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第17話 『銀色の絶望』

 その魔獣はあまりに歪だった。黒獣と違い、首から尻尾にかけて全身が分厚い銀毛に覆われている。


 一見可愛らしい姿なのに、顔だけがばっくり八つに割れていて中には人間の歯の様に四角い歯がびっしりと生えていた。


 本能的な嫌悪感。外側の毛皮以外、口から眼まで内臓も全て人肉で作られたぬいぐるみを見ているようだ。気持ち悪い。


「団長から聞いたことがある。魔獣の中には途方も無くその在り方を歪めた存在がいるらしい。そいつを目撃すると歪んだ霊気に触れてしまい、発狂しちまうそうだ」


「まさにこいつの事だな」


 警戒している二人の背後で、僕は敵の考察をする。まずあの銀色の剛毛。見た目以上に防御力が高い。あの黒ローブの男が死に際に剣から放った呪術が全く通用していなかった。


 つまりあいつに通る可能性のある攻撃は、フレイヤ級以上の呪術もしくは物理的な攻撃。一つ一つ試していくしかないけど、敵の出方が読めない以上かなりのリスクがある。


 確定している攻撃手段は黒獣と同じ舌での攻撃と顔面の口での噛みつき攻撃、この二つだ。今のところ黒獣で見た事のある攻撃手段しか見せていない。


「ヒューイ、ダントン。まずは物理攻撃が通るのか確かめます。僕は援護するので前衛をお願いします」


「おう」


「了解」


 そういうや否やヒューイが地を蹴った。ダントンも同時に駆け出す。銀獣は首を傾げて動かない。


 僕も彼らを援護すべく、霊気を手に集中させる。一気に空間の霊圧を高め、歪みを創り出す。周囲から霊気が流れ込むのを感じる。


 溜まったッ。そう思った刹那、魔獣が一瞬だけ首を左右に曲げた。何かしてくる。


「ヒューイッ」


 叫んだ時には、尋常じゃない速度で魔獣の首が伸びていた。直線上には先行したヒューイがいる。


 剥き出しの牙が獲物の腸を抉る寸前、ヒューイが跳び上がった。伸びきった首の直上に躍り出た彼は、抜刀した剣に風を纏わせる。


「喰らいな」


 一閃。剣が纏う風の勢いを利用して一気に切りつけた。だが激しい金属音が鳴り響いたかと思うと、火花を散らして剣が弾かれる。空中で体勢を崩したヒューイ。それを銀獣は見逃さなかった。


 伸びきったかと思われた首をさらに伸ばして、ぐるっと大きく一回転。獲物を喰らう蛇の如く、銀獣はその首を突き上げた。ヒューイが喰い殺される!


「オラアアア!!」


 空へと伸びる首に向けてダントンが剛力で大剣を薙ぎ払った。真横からの衝撃で銀獣の首が大きく折れ曲がる。が、そこで剣が止まった。魔獣の首が完全にダントンの斬撃を受け止めたのだ。


「グッ、剣が入らねえ」


 銀獣が大きく首をしならせた。極限まで曲がった首が一気に元の位置に収まる。分厚い首が無茶苦茶な軌道を描き、二人の騎士を弾き飛ばす。


 二人の安否確認に目をそらした瞬間、魔獣がこちらを見た気がした。


 悪寒が走る。これは避けられない。本能がそう囁いた。


 右手を大きく突き出す。魔獣の首が伸びた。瞬きごとに縮まる距離。一秒後には僕は喰われる。溜まった霊気を即座に変換。寸刻の間で巨大な火球が現出した。


「フレイヤッ!」


 手ごたえがない。そう感じた瞬間、炎の明かりで潰された視界の隅で何かが通過するのが見えた。火球を避けられたか!?


