第5話 『アスピア辺境伯』
訓練場を出ると僕は少し壁に寄り掛かって体を休ませた。頭がくらむ。吐き気もすごい。自分の霊気を使って呪術を行使しているからか? それにしては負担が大きい。
できれば自分の霊気は使いたくないが、やっぱりムーンドールには空気中の霊気が一切ないみたいだ。
「とりあえず霊気を落ち着かせよう。なんか変だ」
額に流れる嫌な汗を拭いながら、呼吸を整え瞳を閉じる。するとすぐに違和感の正体に気づいた。明らかに自分の霊気とは別種のそれが身体を流れている。
「これはフェルゼーン王の……」
その時僕の脳裏にフェルゼーン最後の記憶がよみがえった。サルヴァンによって絶体絶命の窮地に追い込まれた時、老王から霊気を託されたのだ。でも身体が受け付けていない。
「この霊気、重いし歪みすぎている。制御できない」
さっきの戦闘で感化されたのか、急に暴れだしたその霊気をとにかく僕は外に出すことにした。最初は念のため少しだけ手のひらへと流し込み、手を振って空中に発散させようと試みる。
だがそれが誤りだった。振り払った手が壁に触れた途端、壁が激しい音を立てて崩れ落ちたのだ。慌てて手を引っ込める。壁の向こうは訓練場の控室だったようだ。幸い中に人はいなかった。
「なんだこれ!?」
突然僕の腕が怪力になってしまった。霊気の無くなった手でもう一度壁を触る。冷たい感触だ。やっぱり原因はあの霊気にあるらしい。
「フェルゼーン王の霊気の系統はたしか力の霊気……」
本来は自分の霊気と同属性の呪術を使う分には、霊気が歪まず負担にならないはず。だがこの力の霊気は他人から貰ったもの。そのまま力の呪術として使用したとしても、異物が身体の中を駆け巡ることになり、拒否反応が出るようだ。
「とにかくこの霊気を使うには修練が必要そうだ」
そんなことを考えていると、訓練場からヘレナが血相を変えた表情で出てきた。
「あ、あなた! じゃなくてメテルブルク子爵。さっきの音は……ってこの穴はなんですの!?」
「い、いやどうもさっきの戦闘の衝撃で脆くなっていて崩れちゃったみたいで。それより、メテルブルク子爵なんて堅苦しいからいいですよ。あなたかリオンで良いです。」
「じゃ、じゃあ、あなたもその敬語止めて下さらない? わたくしもヘレナでいいですから」
「え、あ、うん。でもヘレナも敬語じゃん」
「わたくしは元からこういう話し方なんですの! それよりあなたは何でそんな強いんですの? てっきりメテルブルク伯のコネで近衛騎士になったと思っていましたわ」
なんで強い? 確かに近衛騎士の中では僕は強いかもしれない。でもフェルゼーンで人外同士の頂上決戦を見た身としては、とても自分は強いなんて思えない。
「まあ敢えて言うなら良い目標が居たからですかね」
ギル爺しかり、シュナしかり。
「目標……私はこれからどうすればよいのでしょうか……」
「まずは殿下とお話ししてみたらどうかな? 強さを求めるのは、理由が見つかったらでもいいんじゃないかな」
それだけ言って僕は城を去った。まったく勤務初日から非常に疲れた気がする。マリアも待ちくたびれているだろう。
*
城門を抜けるとなんとマリアが待っていた。メイド服の使用人が一人でずっと立っているのは奇妙に見えたのだろう。僕と同じく城から出てきた人達がチラリと彼女を見ていた。
向こうも僕を見つけたのか花の様な笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。どことは言わないけど、揺れがすごい。周囲の目を集めるからやめて欲しい。そう思った僕自身も彼女を見てしまっているので完全に同じ穴の狢だった。
