第14話 『死線ふたたび』
のどかな風景であった。空は絵の具を原色のまま塗りつぶしたように青く、綿のような雲が空をぽつぽつ流れている。
大地は収穫の途中なのか、半分は一面の黄色でもう半分は泥水で茶色が広がっていた。
田んぼの中では褐色に日焼けした者達が老若男女問わず一列になって作業している。彼らの多くは日よけの為だろう、背の高くて幅広の麦わら帽子を被っている。
突然やってきた騎士団が気になるのか何人かは作業を止めこちらをチラチラ見ている。
「のどかですね」
「まったくだ」
僕はダントンとヒューイ、彼率いる騎士団三十名と共にフェルゼーン最大の稲作地帯ヘルプストに着いた。
出発したのは昨日の昼なので、騎士団が各地の馬を乗り継いだにもかかわらず丸一日かかったことになる。
道中はいたって平和なもので、特に橋から見下ろす川が美しかった。どうやらこの大河が稲作地帯ヘルプストの農耕を支えているようだった。
ヘルプストの光景はしばらく田んぼ続きだったが、村のある一定のラインを超えると深い森が広がっていた。こんなに日光が燦燦と降り注いでいるのに、森の奥は暗闇に包まれている。
「おい小僧、本当に魔獣は来るんだろうな?」
「ええ、来ます。必ず」
「取り敢えず、森へ偵察を五名ほど向かわせよう。ダントン、索敵を頼めるか?」
「おう」
ダントンが胸を叩いて応じた。そのまま彼は団から四人ほど引き抜くと僕らと分かれ森へと向かっていった。
「俺らはここの村長に事情を説明しに行くぞ」
見た所、異変らしき異変は無い。でもそれなら好都合だ。村人を避難させる時間が稼げる。
「おいリオン誰か案内を連れてこい」
「へ?」
「全身武装した俺らが向かえば、住民も怖がるだろう。こういう時はちびっ子が行くのが一番だ」
そう言われると何も言い消せないので、稲を鎌で一生懸命刈っている少女に話しかけた。七、八歳くらいだろうか、背丈の割に麦わら帽子が大きいのでもはやそちらが本体に見える。
「あのちょっといいかな」
「なになになに?」
話しかけると小麦色の肌をした少女が全速力で走ってきた。どうやらかなりこちらの事が気になっていたようだ。
「僕らは王都の騎士団なんだけど、村長の家まで案内してもらっていい?」
「いいよ! こっち! あたし騎士様初めて見た。この村にどうしてきたの?」
「ちょっと村長に相談事があってきたんだ」
「そうだんごとってなにないに!?」
好奇心旺盛な少女を捌くことが出来ずわたわたしていると、見かねたヒューイが苦笑しながらやってきた。
「嬢ちゃん、すまないが俺達ちょっと急いでるんだ。後でこのリオンが遊んでやるから、先に村長のとこまでしてもらっていいか?」
「本当?」
少女が大きな瞳でこちらを見つめてくる。完全に捕捉されていた。致し方ない。
「うん」
「やった~!! あたしメリ。よろしくね! じゃあ早くいきましょ」
メリはこちらの返事を待たずに田んぼのあぜ道を駆けて行った。風のような少女だ。
「坊主は女の扱いがまるでなってねえな。今度俺が教えてやろうか」
「そういうヒューイさんだって、タリアさんの尻に敷かれてるでしょ」
「そ、それは俺が引いてやってるんだよ」
そんな軽口をヒューイに叩かれていると村長の家は直ぐ見えた。乾燥された藁が隙間なく敷き詰められた屋根に、泥で出来た赤茶色の壁が特徴的だ。壁の厚さは牛一頭分はありそうだ。
中に入ると日焼けした皺だらけの老人が座っていた。白い髭が生えているものの、農作で鍛えられた筋肉は彼がまだ現役だということを物語っている。
「メリから話は聞きました。して騎士団の方々がなに用でヘルプストに?」