 そこまで考えた時、全ての思考を断ち切った。先ほど集めた霊気の残りを背後に集中、変換、射出。


「フレイヤッ!」


 正面と背後で火球が爆発。咄嗟に目を閉じ、耳を抑えるも轟音と熱風が聴覚を奪った。あまりの衝撃で魔獣に火球が着弾したのかどうかも分からない。霊気で周囲を探る。


「ダメか……」


 魔獣の霊気を感じる。奴は生きている。無理やり目を開けて周囲を探るも黒煙が邪魔で何も見えない。


「ルフト」


 ヒューイの声だ。風が巻き起こる。煙が晴れた。声の方を見ると二人とも無事だった。でもあばらをやったのか、ヒューイは胸を抑えている。


「ギュルルルルルルル……カチカチ」


 銀獣が低く唸りながら口をカチカチと鳴らしていた。顔面の周りの毛と胸の毛が剥げていた。恐らくフレイヤが命中した場所だ。


「同時に二発のフレイヤを撃ち込まれておいて、あれしかダメージが入らないのか」


「どうする。ヒューイ、小僧」


「今ので分かったがあいつには物理攻撃は通用しないようだ。それに呪術も半端なものは一切通らない」


 荒い息を吐きながらヒューイが状況を共有した。まさにその通りの様だ。


 でもあの防御力を誇る銀毛さえ突破すれば、攻撃が通るかもしれない。そしてさっきのフレイヤで顔周りと胸の毛は削いだ。ならそこを狙えば……


「ギュオオオオオオオン!」


 そう考えた途端、銀獣が吠えた。風圧が空気を揺らし、木々を揺らす。魔獣は大きく身震いし、患部から銀毛が再生した。


「おい、小僧。どうやら奴は回復できるみたいだぞ」


「どうするこのままだと完全にジリ貧だが」


「フレイヤの上位呪術のフレイムで片を付けます。周囲の霊気を全てかき集めるので、それまでの間、時間稼ぎを」


 こうなったら僕の放てる最大火力で屠るしかない。一秒も無駄にできない。両手を合わせて霊気を一点に流し込む。間に合ってくれ。


「ギュオオオオオオオン!」


 魔獣が月夜に吠えたかと思うと、大地が爆発した。いや違う。凄まじい力で地面を蹴ったのだ。


 魔獣の剛脚から生み出される速さは尋常ではなく、突然姿が消えたように見える。視界が暗くなった。


「上だッ」


 そう叫ばれる前に僕は行動に移していた。子供の身体じゃ回避が間に合わない。


 集めていた霊気の一部を足に回す。霊気を風属性に変換。身体が宙に浮かんだのを確認する前に、後ろへと下がった。


 眼前を何かが通過する。直後、轟音と岩片が撒き散らされた。もはや銀色の隕石が落ちてきたようにしか見えない。暴風に煽られ空中で姿勢を制御できなくなる。


 シュナやヒューイが騎馬に使ってるのを見て、真似できるかと思ったけど人間と馬じゃ勝手が違うみたいだ。不安定な体勢で空中にいるよりも、地上の方が安定しそうだ。


 着地しようと考えた途端、土煙の中から銀獣が唾液を撒き散らして首を伸ばしてきた。


「クソッ。フレイヤ!」


 合わせていた手を解除し、右手を前に突き出す。馬が二、三頭は呑み込めるほどの大きな火球が魔獣の顔面にぶち当たり炸裂。灼熱の爆風が吹き荒れた。


