第9話 『魔獣討伐隊』
「ふむ。ここならゆるりと話せそうだ」
そう大男は豪快に笑って、青い芝生にドカッと座り込んだ。座っているのにもかかわらず、座高が高すぎて小柄のドワーフの背丈を超えてしまっている。
しょうがないから僕も地面が汚れてないことを確認して座り込む。この服を汚したらマリアにどやされる。
「それで、あなたは?」
「俺はグルドンだ」
「それだけではリオン殿も分からないでしょうに。代わりにこの儂、ダルム・ギムリからご説明差し上げ申す。この者はダルム家当主ダルム・グルドンにございます。またアスピア辺境伯の騎馬隊の総指揮官にして、魔獣討伐隊の長でありまする」
ダルム……聞いたことがある。アスピア家直参の一族で、代々アスピア領を領主と共に守ってきた家だ。確か一族皆、ドワーフだとか。
フェルゼーンではエルフのシュナを始め、犬族のダントンの他にも大勢の魔族を見た。でもムーンドールで魔族を見たのは久しぶりだ。
「申し遅れました。私はリオン・ド・メテルブルクです。お話するのはよいのですが、一度会場に事情を説明しに行かないと。主賓の私が消えたままではまずいですから」
「案ずるな。あそこに居た者達にはうちのギムリに説明させに行く」
「まったく。人使いが荒いですの。もう少し老骨を労わってくれはしませんのですか」
そうぶつくさ言いながらギムリという男が消えていった。
「あまり動揺してないな。俺を初めて見た者は男も女も子犬のようになるが」
「魔族とは縁があって慣れているんですよ」
「ほう……辺境伯の子息ともあろうお方がこのムーンドールで魔族なんぞと縁があると?」
たしかにムーンドールで魔族は平民以上に地位が低い。実際彼らの多くは体の強さのために、奴隷として肉体労働をさせられている。普通は貴族が接点を持つことはないのだろう。
「そういうあなたの御主人のアスピア卿は子爵どころか辺境伯爵様ですけども、魔族と縁がある様ではないですか」
「むっ、ワハハハッこれは一本取られたな。ああたしかにそうだ。貴族でも魔族と関係するのは自由だ」
そうひとしきり笑った後、どこに隠し持っていたのか酒瓶を取り出して一口煽った。なんてことだ。そのまま丸々一本開けてしまった。
「今日はな、大バカ者の顔を見に来たのだ。まあ想像していいたよりは根性のありそうな面構えをしていたがな」
「馬鹿者!?」
「おうとも。アスピアのお嬢から今度の魔獣討伐にメテルブルク家の者が参加すると聞いてな。詳しく聞いてみたら、なんと子爵本人が参加するというではないか。これは是非ともその面を拝みたいと思ってな。ガハハハ」
そう豪快に笑うグルドンを見上げながら、僕もつられて苦笑いした。たしかに辺境伯の子息が直接魔獣討伐に出るなんて大変な大馬鹿者だ。
「ええ次の魔獣討伐には私も参加させてもらいます。なにとぞよろしくお願いします」
「ふむ。相分かった。だが御免だ。率直に言おう、次の討伐に参加するのはやめろ」
有無を言わさぬ拒絶の言葉であったが、その声音にはどこか優しさを感じる。そんな彼にどう返事をしようか迷っていると、先に向こうが口を開いた。
「魔族相手に嫌悪するでもなく怯えるわけでもない貴族は珍しい。しかもお嬢とは年も近いだろう。死ぬにはまだ惜しい若さだ」
「アスピア卿から近頃の魔獣が活発になってきているのは聞いています。それに僕は魔獣との戦闘経験もあります。彼女には恩もある。どうか参加させて頂きたい」
視線と視線がぶつかり合う。だがすぐにお互い引く気がないと悟った。こういう手合いはフェルゼーンで何度も会ってきた。なら決着をつける手段は一つしかない。その時、グルドンが会場から出てきたギムリに手を伸ばした。
「……おいギムリ。斧を頼む。小童は?」
「剣でお願いします」
「グルドンよ! お主! まさかこんな少年とおっぱじめる気ではないでしょうな!」
「一当てだけだ」
「死んでしまいますぞ。リオン殿……お嬢様を思う気持ちはありがたいですがな。人には領分という者があるのです。お止めなされ」
「ギムリさん。お願いします」
僕が黙って彼の目を見つめると、彼も何か感じたのか黙り込んだ。やがて彼が地面に手を突くと、地面から大振りの斧と直剣が生えてきた。
渡された直剣は岩でできていたが、硬さもさることながらしなやかさもある。流石ドワーフだ。即興でこれほどの武器を創り出すとは。
「最初はお嬢の気を引きたいだけの甘ったれた貴族のバカ坊ちゃんかと思ったが、まるきり意気地なしという訳でもないようだ。その可愛らしい顔に傷をつけるのは止めてやろう」
「できれば顔だけじゃなくて服も傷つけて欲しくないですね。汚れた服では社交界に戻れませんし」
「ガハハハッ! ぬかせ!」
一気にグルドンの殺気が膨れ上がった。頭上に振り上げられた斧が迫りくる。
防げない。直感的にそう判断し、反身を反らして躱す。風圧が頬を切り裂く。赤い鮮血が散った。傷つけないとは何だったのか、斧の一撃は地面を一刀両断していた。
思わず背筋に冷たいものが走る。この男の覇気に押されて回避がわずかに遅れた。でももう慣れた。まずは奴の退路を断つ。
「フレイ」
炎を球ではなく壁としてグルドンの背後に出す。ちらりと彼の視線が後に向いた。その隙を逃さず一気に距離を詰める。体格では負けているがだからこそ、肉薄すればこちらが有利。
足を踏み込もうとした刹那、眩暈が僕を襲った。フレイを放った拍子にフェルゼーン王の霊気が暴れだしたのだ。歯を食いしばり強引に体を動かす。何とか間合いを詰めた。
無理な体勢だが、このまま決める!