「リオン様!」
「どうしたのマリア。屋敷で待っていても良かったのに。何かあった?」
「もう! リオン様が新しい執事が欲しいから、アスピア様にご相談したいと仰ったんじゃないですか。アスピア家に近々お会いしたいと連絡したところ、すぐに了承の連絡が帰ってきたんです」
「ああ! ごめんそうだった。何か今日は色々ありすぎてすっかり忘れていたよ」
てかアスピア辺境伯、返信早っ。いくら帝都の別邸と辺境の本邸が転移陣で繋がっているとは言え、辺境伯ともなれば日程調整とか色々時間掛かりそうだけど。
「それでいつがいいって?」
「今日だとのことです」
「今日!?」
もうそろそろ夕方になりそうだけど。いやアスピア辺境伯もまさか殿下へのお目通りがこんなに掛かるとは思わなかったに違いない。僕もそうだ。
「どうしようか。もう結構遅い時間だけど……」
「できるだけ早くとのことですし、向かった方がよろしいのでは?」
「なんか怖い……いやでもこっちはお願い事をしに行く身分だし、先方のご意向に従うべきなのかな。マリアはどう思う?」
「アスピア様からのお手紙では、魔法が使えたのに黙っていたこと、無事だと言うのにすぐに顔を見せに来なかったことと、とても怒っていらっしゃいましたよ。読まれますか?」
「よし直ぐ行こう。さあ土下座しに行くぞ」
そんなわけで僕らは転移陣でアスピア家本邸へと向かったのであった。
*
「遅い!」
そう言ってぷりぷりしている女性に頭を下げる。気の強そうな金色の瞳に水色の滑らかなロングの髪。整った鼻立ちと固く結ばれた口元。かの人物こそアスピア領辺境伯、シェリル・ド・アスピア。女傑だ。
ついでに僕の元婚約者で、幼馴染でもある。
先代アスピア辺境伯とメテルブルク辺境伯の間で決められていた許嫁だったが、魔法が使えないとわかってからは当時の辺境伯の判断でご破算となったのだ。そんな訳で見知った仲ではあるけど若干気まずい。
「いやごめん。まさか城でこんなに時間を取られるとは思ってなくて」
「そのこともあるが、そうじゃない! 決起式の後にすぐ顔を見せるかと思えば、そのまま帰りおって」
案の定アスピア家当主はお怒りになられていた。腕組みしながら指でトントンと自分の苛立ちをアピールしている。後ろに控えているマリアは薄情にも僕を助ける気はないらしい。
シェリルの怒りもごもっともである。ただ僕も一週間並行世界に飛ばされた直後だったからそこまで頭が回らなかったのだ。
「まったく。私がどれだけ気をもんだと思っているのだ。決起式ではホントに死んでしまうのではと……」
少し涙ぐんだ様な声にシェリルを見ると、彼女の金色の目はうるんでいた。どうやら僕の想像以上に彼女を心配させてしまっていたようだ。
「ごめん」
「……フンッ。まあいい。結果としてリオンが生きているなら良いのだ。それで、今日はなんで遅くなったのだ?」
「殿下へのお目通りの後に、ヨギル子爵に絡まれたんだよ」
シェリルの顔がげんなりとした顔に変わった。彼女は辺境伯だから、ヨギル家とは会うことも多いのだろう。
「あやつか……それは災難だったな。大丈夫だったか?」
「風魔法をぶっ放されたけど、フレイ……炎の魔法で事なきを得たよ」
「やつめ城の中で魔法を打ったのか!? それは重罪だぞ。いやそれより私が気になっていたのは、お前の魔法の方だ」
予想外の事件に驚きと怒りの表情を浮かべつつも、いったん飲み込んだらしい。シェリルの問い詰めるような目に思わずたじろぐ。普通にしていると猫の様にくりくりとした目も、こういう時は鷹の如き眼力だ。
どうしようか彼女にはホントのことを打ち明けるか。いや駄目だ。そもそも呪術自体が危険すぎる。