 その風を利用して魔獣から大きく距離を取る。


 そのまま転げるようにして地面に着地。魔獣を視認するも、全く堪えているように見えなかった。あいつもう完全に僕に狙いを定めている。これじゃあ、霊気を集められない。


「リオンッ、俺達が時間を稼ぐ。だからお前は回避を忘れて霊気を集めることだけに集中しろ!」


「ですが、ヒューイ」


「小僧、任せろ。命に代えてもテメエを守る。行けるなヒューイ」


「おう!」


 ヒューイがダントンの大剣に手を触れる。剣は次第に風を纏い始め、やがて竜巻となった。あれはシュナが使っていた術だ。


「うおおおおおおおッ」


 ダントンが雄叫びを挙げたかと思うと、全身の筋肉が丸太の様に隆起した。踏みしめた地面に罅が入る。そしてその前に風を纏ったヒューイが立った。


「王立騎士団・副団長ヒューイ、いくぜ」


 彼は文字通り空を駆けた。流れるように銀獣に迫り、唯一銀毛のない口を一閃。噴き出す血ごと切り裂きながら、もう一太刀。


「ギュオオオオオオオオ!」


 銀獣が激昂する。一切の予備動作なしに右腕で切り裂きにかかった。それをヒューイは身を反らして回避。返す刀で魔獣の口をさらに一閃した。


 完全に憤怒した魔獣は鼓膜が破れるほど大きく叫んだ。獲物を潰し殺さんとその剛腕で、薙ぎ払い、振り上げ、叩き付ける。


 だが風を纏ったヒューイはその全てをギリギリで躱していく。その度に彼の剣は月光を反射させながら、魔獣の口を切り裂いた。


 さらにもう一撃と彼の剣が魔獣の口蓋を切り裂こうとした寸前、銀獣の舌が伸びた。鋭利で分厚い舌がヒューイの剣に絡みつこうとする。


 だが巻き付く前に、彼の剣から呪術の風が吹き荒れた。魔獣の舌が一瞬だけ風に弾かれるも、今度の魔獣は本気だった。


 唾液を撒き散らしながら、舌が呪術の風を押しつぶす。そのまま剣は絡めとられた。無手になったヒューイを噛み殺そうと、銀獣は牙を剥き出しにした顔面のまま突進。


 その刹那、ヒューイが口から黒煙を噴き出した。煙の中からヒューイが飛び出す。


「霊気を含んだ目くらましだ。霊気で獲物を探すお前にもこいつなら通用するだろうよ」


 魔獣は突然獲物を見失い、苛立ちに暴れる。雄叫びで黒煙を吹き飛ばさんと大きく息を吸い込んだ。


「もらったあああああ!」


 男の叫び声が響いた。魔獣は直上に何かを感知し頭上を見上げる。獣の上を取ったのはダントンであった。


 ヒューイが何かを呟くと大剣が風を纏った。周囲の黒煙が剣に絡め取られまるで黒い竜巻の様だ。ダントンが一気に大剣を振り下ろす。


 銀獣はそれを右腕で受け止めた。重い一撃に魔獣の身体が地面に沈み込む。激しい暴風が周囲の木々を大きく揺らした。


「ギュオオオオオオオオ!」


 獣が吠える。衝撃と衝撃のぶつかり合い。魔獣の銀毛は怒髪天を衝き、その剛腕は犬族の騎士を力任せに吹き飛ばそうとぶるぶると震えた。大剣が魔獣の腕にめり込む。だが血しぶきを挙げながらも魔獣の力が弱まることはない。