直剣を鎧の隙間目掛け横なぎに振り払った。だが訪れたのは予想と反した感触と甲高い金属音。火花が散り、剣が砕け散った。グルドンがニヤリと笑った。
鎧が岩で覆われている!? この霊気は土の魔法か。こんな僅かな間に纏ったのか。
「ワハハハッ。楽しくなってきたわい! 行くぞオッ」
豪快な雄叫びのままに、男は一気に地面を踏みぬいた。衝撃で地が揺れ隆起する。足場が崩れ体勢が崩れた。
それを見逃さずグルドンの斧が薪でも割るように無造作に振り下ろされる。
微かに過る死の予感。戦斧の切先がゆっくりと僕の視界に迫りくる。刹那、僕の脳裏にシュナの槍捌きが過った。
彼女の一閃はこんなものじゃなかった。思い出せ。あの時に覚えた危機感を、生存本能を!
今僕は死地にいる。
頭の中がクリアになる。水と油のようだった僕の霊気とフェルゼーン王の霊気が混ざり合い溶け合う。ほとんど無意識に両手に霊気を流し込んだ。
気づいた時には、両手でグルドンの斧を挟み掴んでいた。そのまま勢いを込めて岩の斧を砕き割る。
「馬鹿なッ。グルドンの斧を白刃取りじゃと!?」
思わずギムリが叫んだ。だがグルドンは冷静だった。お互いに無手。
「今度のは受け止めらんねえぞ!」
先ほどの斧で受け止められたならば……より大きくより重いものを用意すればいいと、グルドンが一切の予備動作なしで手から超大型の斧を生成した。
圧倒的質量が僕の元へと振り下ろされる。僕はそれに対して、ただ手をかざした。
「フレイヤ」
爆炎。光と音と熱。それらが周囲の人間から五感を奪い去ったが、それでもグルドンの斧を破壊した感触は確かだった。
火炎は霊気の残照と消え、残った黒煙を風が運ぶ。やがて煙が晴れると、グルドンが腕を組んで仁王立ちしていた。
驚愕で顔が固まっているギムリを尻目に僕はようやく一息ついた。自分の服を見返す。
…よし。汚れてない。まあ汚れてない部類だろう。
「それにしても……」
自分の手を見つめながら握ったり広げたりしてみる。さっきグルドンの斧を受け止めた時の怪力を思い出す。
超越者からフェルゼーン王家へと分け与えられたという力の霊気。でもまだ安定はしてないな。修練を重ねないと。そう僕は結論付け、グルドンの元へと歩いた。
「まだやりますか?」
「……いやいい」
呆れているような驚いているような、そんな憮然とした顔で空を睨みつけるグルドン。そんな彼を僕は黙って見守った。よく見ると彼が立っている場所だけ地面が焦げていない。
斧が破壊された直後に、土の壁でも生成して盾にしたのだろうか。さすがはアスピア家直参のドワーフ一族の長と言うだけはある。
「僕も討伐隊に同行してもいいですか?」
「ああ」
ぶっきらぼうにそう答えるグルドン。このまま彼との会話を終わらせて社交界に戻るのはどうも気が引ける。
「納得していない声色ですけど……」
「もちろん討伐隊の参加には納得しておる」
それっきりまた黙って大の字寝転んでしまった。
どうしようかな。今後一緒に戦うならもう少し良好な関係になりたいのに。そう思っていると後ろからギムリと呼ばれていた小柄のドワーフが話しかけてきた。
「こやつは負けず嫌いなもんで。まあ酒でも与えておけば直ぐに機嫌を良くしましょうよ」
「内容的には引き分けだったと思いますけど」
「先ほどの炎の魔法。恐らくあれはリオン殿の全力ではないのでしょう? グルドンが負けを認めたということは、そういうことなのでしょう」
王城のロラン達はフレイヤを僕の全力だと思い込んでいた。でもグルドンはそれを防ぐだけでなく、まだ上があることも見抜いたのか。
この国にもちゃんと実力者はいるのか。なんかメテルブルクには碌な騎士団も武官もいないし、帝都の王立騎士団はあんなのだっただけに、彼の事が非常に頼もしく感じる。
「リオン殿。先ほどの無礼な発言を謝罪いたしまする。そして今度の遠征。是非ともお力をお借りできますかな?」
そう差し出してきたギムリの手を僕も握りしめた。
「ええ。こちらこそよろしくお願いします。グルドンさんにも後で当家から良酒を差し入れますね」
「樽で持ってくるのだぞ。リオンよ」
ムスッとした表情で酒を要求するグルドンが大きな赤ちゃんに見えて笑いが込み上げてくる。
「ふっ、ええ」
「なら良い」
そう言って彼が突き出してきた拳に、僕も拳を突き出した。




