第21話 『法皇サルヴァン』
ヘルプストの危機を救った僕たちは馬を並べて王都への帰途についていた。馬の数の関係で僕はヒューイの前に同乗させてもらっている。シュナの馬に乗ることはダントンが断固反対したのだ。
「ねえ団長。結局なんだったんすかねえ……この事件」
ぼやく様に呟かれたヒューイの疑問にシュナが静かに答えた。
「明らかな事は北方を襲撃した奴らとヘルプストを襲った奴らの黒幕は同じってことね」
「例の首輪っすよね」
「ええ。私が制圧した魔獣たちも同じものを付けていたわ」
「恐らくですけど、サルヴァンが裏にいます」
僕の言葉に全員が振り返った。重い沈黙が支配する。この国の治安を守ることが使命の彼らにとって、法皇サルヴァンが敵かもしれないという絶望感は筆舌に尽くしがたいものがあった。
騎士団は剣でしか国を守れない。政治・宗教的権力との戦い方は分からないし、そんな奴らが魔獣まで操れるということは武力でも上をいかれている可能性まであるのだ。
「どうしてそう思うの」
「普通にムーンドールの策略とは考えられねえのか?」
「彼には動機もありますし、何より証拠があるからです。動機は騎士団の権威失墜で、証拠はあの首輪です。あれほど高度な魔導具を作れるのはこの世でハレム魔導学院しかありえません。そしてこの国で学院とつながりを持つのは奴しかいない」
ダントンは憤りを露にしたが、ヒューイとシュナは静かに黙り込んでいた。確かに今の説明だと穴も多いし、納得できない部分も多いだろう。
でも元の世界でムーンドールで首輪が登場するのは五年後たったので時系列的にムーンドールが犯人ではないとか、ハレムの学徒が首輪を持ち込んでいたのをドリス村で見たことがあるとかいう情報は話せない。
「もちろんムーンドールが裏にいる可能性も否定できません。そちらの警戒も必要でしょう。しかしより黒幕の可能性が高いのはサルヴァンですし、対策の緊急性が高いのも彼です。なにせ後四日で王権の議が開かれるのですから」
「でも対策っていったって、俺らになにができるんだよ?」
完全に置いてきぼりになっているダントンに振り向く。
「四日後の王権の遷移を阻止します。その為に必要な条件は二つ」
「貴族の派閥をこちらに引き入れ、かつ陽教の権威を落とすこと……だったよな」
ヒューイが僕の言葉を引き継いだ。だがその瞳には諦めの色が浮かんでいた。
「あと四日じゃあ無理だ。とても間に合わない」
「前者はもう達成してます」
「え?」
シュナとヒューイの声が重なった。狐につままれたような表情の二人。今度はヒューイも思考停止になったようで、復活したシュナが戸惑った声で口を開いた。
「いつの間にそんなこと……いやそれよりホントなの? その話」
「ええ。信じられませんか」
長い沈黙があった。僕とシュナの間に黙って見つめ合う時間が流れる。当然だ。彼女は僕が敵国ムーンドールの出身だと知っている。不気味なはずだ。信じてもらえなくても仕方ない。
「信じるわ。死にかけのダントンの前に立つ塞がった姿は本物だったもの」
「ああ。俺も信じるぜ」
真剣な眼差しで真っ直ぐなシュナ、鼻息荒く笑いながら拳を突き出すダントン。胸が詰まった。誰かに信じてもらえる。ただそれだけのことがとても嬉しかった。
「なら後は陽教だけか」
「そのための聖書の複製です。真実を白日の下に晒しましょう」
陽教はもともと魔族を差別してなかったし、彼らを悪と断じてもいなかった。聖書の原典を大量に複製し、奴らの行いを声高に非難する。
「もう文字ブロックは完成してるし、帰ったら騎士団総出で徹夜の作業ね」
「後は首輪もサルヴァンに突きつけますか。どうせしらばっくれるでしょうが、使える物は全て使いましょう。反撃しますよ」
「おう」
全員の声が重なった。この場の誰もが陽教を許す気はなかった。サルヴァン。今度はこちらの番だ。
*
王都フェルゼーン、その中心部に陽教の大聖堂がある。人であれば誰にでも扉を通ることが許され、ステンドグラスの光が透ける神秘的で厳かな礼拝室の中で祈りをささげることができる。
しかし、それより奥は祭祀以上の教徒しか許されていない。その最奥には、この国の最高権力を握りつつある教皇の間がある。そこでサルヴァンは報告を受けていた。
「失敗しましたか」
「はい。北方デロスに向かわせた銀獣十頭と黒獣五十匹はシュナ・エルハイムによって全て殲滅され、南方ヘルプストに送った銀獣一頭と黒獣十匹も撃破されました」
黄色いローブ姿の男達の報告に、サルヴァンは僅かな驚きと不快感を覚えていた。あの汚らわしい魔族め。だがエルフが如何に長寿と言えど、先のアスピアの戦いで超越者バフェットと争ったのだ。貯蓄してきた霊気はほぼ使わせたはず。
そこまで弱体化させた上で、黒獣程度ならまだしも、銀獣をもってしても殺せないとはな。
「シュナ・エルハイムに防がれることまでは、想定内でしたが……奴らはどうやら想像より強いという事ですか」
「はい。この国を結界無しで守り抜いてきただけはあるようです」
「王立騎士団がではありません。ムーンドールが予想より強いということですッ!」
「は?」
サルヴァンは跪いている配下を見下ろしながら、忌々しげに顔をひそめた。
あの下賤な魔族の騎士団長と騎士団共はムーンドール侵略に失敗しているのだ。その騎士団に計画を阻止されたということは、あの魔獣の群れだけではムーンドールには勝てないということ。やはり首輪付きの魔獣では無理か。
「しかしエルハイムはどうして間に合ったのでしょうか。いくら騎士団長でも北のデロスから南のヘルプストまでは間に合うまい」
「子供が時間稼ぎを行っていました。ヘルプストの黒獣を始末したのはその少年です」
「子供……?」
サルヴァンの脳裏に一人の少年の顔が浮かんだ。査問会で突然立ち上がってきた白髪の子供。名は確か……リオンとかいう名でしたか。まさかまだ十を越えたばかりといったような子供が魔獣を足止めですと?
「面白い。お前はどこまで見ていたのです」
「私は少年が黒獣を倒すところまでです。銀獣の暴走が始まった後は、危険でしたので離れました」
なるほど、大方騎士団と協力してシュナ・エルハイムが到着するまでの時間を稼いだというところでしょうか。どうやって銀獣を相手に凌いだかを把握できなかったのは気になりますが仕方ありませんね。
「意図せず騎士団に花を持たせる形になりましたが、四日後の王遷の議はいかがいたしますか」
「どうもしません。貴族共はこちらの陣営ですし、民衆共の間にも反魔族の風潮は高まり、陽教の権威は高まるばかり。何を慌てる必要がありますか?」
「ですが、騎士団が何やら小細工を弄しているとの情報もありますが?」
サルヴァンは薄ら笑いを浮かべた。滲み出る不気味な気配に配下の背筋は凍り付いた。
「目的を見失ってはいけませんよ。今さら掻いたところで奴らに何が出来ますか。放っておきなさい。王遷の議はあくまで手段。要は最後に王座を握ればよいのです」
そう。ムーンドールを潰し、魔族を潰し、超越者を潰す。歪んだものは全て正す。立ちはだかるならは全て消し去るまで。精々足掻きなさい騎士団達よ。