僕の脳裏に首輪に繋がれた銀獣や、サルヴァンの冷徹な瞳がよぎった。ムーンドールにもフェルゼーンにもきな臭いものを感じる。下手に話して彼女を危険に晒したくはない。
「……どうして何も答えてくれないのだ。まさか子供の時から魔法が使えないフリをしていたのか?」
「まさか! どうして僕がそんな事をしなくちゃいけないんだ」
急に彼女の口から飛び出した突拍子もない発言にびっくりして思わず大きな声が出る。するとシェリルは不安そうな顔をしながら、蚊の鳴くような声でポツリと喋った。
「私との結婚が嫌だったとか……」
「……ん?」
「だから! 私との婚姻が嫌で、魔法が使えないフリをして婚約破棄したかったからとか……」
後ろでマリアが噴き出したのが聞こえた。僕も紅茶を飲んでいたら間違いなく、噴き出していただろう。かろうじで驚きと笑いを呑み込んだ。だが顔には出ていたようで、シェリルの顔がみるみると赤くなっていく。
「ば、馬鹿にしてるのか!」
「してない、してない。僕の方だってあの時は君と結婚するものだと思っていたよ。シェリルの方こそ少しは気にしてくれていたんだ」
だがこのフォローは逆効果だったらしい。もっとゆでダコの様になってしまった。
「う、うるさい! じゃあ、あの魔法は何だ!」
「あれは母上が炎の魔法を使う家系だったのだと思う。魔法が発現したのも黒獣に殺されかけた直前だったんだよ」
「本当か? そんなに遅いタイミングで発現した例など聞いたことないぞ」
「まあ命が掛かっていたからかも」
しばらく訝し気な目で僕を見つめていた彼女だが、取り敢えず僕の苦しい言い訳に納得することにしてくれたらしい。
彼女は大きくため息を吐いて椅子にもたれかかった。足を組みながらジトりとした目でこちらを睨みつける。
「で、今日のお前の方の要件はなんだ。たしか新しく執事が欲しいのだったか?」
「そ、そうなんですよ。僕が帝都にいる時に領地開拓を差配してくれる執事が欲しいのです」
ふう。どうにか本来の要件に入れた。冷たい汗が背筋を流れる。僕には伝手がないし、メテルブルク家の伝手だとあの父のことだ、変な人が送り込まれかねない。そんな思いを込めて、期待の眼差しで彼女を見てみる。
「そんな有能な執事がいたら私が欲しいわ」
「ですよね~」
「むしろお前の方こそメテルブルク家を出て、私の元へこないか?」
「気持ち的にはアスピアに移住したいけど、こっちも領民はほっとけなくて」
やっぱりそうだよなあ。シェリルはもう辺境伯なのだから、仕事量も僕とは比較にならないんだろう。これは自力で探すしかないか。
「あーもう仕方ない奴だな。私の伝手で募集をかけてやってもいい。実務能力以外の条件にこだわらないならば、見つかることは見つかるだろうが……」
「本当!? それはとってもありがたい」
慈悲深いシェリルに感謝の念でいっぱいなっていると、彼女の方は懸念点があるようだ。どこか言葉の歯切れの悪い。
「なにか問題でも?」
「リオン。お前は独身な上に婚約者もいない。にもかかわらず、辺境伯の子息であり殿下の近衛でもあり魔法も使えることも分かった」
「……はい」
「あとは分かるな」
自身の子女を推薦する貴族や商家が殺到するわけか。後ろを振り返るとマリアも複雑そうな顔をしている。そんな僕の悩みを見透かすように、シェリルが腕組みしながら片目で見つめてきた。
「ま、誰経由で募集しても同じ様な腹の内の人材が集まるだろうさ。良く考えて選べということだな。今夜はもう遅い。私の屋敷に泊まっていけ」
そんな彼女の言葉で話は締めくくられ、僕は一晩彼女の屋敷でやっかいになることになった。
 