「この村を魔獣が襲撃する可能性がある。今すぐ避難して欲しい」
「それはできませぬ」
「なぜだ! いいか魔獣が来れば皆死ぬぞ」
「そうならんようにするのがあなた方の仕事ではないのですか。儂らは稲を刈るという仕事があります」
全く避難する気のない村長に、ヒューイが難しい顔で押し黙る。
村長の気持ちは分かる。今は収穫の時期。ここまで来るのに彼らは多大な人と物を投入したはずだ。ここで立ち退けばそれらが全て無駄になる。
しかも魔獣に襲撃され田畑が破壊されれば、復旧作業も含めて甚大な被害が彼らを襲う。
そうであるなら、尚更この稲だけでも収穫して復興の資材を確保しておきたいだろう。さもないと餓死者まで出かねない。
「村長さん。俺らはもちろん命を懸けてヘルプストを守る。だが相手は魔獣だ。最悪俺達が全滅することも十分ありうる。そうなればこの村の人達も死ぬんだぞ」
「この米が無くなればどの道わしらは餓死する。儂らにとっては飢えて死ぬか、魔獣で死ぬかの違いしかない。どちらにせよ死ぬなら、まだ米を刈って死ぬわい。お前さんは知らんかもしれないが、どこの村も毎年魔獣の被害を受けておる。今回もわしらは我慢して耐えるのみ」
ここで僕は僕らと村長に認識の違いがあることに気づいた。確かに結界のないフェルゼーンでは魔獣の被害も自然災害のように考えているのかもしれない。でも今回は違う。
「村長。今回は違います。今度の魔獣は適当に田畑を荒らして途中で満足して帰るなんてことはありません。あなた方を一人残らず殺します。何故なら人を食べるために来るのではなく、殺すこと自体を目的に来るからです。なぜなら今回の魔獣は人間の手によって差し向けられたものだからです」
「なんじゃと」
「おい、坊主」
「確かにあなた方にとってあの米は誇りであり命でしょう。魔獣が来ればそれが全部吹き飛んでしまうかもしれない」
ドリス村の光景が浮かぶ。燃える家々、焼け落ちる森、泣き崩れる母親。今でも彼女に殴られた頬の痛みははっきり思い出せる
「でもいくら失っても僕らはまた種を植えることが出来ます。綺麗ごとなのは分かっています。でも生きてさえいれば、きっとやり直せる」
村長はしばらく僕の目を黙って見つめやがて静かに口を開いた。
「……お主、名は?」
「リオンです」
村長は無念そうに眼を閉じた後、静かに窓の外で遊んでいる子供達の様子を眺めた。
「分かった。女子供は避難させよう。だがわしら男衆はお主ら騎士団に協力する」
「村長!」
「わしらにも戦わせてくれ。なに死ぬ気は無い。生きるために戦うんじゃ。このわしらはこの辺りの地理にも森に詳しい。何か協力できることもあろうて」
「ですが、村長」
「リオン、こいつらも命懸けてんだ」
ヒューイが僕の腕を掴んだ。誰もが覚悟を決めた目をしていた。
「……分かりました」
「決まりだな」
「うむ。それでここからどうするのだ?」
村長の疑問に、ヒューイが暫く考えた後に返答した。
「森の中に罠を張る。奴らは火を恐れる」
「なら東の森がいいでしょうな。あそこの木は特に燃えやすい」
「だが、ヒューイ。肝心の火種はどうすんだよ」
「僕が呪術で火をつけましょう。村長、ここは半分くらい稲刈りが終わっているようですが、脱穀した後の藁はありますか?」
「ああ、いつもは家の屋根に使うか牛の餌にするが、どちらにせよ山ほどある」
「それを火種にしましょう。事前に森に運ぶのを手伝ってください」
こうしてすぐに僕らは行動に移すことになった。罠は単純なもので、村の目の前の森からさらに深く潜った所で落とし穴を掘った。穴には油をしみこませた藁を敷き詰め、上から落ち葉で偽装する。
