第19話 『本物の夜空』
右手を軽く振って火炎を消す。僕はまだ奴が生きていないか念入りに霊気を探った。どうやら今度こそ完全に消し去ったみたいだ。僕は守れたのか。実感が持てない。
呆然としていると僕の頭をシュナがぽんぽんと撫でた。
「お疲れ様」
その言葉をきっかけにどっと疲れが押し寄せてきた。張りつめていた気が緩んだ途端、体が急に重くなる。たまらず座り込むと、今度は右肩がズキズキと痛み出した。どうやら魔獣の攻撃を受け流した際に、痛めていたみたいだ。
「見せてみなさい」
「これくらい大丈夫ですよ。それよりヒューイを」
「チビッ子の癖に意地張らないの……あーあ、こんなに無茶して」
紫色に変色した患部を彼女がそっと撫でると、みるみるうちに痛みが引いていった。回復の呪術ほんとに便利だな。
手早く治療を済ませると彼女はヒューイの方へと向かっていった。彼がこの三人の中だと最も重症なので心配していたけど、どうやら無事の様だ。それでも大分痛むようで、しかめっ面をしている。
そんな様子を眺めていると、ダントンが僕の横にドカッと腰を下ろした。彼も血と汗で大変なことになっている。
「おい、小僧……ありがとな」
「こっちこそ、ありがとうございました」
この一日だけで何回彼に命を救われたか分からない。それに彼は呪術を用いずに魔獣に立ち向かっていた。その姿は僕に勇気をくれたのだ。
「あいつは、ヒューイは俺の大切なダチなんだ。親に捨てられて路地裏で物盗りやってたガキの頃の俺をあいつが見つけてくれたんだ」
「子供のころからの付き合いなんですね」
懐かし気なダントンの声に少しうらやましく思う。僕には子供のころからの友達と呼べる人の顔が一人も浮かばない。家族にはいない者として扱われ、同い年の子はみな僕を嘲笑してた。そして僕自身も彼らに壁を作っていた。
「その頃からあいつは女にモテてなあ……そんなあいつが今や妻子持ちとわ」
そこまで言って、彼は膝を叩いて立ち上がった。
「んじゃあ俺は川向うの避難民たちを連れてくるわ。さっさと安全を伝えないと落ち着かないだろうしな」
「そんな傷だらけで、大丈夫ですか。僕が行きますよ」
「俺は頑丈なだけが取り柄だからな。それにお前は団長に診てもらった方がいい。俺にはよく分からんが、さすがに血が青くなるのは俺でもやべーと思うぞ」
そう言われると何も言えない。確かに客観的に見れば打撲と切り傷の人間より、青い血を噴き出してる人間の方がヤバイ奴に見える。
「俺一人じゃあ守れなかった。だから、ありがとな。後で勝利の酒でも飲もうぜ」
「僕は子供ですって」
そんな僕をガハハハと笑いながら手を振って彼は歩いていった。全くあの体力はどこから来てるのか。あの筋肉からか。考えるまでも無かった。
「はぁ~、終わったあ」
もう座っているのも億劫になり、大の字に寝転んだ。体が地面に吸い付いてるみたいだ。目を瞑って横になっていると、ダントンが座っていた側と逆側にシュナが座った気配がした。
「なんでそっち座ったんですか」
「だって筋肉ダルマの血と汗だらけの地面にお尻を付けたくないもの」
「……ダントン」
哀れな彼に静かに黙祷をささげていると、彼女が僕の額を触った。ひんやりして気持ちい。
「……やっぱり霊気が相当、歪んでるわね」
「でも頭痛以外に体に不調は感じないんですよね。それも収まってきましたし」
むしろ一時の激痛と血の変色で済むなら、安くないか。もしかしたら僕は呪術を使い放題なのでは。そんな甘いことを考えているとデコピンが僕の額に飛んだ。
「いい? 精神が歪んでいなくても現に血が変色してるんだし、肉体の異形化は進んでいるとみていいの。このまま行くと精神の方も病むかも」
「……そんな怖いこと言わないでくださいよ。こうする以外に道が無かったんですから」
正直、僕だって本当はもう取り返しのつかないことになったと薄々気づいているのを、わざと軽く捉えようとしてるだけなのだ。内心はとても怖い。不安の色が見えたのか、シュナが長い溜息をついた。
「しょうがないわね。明日から呪術の使い方を教えてあげる」
「え!? いいんですか!」
「……大事な部下たちを助けてもらったんだし、あのバカ二人があんたのこと信じてるみたいだしね。だからアタシも信じることにしたの」
「ありがとうございます!」
睡魔に襲われていた目が一気に覚める。喜びと興奮で思わず目を開けると、満天の星空が広がっていた。
青、藍、瑠璃色……夜の暗闇と空の青さが混ざった色。綺麗だ。月明りと共に光る無数のきらめきが、それは夢の景色のように、ただひたすらに、美しい眺めだった。
「星って白かったんですね」
「何言ってるのよ」
「ムーンドールの夜空は青い結界越しだから、みんな星も月もみんな青みがかって見えるんですよ」
「……そう」
それきり静かな時間が二人の間に流れた。ふと隣を見ると夢中で深い青色の夜空を見上げる彼女の姿があった。
「わたしはこの色が好きなの」
しだいに東の空が白んで星が消えていく。グラデーションをつけて刻々と夜空の色が移り変わっていった。夜明けだ。
騒がしい声がして振り向くと、避難民を連れたダントンが大きく手を振っていた。まったく。あ~疲れた。寝るか。




