔をして入室してきた。


「な、何事だ。今、メテルブルク子爵様と大事な商談の最中なのだぞ。無礼ではないか!」


「そ、それが……メテルブルク子爵様がお持ち込みになった魔獣の素材の鑑定が済みました」


 息を荒げながらそう言う使用人に、ギルド長が緊張した声で尋ねる。


「それでいくらになったのだ」


「な、なんと大金貨百枚!」


「大金貨百枚だとッ!? 一体どんな素材だったというのだ」


 盛大に紅茶をぶちまけ、椅子から転げ落ちるアルマン。しかし使用人も動転していたのか主を助けに動くことも出来ず目をグルグルとさせている。


「巨大な魔獣の爪や牙に、漆黒の毛皮です。毛皮はドワーフの造ったダマスカス刀すら弾いています」


「これで分かっていただけたでしょうか。魔獣のリスクは私が対処しましょう」


 僕の笑みにギルド長は束の間の沈黙した後、観念したように頷いてくれた。こうして僕は領地全土を開拓する足掛かりを得ることに成功したのであった。

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