そこで騎士団が囮になり待機。魔獣が彼らを襲い次第、僕が呪術で着火し殲滅するというものだ。
「しかし、魔獣は僕らに食いつきますかね?」
「食いつく。なぜなら魔獣は嗅覚や視覚は退化していて、霊気に反応する。魔獣が来る頃には村の女子供は逃げているから、奴らが最初に感知する霊気は俺ら騎士団になる。それに、民間人より俺ら騎士団は霊気量が多いしな」
なるほど、確かに僕が闘技場で見た魔獣も鼻らしき鼻はなかった。霊気に反応するならまず僕らが狙われるはずだ。
そうして罠を用意している内に、空はあっと言う間に薄暗くなった。万全は期した。
もう僕らに出来ることは、この暗い森の中で奴らが来るのを黙って待つことだけだった。イヤに森が静かだ。野鳥の鳴き声一つ聞こえない。
突然ガサガサと茂みが揺れ動く音がした。一瞬で緊張が高まり、そちらを振り向く。茂みから出てきたのは村から来た騎士の一人だった。
「おい、リオン。緊張しすぎだ」
「え、ええ。村の方はどうですか?」
村の避難を任されていた彼に村の状況を尋ねる。だが彼の顔はあまり優れなかった。
「女子供は避難した。だがあまり遠くまで避難できていない。村にはジジババが大勢いるからな、無理もないが」
「でも避難はできてるんですよね」
「ああ、今頃大河を渡る橋の手前くらいにはいるはずだ」
ならいい。僕は皮の手袋に包まれた手を見つめながら、そう呟いた。
今僕は簡単な皮の鎧に身を包んでいる。全身が鋼だと子供の身体では重くて動けないし、あの魔獣の腕力相手には鎧なんて無駄に思えたのだ。
だから速さを重視した皮の装備にした。受け身を取った時の衝撃を吸収するだけならこれで十分だ。剣のみヒューイから鋼のショートソードを借りている。
「おかしい。昼に送った偵察が帰って来ねえ」
ヒューイの厳しい表情に僕の胸が高鳴りだす。ダントンは大丈夫なのだろうか。まさか……そう嫌な想像が頭を過った瞬間に、茂みから一人の騎士が飛び出してきた。
フルプレートの鎧は無残に抉れ、穴が開いてる。血だらけだ。
「おい、大丈夫か! 何があった」
「魔獣だ! 魔獣が出た!」
「やはり来たか」
「みんな死んだ。俺だけ逃がされて、ダント―」
騎士が口から血の塊を噴きだした。かなり傷が深い今すぐ手当てしないと。それにダントンは、彼は!
「ダントンは! 彼は無事なんですか」
「ダ、ダントンは……俺を逃がして戦って」
「もういい喋るな。おい、早くこいつを馬に乗せて村へ行け! ここで治療は危険すぎる」
騎士が二名駆け寄り、手早く止血し馬に乗せた。来た。魔獣が来たのだ。あいつが来た。
「リオン、俺はダントンを助けに行く。お前はここの指揮を取れ!」
「僕が行きます」
「今はそんなことを言ってる場合じゃねえ!!」
ヒューイが思いっきり拳を振りかざした。だが僕はそれを半身になって躱す。シュナと訓練している僕にははっきりその軌道が捉えられていた。
「な!」
「わがままで言っているんじゃありません。ヒューイ信じてください」
ヒューイと僕の視線がぶつかり合う。
「お前ッ」
「僕は霊気の把握がかなりの範囲でできる。魔獣の位置も探りやすい。今すぐ救援に行かなきゃ、ダントンは死ぬ。絶対に助けます」
彼は歯がゆそうな顔をしながら、黙って僕の肩を叩いた。
ヒューイにも僕にも分かっていた。魔獣相手に凡百な剣技のみでは太刀打ちできない。呪術がいる。そしてより強力な呪術を行使できるのはどちらなのかも。
「ダチを頼む」
彼はただ一言呟いて、騎士団の指揮に向かった。僕は黙って一目散に森の奥へと駆けた。