 そして遂に決着がついた。竜巻が止んだのだ。呪術の加護を無くしたダントンは、枯れ葉の様に吹き飛ばされる。受け身も取れず肩から地面に激突した。


 もはや一切の気力が尽きた彼は立ち上がることすらできない。だが男は血反吐を吐きながらも満足げな笑みを浮かべていた。


「魔獣さんよ……後ろ見てみな」


 魔獣には当然人の言葉など分からない。しかし霊気を感知する魔獣には背後の高密度の霊気がはっきりと感じられた。


 本能が回避を告げていたが、先ほどの攻撃で体が地面に沈んでいた魔獣にそれは間に合わない。


「終わりだ。フレイム」


 僕は静かに呟き、手のひらに集まった霊気を解放した。刹那の煌めきの後、巨大な火炎旋風が巻き起こる。業火は大地を照らし、灼熱は中にいる存在を焼き尽くす。


 火炎の中で銀獣の銀毛が灰になっていくシルエットが浮かんだ。やがて炎は塵一つ残さず魔獣を消し去るだろう。


「ここまでの火力……団長の呪術に匹敵しかねんぞ」


 ヒューイが地面に這いつくばりながら呆然と呟いた。あばらを折っているのに無理したからだ。かなり重症の様だ。


 僕も立っていられず、地面に膝をついた。お互いにボロボロだけど、生きている。傷なら呪術で治療が出来る。安堵の笑みが込み上げてきた。


「ヒューイ、僕ら―」


 目を焼くような青白い閃光。耳を突き破るような轟音。フレイムの炎が突然掻き消えた。


「なんだ!?」


 僕は混乱しながらも、銀獣の方を見た。大丈夫だ。真っ黒に消し炭になってる。


 じゃあ今のは……そう思った時、消し炭になった銀獣の一部が崩れ落ちた。それを皮切りにボロボロと炭化した毛や表皮が落ちていく。


「まさか、そんな」


 魔獣の崩壊が止まらない。炭化した魔獣の皮膚や肉に罅が広がっていく。罅の中心が盛り上がった。


 何か出てくる。


 それはまるで蛹から蝶が羽化するかのようであった。魔獣だったものを突き破って現れたのは魔獣の骨だった。


 怪しく銀に鈍く光るそれが、パキパキと音を立てながら灰を突き破ってついに見せた。


 長い銀色の骨の尾に、細長い二足の脚。さっきまでと違い二足歩行になっている。腕は奇妙に細長く、その手からは異様に巨大な鉤爪が月明りを切り裂く様に伸びていた。


 頭蓋骨と呼べるものは無く、本来それがある場所からは霧のように青白い気体が漏れ出ている。


 漏れ出ているモノは霊気なのか? 途轍もない密度と量だ。空気中の霊気とは比較にならない。自然の法則を完全に無視している。その霊気は完全に歪んでいた。あの銀毛の中でこんなものを抱えていたのか。


「な、なんなんだよこれ」


 ヒューイが愕然とした表情で力なく呟いた。もうこんなの生き物じゃない。亡霊だ。これが魔獣の正体なのか?


 逃げられるか? いや無理だ。ヒューイをちらりと見る。あの傷じゃ動けない。呪術の行使だけで肉体的な損傷のない僕と違って、彼は骨をやっている。全員の生存は不可能だ。


 霊気に触れられるからこそヒューイにも分かってしまったのだろう。これには絶対に勝てないと。そう悟らざるを得なかった。あれは絶望を具現化した存在だ。


 だが唯一この場でそれが分からない者がいた。一人の男が魔獣の前に立ちふさがる。


「お前らは生きろ」


 漢は騎士だった。吐いた血反吐で顎まで真っ赤にしながら、大剣を杖にして満身創痍で立つその姿は紛れも無く騎士であった。


「ダントン……」


 もう立っていることすら奇跡だ。地面に突き刺さった大剣を伝って彼の血がダラダラと流れている。死にかけの騎士。そんな彼の姿が僕にはギル爺に被って仕方がなかった。


 どうして彼らは誰かの為に命を懸けたがるのか。今、彼は知り合って三日も立たない赤の他人の為に命を懸けようとしている。僕には正直無理だ。同じことが出来る自信がない。


 口では領民の為とか貴族の義務とか言うけれど、大多数の領民は一度も見たことがない。今彼らがここにいたとして、果たして僕はダントンと同じ行動がとれるだろうか。今、橋の向こうにいる避難民の為に僕は命を捨てられるのか。


 確かに今までに命懸けの場面は何度もあった。でも僕には勝算があったのだ。さっきダントンを助けに行った時だって、僕の頭には自分も彼も同時に助かる手段が見えていた。


 でも今回は違う。誰かを助けるには自分を捨てる必要がある。本当に命を落とすかもしれないときに、心底僕が命を懸けられると誓える相手は僕にはマリアしかいない。ヒューイやダントンや、村の避難民の為に命を捨てられるか?


 ヒューイにはもう直ぐ生まれる子供がいる。男の子か女の子かは分からない。でも彼の奥さんはまだ当分生まれない我が子の服を毎日手作りしている。あの避難民の中にいるだろう村人のメリという少女とは遊ぶ約束をした。


 ここで逃げれば、ダントンは死に、ヒューイも死に、避難民たちも皆死ぬだろう。


 自分で自分の方を殴りつける。口に広がる鉄の味。ちくしょう。


「僕は……戦う」

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